山日記002番(石鎚山1982m 登山口から登山口:7時間25分、歩行7時間5分)
2002年10月27日(日)(成就社経由) 強風、雪、曇り、頂上は−4℃
自宅出発(6:30)→高松西インター(7:00)→下谷駅(8:30)→ロープウェイ発(8:40)
西の川発(16:40)→高松西インター(18:35)→自宅着(19:15)
コースタイム
成就駅発(8:50)→成就社(9:20)→二の鎖下(鳥居)着(11:30)鳥居発(11:45)→弥山着(12:45)
弥山出発(12:50)→二の鎖下(鳥居)(13:40)→試し鎖(茶店)(14:25)→八丁坂の底(15:15)→成就社(15:50)→ ロープウェイ成就駅着(16:15)
登り3時間25分
下り3時間00分
同行者:一人
1. 出発
天気予報は強風、曇り後晴れで今期一番の寒気団が南下するとのことであった。化繊のアンダーウェア、フリースの上に厚めのウインドブレーカーを着た。下は綿のズボン下に昔着ていた厚手のズボンをはいた。朝食も食べずに車で出発し途中のコンビニでコーヒーを買い持ってきたサンドイッチを食べた。西条インターで降りて、11号線を松山方面へ少し行き加茂川沿いの国道194号線に入った。後は今年の9月にきたことがあるので間違いなく西の川へ着いた。すぐロープウェイにのり成就社駅へ。ここは標高1300m。外人さんが地図を取り出し、スキーのリフトへ行く道と成就社へ行く道を思案していたので、教えてあげた。
2. 成就社、八丁坂
2002年12月6日(金)NHKの午後7時30分からの、ふれあい紀行「霊峰が霧氷に輝くころ」愛媛石鎚山、によると、成就社の標高は1450mであった。成就社を少し過ぎて登山口を出るとまもなく小雨になりすぐ雪になった。相棒はジャケットを脱ぎGore-Texの雨具を着た。はじめは下りでドンドン歩けた。この下りの道が最後に重荷になることはインターネットで石鎚山を調べて知っており、また容易に想像できたが、この時点ではルンルンであった。この坂の最低点に屋根付きの小屋があり、土小屋へ向かう小道の表示があった。この地点は登山口から100m下っている。ブナの木が多く紅葉しており、道は落ち葉に埋もれているといった感じであった。ここから徐々に上り坂になった。風が強くなり寒さが増してきた。途中で毛糸のセーターを着込み、日本手ぬぐいで頬かむりをした。坂が急になり歩く速さがダウンした。この時間に降りてくる人がかなりいた。
一人登山の女性が「上は雪で霧氷になっていますよ」と教えてくれた。早く行かねば霧氷が融けるとあせった。今頃下りてくるとはいつ登ったのか。坂の上から成就社がよく見えた。2002年10月12日には土小屋ルートから双眼鏡で成就社がよくみえた。記念写真を撮った。ここには霧氷はまだない。
試し鎖(前社が森)のかなり手前で単独登山のオバサンが写真を撮っていたので、私たち二人の写真を撮ってもらった。お返しに撮って下さいというので彼女の写真を撮ってあげた。この付近にはもう葉の付いた広葉樹はなく、笹が多い。向こうの木は氷が着いていて花が咲いたようで、きれいだった、霧氷。
3.前社が森(ぜんしゃがもり)、夜明かし峠
八丁坂から見ると前社が森の上のほうは雲に隠れて見えなかった。試し鎖を登っている人は誰もいなかった。この山を越えるとその向こうに急坂と一の鎖があったが、捲き道を行った。その終わりに茶店があり、茶店の奥に一の鎖の下り用の鎖が見えた。女性が3人降りて来た。ヤッホーヤッホーと叫んでいたのはこの人たちに違いない。たいしたものだ。
ここから上は雲に隠れて何も見えなかった。ただ坂をどんどん歩いていったら、突然鳥居が見え、人が多くなったので、土小屋ルートと合流したことが分かった。ここで弁当の握りを一個とおかずを食べたが、どうも食欲がなくお茶も少し飲んだだけであった。成就社から鳥居まで2時間10分かかった。
4. 弥山へ
上から降りてくる人はみんな、強風で凍っていたというので、少し心配になってきた。捲き道の鉄板は凍っており滑りやすかった。鎖をしっかり持って慎重に上がって行った。しかし、上から降りてくる人に尋ねると、凍っており歩けないので登頂は諦めたといっていた。行者が降りてきて凍っているから登頂は諦めて下さいと言った。「山は逃げないよ、また来よう」と言いながら諦めて下りた人がいた。かなりの人は思慮分別がありここで下りて行ったが、登頂を目指す人もいた。そのうち道を教えてあげた外人さんが降りて着た。頂上へ行ったのかと聞くと、寒くて風が強くよく滑ると言った。
坂はますます急になり木の足場は凍っているので二本足では歩けない。地面も凍っておりグリップがない。そこで四つん這いになり上がっていった。四つん這いは安定している。が、疲れる。ここで毎週の筋力トレーニングの効果が出た。相棒も四つん這いで上がった。どこかの団体登山者の夫婦と一緒に行動した。視界は悪く20m先は見えない。石敷きの道になると靴のグリップがよくなり、まもなく頂上に着いた。岩には雪、氷がついており、下界は全く見えず、当然天狗岳も天狗岳へ行くルートも見えなかった。どこかの男の人の写真を撮ってあげた。Pentaxの自動ピント、ズームレンズであった。私のはPentax SPで古いんですというと、写真が撮れればいいんですよと彼が言った。強風が吹き荒れ、気温はマイナス4℃だそうだ。前回の登山では快晴で頂上は人で溢れていたのに今回は10人もいない。鳥居から弥山頂上まで60分。
5. 下山
下りる時にも滑るところは四つん這いで下がっていった。これは疲れるが、速い。子供の体にロープを付けて上がってきた本格的な登山者とすれちがった。50分かかって鳥居まで来た。前回の二倍の時間がかかった。あとはただ歩くのみであったが疲れてきた。疲れようが前回の時とは違う。前回は疲れてもまだ走るだけの力はあったが、今度は走れそうな感じがしない。階段道を下っていったがそのうち左膝が痛くなってきた。ほとんどの人はステッキを持っており、やはりステッキがあると楽だなと思った。一の鎖手前の茶店によりアメ湯を飲んだ。一杯400円でこれは高い。空腹のはずなのにあまり飲めなかった。後から下りてきた人たちがこれから登るんですかと聞いたが、なぜこんな時間に登るのかと、変な質問をするなと思った。
捲き道を下りて行くと‘左へ行くとロープウェイ‘と道しるべがあった。右へ行く道もあるので間違うとえらいことになると思った。後で調べると、この道は西の川へ通じている。これくらい疲れていると、間違い道を引き返して正しい道を発見するのは困難に違いないと思った。非常用の笛と携帯電話は必要だ。
夜明かし峠を越えていくともう一つの峠(前社が森)があり、ここから成就社が見えた。この高度ではもう雲はなかった。木の階段道で相棒が木の葉に滑り、転んだ。怪我はなかったが捻挫でもしたら大変だ。やっと八丁坂の底にきた。このルートは登山者が土小屋ルートに比べて少ない。それも道理でこのルートは土小屋ルートより5割増しくらいエネルギーが必要だ。
ここからが大変であった。最後になって登り道になった。疲れた体にはこたえた。水晶が鳥居の付近にあるというが探す気力はない。一歩一歩ゆっくり歩いてやっと成就社についた。旅館前の公衆トイレで大量排便。相棒は神社にお参りに行ったがまだ余力があったらしい。成就社駅まで歩いていき小屋に入ると暖かくてホットした。
成就社駅と山頂は700mの標高差があるが、八丁坂が100m下っているので、歩いて登る高度は延べ800mになる。土小屋ルートの500m差とは大きな違いだ。
6. 帰途
車のトランクの縁に足を乗せて登山靴を脱いでいたら、下腿の筋肉が痙攣のようになり止まらなくなった。車に乗り出発したが、体がだるく岩瀬湖の横で車を止めて少し寝た。また走り出したが吐き気がしたので車を止めて道端で吐いた。米粒が少量と水分であった。昼以後に飲食したものは消化吸収されていないようで、これでは体がだるいはずだ。結局昼以後飲まず食わずと同じだ。寒さと過労でこうなったのか風邪をひいたのか分からない。嘔吐したのは、10数年前の腎結石の時以来だ。吐くと気分がよくなり、前に見える車を一台を除いて全て追い抜いてとばして帰った。その一台はセルシオであったが、あとで追い抜いたはずだ。19:15家着。本日は280km走り、歩いた時間は7時間25分。体重は56.6kgになっていた。