山日記007番(笠形山764m、4時間35分))
 2002年12月1日(日)113号鉄塔771m(琴南町) 曇り山は雲の中
 
 自宅出発(9:10)→柏原渓谷キャンプ村(10:20)登山口
 柏原渓谷出発(15:05)→帰宅(16:30)

コースタイム
登山口(10:35)→林道、阿波幹線、115号鉄塔(11:30)→114号鉄塔(12:30)→113号鉄塔(12:35)
113号鉄塔出発(13:00)→笠形山断念(13:30)→114号鉄塔(13:45)→林道、115号鉄塔→登山口(14:55)
同行者:一人

1. 出発
 天気予報は曇りのち午後晴れであった。雨の確率は10%であったが朝から曇りで日は全く見えなかった。化繊のアンダーウェア、フリースを着、下は化繊のズボン下にMont-bell のズボンをはいた。靴下は青い毛のもの。ゆっくり出発した。
 国道193号を安原下で右折し県道377号に出た。綾上で県道39に出会い左折する。柏原渓谷キャンプ村の案内板があり、ここで左折して綾川を渡る。この道は枌所西中徳線というらしい。曲がった道を行くと柏原渓谷キャンプ村Tatutaの森に着いた。トイレを済ませた。キャンプ村からは周囲の山は霧でみえない。
 
2.登り
 案内板がなく登山口がどこにあるのか分からず、キャンプ村の人に相棒が聞きに行った。初めから急坂であった。整備されていない。朝日新聞AN’Sの‘山へ行こうVol.35笠形山‘によるとキャンプ村は標高240mらしい。ウラジロが周辺に一杯ある。途中で道が三本に分かれており、朝日新聞の案内では真ん中の道を進むようになっていたが、入り口に赤いテープで通せんぼしていたので右の道を行くと、行き止まりであった。
 
 赤いテープを無視して行くと、広い舗装していない林道に当たったので、正しい道であることが分かった。ここから115号鉄塔が見えた。全て霧の中にあり、オリエンテーションがつかない。鉄塔に近づくとジージーという音がする。林道から登山道へ入るには阿波幹線という低い標識が道端にあるので、それを目印にすること。今日は霧(雲)で頂上や鉄塔は全く見えない。ここからも杉林の中、登り一辺倒で少し上に行くと、プラスチックの黒い階段になっていた。立ち止まり休みながら登った。道はブナやカエデの広葉の落葉で一杯であった。つづら折の道を1時間歩くと、上からジージーという音が聞こえてきた。なにも見えないので分からなかったが、鉄塔の脚が見え出して、それは送電線からの音であることがわかった。114号鉄塔であった。すぐ近くにあるはずの113号鉄塔は霧で見えない。数分で113号鉄塔に着いた。登山口から113号鉄塔771mまで丁度2時間。登山道際の土が掘り返されているのは、イノシシのしわざらしい。そう讃岐富士さんが書いている(注)。
 
3.頂上、笠形山
 ここは標高771mで飯野山、屋島、五色台が見えるはずだが今日は何も見えない。疲れて食欲がないが、ムスビを食べたら、元気が出た。霧にまぎれて林に入り排泄物はちゃんと土に埋めた。寒いのでジャッケトを着た。笠形山よりここが高い。
 ここから笠形山へ行こうとしたが、来た道がわからなくなった。視界がないために苦労した。磁石で方角を決めて歩いていくと。赤いテープが木に捲きつけられており、これを伝って行った。しばらくすると向こうから夫婦らしい二人連れがきた(注:これはハンドルネーム讃岐富士さんだった)。まだ40分はかかるらしい。完全に霧の中で、薄暗く、帰りにテープが見えなくなる恐れがあったので、笠形山はここで諦めて撤退した。114鉄塔のふもとに来ると先ほどの二人が鉄塔の下にいた。二人よりさきに下りた。
 
4.下山
 急な下りばかりで相棒は膝がガクガクしたといったが順調に下りた。林道から下の道で彼女が岩を踏んで滑り尻餅をついた。僕は左の膝が少し痛くなりそうであったが、無事下山できた。114号鉄塔から登山口まで1時間10分。笠形山へ向かった稜線では林と霧で暗かったが、柏原渓谷は明るかった。霧は晴れず山は全然見えなかった。

注:インターネットホームページの黄色いテント、Dec.04.2002 vol.2002 の讃岐富士さんの投稿を見ると、「笠形山から稜線を伝って鉄塔114号に向かっていたところ、むこうから来た夫婦に会った。」となっている。我らは鉄塔114号から笠形山へ向かっており、同日であるので向こうから来た夫婦とは我らに違いない。また、讃岐富士さんのご夫人も鉄塔の下で帰途の道を見失いとんでもない方向に歩いていたとなっている。