山日記020番(石堂山―矢筈山 石堂神社から石堂神社7時間10分 歩行6時間27分)
2003年4月13日(日)石堂山1636m 矢筈山1849mうす曇後晴れ、風あり、気温15℃ 霞が強い
高松23.5/13.0℃ 徳島22.2/12.1℃
サンクス発(6:42)→脇町IC(7:38)→半田町(8:00)→未舗装道路(8:49)→駐車(8:57)→(9:05)石堂神社登山口(16:20)→車出発(16:30)→舗装道路へ(16:36)→半田町・R192へ(17:18)→美馬IC(17:25)→脇町IC(17:36)→清水峠(17:52)→我家(18:42)
コースタイム
石堂神社・登山口(9:10)→白滝山分岐(10:22)→(11:12)石堂山(11:25)→(13:00)矢筈山(13:15)→昼食(15分間)→石堂山巻き道(14:50)→白滝山分岐(15:35)→登山口(16:20
同行者:一人
1. 出発、道順
サンクスで冷たいお茶、イナリ寿司を買い6時42分に出発した。県道10号をさぬき市まで行き、右折し県道3号に入り、続いて国道377号に入り清水峠へ。両側の山には山桜が満開できれい。平野になると散った桜の花がアスファルト面に積んでもう葉桜になりつつある。脇町ICまで1時間弱。美馬ICで高速を下り、右折して県道12号にはいるべきところをつっきってしまい、後戻りした。
美馬橋を渡り国道192号にあたり右折。少し走り、左折し半田川に沿い県道256号ついで258号を走った。道は舗装されており、たまに二車線になるがほとんどは一車線である。半田川が終わり、山腹のつづら折れの林道にいつのまにか続いている。林道は舗装されている。上になるほど林道は広くなった。
かなり走ると道路右に石堂神社への案内板があり、ここを右へ鋭角に曲がった。ここからは舗装されておらず、轍が低くなっており、腹をこすらないように注意してゆっくり走った。8分で前方にコンクリート舗装され急坂の所に出くわしたので、その前で駐車した。ここは広く十分Uターンできた。半田町から57分。
ここで準備をし、石堂神社まで歩いて数分。上はシャツとフリースのみ。神社に香川ナンバーの三菱の車が一台あった。
2.登山口・石堂山
登山口は石堂神社で標高1200mであるとの標識があった。神社前に空中にワイヤを張り太い材木をつるしていた。トイレがあり排便。神社の右から登り、初めは急な坂であったが、そのうちにゆるい坂になった。4等三角点があった。北側は半田町南側は一宇村で、境目に赤い杭がずっと打たれていた。
うす曇で暖かく、一宇村の沢の水のザーッという音と鳥のさえずりがBGMになり、ときどき鶯のホーホケキョという鳴き声とキツツキのルルルルという音がアクセントになる。登山道には所々にうす緑色の草の芽が出ている。あまり人が歩いていないようだ。ほとんどの木に新芽が出ており、ネコヤナギには白い丸い芽が出ていた。
ゆっくり歩いて白滝山分岐まで1時間12分。ここを過ぎると、雪が所々に残っており、木の周囲は雪が融けて丸く土が見えている。乾いた道に新しい雪融け水が上から流れてくる。乾燥していた落ち葉が湿って黒くなっていた。小さい峰を越えていくと御塔石が現れた。向こうに矢筈山を見てすぐに石堂山頂上に着いた。白滝分岐から石堂山まで50分。
頂上には男性一人女性二人のパーティがいた。善通寺から来られたとのこと。男性は山にくわしい人であった。まわりの山名を教えてくれた。ネコヤナギの枝の皮が鹿に食われているのを示してくれた。頂上に13分いて矢筈山へ向かった。
3. 石堂山から矢筈山
11時25分男性が雪が深いかもしれないというので、膝から上まで踏み抜くのなら撤退するつもりで矢筈山へ向かった。南へ急坂をおりた。しばらく行くと右手に水場の表示がり登山道には木の枝や倒木が多くかぶさっていた。笹はつぶされたように低いほうへなびいていた。雪が多くなり登山道にも雪の場所が多くなってきたがまだアイゼンはつけなかった。道にズーッと丸い糞が落ちている。
峰をいくつか越えていくと雪がますます多くなってきた。誰かが歩いた足跡は全くなく6本爪アイゼンをつけた。ストラップがひらひらするので正しい長さに切ったがこの時ナイフが初めて有用であった。雪に二本爪の足跡がズーッとついている。幅は僕の指3本分。多分鹿だろう。糞も雪の上にズーッと落ちている。糞の周りだけ雪が融けて糞が落ち込んでいる。
矢筈山がずいぶん近くなった。ここらでは一宇村の沢の水音はもう聞こえず、鳥のさえずりも少なくなった。雪が多くなり登山道が分からなくなった。坂が急でアイゼンを効かせながらゆっくり登った。分かりにくいところ三ヶ所にしろい紐でしるしつけた。たまにズボッと踏み抜き太腿まで入ることがあり、また撤退しようかと思ったところが二ヶ所あったが上まで見に行くと道がちゃんとあったので登山を続けた。雪の中を歩くのは疲れる。
多くのところで道に木が倒れかかっており、枝がたわんで道にかかっている。頂上の下標高差50mくらいのところで、相棒がここで待っているというので、僕一人で頂上へ向かった。坂は急で雪の深さは1mはありそうだが踏みぬかなっかたので助かった。道が曲がった枝で何ヶ所も閉ざされ、おまけに雪が反対の崖のほうに張り出しているところがあった。雪庇。小さい峰を一個越えて頂上へついた。
4.矢筈山頂上
13時00分頂上着。石堂山から矢筈山まで1時間35分。頂上は晴れ、見晴らしはよいが春霞がつよい。風があり気温は15℃。同時に落合峠から単独行者が上がってきた。伺うと深淵から来られたのこと。登山道に雪はなく、車はマークUである。サガリハゲ山へいき、ついで矢筈山へ来たそうで、毎週山へ行っているとのこと。
南には三嶺、西熊山、天狗塚が、東には剣山、次郎笈、黒笠山が見える。西にはサガリハゲ山、寒峰、烏帽子山が見え、寒峰のこちらに1683m峰が見える。霞のためそれ以遠の山は同定できない。北を見ると今歩いてきた、石堂山から白滝山、石堂神社付近の山が片川の谷を囲んでいるのがよく分かる。石堂山横の御塔石も見えた。
5.下山
13時15分、つれが下で待っていると言い、別れを言って頂上を去った。下りは速い。相棒は待っている間に昼食をすませた。頂上方向から声が二人分聞こえたそうだが内容までは聞き取れなく、なにをしていたんと聞かれた。僕は雪の上にシートを敷き、カップラーメンとイナリ寿司を食べすぐ下山に移った。道を迷うことはなく、3ヶ所につけた白い紐のしるしも撤去して下りた。最後の二つの印を撤去してアイゼンをはずした。そのすぐ下で、上がって来る男性に会った。
3人組みに矢筈山へ行った人がいることを聞いてやってきたそうだ。片川から来たが途中で土砂くずれがあり、通行止めになっていたので192号まで引き返し半田町からやってきたそうだ。
大野原町の人で、よく山へ行っているとのこと。名前を言ったが忘れた。今年の正月三嶺へ行き讃岐富士さんと一緒になったとのこと。黄色いテントも知っていた。登山道へ掛かっている木をナタで切り、道に落ちている枝をどかしながら下山した。まったく元気な人だ。われらが遅れると待ってくれた。道に落ちている糞は鹿のだそうで道横の皮を剥がされた木は鹿のしわざだそうだ。先週の雪は水分が多く重かったので木がたくさん倒れたのだそうだ。
石堂山は巻き道を通った。御塔石の所でデジカメで我らの写真を撮ってくれた。双眼鏡も持っていた。電子郵便で送ってくれるとのことで高松の住所とアドレスを教えてあげた。このあたりから両膝が少し痛くなった。急坂を下る時に痛む。登り道、水平道では痛くない。
道の真ん中でふきのとうが緑の芽を出していた。登山者が少ないので踏まれなかったのだろう。この付近でも木の皮が鹿に食われていた。登るときに登山道にみかんのフサが落ちていたが下山時にはそれが乾いていた。杉の植林帯はもう暗くなったが自然林には夕日がさしこみ明るい。白滝分岐から登山口まで45分。下るときは坂がよけい急に見える。最後の急坂を下り、神社に着いた。ここにはフキノトウがいっぱいでて、もう大きくなりすぎていた。
6.登山口・帰途
16時20分石堂神社着。片川へ下る道は林業の工事でよく分からなかった。大野原の男性は軽四トラックで来ており、リュックをコンクリート坂の下まで運んでくれるというので荷台に積んでもらった。坂の下で寒峰の福寿草の写真を見せてくれた。320万画素でとると一眼レフと変わらないそうだ。
16時30分出発。すぐ舗装された林道に出た。林道で大野原の人に追いつかれ、その内先に行ってもらった。17時18分に48分かかって国道192号に出た。ここまで往復45.2km、石堂神社まで22kmちょっと。またしても相棒は林道で酔い、脇町で運転を代わった。
来た道を逆に走り長尾道の駅でトイレ休憩、膝が痛かったが歩いているうちに滑らかになった。帰宅は18時42分、今日は165km走った。
7.考察
休み休み歩いたので大丈夫だった。下山は大野原の人と一緒で休憩はしなかったが写真を撮ったり、説明を受けたりでゆっくりしていた。相棒は少し無理して下山中は休まなかった、これがひびいていままでで一番きつかったそうだ。車酔いもえらかったそうだ。
57.2kg。風呂にはいると元気が出てきてウドン、ビール、チーズを食べて58.4kg。
翌日まだ右膝が少し痛い。痛い場所は以前と違い、おさらの外側後側である。