山日記021番(次郎笈1929m、剣山1955m、一の森1879m 西島から西島5時間30分 歩行4時間40分)
2003年5月3日(土)次郎笈19℃、剣山18℃、帰り見越24℃、快晴、微風高松26.9/13.6℃徳島24.4/14.3℃
サンクス(6:20)→清水峠(7:02)→貞光(7:28)55.7km→土釜トンネル(7:47)→一宇村役場(7:52)→菅生分岐(7:59)→剣橋(8:05)→13.3℃→つづろ堂(8:09)80.5km→8:41(見の越)96.4km リフト発(8:55)→(9:10)西島
西島(14:35)→見の越(15:05)24℃→つづろ堂(15:43)→一宇村22℃→剣橋(15:49)→国道192号(16:31)137.5km→我家(17:56)192.3km
コースタイム
西島(9:15)→尾根(9:50)→(10:05)分岐(10:10)→(10:30)次郎笈(11:05)→(11:55)剣山(12:35)→殉難碑(13:00)→(13:15)一の森(13:25)→刀掛けの松(14:25)→西島(14:35)
見の越(15:05)

同行者:一人

1. 出発、道順
 サンクスでイナリ寿司、菓子を買った。今日はカップラーメンはなし。お茶500ml、スポーツドリンク500mlを持った。県道10号を南へ行き、さぬき市で右折し県道3号に入り田和から清水峠へ。国道193号で南下し穴吹で192号に出会い右折した。
 貞光町で左折して国道438号を走った。土釜トンネルまで19分。一宇村役場をすぎて200-300m行ったところで、そのまま真っ直ぐいけば矢筈山で片川沿いのはずだ。剣橋をわたりしばらく行くと温度表示板があるがこれは以前から少し低めに出るという感じがしている。つづろ堂まで25km。つづろ堂から見の越まで15.9km、32分要した。
 
 黒緑の針葉樹の葉と広葉樹の若葉の明るい緑が山の斜面をパッチのように染め分けている。道を進んでいると薄緑色の若葉に日が当たり一面が緑になる。赤や白のツツジが強烈に目に付く。後ろから広島の車がずっと着いてきていたので先にやった。次には千葉の紺色のWitzが着いてきた。車が多い。上に行くにつれ、若葉がまだ開いていないで、芽の状態である。夫婦池をすぎ南面に出ると道の両側にタンポポが延々と咲いている。貞光から見の越まで1時間13分、40.7kmであった。

2. 見ノ越から西島
 駐車係りの指示で立体駐車場の二階にいった。すでに半分は埋まっていた。大型バスが二台トイレの前に止まっていた。ここの平面と立体駐車場で50-60台はあったと思う。トイレは稼動中でさっそく使用した。暑いのでズボン下を車の中で脱いだ。
 リフトは9時発だが少し早めに始発した。リフトの両脇の木はまだ葉が開いていない。下にはフキノトウがたくさん出ていた。15分で西島駅に着いた。
 
 駅には30-40人はいたと思う。次から次と登山者がリフトで上がってくる。団体の引率者が「せっかく四国へ来たんですから吊尾根から剣山へのぼりましょう。みなさんの体力なら十分いけます。」と説明していた。

3.次郎笈へ
 その人たちの少し前に我らが出発した。大剣道の右のトラバース道を行った。ゆるやかなのぼりで、まもなく石灰石の道になった。御塔石を西から見て写真を撮った。すぐに団体に追いつかれ尾根にでるまで35分。尾根道からは北に剣山南に次郎笈がきれいに見える。山肌は黄色ではなく緑色になりつつある。頂上には人がたくさんいる。次郎笈の西斜面の谷に何箇所か雪が残っている。
 
 右に行く。道は多くの人が歩き、土が粉になっている。両側に薄紫色の小さい花が咲いている。帰って調べるとショウジョウバカマらしい。10人くらいの女性のパーティが下ってきたので道を譲ってあげた。三嶺への分岐で男一人女五人くらいのパーティがえんえんと写真を撮っており、それが終わるのを待って我らも写真を撮った。ここから坂が急になった。岩にアイゼンの爪跡がない。冬のあいだ登山者が少なかったのだろう。寒風山にはいっぱい跡があった。

4. 次郎笈頂上
 10時30分頂上着。絶景。気温19℃、無風。西島駅から1時間15分で頂上に着いた。つぎつぎ登山者が上がってきてすぐ20人くらいになった。三嶺を双眼鏡で見ると赤い屋根の避難小屋がよく見えた。塔の丸、丸笹山には登山者は頂上に見えなかった。南には剣山スーパー林道が白く見える。黒笠山、矢筈山、寒峰、国見山もよく見える。剣山も緑色がかなり強くなってきた。
 
 大きいリュックを背負った単独者に「どこへ行くんですか」と尋ねると「三嶺です」との返事。「今日下山するんですか」と聞くと「いいえ」とに返事であった。5-6人の大きいリュックを背負ったパーティがいたがこの人たちも縦走するんだろう。南へ行って見たが高知県側から上がってくる人はいなかった。飲みものを飲みアンパンを食べて剣山へ。

5.剣山へ、頂上
 急坂を下っているとつぎつぎと上がってくる。こども連れも一組あった。登山道からの照り返しが強くてときどきムッと暑くなり谷から風が吹いてくると涼しくてきもちがよい。気をつけてアイアゼンの爪跡を探したがそれらしいものを一箇所見つけたのみ。急な坂道で女性が青い顔してえらそうに腰掛けていた。
 見の越へのトラバース道分岐で女性が座りこんで休んでいた。
 
 剣山頂上近くなると道の両側に座り込んで話をしたり食事をしているひとがだんだん増えてきた。頂上から少し次郎笈側に下った大きい岩付近には一杯人がおり、次郎笈をいれて写真をとるチャンスがなかなか来ない。
 11時55分剣山着。次郎笈から50分で着いた。気温18℃、微風、快晴。頂上には数百人はいた。三嶺右方の稜線右に石鎚山が見えるはずだが今日はかすんでいて双眼鏡でも見えなかった。ここから三嶺の避難小屋は見えないが阿讃山脈はかすんでみえた。お茶を飲みイナリ寿司を食べ相棒はここから下山したいというので、車のキーを渡した。

6. 一の森へ
 頂上ヒュッテから下って一の森へ行くのかと思っていたが間違いで、またヒュッテ横まであがり、公衆トイレへ行きそれから一の森へ向かった。道の両側で寝たり食事をしている人が多い。道は粉が吹くほどは歩いていない。次郎笈に比べるとかなり人は少ない。次郎笈と剣山その間の尾根、尾根越しに三嶺がきれいに見える。一組の夫婦が次郎へ行きたいのにこちらへ向かっており、間違いに気付いて次郎笈はどこですかと質問された。少し引き返して教えてあげた。
 
 途中の二の森に小さい祠があり、これが二の森神社であった。ここを過ぎると急な岩場の坂になり、シコクシラベ林のなった。木に名札が付けられておりよく分かるが知らない木ばかりだ。
 しばらく行くと殉難の碑があった。ここでも二つのパーティにあった。高年夫婦から帰りは行場の上の道を通ったほうが楽ですよと教えられた。周囲はきれいに刈り込まれていた。右の急な坂を15分上がると頂上についた。剣山から40分要した。誰もおらず、一の森ヒュッテが近くにある。白装束の一団がほら貝を吹いていた。五葉松が多くあった。槍戸山、天陣丸、赤帽子山が見える。

7. 行場経由刀掛けの松へ
 一の森頂上を13:25発。下りでは右の膝が痛かった。殉難の碑で右へ行った。案内板では道は荒れており滑落の危険があると説明していた。
 道は荒れており、沢も何本か越え、そこには木の橋が架けられていた。沢の水音、たまに鳥のさえずりが聞こえるのみで今日初めての静かな所であった。針葉樹、広葉樹の樹林帯でかなり明るかった。草は低いほうになびいており、これは雪で圧迫された跡だろう。新しい草の芽がたくさん出ていた。
 行場の神社や祠をすぎ、先行する二人連れに続いて、最後の急な坂を登り、刀掛けの松に着いた。上の道が楽だと教えていただいた夫婦と偶然刀掛けの松であった。彼らは上の道からやってきた。一の森から刀掛けの松まで1時間かかった。

8.下山、見の越
 ここから西島まで10分。まだ多くの人が登ってきおり、下るより登る人が多いようだ。体力はあったが、左膝が痛くてリフトで下山した。見の越ではもう朝いたバス3台はもうなかった。立体駐車場は満車であった。平面と立体で200台くらいありそうだ。
 相棒は車の中で寝ていた。暑いくらい暖かい。気温は24℃。

9.帰途
 15時5分見の越発。第5ヘアピンの少し上でイタドリを手に一杯採っている二人がいた。滋賀、北九州、和歌山、京都、大坂ナンバーの車がどんどん上がってきた。後ろからは新潟の大きい車が貞光まで付いて来た。一宇村の温度形は22℃を表示していたが車を降りて持っていた寒暖計で計ると24℃であった。大きい木で一杯薄紫の花がついているのはなにの木か。これは192号沿いにもあった。国道192号へ16:31着、137.5kmであった。帰宅は17:56、192.3km走った。
 リュックは家を出るときで5.0kg、これにイナリ寿司、とお茶、カメラが加わる。