山日記022番(西赤石山1626m 登山口から登山口まで7時間5分 歩行6時間33分)
2003年5月10日(土)  晴れのち曇り 頂上15℃ 風あり 高松19.5℃松山21.8℃

家(5:51)→高松中央IC(6:05)→三島川之江IC(7:00)77.6km→国道319号(7:05)81.5km→金砂湖(7:23)92km→(8:00)登山口
登山口116.9km(15:26) →筏津(15:35)→県道6号(15:46)→国道319号金砂湖(16:08)→R11号(16:25)152.2km→三島川之江IC(16:34)156km→(16:43)豊浜SA(16:57)→高松中央IC(17:37)227km→帰宅(18:00)233km

コースタイム
日浦登山口116.9km(8:10)→ダイヤモンド水(8:50)→左右分岐旧牛車道と近道(9:30)→銅山越(9:50)→第一の峰(10:10)→峰(10:40)→峰(11:10)→(11:30)頂上(11:52)→(13:40)銅山越(13:50) →旧牛車道近道分岐(14:02)→歓喜坑(14:04) →神社分岐(14:13)→支流のコンクリート橋(14:23)→銅山越40分の道標(14:25)→鉄橋らくらくコースと大山積神社コース分岐、銅山越50分道標(14:29)→ダイヤモンド水(14:36)→(15:15)登山口
同行者:一人

1. 出発・道順
 天気予報では、土佐沖に低気圧があり南から天気がくずれ午後から曇り夕方には雨が降る、であった。チョコ、カロリーメイト、茶500ml、ポカリスエット500mlをリュックに入れ、サンクスでパン、イナリ寿司を買い出発した。高松中央ICから乗るのは今日が初めて。三島川之江ICまで55分。時速90kmで走り、軽四を一台抜いただけで、他の車には全て抜かれた。川之江の煙突の煙は真っ直ぐ上に上がっており、無風であった。
 
 三島川之江ICを降りてすぐ国道11号にあたり左折した。5分走り国道319号に当たり左折、別子へ33kmの表示があった。峠をグネグネ走り法皇トンネルを抜けまた坂を下り、金砂湖の赤い橋を超えてすぐ県道6号に入った。これは二車線で銅山川に沿って走り快適であった。これは県道47号に移行した。時々一車線になった。
 筏津で公衆トイレが右側にあり、そこで休憩。筏津山荘に車が止まっていた。そこから10分で日浦登山口へついた。別子ダムのえん堤がすぐ左前に見える。

2.登山口
 天気は晴れ。駐車場には約60台の車があり満車、バスが一台あった。あふれた車は道路の端に駐車していた。わが車も100mくらい下った道端に止めた。登山の準備をしている人がたくさんいた。ズボン下は脱ぎ上は二枚。この辺は住友林業の私有地で山中では禁煙、木、花は採らないようにとの書付があった。

3.らくらくコース大山積神社コースの分岐まで
 登山道は岩、石がでており、平坦な土道ではなく銅山川の支流に沿っている。鉱山集落の跡が多い。下のほうは桧が多くうす暗く、絶えず沢の水音が聞こえる。
 40分でダイヤモンド水に着いた。ここは平らな広場で、約30人が休んでいた。冷たい湧き水が多量にでていた。
 少し行くと鉄管を何本も床にした橋があり、そこで右の(らくらく)コースと左の大山積神社コースに分かれていた。らくらくコースを取り鉄管の橋を渡った。

4.銅山越まで
 登りが急になり川の支流をコンクリートの橋で渡った。岩石、山土が赤くなってきた。ここを越えるとまた分岐があり、右の近道を選んだ。道は岩石でごろごろしておりかなり歩きにくい。銅山越近くで笹ヶ峰から来る道と合流した。尾根にでると銅山越であった。
 登山口から銅山越まで1時間40分かかった。左に広場がありかなり人がいた。左の奥に西山が見える。北からも登山者が上がってきていた。石垣に囲まれた地蔵さん群があった。
 
 笹ヶ峰の頂上に薄い雲がかかってきた。沓掛山、冠山、平家平はまだ大丈夫。しばらくは樹林帯の中を歩いたが、ツツジの花はしなびており、落ちているのもかなりあった。登山道は相変わらず岩石が出ていた。ツガザクラの自生している範囲はロープで囲まれて、保護されていた。花は咲いていなかった。
 
 足元を見ながら歩いていると、道の石は白や銀色にキラキラ光っており、いかにも金属がありそうな感じで、岩場も多い。峰を越えてもまた次に峰があり、だんだん高度が増し、周りの木は低くなっていく。嶺は地形図でみると五つ越えているはずだ。
 赤いツツジが見えない。登山道上の茶色の干からびた花びらを頭をそらして見ていると、下山してきた人が、みんな枯れていますよと教えてくれた。
 登山道にツツジの花が討ち死にしたように大量に落ち、またツツジの花が茶色になりしなびて木に付いている。山腹を見ても茶色に枯れた花ビラの集合が、斑状に見えるだけ。赤い部分はまったくなかった。みんながここ数日間の寒さで枯れたんだと言っていた。
 
 登山道は登る人下る人で混雑して、おうおうにして立ち止まって待たねばならなかった。丁度よい休憩になった。双眼鏡で見ると頂上したの急坂で長い列ができていた。頂上の下の狭い岩場は相当な混雑ですいぶん待たされた。ここをよじ登って頂上に着いた。

6.頂上
 風あり。15℃、曇り。登山口から3時間20分、銅山越から1時間40分かかった。30人くらいの人が食事をしていた。携帯電話がなったが、話を始めると切れてしまった。通話は無理みたい。北側は樹木があり展望は悪く頂上には二等三角点があった。
 
 笹ヶ峰は頂上は完全に雲に隠れ、冠山、平家平も雲に隠れそうであった。沓掛山と笹ヶ峰の間に石鎚山が見えるはずだが、かすんでよく分からなかった。南の大座礼山、工石山、別子ダム、東の東赤石山、西の東平付近、新居浜市が見えるが、うす雲がかかっていた。ここからは双眼鏡で銅山越が見え、たくさん人がいる。

7.下山
 食事をする場所がなかったので下山した。11時52分出発。狭い岩場はストックとカメラは互いが持ち合い手ぶらで下りた。少し降りた岩場に腰掛けて食事をした。
 のぼりで唯一追い越した高年夫婦に追い越され、これで全ての人に追い越されたことになった。
 道横の木に黄色い花が咲いており、何人かがこれはヒカゲツツジかシャクナゲか討論中で、つぎつぎ下山者が加わったが、ある人がこれはヒカゲツツジですよ、と言って通りすぎた。家で調べると、ここにある黄色い、ツツジに似た花はヒカゲツツジしかない。下りは速いが途中で食事をしたり、風景を楽しんだりで時間を食った。

8.銅山越以下
 13:40銅山越着、頂上から1時間48分。多くの人がいて、南の日浦へ下るより北側へ下る人が多いようであった。西山からもどんどん下山してきた。13:50さらに下山。
 カメラと双眼鏡をリュックにしまった。腹の前が楽になり気持ちがよい。近道の岩の道を下り、赤土の地域も過ぎた。あとからきた多くの人に追い越された。
 
 鉱山の歴史につての説明がきれいに書かれて道端に立てられている。明治の後期には住民が二千数百人おり、学校には生徒が二百数十人、先生が7人いたと。偉いさんがきた時の接待所や舞台あとなどもあった。いまもレンガ作りの塀や基礎が残っている。台風で多くの人が死んだそうだ。
 江戸時代に発見された優秀な鉱脈が歓喜坑で、ここにベンチが作られ公園のように整備されている。大正6年に東平に管理局が移ってからはここはさびれていったと書いている。
 無縁仏の立派な碑がたてられている。今も毎年供養されているとのこと。江戸時代から明治にかけて近代日本建設のために働いて亡くなった人たちに合掌。

9.登山口、帰路
 15:15登山口着。銅山越から1時間25分。もう車は4分の1になっていた。細かい雨が落ちてきたが濡れるほどではない。天気予報のとおり。
 筏津にはまだ車、バスがあり登山中みたいだった。きた道をそのまま逆走し、豊浜SAで僕はソフトクリーム、を食べ、三豊PAで運転を交代した。帰宅は18時ちょうど。