山日記094番(05.09.02から05.09.05 奥穂高岳3190m 頂上晴れ12度)
2005年9月2日(金)から5日(月)
家(5:20)→吹田(7:20)198.6km→米原(8:36)321.0km→養老SA(8:50)344.1km→一宮JCT(9:17)366km→飛騨清美IC(10:45)485.1km→高山市(11:20)505.0km→アカンダナ駐車場(12:20)540.9km
アカンダナ駐車場(11:45) →飛騨清美IC(13:12)596.6km→一宮JCT(14:33)715.5km→養老SA(15:20)739.1km→明石大橋(17:23)945.0km→家(19:03)1083.5km
長袖の下着、ノースフェイスのカッターシャツを着た。ズボン下ははかず。靴下と下着の代え、モンベルのフリース、モンベルのズボン下、ダウンジャケット、雨具、傘を持った。水はスポーツドリンク1800ml、バターパン二袋を持った。リュックは9kg。
9月2日(金)
5時20分に出発。コーヒー、食パンを焼いてチーズをはさんで朝食用に持っていった。木曽川の名前を写真に撮ろうと構えたが、少し遅かった。東海北陸道で前をはすい観光愛媛のバスが走っていた。順調に走り養老SAでガソリン補給のために止まった。高山市内も迷うことなく通過した。バス駐車場で上高地へ行くのはどうするか、尋ねると沢渡まで言ってくれという。嘘ばっかり言う。新穂高温泉への分岐のガススタンドでアカンナダはどう行くか尋ねると、真っ直ぐ行って下さいとのこと。平湯のバスターミナルを越えてすぐ右折して上がるとアカンダナ駐車場だった、12時20分。シャトルバスは僕一人だった。12時50分平湯を出発し、鎌トンネルをこえ上高地に入った。大正池を通り20分で上高地バスターミナルに着いた。
13時20分、ターミナルを歩いて出発。観光客は多い。河童橋は意外と小さかった。晴れてはいるが薄暗い梓川の左岸の林の中を43分歩いて今晩泊まる明神館に着いた。チェックインは3時なので前の椅子に寝転がって時間をつぶした。観光客や登山者が多い。二段ベッド12個の部屋に3人だけで、他の客は東京からの二人組。全体でも9人であった。シーズン中は40人くらい泊まるそうだ。風呂場はきれいで、タオルを100円で買い風呂に入った。ここは自家発電で、飲み物食べ物は一応揃っている。夕食は品数が多くかなり豪華だった。ここで単三のリチウム電池二本を1000円で売っていた。平地の5割増しの値段で、今回僕はこの電池をデジカメ用に持ってきたが、軽くて長持ちして良かった。9時半に非常灯だけになった。
9月3日(土)
朝食は7時で、7時10分出発した。明神岳は朝焼けできれいだった。白樺林で林床は笹。すずしい。7時55分徳沢、道が分からなくなり、尋ねてここで左へ曲がり8時50分横尾着。標高1615m、左は上高地11km、右へ行くと11kmで槍ヶ岳、道標にこう明記している。トイレへ入るとチップ100円の箱があり、やっぱり僕も入れた。水、河床、山々の構図がすばらしい。明神までは観光客がいたが、ここでは見かけなかった。自動販売機でポカリを買い持って行った。
10分休憩。横尾大橋で梓川を渡り岩の出た緩やかな道を上がって行った。いままでは遊歩道でこれからは登山道らしくなった。横尾谷の川の左岸に沿っている。下山してくる人達とすれ違うようになった。左に大きい屏風岩が見えて、9時50分本谷橋に着いた。川原で10人くらいが休憩中であった。ここからは岩で坂が急になり、本格的な登山道の感じだ。高度を増し、奥穂が見えているはずだがどれだか分からない。下山してきた女性に尋ねると、かなり左のほうであった。道は整備され岩の平坦な部分を敷き並べて歩きやすくしている。小柄な女性がすいすいと僕を追い越していった。
そのうち小屋の赤い屋根が見え出し、やっと来たとの感じ。疲れたので岩に腰掛けて、宿で作ってもらった弁当を食べたが、なかなか喉を通らないのでお茶で流し込んだ。ムスビが大きすぎ余ってしまった。猿がいたのでデジカメを向けると、恐い顔をして向かってきた。威嚇か物ねだりか分からないが、速足で逃げた。
11時40分涸沢小屋に着いた、晴れ21度、標高2360m。バスターミナルから左巻きにぐるっと回ってきた。反対側に涸沢ヒュッテが小さく見える。カールに雪が残っている。前穂は分かるが、その右に4個の峰があるがどれが奥穂かこの時点ではまだ不明。ベランダで休んでいると次々上がってくる。若い女性二人がソフトクリームを食べていたが、その後リュックを背負って出発したので、びっくりした。すごいなーと思った。
数日前、前穂で滑落がありヘリがきたそうだ。今日も北穂で滑落がありまたヘリが飛んでいたそうだ。そんな話をベランダでしていた。
トマト(300円)、ソフトクリーム(500円)を食べて休憩。ビールは350ml500円、おはぎ200円、ポカリ500ml400円、250ml300円、その他食べ物もいろいろあった。食堂内の水道水は自由に使えた。
宿泊名簿に記入するとき、明日はどこに行くか、保険は入っているかをきかれ、僕は入っていたので200円引きだった。明日の弁当800円も予約した。岩の部屋に案内されたので、左の一番奥、窓際の布団を選んだ。午後3時頃から急に雷雨になった。トイレは座る方式で綺麗だ。夕食は5時でハンバーグと海草のスープ、よく食べた。腹一杯。
いまはシーズンオフで客は少なく、20数人泊まったようだ。布団が8枚敷ける部屋に6枚敷いて単独者5人が同宿した。予期しないことに大いびきの人がいて1時間くらい悶々としていたが、ついに意を決して布団を持って談話室に逃げんだ。部屋二つ隔て、いびきはまだ聞こえてきた。この人は腹がでて、テラスでビールを飲んでいた人だ。
9月4日(日)
昨夜は10時ころ寝たようで、今日は2時半に、人の声で目覚めまた寝て4時ころまた目覚めた。 朝食は5時半、出発は6時ちょうど。髭剃り、歯ブラシ、下着、間食など小屋にデポし、リュックを軽くして小屋のすぐ横の小さい階段道から出発した。朝焼けで常念岳方面が赤い。ヒュッテからもどんどん上がってきている。岩場を上がり、ザレ場を斜めに上がり、かなり急なザイテングラート(ザイテンは小さいか横か、にある尾根という意味)を上がっていった。この間ベテランらしい若い人にどの峰が奥穂か尋ねると、右から二番目のがそうだとのこと。子どもがきたので聞くと小学6年生。あの子ども速いな、と言うと前の男二人組があんたも速いな、と言った。
感動的な場面に遭遇した。目の不自由な人の前後にサポーターがつき、腰にロープを付けて頂上を目指しているのだ。その人は前のサポーターのシャツをつかみ、サポーターは次々と岩や段差の状態を報告して指示も出していた。これだけでもびっくりしたが、後でもっと驚くことがあった。
小さい木の三角形の塔が見え、次に赤い屋根が見えて7時39分穂高山荘に着いた。かなりきついが休めばすぐ回復した。
7:39穂高岳山荘着、標高3000m
穂高岳山荘は奥穂高岳と涸沢岳の鞍部、白出(しらだし)のコルにある。気温13度、寒くなりジャケットを着込んだ。ここからほぼ垂直に岩場をよじ登り、ハシゴを二つ登っていった。よく写真にでている場所だ。見下ろすと風力発電の風車が回り、屋根にたくさん衣服を干している。晴れで青空が眩しく、やっと見え出した西方には笠ヶ岳が見える。山荘の向こうにヘリポートのH印がある。
若い男女のパーティについていき、岩場を登り頂上の西側から頂上に向かった。
8時25分頂上着、3190m。12度、風あり、空気は澄んで視界は良好、ここまで来た価値は十分ある。一番高いのは祠のある石積のところで、二番目に高いのは10m西の山座同定板のところ。両方で写真を撮ったが、頂上標識はなかった。誰かが、石積みをしたので北岳と同じ高さになったのだと説明したが、よく分からない。同定板のところでいつまでも若い男女がいるので写真がなかなかとれない。朝早くでたオスプレイの男性がいて、向こうが先に気づいた。速いですねと言われた。彼に写真を撮ってもらった。その後単独の女性が来て、山の名をまくし立てていた。つぎつぎ上がってくる。
槍ヶ岳、黒部五郎岳、反対側(南西)の焼岳、西穂岳、独標、ジャンダルムが見える。大正池は見えないが、バスターミナルやカッパ橋付近の建物は見える。1時間近く頂上にいたが、前穂へ縦走する人はいたが西穂へ行く人、来る人はいなかった。頂上では携帯は通話可能で、家に今頂上と電話した。
9時00分下山開始。1時間近く頂上にいて下山した。岩だらけのところを歩いていると先ほどの目の不自由な人がいた。あのハシゴを登り、垂直な岩場も上がったのだ。振り返り槍ヶ岳方面をみているので全盲ではないようだ。
穂高岳山荘に着いたのが9時53分、20人位が休憩していた。早く帰っても仕方ないので板場にあお向けに寝転がって休んでいた。団体を指揮していたベテランに、奥穂の左ノ峰は何か聞くと、前穂への途中の峰だと答えた。よく分かる答えだった。確かに前穂への途中に峰があった。10時30分また下りだした。ザイテングラートをゆっくり風景を楽しみながら下りていった。両脇はハイマツで雷鳥はいないかと気をつけていたが、出会わなかった。涸沢ヒュッテが大きくなり、対側の我が涸沢小屋の赤い屋根が見え出し、ついに小屋に到着。
11時44分 涸沢小屋到着、18度。
まずソフトクリームとトマトを食べて休憩。朝もらったいわなの甘露煮とつくだ煮の弁当を早く帰りすぎたため部屋へ入って一気に食べた。これはおいしかった。小屋の外に焼却炉があり近づくと熱いが、完全に燃えているようで煙が出ていない。食堂で衛星テレビを見ていると台風14号で九州、四国は大雨になりそうだ。
若い従業員に聞くと、ここの住所は4月から長野県松本市安曇上高地涸沢となったそうだ。ひょっとすると奥穂頂上も同じ住所かも。
午後になりまたガスがでて、雷雨となり衛星放送は落雷を恐れて切ってしまった。頭の薄い人のよい中年の男性だった。ここであとで名前の分かった京都のIさんといろいろ話しをした。夕食は午後5時。食堂へ入るとき岩の部屋のIですというので名前が分かった。東京の夫婦、京都のIさん、神戸の夫婦、滋賀の若い男性と僕の7人で一つのテーブルを囲んだ。東京の夫婦は元来大阪の人で、泉が丘に住んでいたそうで話に花が咲いた。
Iさんが例の目の不自由な人に関して驚くことを言った。目の不自由な人が頂上で万歳をしていたと。それはよく理解できる。それから前穂高へ行ったと。これにはびっくりした。距離もあるし歩きにくいところだ。これがさらにびっくりしたことだ。明日帰るとき高山市まで乗せてくれませんかというので快諾した。
外は真っ白で、午後になり雨が降り続いている。明日も止まないだろう。夜は前日と同じ部屋で京都のIさん、滋賀の若い男性(生まれは岡山)と僕の三人。
9月5日(月)
朝起きるとやはり大雨。5時半に食事をし、雨具を準備しメガネは曇ること必死ではずして下山することにした。カメラはビニールにつつみ、ケースに入れた。6時00分、涸沢小屋出発。今日はさすがにここから登ろうという人はいなかった。
みんな三々五々と出発し、僕とIさんと一緒に出発した。ちょうどパノラマコースから何人か降りてきた。滋賀の若い男性はパノラマコースを通って上高地へおりるそうで、Iさんは止めたほうがいいよと思ったが、言わなかった。
彼はガイドブックに載せる写真を撮るために前穂高から奥穂高へ縦走してきたそうだ。しかしデジカメの記憶媒体を忘れてしまって、「写るんです」を買って撮ったそうだ。雷鳥はどこにいるか聞くと、涸沢岳付近でよく見たとの答え。冬の奥穂に行ったかと聞くと、沢渡から歩いて行ったとのことであった。そんなことするんですか、という感じ。
6時57分、本谷橋。この雨の中でも上がっていく人がいる。7時45分に横尾に着いた。台風14号が近づいているのに、ここから槍ヶ岳に向かっている人がいた。だめだったら帰ってきます、とのことだが、前からの計画で中止しずらかったのだろう。徳沢では20人くらい休憩していた。彼が携帯電話で写真を撮ってというので、撮ってあげた。
人の少ない雨の林の中をどんどん歩き明神が9時35分。ここでも登りの人達がいる。根性はたいしたもんだ。河童橋が10時15分。涸沢小屋から4時間15分、かなり速く歩けた。横の土産物店で購入。この付近は観光客が多い。
彼が写るんですを買い、これで僕が河童橋のところで撮ってあげた。河童食堂へ入りラーメンを食べたが味はもう一つであった。ずぶ濡れの河童姿の登山者二人は床を濡らせてしまった。バスターミナルで合羽を脱ぎ、リュックに入れた。靴も合羽も水は入っていない。しかし汗でズボンが濡れている。
バスターミナルで平湯へのキップを買うのに、中の男性に聞くと立派な言葉使いをする。バスターミナルだけでなく、このあたり一帯の建物はきれいだ。食堂、土産者店の従業員、乗車券売り場の若い男性、バス案内係りの男性は制服もきっちりし、さらに言葉態度までも洗練されている。チリも落ちていない。ここの自然もそうだが、人間も非日常性を表しているのだ。そうだデズニーランドと同じだと思った。
11時10分バスで平湯へ出発。
11:45我が車で帰途につく
彼がBMやかっこいい、と言った。岐阜高山駅で彼を下ろし、彼は電車が動いているのを確認し、また奥穂で会おうと言って分かれた。養老SAでカツ丼を食べ、ガソリンも補給した。結局給油したのはここの二度のみ。来た道を逆に走り、19時03分家に着いた。が吹田で中国道に入りそこね、いったん、平地に下り改めて、中国道に入りなおした。秋のはじめの夏休みを十分楽しんだ。奥穂高岳を含めた上高地は美しすぎるところであった。