山日記109番(雲辺寺山 登山口から登山口4時間34分 歩行3時間47分)
2005年12月18(日)雲辺寺山927m 曇り烈風マイナス4度

家(8:02)→(9:30)大野原(15:45)57.1km→家(17:30)113.9km

コースタイム
登山口(10:50) → (13:10)頂上(13:57) →登山口(15:24)

登り2時間20分
下り1時間27分

同行者:Hさん
1. 出発
 朝天気を見ていると予報とは異なり晴れているので、雲辺寺山に行くことにした。カップラーメン、湯500ml、ポカリ1L、干しぶどう、パン、チョコ、羊羹などを持ち、冬用の装備。9時にはHさんは帰っているとのことだったので。寒波襲来で阿讃山脈は雪を被っている。滝宮で電話するとまだ善通寺にいるとのことであった。琴平の32号は凍ってのろのろ運転、国道377号は融雪剤を撒いていたがやはりのろのろ運転。大野原の牛舎の横でまっていると向こうからHさんが帰ってきた。家に上がりこみ、それからあらためて出発。

2. 頂上まで
 駐車場はスキー場へ行く人たちで混雑し、ロープウエイ駅からは雲辺寺を参拝した白装束の人たちがドドーッと下りてきた。10時50分出発。すぐに雲辺寺まで4200mの標識があった。コンクリート階段を上り舗装された道を100mくらい歩くと自然の土道になった。振り返ると駐車場とはるか遠方の七宝山、江甫草山その間の小さい紫雲出山が見える。
 
 広い道で雪の白さと落ち葉の茶色が入り乱れている。ロープウエイの左岸を上がっていくが、すぐに大きい鉄塔脚の横を通り右岸に移った。頭上をゴンドラが音もなくあっという間に過ぎていった。ここからはずっと右岸だ。北から南に向かっている。広い緩やかな道で邪魔な倒木や草はまったくない。
 瀬戸内海側は晴れて、頂上は雲が湧いている。高度が増すとともに雪が深くなってきた。1時間して下りてくる単独男性にあった。グレゴリーの60Lを背負っていたが靴は登山靴ではなく、太腿まで白くなっていた。彼は上では膝まで雪ありましたと言った。昨日は65番寺の三角寺に行き、夜は民宿で泊まり今日雲辺寺参拝して下りているところだ。どこからですかと聞くと神奈川県ですとの返答。お遍路さんだ。萩原寺は近いですかと聞かれた。
 だんだん雪が深くなってきて、スノーシューを試して見ますかというので、借りて歩いてみた。尾根に沿った四国の道に出た。左は雲辺寺で0.9km、右は逆瀬池。吹き溜まりで深さは太腿まであった。300m歩いて尾根に出ると向こうに、国見山、中津山、頂上が雲に隠れた剣山が見えた。東約100mにアンテナ塔がある。ここからは除雪してあり楽に歩け、尾根に隠れて風は弱かった。
 お寺を素通りして坂を少しあがると右に駅舎、向こうから以前歩いた西からの登山道が合流しているが踏み跡はなかった。スキー場が見え出すと烈風となり雪が舞い上がっていた。原色の服を着た客がたくさんいた。

3.頂上
 県境1000mの標識のところが頂上らしい。ベースキャンプの記録の写真がそうなっている。資料館は今はただではいれるとHさんがいうので、入り展望台まで上がった。空気が澄んでいるので全て見える。東の中蓮寺峰、大川山、北の七宝山と荘内半島、南ではもちろん剣山、国見山。西の石鎚方面も見えているが雲でどれだか不明。塩塚峰も見えているが今までチェックしたことがなかった。屋根型の屋島はどこからでも容易に同定でき、高松の市街も見え、徳島市まで見える。讃岐富士が像頭山の上に突き出ている。こういう構図は初めて見た。
 資料館の中で食事。僕はカップラーメン、Hさんは湯を沸かしやはりラーメンとコーヒー。気温はマイナス4度、今日も電池の持ちが悪く充電池二組がだめになり最後のリチウム電池の出番になった。風で指がみるみる痛くなり大きい手袋に穿き替えた。風景を堪能し写真も撮り下山することにした。

4.下山
 四国の道の入り口で自転車は進入禁止。下っていると、雪深いところで軽アイゼンを付けた単独男性がやってきた。少しすると今度は中学生くらいの子供が4人ザックを持って後ろから走ってやってきた。運動靴と普通のジャンパー姿だが、元気一杯だったので大丈夫だろうが、あんな軽装で来るとはわれらが大袈裟すぎるのだろうか。
 下山に1時間半かかり、アプローチももう氷は融けていた。登り2時間10分で上にはスキー場客相手の食堂もあり、手ごろな雪山ハイキングの山だ。空気は澄んで西讃から中讃までの山が見えたが、寒さと強風は予想以上だった。
 大谷池の周りを通り、、家へ上がることなくすぐに帰途に着いた。晴れているので今歩いたアンテナ塔付近、スキー場がよく見える。377号の凍結はもう融けて順調に走ったが1時間45分かかった。