山日記212番(槍ヶ岳3180m大喰岳3101m中岳3084m南岳3033m天狗原 槍13度)
2008年8月28日(木)から8月31日(日)まで
家(4:28)→明石大橋→中国道→吹田JCT(6:49)206.4km→米原JCT(313km)→(8:18)養老SA(8:28)→一宮JCT(8:42)356.8km→飛騨清美IC(10:12)473.5km→アカンダナ駐車場(11:29)527.2km
アカンダナ駐車場(9:34)18度→飛騨清美IC(10:43)→ひるが高原(11:03)82.4km→一宮JCT(12:27)173.1km→(12:43)養老SA(13:13)194.6km→西宮IC(14:54)345.5km→阪神高速→家(17:25)520.2km
帰り高山市内で国道158号で迷った
ここ一週間午前4-5時起きの練習をしていた。
単独
8月28日(木)雨
4時28分雨の中出発。東海地方は大雨の予報。明石大橋でも朝焼けはなく養老SAで小休止したときには太陽が顔を出していた。100km/hrで巡行エアコンを使わずにここで23.0L給油336.0km/23.0Lで14.6km/Lの燃費であった。以後雨が降り出しアカンダナ駐車場へは7時間1分かかり11時29分着。昨年は6時間59分かかっている。100台くらい駐車していた。シャトルバスで数分の平湯温泉で上高地行きに乗り換え30分弱で上高地バスターミナルに到着した。雨の中で観光バスと観光客はこの時期では異常に多かった。ターミナル駅舎の二階でカツカレーを食べ、合羽の上を着て河童橋から12時58分横尾に向けて出発した。梓川はかなり水量が多くごうごうと流れていた。
明神が13時36分徳沢14時23分横尾が15時12分で2時間14分要した。昨年は2時間16分かかっている。横尾山荘は新築改装で木の香りと新建材の匂いが混じり明るい。ベッド8個の部屋で上段はすべて空き下段に四人入り左の奥の男性は70歳くらいに見えた。16時に風呂OKの放送がありすぐ行くと既に満杯であったが強引に場所を取らせてもらい石鹸はダメなので湯でごしごし擦り汗を流した。夕食時例の高齢男性と向かいになり、その時の話では吹田に住みバイクで四国88か所を回り弟が高松屋島に住んでいるそうな。あとで聴いたことによると彼は80歳であった。
8月29日(金)
朝食時若い女性3人組みが横にいてご飯味噌汁を装ってくれたが、今夜また槍ヶ岳山荘で夕食を一緒にすることになる。横尾から常念岳大天井岳を予定していたが雨で変更し槍ヶ岳へ行くことにした。茶ポカリジュース1700ml菓子バー(soyjoy)5個ゼリーパック二個山荘で注文した昼食のパンツナマヨネーズチーズジャムなどを持ち、スパッツを着けストック一本は手に合羽の上を下着に直接着てリュックにレインカバーを付け6時18分雨の中出発した。リュックは7kgくらい。すぐに15人のツアー団体を追い越し一の俣二の俣の谷川では水量が多く近くで見ると凄みがあった。槍沢ロッジ手前でわずかに日の光が出て晴れるかなと期待したがそれも長続きしなかった。日光を見たのは今回これが最初で最後であった。
槍沢ロッジが7時36分槍見から槍の頂上が見え、ババ平が8時11分大曲が8時40分。そのうち寒くなりシャツを一枚合羽の下に着、かなり疲れてきたので朝食から4時間後にリュクを下ろしパンジュースを食べ栄養補給した。下山してくる人とすれ違いゆっくり登りそのうち韓国人の団体に追いついた。彼らは強壮で20Kg近いリュックを背負い山中に響くような大声で会話していた。11時6分殺生ヒュッテ分岐に着いた。山小屋はすぐそこに見えるがなかなか足が進まず11時49分小屋に着いた。気温14度ガスの中。5時間31分で一昨年は5時間40分かかっていた。上がってくる人を見ていると皆ここに着いた時にはかなりばてている。
部屋は雷鳥の1と2、ということは二人分かなと思ったが現場に行くと1と2で一人分でhigh seasonでは一枚に二人寝るということ。荷物を整理してからガスで見えない頂上へ向かった。ガスばかりで何も見えないのは残念であったが上には5-6人が既に居てなにやら雑談をしていたので祠と一緒に僕の写真を撮ってもらった。この祠の中を覗くと神さんと南無阿弥陀仏が同居していた。
談話室ではいろいろ雑誌がありBSを見たり読んだりして過ごした。トイレはバイオ式になり臭気はなく床は新しい板に代わっていた。夕食では今朝と同じ若い女性3人組みの横になり雑談しながら食事をしついでにHPのURLを教えてあげた。彼女らは登る途中道を間違えヒュッテ大槍に上がってしまったそうでそこから尾根を歩いて山荘に来たそうだ。
8月30日(土)
昨日の女性三人に頂上まで行きたいけど一緒に行ってくれませんかと言われたが良い返事をしなかったら横の男性が僕が行きますといってくれた。ガスばかりで何も見えない。行くところがないのでまあ南岳へ行くことにした。持った水分は1700ml気温13度、合羽の上を着て6時5分出発した。昨日の15人の団体は槍平方面へ行くらしく右へ降りていったが僕と夫婦二人は南岳を目指した。ガスで大喰岳の頂上標識を見逃し中岳が7時9分9度、途中雷鳥を二羽見かけたがガスで写真が上手く撮れず、南岳3033mが8時13分で気温12度。その途中槍から来た手ぶらで運動靴をはいた半そでの若い男性が走るように僕を追い越し今度は向こうからやってきたので南岳往復ですかと聴くとそうですとの返事であった。こちらはGoreの合羽にスパッツリュックに登山靴なのに彼はいったいどういう人なのかと思った。
二人組が後からやって来、社長社長と呼ばれている男性に標識と一緒に僕の写真を撮ってもらった。そのまま北穂高へ行く人と天狗原へ降りる人は半々くらいであった。Soyjoyを食べ8時24分少し引き返し天狗原への標識に着くと昨日談話室で見かけた最少年は小学1年生の一家五人が下りかけているところであった。時々ガスが切れてはるか下に新緑と沢の中の残雪が見えた。8時40分急坂を下り始め階段や鎖を伝って下り天狗池が9時52分。下から上がってくる人に3人会ったがこの池まではかなりの人が下から見にくるそうだ。ガスで逆さ槍はなかった。岩石の下からごうごうという水の流れる音が聞こえてきた。
槍沢への入口で岩に座り山荘でもらった弁当を開いた。左に槍の頂上目の前に大きい沢その間に新緑の風景でこれに青い空が欲しかった。もち米の炊き込みご飯で笹の皮につつんだ1000Kcal近くはあろうかという代物で、当然全部は食べられなかった。槍沢を横切り下からの登山道に10時45分合流した時に雨が降り出しリュックカバーを付け。おこじょらしい小動物がチョロチョロ走り回っていた。
いよいよ本降りになり雨具のズボンをはいていたら一家5人が追いついてきたので一緒に降りた。水俣乗越分岐11時12分ババ平11時34分槍沢ロッジが11時53分彼らはここで小休止らしくリュックを下ろしたので後は一人で下山した。二の俣12時20分一の俣12時28分登山道に水が流れるようになり、上がってくる人と頻繁にすれ違いながら13時15分横尾山荘に着いた。
昨日ここに忘れていたスパッツの小さい袋はちゃんと保存してくれていた。昨日ここでもらった弁当の袋はここで処分してもらったが、槍ヶ岳山荘の弁当のカスはここでは処分してくれず自分で持ち帰り。BSの天気予報では明日は東海から四国まで曇りのち雨で明日の蝶ヶ岳は止めにしたが、これは後で悔やむことになった。夕食時人数は80人くらいであった。
8月31日(日)
当然天気は悪いものと思いこんでいたので早々に帰宅準備をした。弁当はなく持った水分はポカリ200mlsoyjoy3本のみでリュックは軽い。朝食後6時6分横尾山荘を出発、13度で曇りだが青空らしいところも見えた。徳沢6時53分明神7時41分河童橋8時18分で15度、2時間12分要した。何回歩いてもだいたいこの時間である。ここまで来ると穂高連峰が青空の中くっきりと見え始め昨夜の天気予報は全く誤報であると分かった。蝶ヶ岳からはきっと槍穂高がよくみえることだろう。河童店で物色しすぐにバスターミナルへ行き9時発の平湯アカンダナ行きの濃飛バスに乗った。客は僕一人で平湯停留所に停まらず直接アカンダナ駐車場へ行ってくれた。9時24分着18度。
9時34分車で出発。高山市24度、郊外でサークルケイのところで左折するのをMDを聞いていて逃し直進した。すぐ分かったが引き返さずそのまま行き交差点近くで停車して道を尋ねていると白バイの警官が来て交差点から5m以内だからすぐ動かすようにと注意された。
飛騨清美ICが10時43分57.0kmひるが高原が11時3分82.4km一の宮JCTが173.1km31.0度養老SAが12時43分194.6km。ここで昼食を食べ休憩。京都は35度、養老SAで僕の横に駐車していた新車のBMW525i大阪○○-○○が風のように僕を追い越していき佐賀ナンバーで若葉マークと老人マークの両方付いたスタ-レット佐賀△△-△△を僕が追い越した。吹田は36.5度雨などふる様子は全くなし。西宮ICから阪神高速に入り明石大橋が29度淡路島31度くらい。自宅着は17時25分で520.2km
走り7時間51分後。養老SAひるが高原淡路SAで休憩した分だけ時間がかかった。
Golf GLiで1047.2kmを74Lで走り14.15km/Lの燃費。高速では高松養老SA間336.0kmを23Lで14.61km/Lの燃費。