山日記252番(10.01.17国見山1409m )
2010年1月17日(日)快晴気温マイナス1度 微風 高松10.6/0.9徳島10.1/1.7
家(5:33)→琴平((6:27)37.9km→(6:39)たからだの里(6:48)47.1km→大歩危橋→祖谷トンネルマイナス3度→国見山登山口(8:19)101.8km
登山口(12:31)→大歩危橋→たからだの里(14:1)54.8km→家(15:29)101.7km
コースタイム
登山口(8:37)→防火帯へ(9:14)→左へトラバース(9:57)→(10:41)頂上(10:55)→防火帯へ(11:25)→登山口(11:51)
二人Anさん
1. 出発
昨夜9時半に寝たら今朝午前2時暑くなり眼が覚めた。タイマーの電気ストーブが効きすぎ。今度は目覚ましで5時10分に起床。黒いタイツと冬用ズボン、シャツ二枚と人工ダウンを着、マミヤ645、ソニーα230、アルミに入ったうどんセット、ガス、アイゼンスノーシュー、餡入り餅三個チョコあんぱん餡団子四個、水分1280mlもリュックに。ジャケット合羽の下ツェルトもいれている。5時33分出発、昨夜下痢をして腹の具合がもう一つだがサンドイッチを食べながら走った。
2. 登山口まで
7時前に東の空が白けてきたが日の出はやや早くなったかなという程度。国道32号は信号が多くて走りづらい。琴平経由たからだの里に来て5分くらい待つとAnさんがやってきた。トイレ後僕の車に荷物を入れて出発。
猪鼻峠は融雪剤を撒いているらしくやや湿っていて凍結はしていない。大歩危橋を越えて旧祖谷トンネル料金所手前で右へ入るとすぐに雪が現れた。道の温度計はマイナス3度。一昨年車輪を落とし込んだところを確認しながら通ったが記憶が薄らいで、たぶんここだろうとしか判断できなかった。時々ブレーキを踏んでタイヤが滑らないことを確認しながら走った。確実にブレーキが効く、ABSも作動しない、スタッドレスの威力はさすがであった。
おうどう峠に車はなし。雪が深くなったが除雪をしているので不安なく上の登山口に着いた。除雪してなければ上までは来られない。除雪された道端しに止めた。快晴他にまだ車はなし。なぜ除雪が完全なのか理由はなにか。
3.頂上まで
一応持ってきたものは全てリュックに詰め込んだ。アイゼン、スノーシュー、カメラも。助六寿司を一個もらって食べ8時37分歩き出した。初めは凍結していたが上がると靴だけで十分。雪は深いが踏跡はついて歩くのに困難はなし。雪で登山道が高くなり枝が邪魔になる。防火帯の上の方で霧氷が出てきたが、雪も積んでいる。四本爪の軽アイゼンと本格アイゼンの二種類の跡が雪に付いていたが、その内新雪が覆い出してよく分からなくなった。
防火帯を終え左折しトラバースを進むと青空の背景に霧氷が浮き出て綺麗のひと言。霧氷と雪の面積が大きすぎ青空が小さく写真を撮るにはやや不適。そのうち高知の団体が追いついてきたので伺うと、おうどう峠から上がって来たとのこと。先日は高松の堂山近辺を登ったそうだ。マミヤ645を取り出す度にリュックを下ろすので時間がかかってしまう。2時間4分かかって頂上に着いた。気温マイナス1度、少し霞んでいるが、剣山次郎笈から三嶺、天狗塚、その手前に白く伸びている牛の背まで見えた。徳島道の吉野川にかかる橋も見える。高知から来た人たちと写真を撮り合い、HPの名刺も渡した。そのうち土佐便を喋る男性が一人でスノーシューを付けて上がって来た。例の如く来年の卯年用の謹賀新年の写真を撮ってもらい下山。頂上はこの数日かなりの人が踏んだようで、雪が締まっている。
4.下山
下の避難小屋が混雑していたので餡入り餅を立ち食いしただけで、歩いた。尻セードで下った跡がつるつるで歩きにくいのは迷惑千万、これで凍結するとアイゼンが必要。多人数の団体が上がってくるのと遭遇した時は踏跡を外れて深雪の中歩いて下りた。
アイゼンもスノーシューも使わず11時51分登山口着、早速うどんを作ろうとアルミ鍋を開けるとひしげて角に穴が開いて、日にかざすと空が見えたのでコッヘルを使ってうどんを煮た。チタンは熱伝導率が小さくて中のうどんの汁がなかなか冷めず、アルミの器に移して食べた。高知の単独男性はごつい四駆で会釈しながら帰っていった。
5.帰途
南から日を受けて朝には凍結していたところも融けかけている。上の登山口に3台下の登山口に5台くらい、今日は大繁盛の山であった。大歩危橋から猪鼻峠を超えてたからだの里に来た。カルツの靴はよさそう。このLowaではアイゼンをつけると不安定。帰宅は15時29分、靴を水洗いし、車も融雪剤で汚れているので下回りを一年ぶりに水洗いした。今日のリュックは12.5kgあった。
体重55.4kg夕食後56.1kg。かなり日に焼けた。