平安時代後期、天喜元年(1053)に、時の関白藤原頼通に よって平等院に建立された阿弥陀堂です。 華やかな藤原摂関時代をしのぶことのできるほとんど唯一の遺構として、 このうえなく貴重な建築で華やかさ を極めたとされています。 約1000年前に建立された建造物や仏像が今に伝えられ、 世界遺産にも登録されております。 |
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池の中島に建てられた平等院 |
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10円玉のように全景は撮れなかった。 |
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東山霊山(りょうぜん)の山麓にあり、豊 臣秀吉没後、 その菩提を弔うために北政所が慶長11年(1606)開創した寺である。 現在旧持仏堂の開山堂、霊屋、傘亭、時雨亭、表門、観月台等が国の 重要文化財に指定されている。 秀吉と北政所を「霊屋(おたまや)」に祀り、北政所像の下はその墓所となっている。 開山堂を中心に東西に広がる池庭は小堀遠州作と伝えられる。 北政所は寛 永元年(1624)9月6日、76才で亡くなられた。 |
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開山堂 |
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豊臣秀吉の没後、その妻北政所ねねは,高台寺建立を発願し、 慶長10(1605)年、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿と その前庭を山内に移築して移り住みました。 それ以来、数多くの文化人が、北政所を慕って訪れたと伝えられています。 ねね58歳の時のことです。 これが今日の圓徳院の起こりです。ねねは77歳で没するまで19年間この地で余生を送り 、ここは北政所の終焉の地となりました。 |
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1548年 ねね誕生 1588年 北政所(ねね)、従一位叙任。 1599年 北政所、大坂城を出て京都に移る。 1606年 北政所、京都東山に高台寺を建立。 |
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圓徳院ホームページより参考にしました。 |
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