第12回 アジアベテランズ陸上競技選手権大会

〜 福家先生が再び海外遠征に 〜


昨年、ペンギンズ初の海外遠征として、オーストラリアで開催された第14回世界ベテランズ陸上競技選手権大会に参加した福家先生が、なんと今年も連続で海外遠征です。海外遠征も、やはり一度味をしめると、病み付きになるのかもしれません。それが可能な状況がうらやましい私ですが。
福家先生が今回参加したのは中国大連で開催された第12回アジアベテランズ陸上競技選手権大会です。昨年の世界ベテランズ陸上競技選手権大会のアジア版ってとこですか。
てことで、福家先生のレポートを掲載いたします。


レース名   : 第12回アジアベテランズ陸上競技選手権大会
場   所   : 中国 大連市
遠征日程  : 2002年9月14日(土)〜18日(水)
参加レース : 9月17日 10Kmロードレース


[9月14日(土)]

四国高速バスで、高松8:20発、関西空港12:00到着。空港ビル4階に横付け、ドアツードアで便利である。集合時間は、13:10なので、余裕はある。「やまよし」というそば屋で昼食をゆっくりとる。13:00過ぎ、国際線出発ロビーの「南団体受付カウンター」前、JTB No.76〜85に行くと、早速搭乗手続きをする。スーツケースを預け、搭乗待合室でオリエンテーション。ほとんどの人は集まっており、昨年オーストラリア ブリスベンでごいっしょした人がほとんど。西村由蔵氏ご夫妻も参加されていた。

中国国際航空公司の飛行機は、15:25発予定。CA152便である。予定どおりフライト。1時間くらいして、機内食が出てきた。まきずしやそばなどがでたが、あまりおいしいとはいえない。客室乗務員は、女性ばかりでなく、男性も食事を出したり、片付けをしたりと驚いてしまった。フライトから2時間半くらいで大連空港に到着。時計は17:55くらいだが、時差1時間遅れということで、時計を16:55くらいに合わせる。

空港からバスで夕食会場移動。バスは、大連空港からどんどん郊外へ。バスの中で1万円を670元に両替してくれる。1円=15元だそうである。大連は、人口250万人、工業の町である。日本企業も多いそうである。
途中、オーストラリアでも感じたことだが、電柱や電線、あるいは送電線といった設備のことである。大連空港付近では、何も見当たらなかったが、郊外に出てくるととたんに、電柱や電線、あるいは送電線が目についてくる。設備は、きちんとしているなあという印象をもった。職業病かなあ。

夕食会場である「銀帆賓館」の中国料理店へ案内される。今夜のメニューは8品とデザート1品である。味付けは、あまり辛くなく、むしろ薄味である。日本人向けにアレンジしてあるのかもしれない。ビールは、青島ビール、大連ビールともにあまりおいしくなかった。やはり、日本のスーパードライがおいしい。お茶はいくらでも注ぎにもってきてくれる。香りがする。ジャスミンティーである。JTBの方が「中国料理は油をたくさん使っているので、あまり食べ過ぎるとお腹を壊す」と説明してくれた。中国の人はよく食べるが、お茶で油を洗い流すのでからだがもつのかと思ったりもした。確かに、お茶を飲むと,お腹はすっきりした。中国にいる間中、ずっとお茶を飲んだが体調はすこぶるよかった。お茶のお陰かもしれない。

19:00過ぎ、宿泊ホテルへ。ホテル名は、「金元大酒店」GOLDEN IMPERIAL HOTEL である。部屋はまずまず。ツインであるが本日は、一人使用。明日から福岡からくる馬場さんという人といっしょである。今日はゆっくりと眠ろう。あまり疲れてはいないのだが。


[9月15日(日)]

6時過ぎに目がさめる。ホテル2階のコーヒーショップで朝のバイキングを取る。9:30バスでホテルを出発。10:00本会場の「金州体育場」へ到着。円盤投げ、砲丸投げなどは本会場から1.5Km離れた「春化小学校」で行われるとのこと。金州体育場の2階で競技の受付をしてくれる。名前の確認、名前の申告、ゼッケンナンバー2枚(背中,胸)、ピン4個、選手証、かばんを受け取り、受付完了。当たり前だが、ほっとする。
受付が終了すれば、あとはすることがない。競技場のトラックに入ったら、今晩のオープニングセレモニーの準備におおわらわである。ここは3万人の観客を動員できるスタジアムになっている。立派なものである・・・・と感心もつかの間。トイレへ入ってびっくり。男性用も女性用もぼろぼろで、水も出ない。においが・・・・・・。 

12時に再集合。「春化小学校」会場を眺めて、ホテルへ帰る。受付も済ませ、会場も確認できたので、一応ほっとする。ほっとしたとたん、お腹がすいてきた。昼から西村さんご夫妻とホテル周辺でぶらり。昼食は、「花月」という日本料理店へ入る。コロッケ定食やえびフライ定食などが38元とか50元とかで食べられる。日本円で570円とか750円だから、ままの値段だと納得してしまった。本当は、現地の人からみると大変な額なのだとあとでだんだんわかってくるのだが、その時にはまだ気づいていない。

食事を済ませ、スーパーやマクドナルド、ケンタッキーなどがある場所へ移動。人がたくさん出ている。ここがこの地区の中心街、繁華街なのだろう。大阪でいえば道頓堀、東京で言えば原宿のような場所である。たとえになっていないかもしれない・・・・?。スーパーへ入って、品物の値段は安いと思った。パンを買ったが2〜3元で買える。それで腹いっぱいになる。どうも、2重構造になっているのではないかというのが私が立てた仮説である。日本人が行く世界(例えば宿泊ホテル、あるいは日本料理店 おみやげ物店など)は、「日本人価格」(私がかってに名づけた)が設定されているのではないか。それ以外の普通の世界では、中国そのままの「現地適正価格」(これも私がかってに名づけた)が横行しているのではないか・・・・・。その疑問は、最期の日の観光で確信に変わる。そのことは後ほど語るとして、夕暮れせまり、いよいよオープニングセレモニーに参加する時がきた。

17:30ホテルを出発し、オープニングセレモニーの会場となる「金州体育場」に。18:30〜19:30の間、日本選手団約130人は所定の場所へ集合。19:30入場行進が始まる。スタジアムは3万人の観客で満員である。昼間の閑散とした雰囲気は無く、熱烈歓迎ムードで会場は熱気に包まれている。来てよかった。アジアの国からアルファベット順に並んで行進。日本の前はインド(INDIA)。次が、日本(JAPAN)。日本のあとは韓国(KOREA)である。19:30から20:30頃まで、次々と挨拶が行われるが、中国語はよくわからない。インドの選手は芝生に座り込む者もいる。わからなくもないが。
20:30頃からやっとアトラクションが始まる。1000人くらいの人がきれいに並んでスクェアダンスを踊る様は壮観であった。入れ替わり立ち代り全部で4000人くらいの踊り子を動員しているようであった。若い学生から年配のお年寄りの方まで市民をあげてのアトラクションである。2008年北京のオリンピックをにらんで、予行演習しているようでもある。ずっと見ていると10時頃になることや、一斉に退場するとバスが動かなくなるということで21:00過ぎには日本選手団は退席することにした。

まるで北朝鮮のマスゲームのようなアトラクション
(さすがは社会主義国)

[9月16日(月)]

いよいよ本番競技が始まる日である。朝食は7:30にとり、9:30ホテル出発。10:00に金州体育場に到着。本日は、コール場所の確認をしておくように言われている。10Kmロードレースのコール場所は、NO.3ゲートを入って、右手100mスタート地点である。

コールの要領は、次のとおり。
@ プログラムのスタート時間の20分〜5分前  ABC以外
A 棒高跳び  40分から30分前
B 円盤投げ、砲丸投げ スタートの60分前 競技場のコールルームへ
C 10Kmロードレース 30分〜20分前まで

スタートの要領は次のとおり。
  800m以上  @用意 SET 各 就 位(ゲーチュウウェイ) 
             Aドン GUN SOUND ピストル鳴る

コール場所の確認もできたし、スタートの要領もわかったところで、午後からは明日の10Kmロードレースのコースの下見をすることにした。コースのポイントは、まず大市場である。ここの市場は大きな市場であった。魚や肉、やさい、くだもの、香辛料などが山積みされて売られている。たくさんの人が集まり、活気がある。
次は、「中国人民解放軍403部隊」である。中国では、写真は許可を得て、確認したほうがよいとガイドにも書かれてあったので、門兵さんに「カメラOK?」
と聞くと「OK」というので、写した。
次は、「春化小学校」である。ここは砲丸投げや円盤投げの会場にもなっているところである。運動場を覗き込むと、学生らがサッカーをやっていた。この地区では、サッカー熱はものすごいらしい。
春化小学校を過ぎると、延々直線のしかも上り坂の道がはるかかなたまで続いている。まあ、あのへんが折り返しかなあと、コースの下見もこのへんで中断。しかし、これが本番では、大変な目にあうのだが、それはまったく知る由もない。

コースの帰りは、違う道をたどりながら、迷い迷い競技場に帰った。ホテルまでのシャトルバスで西村さんご夫妻と偶然会った。お昼は、競技場の近くで弁当を買って食べたとおしゃっていた。聞き間違いかもしれないが2〜3元とか言っていたように思うが。もしそうだとしたら、日本料理店の38元とか50元 あれは何なのか・・・。

夜は、同室の馬場さんと銀帆賓館の2階の日本料理「清里」で。定食50元。あとは、ホテルへぶらりぶらりと歩いて帰る。夜の風はひんやりする。昼と夜の温度差は激しいと感じる。20:30頃風呂に入って、21:00過ぎ就寝。


[9月17日(火)]

5:30頃起床。6:30朝食代わりの「ランチボックス」をもらいバスで会場へ出発。競技場についても、中へ入れない。7:00〜8:00頃まで、競技場周辺でアップ。
8:00頃、コール。トラックスタート地点へ集合。国別、年代別に整列。45歳台は私一人で日本国の先頭。しかし、後ろを振り向くと、いかにも早そうな男性、また松田さんのような女性がひしめいているので、どうみてもこれは、早い人に迷惑だと思い、一番後ろに下がる事にした。もちろん、西村さん(80歳)よりも後ろにである。

中国の旅行会社の殷さんという美女とツーショット
(レース前なので余裕の表情ですが)

8:30スタートのピストルが「パーン」と鳴り響く。気持ちよくスタートがきれた。いよいよ1時間(私にとっては)のドラマの幕が開いた。走り始めて気がついたが、非常に暑い。道路のアスファルトも焼けている。暑いレースが始まった。水はあるのだろうか・・・・。
大市場付近までは、西村さん(80歳)と並走した。西村さんと肩を並べて走れるという喜びにひたった。・・・のもつかの間、市場を過ぎると、付いていけない。みるみる離れていく。ちょっと待ってよと言いたいが、西村さんはどんどん前へ行く。
中間地点。直線のしかも上り坂。やっと水にありつく。「ドリンクOK?」と聞いたら、「OK」というので、飲んだ、飲んだ。少し生き返った。折り返してからも、暑さは続く。今度は南にむかって、まともに太陽をかぶるので暑さも一段とこたえる。
市場付近は、大勢の立ち見応援者で埋め尽くされている。こんなに見てくれるだけで勇気が湧いてくるし、無様な走りは見せられない。しかし、体や足は、思うように動いてくれない。
最期の力を振り絞って、競技場に向かう。去年のオーストラリアのブリスベンでの8Kmクロスカントリーはこんなものではなかった、もっと死ぬほど苦しかったはずだ。そう言い聞かせて、なんとか競技場が見えた。帰ってきたのだ、そうだゴールが目の前だ。競技場に入ると、最期の応援をしてくれる人が大勢いる。
9:30やっとゴール。なんとか完走できた。大連まで来て、ゴールできたのだ。苦しみが喜びに、不安が満足に変るときだ。優勝を手にしたとき、喜びひとしおで、疲れなどふっとぶ。優勝を逃したとき、失望と絶望がのしかかり、どっと疲れが襲う。これは、一流選手であろうと、市民マラソンマンであろうと変わらない。スタート地点に立ち、ゴールする。当たり前だが、その当たり前が達成できて本当によかった、よかった。

朝、食べていなかったので、もらっていたランチボックスを食べた。中身は、サンドイッチ、バナナ1本、ゆで卵2個、ジャム3個、コーラー。おいしくいただいた。
10:30バスで、ホテルへ帰る。10Kmロードレースを走った人がほとんど。11:00ホテルへ到着。部屋へ入ろうとしたら、ルームメーク中。きれいにしてもらったので、10元チップをお礼。チップの習慣はないようだが、だんだんそのような習慣も入ってきているとか。感謝の気持ちで「謝謝(シェーシェー)」と言って渡した。11:30〜12:30 ゆっくりシャワーをあび、熱い湯船につかった。疲れも吹っ飛んだ。

12:30〜13:00 疲れもとれたので、午後はどうしようかと考えたが、よく考えてみると明日は、関空に戻らなければならない。ということは観光をするなら、今しかない。それで、思い立ったように、JTBの現地観光の人(高少化さん)に相談した。高さんは、「大連中国国際旅行有限公司」の社員である。
高さんに大連の見所をリストアップしてもらった。これを回るにはタクシーでどれくらいかかるか聞いた。タクシーで大連市内中心まで150元くらいはかかるという。それなら、見所を回ってもらうと相当かかるねと言ったら、「そのとおり、だから、うち(旅行社)の車でまわるなら500元でいける」と言う。「旅順までいくとどれくらいかかるか、二百三高地も見たいが」と言うと、「それなら別に700元かかる」という。「それは高い。旅順、二百三高地は諦める。そのかわり、大連市内を見せてほしい500元で頼めるか」というと、「それでいいよ」といってくれた。ついでに「夜は、海鮮料理を食べたい」といったら「いい店を紹介する」といってくれた。これで、商談成立。14時に車を手配するので、ロビーで待ってくださいと言われた。
14:00になっても、車は現れない。高さんは昼食をとりにいっていない。どうなるのだろうと心配していたら、JTBの方(熊野さん)が高さんに電話を入れてくれて、連絡がついた。少し遅れて、高さんも車も到着。これが中国流のやり方かなと理解した。14:00過ぎ、張(キョウ)さんという運転手に乗せられて大連市内へ。

【大連自然博物館】
ここは、恐竜、隕石など古代の展示物があり、日本語で係りの人が解説してくれた。そのあと、高級家具や宝石などの展示、即売会場に案内され、最期はおみやげ物コーナーへ。ついつい小物入れなど買ってしまった。どれも千円とか五千円とか言って安くしておくというが、考えてみると、千円といっても66元位。66元あると競技場の弁当が20〜30個も買える金額であり、金銭感覚がおかしくなってしまう。
 
【星海広場】
次は、海のほうまでドライブして、星海広場にやってきた。広場というだけあって、とても広い。日本のように木を植えているわけでもなく、ただ広いだけである。だが、大勢の人が来ている。運転手は、張(キョウ)さん。私のことは「福(フク)さん」でいいよと言った。

【人民広場】
次は、市内に戻り、人民広場へ。ここは、芝生の手入れが行き届いている。広場正面は、市政府の建物だとか。きれいな建物である。市政府の背後にはきれいなビル群が。

【友好広場】
次は大連港へ。移動途中、「友好広場」を通りすぎる。広場というほどの規模ではなく、真ん中に丸いモニュメントが特徴である。この丸さに平和、友好の意味がこめられているのだろう。

【大連港】
次は、歴史の表舞台にもなった象徴的な「大連港」である。大連港を眺めるためには、「海事局」の建物に入り、エレベータで屋上に出て、そこから大連港の全景をながめることになるのだが、それで6元いると払わされた。詐欺まがいのようでもあるが、張さんが払ってくれというので払った。おまけに「絵葉書」も50元と言って買わされた。買わなくてもよかったのかもしれないが、売り子が「旅順へも行くのか」と問うので、「時間がなくて行けない」といったとたん「それならこれ買いなさい。旅順がばっちり入っている、旅のみやげに絶対お徳」とうまく乗せられてしまった。競技場の弁当(3元)のことは忘れてしまっていた。また、だまされた。

【ガソリンスタンド】
張さんが「すみません。ガソリン入れます」というので「かまわないよ」と言った。ガソリンスタンドはセルフサービスである。単位は、「リットル」ではなく1升、2升の「升(ショウ)」である。車は「HYUNDAI」韓国製である。あまりいい車ではない。張さんの運転技術はぴか一だが。

【虎群石碑公園】
次にまた郊外の海のほうへ出て、大きな大理石の虎の彫刻のある公園に行った。張さんは、五つ(ウー)の虎と言ったが、私が石碑の説明書きをみていると六つ(リュウ)と書かれてある。「張さん六つ(リュウ)だよ」というとびっくりしている。時々張さんはここへ案内していて、確かに正面からみると五つ(ウー)である。「張さんぐるっと回ってみよう」ということで、後ろへ回ると確かに六つ目の虎が隠れていた。張さんびっくり。六つめの虎というのは作者の意図かもしれない。正面からみると五つしかいないように見せて、実は六つ目の虎が隠れている。それは、敵を欺くための作戦か。互角の戦いで、五対五の戦いになったとき、最期に六つ目が出てくればそれは明らかに六つの方が勝に決まっている。六頭の虎の像は最期の切り札である。負けない喧嘩はしない。必ず、勝という確信をもって戦いに望む。経営にも、国策にもこれは共通の要諦かもしれない。したたかな作者の意図が感じられた。一方、張さんの驚き(五つと思っていたのが六つだった)からは、普段の仕事の中にもこのような思い込みや勘違いをしていることがままあるのではないか、やはり確かめてみるとか、原点にかえるといういわゆる「基本を大切にする」ということも学んだように思う。これまで、張さんは、五つの虎ということでこれまでガイドしていたと思うのだが、今日六つの虎が判明したことで、これからのガイドの正確性が生まれたわけだから、本当に良かったと思う。たかが、虎の像だけで、話しがよけいなところに飛んでしまった。

【北大橋】
次は、海岸線を走って、「北大橋」に到着。ここが何の名所かと思うほど、変哲もない「橋」である。説明書きをみると、1987年5月に北九州市と大連市が友好都市になって5周年になるのを機にシンボルとして造ったものらしい。まさに、日中友好の「掛け橋」である。橋のたもとにトイレがあったので、「張さんちょっと行ってくる」と言って降りていった。張さん何か気になったのか後からついてきた。トイレへ入ると、番人みたいな人がいて、金を払えというようなことを言っている。張さんに尋ねると、「5元払え」と言っているというのである。トイレに入るのに、5元もかと思った。その瞬間、張さんが「払わなくていいです」と言って、ポケットからくしゃくしゃのお札を、その人に払っていた。「早く行きなさい」と言う。用をたしながら、「張さん、いくら払ったのだろう、5元といっていたが適正価格なのだろうか、これも日本人価格かな・・・」と思ったりすると、出が悪くなった。用をたすにも、しっくりしないなあ。

【ロシア人街】
大連市内観光最期の名所はロシア人町である。高さんのメモでは「ロシア街」と書かれてあるが、張さん理解できないみたい。私が、「ロシアじんがい」といっても、張さんに通じない。高さんは、「張さんは日本語ほとんどできないから」と言っていたのを思い出した。ロシア人街はどうなるのだろう。困った顔をしていたら、張さん、高さんに電話してロシア人街のことを聞いている。やっと、わかったらしい。ロシア人街へ入る途中「開放橋」という橋を渡った。ロシアが攻めてきて、日本が負け、中国人が開放されたということだろう。ロシア人街は、誰も住んでいないような建物があったり、おみやげ物屋になった建物など、そのお土産もの屋もロシアのものや、中国のものなど雑種雑多である。なんだかよくわからない。ロシア人街を行き詰まったところには、旧自然博物館が横たわっていた。自然博物館は一番最初に見た施設である。ロシア人街にあったものが元の博物館だったのである。新しい博物館と古い博物館とを見て、時代の流れを一瞬のうちに、光のごとく通り過ぎたという印象だった。古い博物館は、誰にも相手にされずに横たわっている。壁はあせて、歴史を感じさせる。もう歴史は元へ戻れない。過去はすべてこの古い建物の中に封じ込められてしまっている。

【夕食】
高さんに最期に頼んでいたのは、夕食である。大連最期の夜は、きちんと中国の料理を食べたいと思っていたからである。張さんは、自慢の店を案内するという。自慢の店・・・・と聞いて、ひょっとしてべらぼうに高い店に案内するのではと不安がよぎった。その不安は、当たっていた。
夕食の店は、「天天漁港酒店」という店。いかにも派手な、高そうな店である。入り口を入ると、魚や貝、海老などがいけすの中で泳いでいる。この中から好きなものを選べという。おいしそうな海老(中国語では「虫」と「下」とを合わせて 虫下 シャーという)、ウニ(中国語では海胆ヘイダンという)、ホタテ貝(中国語では大扇貝タンシャンペイという)を選んだ。海老は1匹で150元もするという。張さんに「高い」とはっきり言った。張さん、店の人に何か言っているみたい。安くなったみたいである。値段が本当にあるのか不安になってくる。あわびや他のもとれというので、もういいとはっきり断った。その代わり、野菜を食べたいというと、大きな盛り皿を示す。こんなにいらない、小さいのでいいと言うと、それはできるという。安くなるかと聞くと、安くなるという。主菜はというので、何かときくと「ご飯」のようなものはというので、ご飯を少しとはっきりと言った。ビールはどうだ、飲め、飲めとすすめる。ビールはいらないと言った。それでも奨めるので、きた日に大連ビールも青島チンタオビールも飲んだが、正直あまりすすまなかったともらした。やはりアサヒ、キリン・・・というのでそうだと答えた。それで収まった。
やれやれ、テーブルにつくまで30分を経過していた。やがて、まずウニが出てきた。これは生である。丸いところを上からくりぬいている。スプーンですくって食べた。磯の香りがしておいしかった。次は、ホタテ貝の醤油焼きである。これもアツアツで醤油の味が淡く染み込みおいしかった。最期に、海老の塩焼きがでてきた。高いといって値切ったやつである。海老の殻はどうするかと思っていたら、お店の娘がきれいにむいてくれた。これを紫蘇塩でつけて食べたが、これが美味であった。このあと、野菜の炒め物、これも大きすぎる、高すぎると値切ったものであるが、それでも大皿にでてくる。食べきれなかった。ご飯もでてきたが、とてもコシヒカリにはかなわない。あまりというかほとんどおいしくなかった。お茶は飲むと入れにきてくれる。お茶で腹がはってしまう。もう最期のはずが、果物が出てきた。張さんが言うにはサービスだそうである。スイカと葡萄をいただいた。
さあ、支払いはというと意外にも154元という。多分、これが適正価格というやつだろうと思う。いいなりになっていたら、おそらく500元くらいはいっていただろう。500元というと日本円では7500円くらい。ちょっとした店なら、接待で使う値段だろう。しかし、言いなりにはなれない。私は普通の金持ち日本人とは違う。何せ、観光が終わったら、ホテルへ帰り、張さんに500元を支払わなければならない身だから。実はもう600元くらいしか残っていなかったのである。
夕食を終えて、日の落ちた大連市内をあとにして、経済開発地区のホテルへと向かった。夜の大連市内はまた別の顔を見せている。けばけばしくもなく、ライトアップした町並みは上品である。また、来たいなあと張さんに言った。張さんはよくわからなかったみたいである。だまって、カーステレオをセットした。音質は悪いが、日本語の演歌が流れてきた。なぜか、郷愁を誘われた。中国の旅はもう終わりである。明日は関空へ向けて、旅立たなければならない。大連を十分満喫した。張さんありがとう。
ホテルへついて、現実の世界へ。支払いが残っている。張さんにはらう500元がない。張さんちょっと待って、ホテルの中で支払うからと付いてきてもらった。ホテルのフロントで2000円を元にチェンジし、やっと500元ができたので張さんに支払った。ついでに張さんへの感謝の気持ちも湧いてきたので、多いのか少ないのかわからないが30元、サンキューの意味だと駄洒落のつもりで
渡したら笑っていた。


[9月18日(水)]

いよいよ帰国の日がやってきた。朝食はいつもどおり7:00に。今日も選手の皆さんは、シャトルバスで6:30に競技場へ出発。同室の馬場さんも本日は、棒高跳びの本番である。馬場さんは、自分の棒をもって、世界中の競技に出ている。棒といっても3mも4mもあるそうだ。飛行機では荷物で預かってくれるそうだ。ホテルもしかり。バスの中でも棒は馬場さんとともにどこへでも行く。マイ棒を持ち歩く人はあまりいないそうであるが、馬場さんは他の棒ではタイミングがとれないのだそうである。ちょっとした変化が記録に影響するそうである。タイミングは、走りでとるのだそうだが、聞いていると棒高飛びもデリケートなスポーツであると感心した。その馬場さんとも今日でお別れである。昨日は、私が10Kmロードレースに出場するというので、いろいろと気遣っていただいた。
その感謝を込めて、今日は、頑張ってくださいと声をかけて、バスを送り出した。考えてみると、このような大会だけで知り合って、大会が終われば離れ離れになり、元の生活のもどる。次の大会でまた再会を祝い、励ましあい、喜怒哀楽を共にする。そして、また別れる。人生の出会いと別れを経験する。世界の人々と出会い、そして別れる。ベテランズ競技大会。元気でいる限り、参加したいと思う。

さて、ホテルのチェックアウトを8:30頃にフロントで申し入れた。ところが待てど暮らせど手続きが完了しない。最初に、電話は使っていない、部屋のドリンクも使っていないと言っているのにである。聞くと、部屋へ調べに入っているのでしばらく待ってほしいということである。結局、9:00過ぎにやっと手続きが完了した。日本では考えられない。

9:10ホテルを出発。本日、関空へ向けて帰る選手は私一人である。大連空港へは現地添乗員が付いてくれるので安心した。空港で、荷物を預け、出国カード、パスポートを用意。空港利用税90元。これはJTBが払ってくれた。10:00〜11:00空港待合室で一休み。11:00過ぎ搭乗、フライト。本当に大連ともお別れだ。1時間くらいして、機内食が出てきた。まずまず。
14:20関空へ予定どおり着陸。15:15四国高速バスに乗り込む。帰りは、いすはフリーである。乗り込むのはたった4人。運転手によると、もう一つ前の便で大勢乗ったらしい。この便はタイミングが悪い便らしい。私にとってはグッドタイミングなのだが。途中、淡路島の室津パーキングエリアで休憩。18:40頃に高松着。予定より早い。

大連のホテルで現地添乗員の人にホテル代はどれくらいだと聞いた。季節によるが日本円で8000円〜9000円だという。その値段というのは、どの程度の水準かと聞いたら、この値段は、こちらの人の1か月分の給料分だそうである。現地の人は絶対に泊まれない値段だそうである。お土産はというと、1000円とか5000円とか、日本人はぱっぱと使って帰るが、現地の人にはこれで1ヶ月生活ができるということである。
 日本人は、いいカモになっているのかもしれない。私には競技場の弁当3元が頭にこびりついて離れない。ボランティアの学生達もお昼にはその弁当をおいしそうに食べている。選手も食べている。インドの人も日本人も中国人も。この格差、二重構造の謎はまだ解けない。


〜おしまい〜




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