第30回 小豆島一周100km24時間連続歩行ホステリング大会

〜 恐るべき死の彷徨 〜



この話を高松支部長から最初に聞いたのは9月の中旬だ。
(支部長)「今度、小豆島100km歩くイベントがありまっせ」
(幹事長)「なんじゃそりゃーっ!聞いただけで発狂するぞーっ!」

その信じられないイベントに、なんと無謀にも支部長が参加すると言うのだ。
(幹事長)「お前、死ぬぞ、死ぬ。絶対に死ぬぞっ!悪い事は言わん。止めといた方がええぞ。な、みんな、どう思う?」
(石材店)「あり得ませんね。ハーフマラソン21kmを完走した後の、いつも死にかけた支部長の
       体力から試算すると、たぶん3回は死にますね」
(幹事長)「まさかサラ金の借金返済のために生命保険をかけて強制参加させられるんじゃないやろな?」
(支部長)「走るんじゃないんだから100kmくらい大丈夫ですよ」
(石材店)「幹事長は歩くのは大嫌いですからねえ」

そう、
私は歩くのが大嫌い。本当に徹底的に大嫌い。どんな短い距離でも自転車かバイクか自動車を使う。走るのは大好きだけど、歩くのは嫌い。山登りは好きだけど、平地を歩くのは嫌い。通勤も、電車を使うと、駅まで少しだけ歩かなきゃいけないから、それが嫌で会社まで自転車で来ている。
(石材店)「どう考えても、そっちの方がトータルではしんどいでしょう?」
走ったり山に登ったりするのが好きなくらいだから、しんどいのは好き。だけど、歩くのが、どうしても好きになれない。
(支部長)「じゃ、ウォーキングのイベントには出たことない、と?」
実は会社に入って間もない頃、労働組合のイベントで、
高松から塩江温泉まで30kmくらい歩いた事がある。仲が良かった女の子から誘われたのである。歩くのは苦痛だったけど、女の子とキャアキャア言いながら歩いて、お弁当食べて、歩き終わったら塩江温泉に入って、ビール飲んで、仲良くバスで戻ってくるのである。
(幹事長)「帰りのバスで僕の肩に頭を乗せて眠った彼女の髪の香りを思い出すなあ」
(石材店)「そ、その後、彼女とは、どうなったんですかっ!?」
(幹事長)「これ以上言うと、社内大スキャンダルに発展するから、言わない!」

ウォーキングに参加したのは、たぶん、それが最初で最後のような気がする。
(幹事長)「あっ、分かった!支部長も、誰か女の子に誘われたんだっ!
(支部長)「どきっ!!」


その後、このイベントから3週間後に開催された高松ファミリー&クォーターマラソン in 庵治に登場した支部長は、予想外に元気そうだった。
(幹事長)「100kmウォークは、どうやったん?」
(支部長)「たかが100kmくらい軽い軽い。楽勝で完歩しましたよ。2日目は昼から雨が降ってきて悲惨な天候やったけど、
       結構、足は前に出ましたな。なかなか達成感がありますよ。
       来年から、ぜひペンギンズの公式レースにしましょう!」
(幹事長)「100kmも歩くなんて考えられん!絶対気乗りせんから却下やな」
(支部長)「出たくても、大会が開催されないかもしれませんけどね。
       ユースの話によると、今年は30回の記念大会やから開催したけど、
       来年以降はボランティアの集まり具合などを勘案して開催決定するゆうとりましたわ」
(幹事長)「そうなったら、今年の大会は貴重な最終回になるわけか。
       ぜひ戦績にアップするから、奮戦記書いてよ!」
(支部長)「でも、ペンギンズの公式レースでもないのに、掲載してもかまんのですか?
       それに、そのつもりでなかったから写真も撮ってないし」
(幹事長)「何でもええんよ。おもしろければ。それじゃ、頼むわ」


という事で、今回は
支部長の貴重な記録です。

2006年9月30日から10月1日にかけて第30回「小豆島一周100km24時間連続歩行ホステリング大会」(ちょと長いので「100km完歩」と言いましょう)が開催された。これは、ペンギンズの公式レースではなく、ペンギンズメンバーは誰一人として参加経験がなく、全く未知のイベントである。
幹事長からの強要があったので書いてはいるが、いつもの2時間程度のレースではなく、まる一日、黙々と歩くだけの大会をいかに戦記として残すのか、つれづれなるままに、だらだらと記すこととしたい。

そもそも、このレースは高松支部において大倉隊長以下の無謀な精鋭たちが毎年、恒例としているものだ。支部長も昨年、高松支部に異動になった時、引継挨拶に連れて行ってもらった前任者の城本副隊長が、レース直後のため足を引きずりながら歩いていた記憶が鮮明に残っている。高松支部の”肝試し的”レースになっているようだ。
今回の参加隊員を下の写真で紹介すると、下段左から高橋隊員(高松支部)、中津隊員(OB支部)、熊井隊員(丸亀支部)、大前隊員(観音寺支部)、上段左から高橋副隊長(丸亀支部)、安田隊員(OB支部)、黒川隊員(OB支部)、辻上隊員(本店駐在)、松永隊員(本店駐在)、支部長(私)、大倉隊長(高松支部)、そして写真を写している今川隊員(観音寺支部)の総勢12名である。(以下は匿名希望で表現)
前述のS副隊長は、今回は出向先の10周年記念イベントの開催が重なり、イベントの隊長として活躍を余儀なくされて出場はしていない。

このような狂気のイベントに参加する支部長(後列右から2人目)に
こんなに仲間がいるなんて・・・!

9月30日は、昼前のフェリーでいざ小豆島に向かうために、集合場所の高松駅までの道すがら"たばこや蒲鉾店"の前でM隊員に遭遇。
(M隊員)「ひょっとして支部長。ひょっとして手に持っているのは天ぷら??」
(支部長)「ええ。行きのフェリーから帰りのフェリーまで6回程度飲み会があるとO隊長に聞いとりましたんで、
       酒の肴と買っときました」
(M隊員)「よかったわ。隊長に言われて買いにきたんよ。ちょっと買い足していくから、またあとで」

数年ぶりにあったM隊員であるが、8年間連続して出場して、8回とも完歩している強者である。100kmを歩くという気負いがなく、淡々と酒宴の用意とは恐るべしである。他の面々もフェリーに乗り込むと同時に、ビールが配られてつまみや天ぷらなどを広げ、宴会兼昼食を始める。やや緊張ぎみの初出場I隊員、O隊員、支部長を除いてウイスキーなどもなめなめ絶好調。もうすこし乗船時間が長かったら、本格的な宴会になっていたのではいかと思いつつ、船は草壁港に到着し、港から1.5kmにある小豆島オリーブユースにアップも兼ねて徒歩で向かう。

ユースでは、T副隊長からテーピングの指導で各人さまざまな方法で自分の弱い部位の補強に余念がない。T副隊長やK隊員はワセリンなどの秘密兵器も所持しており、経験を生かしているようである。
そうこうしているうちに、16時からの夕食。バイキングスタイルで和洋折中のメニューであり人それぞれの戦略にあわせて量をとっていく。ここでもビールを注文。
(O隊長)「完歩を祈念して乾杯せんとな」
(支部長)「飲んだら眠とうなるし、夜中に眠ってしまったら制限時間内に歩けんようになりますがな」
(T副隊長)「飲むのも大会のうち! そういえば、途中のチェックポイントで仮眠を取って、寝過ごした隊員もありましたね」
(O隊長)「そうじゃ。だから仲間の声かけが必要なのよ」

ここでも酒宴状態

夕食が終わり、出発準備を整えて講堂に集合して開会式&説明会に臨む。昨年の開会式では出場者が一人ひとり決意表明をしたようであるが、今年は記念大会で参加者が多くなっていたので名前だけを呼ばれただけである。ちなみに今年のエントリーは128名。このうち香川県からの出場は28名しかおらず、東京や京都、大阪など遠方からの参加者が多い。その筋では結構有名な大会のようである。なかには、うら若き美形の女性も参加しており、一部には華やいだ雰囲気も漂っている。

全員で記念写真を撮って、いよいよ100kmのロングウォーキングのスタートである。
(T副支部長)「ここから10km地点までは結構ペースが速い。しばらくは幹線道の歩道を歩くんで1列でないといかんが、
       灯台への脇道にはいった途端、トップは走るように行く。平均時速は7kmぐらいかなぁ〜」
(支部長)「7kmやゆうたら、かなり速いやないですか。大会前に夏季休暇を取って高松から琴平まで鍛錬したときは、
       自分なりにがんばったんですが時速6kmでした。時速7kmは驚異ですね」

とリラックスした会話でスタートしたのだが、結構顔は下向きで表情が固い。やはり未知の100kmのプレッシャーがかかっているのか。

しばらく行くと幹道から脇道に逸れ、道に拡がった参加者がそれぞれのペースを確立しつつある。時々、固まりになったグループを抜いたり、抜かれたりしながら進んでいく。
(T(女)隊員)「地蔵崎灯台が第一の難関。みんなは最後の橘峠から大角鼻灯台までが最難関というけど、
         私はこっちの方がきついと思うな」

ちなみにT(女)隊員(面倒だから以下、辻隊員と呼ぼう)は7回出場して7回完歩というM隊員につぐ完歩巧者であり、その言は金言とみなければならない。

道はだんだん山道にかかってきており、街灯も沿道の家あかりも無くなり足下が怪しくなってきたので、大会前にケーズデンキで250円で買った懐中電灯にスイッチをいれる。周りの人はヘッドライトやウエストライトなど本格的な装備であるが、首から吊した懐中電灯がぶらぶら揺れて歩きにくいこと甚だしい。あっちこっちと安定する個所を探して付け替える際に手からすべって地面に落下。無惨にもバラバラになり、電球がどこへ行ったか判らなくなってしまった。歩き初めてまだ3kmで大きなハンディを負ってしまった。

これからは他人の光を頼りにしなければならない。まずは辻隊員にくっついていくことにする。
(支部長)「情けないわ。もっと高い懐中電灯を買っておいたらよかった」
(辻隊員)「大変やわよ〜。これからが長く、険しいんやから」

とほほ・・・。辻隊員のあかりを頼りに歩を進めると、いつのまにか海岸線に出る。険しい灯台の道があると聞いたのにどうしたのかと、コース図をみると手前の蒲野浜である。防波堤横の歩道をいっていると、前方にO隊長、T隊員らしき後ろ姿が見え、ややピッチを早める。と、そのとき、防波堤から海側に人が立っている姿が暗闇から急にあらわれ、肝を冷やす。
(辻隊員)「地元のひとかなぁ?それにしても、立ち方が気持ち悪かったわ」
そうこう話すうちに前方にはT隊員の後ろ姿しかなく、O隊長の姿が無い。神隠しにあったのか。そうであればさっきの地元民は・・・・??、と思っていると、O隊長の姿が。ただ単に用を足していただけである。隊長と辻隊員の会話をよそに、2人を引き離していく。見知らぬ参加者(ライト点灯の者)の後をびったりとくっついていくため、ストーカーと間違えられぬよう、残念だが女性の参加者の後は歩かないように心がける。

しばらく行くと、ボランティアの係員が方向指示を出している。指す方向をみればかなりの急な登り道である。これが、さきほどから話題に上った地蔵崎灯台への険しい道である。歩いても息がきれる。約3kmほどの登りをこなせば、そこからは3kmの下り。登ってきたと同じの急勾配で下っていくため、登りよりも体への負担はきつく、危険である。ましてや明かりを失っているものにとっては、できるかぎり明かりを持った参加者のストーカーをするのであるが、このあたりまで来るとかなり隊列はばらけており、一人で歩く時間も長くなってきた。ややもすると、道路横の側溝に落ち込みそうになったり、時たま通る対向車に敷かれそうにになったり、命がけの行軍である。しかしながら、灯台から海の方を見ると、行き交う船明かりや対岸の高松方面の明かり、上空の星などがきれいに輝いている。

やっと坂を下りきると集落が現れ、海辺の道に出る。ここでT隊員に追いつく。T隊員は5回参加のベテランであり、
(O隊長)「始めから終わりまで一定のタイムを刻める。テーピングなしでも豆を作らない」
と絶賛する鉄人である。
(支部長)「やっとT隊員に追いつきました。灯台の坂はきつかったですね」
(T隊員)「もう一つ山を越えんといかんですよ」

と不気味な発言。係員の車が見えたので、第一チェックポイントかと思うとそうではなく、T隊員の言うとおりもう一山越えていかなければならない。係員の「がんばって行きまいよ」の言葉に追われて、登山のような道を進み、やっと吉野分岐にたどりつく。チェックポイントでは係員の参加者名が載ったリストに通過時間を記入して通過証明とするのであるが、同行しているメンバーはまだ誰も通過していないようだ。記入を終わった瞬間、K隊員がチェックポイントに到着し、久々に見知った顔を見てホットする。21時35分。
(K隊員)「なかなか灯台がきつかったでしょう。昨年、初めて参加した時も厳しかったです。
       昨年は60km台でリタイアしたんで、今年は絶対完歩を心に決めて、計画を立てて練習を積んできました」

チェックポイントから次のチェックポイントの土庄東港までは約10km。途中にクジャク園(ピーコックガーデン)前を越えていく。ひたすら、黙々と歩くのみである。土庄東港では夜食の"うどん"の接待があると聞いているが、
(O隊長)「あんなまずいうどんは喰えたものではない」
と言っているので期待薄である。でも、練習で琴平まで歩いた距離と同じ30kmの地点であるので、"うどん"を目当てに歩く。

やっと街明かりが見えてきて、土庄港の道路標識も出始めるが、なかなかチェックポイントがこない。ひょっとして通り過ぎたのかと不安になった時、ナイトサーベルが振られているのが見えた。第二チェックポイントである。時刻は23時25分。建物に入ると、メンバーの姿はだれも見えない。
(支部長)「たしかK隊員に途中抜かれたはずだが?すでにK隊員は通過したのかなぁ」
と心でつぶやいていると、K隊員が到着。
(支部長)「たしか途中で抜かれたんとちゃう」
(K隊員)「ええ、途中のふるさと村バスストップでストレッチをやりながら小休止してましたから。
       やはり完歩するには、小休止ポイントで休憩をとって、体調をととのえんといかんですから」
(支部長)「まずい。むやみに歩きすぎたか。これからが未知の世界やのに」(心の呟き)

夜食の提供はかけうどんとおにぎり二個である。うどんを食べていると、T副隊長、O隊長、M隊員が続々と到着。どうも、他のメンバーはまだ時間がかかりそうである。

(支部長)「隊長がまずいまずい言うからどんなうどんかと思っとったら、そんなにまずうないですがね」
(O隊長)「そうかあ?旨うないやろ」
(K隊員)「こんな時ですから、このうどんも、そこそこたべられるのと違いますか」

といいながら、K隊員はテーピングの修正やら、ストレッチに余念がない。
おにぎり二個は途中に腹が減った時の非常食としてリュックサックに入れ、皆より一足先に出発する。コース図を見ると、牛の形をしている小豆島の頭の部分を回って土庄にもう一度帰ってくるルートを行く10kmであり、高低図ではあまりアップダウンが無い。ここからは、10kmずつが一つの目安。

途中、ヘルシービーチという地を通過するが、とてもヘルシーな大会ではないと思いつつどうにか第三チェックポイントの土庄本町バスストップに転がり込む。この10kmは、無心で歩くことになれてきた(疲れが出て、思考能力が落ちてきたのだろう)ことや睡魔が時折訪れることなどにより、ほとんど記すべきことがない。
第三チェックポイントには、すでにK隊員が到着している。いつ抜けれたのだろう?
(支部長)「あ〜しんど。えろう眠とうなってきたわ。K隊員はずいぶん前に着いとったんとちゃう?」
(K隊員)「いや、ちょっと前です」

というものの、靴と靴下を脱いで、テーピングをやり直しているところを見ると、だいぶん前に到着していた様子である。支部長の到着から数分後に、O隊長、T副隊長、M隊員のご一行が到着。
(支部長)「ここまで40km。私の最長不倒距離ですわ」
(O隊長)「ここからが正念場や。昨年のK隊員(前述のK隊員ではなく、支部長と同じ職場にいる、
       今年はエントリーしていない隊員である)はもう少しいったところあたりでリタイアしているし、
       儂も91kmでリタイヤしたこともある。油断ならん!」

そこに、ユースホステルのバスが到着。ひょっとしてリタイヤ者をピックアップするバスか。こんなものは目の毒と、早々にチェックポイントを出発する。1時51分に到着して約15分ぐらいの休憩であったが、K隊員は悠然とストレッチをしている。

次のチェックポイントは60km地点の大部公民館で、ここで朝食が振る舞われる。今年の完歩に闘志を燃やすK隊員もそこを過ぎたあたりでリタイヤしたと聞いており、体力的にも厳しい道のりである。だんだんと睡魔が襲ってくる間隔が短くなり、ハッと気がつけばガードレールの切れ間から崖に落ちそうになることがしばしばになってきたため、身の安全を守るためにも田んぼのコンクリートの畦に腰掛けて一眠りをする。横になりたいが、そんなスペースは無い。眠りたいのと倒れそうになるのとの狭間でうとうとしていると、
(O隊長)「支部長!そんなところで眠っとったら、朝まで寝てしまうぞ。はよ付いてこいや」
との声がかかり、目をあけるとT副隊長とM隊員の姿も共にある。夢遊病者のように3人の後をついて歩く。ほとんど意識がない。第四チェックポイントの大部公民館までには、途中に尾形崎バスストップが53km地点の小休止、トイレ休憩場所として設けられている。そこまで行って10分ぐらい横になったらどれほど楽になるか。それを楽しみに意識朦朧を押して歩を進める。途中、だらだらと長い上り坂にさしかかると疲労と眠気とが間断なく訪れる。

(T副隊長)「屋形崎の休憩所はもうちょっと先だったかなぁ」
(O隊長)「そうだっけ。何度来ても自分のペースがつかめんのよ」
(支部長)「コース図によれば、もう1km程度ですよ。この坂を越えた所と違いますか」
(T副隊長)「そうだったかなぁ」

しかし、行けども行けども休憩所は来ない。早く休みたい、横になりたいとの思いが強く、幻想を見たのかもしれない。結局は5kmほど歩いた場所が尾形崎パスストップであった。着くと同時にへたり込むが、
(O隊長)「ここで休むんではなく、この先の道の駅で休憩をして、テーピングの修正や着替えなどをしよう。
       多分、朝食を取る大部公民館は混んでいるだろうから、その手前でやれることはやることにしよう」

と、すぐに出発する。「もう少し休ませて!」と叫びそうになったが、コース図を見ると、道の駅大阪城残石道の駅までは2kmである。とぼとぼと歩き始めるが、道の駅までに3回程度、記憶が途切れた

道の駅は、豊臣秀吉が大阪城を築城する際の石垣用として切り出されれた石切場があった場所を記念して作られたものだそうで、比較的新しく整備されたのかきれいな建物である。

中庭にある石製のベンチに横になると眠りの世界に直行である。O隊長やT副隊長、M隊員はこまごまと準備をしているが、まぶたが開かない。やっと目覚めると周囲は薄明るくなってきた。もう、懐中電灯は必要ない。朝のすがすがしい中、大部公民館への5kmに出発する。出発前にT隊員が合流して5名の小隊となって歩く。大部公民館に到着したのは、6時26分。
公民館では、駐車場で紙パックの牛乳、バナナ、パンなどの朝食が振る舞われる。夜を乗り越えたので携帯が必要な荷物が少なくなることから、リュックサックなどが必要ない者はユースの係員に預けることができる。
(支部長)「リュックサックを預けた方がいいですかねぇ」
(O隊長)「雨が降るかもしれんので、カッパを入れているから置いていけんやろ」
(支部長)「でも、私はカッパを持ってません。雨が振ったら、ビニールゴミ袋を持ってきてますんで、
       首と手を出すところを切って、貫頭衣みたいにしてかぶるつもりですので、あまり荷物はないんです」
(M隊員)「それじゃあ、預けた方がいいんじゃない。リュック背負ったらゴミ袋をかぶりにくいでしょ」

ということで、リュックは預けることにして、ウエストポーチ一つの身軽になった。
残り40km。考えるとまだ半分弱残っている。
(T副隊長)「次の目標は、福田港での昼食やな」
(T隊員)「その次は、橘峠の梨の振る舞いですね。なかなか冷えていて旨いですよ。
       あれを喰ったら元気も回復するから、絶対たべてください」

それぞれに、目標ポイントを教えてくれる。

次なるチェックポイントを目指しての出発である。出発早々、上り坂が延々と続き、海を見下ろしながら坂を登る。
(M隊員)「去年は快晴で、この坂が非常にきつかったんよ」
(T隊員)「いつもこの坂は大部で大量にペットボトルを買い込んで背負ってくるので、なかなか大変なんですよ」
(支部長)「実は私は雨男なんで、今年は曇って丁度良い天気になりましたね。感謝してくださいよ」
(M隊員)「雨男にしては、カッパを用意していないとはどういうこと?」
(支部長)「カッパは持っていないんで。それに、天気予報では、夕方から降雨といっとりました」

とわいわいと話ながら歩を進めるが、なかなか上り坂が終わらない。ずっと先の方に展望台が見える。そこが、休憩ポイントに指定されている。展望台にやっと到着すると係員がいるが、飲み物の接待はない。今までの休憩所には飲み物やお菓子などを用意していたのだが、ここには無い。この日の昼食はユースが用意しているのではなく、参加者それぞれが摂ることになっていることなどを合わせ考えると、大部公民館の朝食以降はサービスが急速に低下するのであろう。
展望台を越えると、やっと下り坂に入る。牛のおしり部分のコーナーを回ると、福田港が眼下に見える。もう少しで昼食ポイントに到着するが、時計を見るとまだ9時である。さきほど朝食を摂ってから、3時間も経っていない。お腹はすいていないのだが、福田港を過ぎれば食堂が一軒もないのだそうである。福田港への下り坂の途中で、T副隊長に電話が入る。OB支部の黒川隊員から、中津隊員と2人がリタイヤしてユースに戻っている連絡が入る。

福田港のフェリー乗り場に到着したのが9時38分で、チェックポイントらしきものが設営されていたが、そこではバナナとペットボトル飲料が振る舞われた。付近の食堂で昼食を摂ることになるが、まだ準備中である。下の土産物屋と同一経営らしく、店番のおばあちゃんに聞くと、上にいる賄い人に今日はかき入れ時なので早めに店を開けるように指示して、我々を食堂に上げた。
(支部長)「ラーメンはできるん?」
(賄い人)「今、火をいれたところやから、15分ぐらいかかる」
(T副隊長)「それじゃあ何がはやいんな」
(賄い人)「うどんならできます。でも、うどんも湯を沸かす時間がいるんで、ぬるいのを我慢してもらわんといかんのですが」
(O隊長)「それじゃぁ、うどん5つとビール3本」

ここでも開宴である。

(T隊員)「疲れてるから、寝っ転がって足を壁に持ち上げると、血が下がってきて足が楽になりますよ」

皆がT隊員をまねて次々に壁に足をもたれかかせる。「楽じゃ〜」。
そうしてると、ビールが来て"乾杯"、うどんが来て"いただきます"状態である。うどんをすすると、ぬるいのを我慢してくださいとの言葉に反して、熱い。口の中をやけどしてしまった。賄い人さんは、我々の登場で仕込みのペースを狂わされたのに不機嫌で、その仕返しかと思われるほどホットなうどんであった。

食堂を後にすると、すぐに急な上り坂である。上り坂の途中で、ぽろぽろと雨が降り始めた。予定よりかなり早い降雨である。用意していたゴミ袋貫頭衣をかぶると、雨対策は万全である。M隊員に勧められてリュックサックを預けたことが大正解である。ゴミ袋をかぶったまま歩き続けると、巨大な採石場が姿を現す。振っていた雨もやみ、日が照ってくると、ゴミ袋は通気性がないため汗でTシャツがびしょびしょとなり、雨に濡れたのと同じ状態である。ゴミ袋は脱ぎ、アスファルトからの照り返しと、採石場を走るダンプの走行音を感じながら、
(O隊長)「ビールの大瓶と缶ビールはどちらがお得なんかのぉ〜」
(支部長)「ほとんど晩酌しないんでよくわかりませんが、缶ビールの方が特なんとちゃいますか。でもどうしてですか」
(O隊長)「ユースに帰って、夕食後、みんなで反省会せんといかんから、そのときの飲み物として酒屋で買おうとおもっとるんや」
(支部長)「でも、夕食の時は、昨日と同じようにビールを頼むんでしょう」
(O隊長)「それはそうやが」

またまた酒宴の話をしながら進んでいくと、だんだんペースが違ってきて皆がばらばらになってくる。
しばらくぶりの集落を通過する段になると、止んでいた雨が再び落ちてきた。特製ゴミ袋カッパをかぶるが、今回の雨は止みそうにない。峠を越えると比較的大きな集落というよりは街であるにさしかかる。街に入る前には、街を通り第五チェックポイントの橘峠へと延々続く登り勾配が目に飛び込んでくる。峠では冷たい梨のもてなしがあると聞いており、これを食べると元気も湧くとも聞いている。雨が強くなって、気力を洗い流していく中で、チェックポイントにたどり着けば一休みできるとの思いだけで、足を前に押し出している。2kmに亘る結構きつい坂を上りつづけると、ワンボックスカーがリアウインドウを跳ね上げて止まっている。どうやらここが第五チェックポイントの橘峠バスストップ82.4km地点らしい。時刻は12時25分。待ちに待ったチェックポイントであるが、休憩できそうな場所はない。梨の振る舞いはどうなっているかと思っていると、ワンボックスカーにいたボランティアの学生が、
(学生)「お疲れ様でした。梨が発砲スチロールの箱の中に入っていますので食べてください」
箱をあけると梨がならんでおり、手に取ると確かに冷えている。しかしながらまるたの梨であり、皮もついている。
(支部長)「これどうやって食べるの?」
(学生)「そこに果物ナイフがありますので、自分で剥いて食べてください」

朝食を過ぎてから、サービスが低下しているというのは間違いないが、折角の振る舞いを無碍ににはできないので、皮を剥いてかぶりつく。確かに旨いが、雨の中で立てって食べることをし引けば、旨さも半減である。

橘峠のチェックポイントを超えれば次の目標は90km地点の大角鼻灯台になる。もはやゴールまではチェックポイントが無く、灯台前の休憩ポイントがスタッフなどとの最後の顔合わせ場所になる。このところ、参加者とも出会うことがまれになっている中で、リタイヤの意思表示をする最後の地点になるのではなかろうか。出発前に学生さんにこれからのアップダウンを尋ねると、
(学生)「これからちょっと登りが残りますが、あとは下るだけです」
との答えに励まされて再スタートする。しかし、8km先の灯台がいけどもいけども現れない。雨による足下の悪さ。靴はぐじょぐじょ、どうやらテーピングの間に豆ができているらしい。福田港から橘峠のペースで計算すると、あと灯台までは4kmも残っていると思った時、「もうだめである。リタイヤするにもユースの人に迎えに来てもらわなければならない。どうすればよいのか」と思い、とりあえずO隊長に連絡を取ろうと携帯電話をかけるがつながらない。しかたなく歩き続けると、ユースの巡回車が目に飛び込んできた。手を挙げるのは今、と思った時、視界の端にテントを捉えた。灯台前の休憩所である。「あそこに行けば一息つける」と最後に力を振り絞る。
(スタッフ)「雨の中、ご苦労さんです。冷たい飲み物がありますので、休んでいってください」
(支部長)「ありがとうございます。灯台まではあと4kmぐらいですか?」
(スタッフ)「あと1.7kmぐらいですよ」

と話す内に、久々にT副隊長がテントに到着した。
(支部長)「お疲れ様です。久しぶりにメンバーに出会いました、というか参加者に出会いました。
       それにしてもひどい雨ですね。気力もそがれてしまいますわ」
(T副隊長)「自分は雨が好きなんよ。晴れていたら、この辺までくると足の裏が鉄板の上で焼かれている状態に
       なるのやけど、雨で冷やされて丁度ええし、なによりも雑念が入らんからなぁ」
(支部長)「すごいですわ。私なんかさっきくじけてしまい、隊長に電話をかけたんですけどつながりませんでした。
       そうこうする内にこの休憩所を発見したんですわ。あそこで電話が繋がっていたら、巡回車に手あげてましたわ」
(T副隊長)「電話はかけんほうがええな。かける方も気弱になるし、受けた方も気力が切れる恐れがあるから」

と経験を積んだ者の金言を聞く。

灯台までは何とかたどり着くとの決意のもと出発。ガードレールに腰かけたりしながら休み休み灯台を越えると、ずっと前方に参加者の後ろ姿が見え、その後ろ姿に引っ張られて前に進む。「足を休めたい」「休むと雨に打たれて体が冷える」「休みたい、休めない」大きなジレンマで発狂しそうである。まさに歩兵第五連隊が八甲田山で行軍をした時の描写そのものである。まさに小豆島死の彷徨の様相を呈してきた。「もうあるけましぇん」と根をあげそうになった時、眼下に坂手の街並みが見えてきた。

坂手小豆島オリーブマラソンで毎年走っている地であるのでなじみがある。だいたいのコースも判る。俄然元気が出る。街に通じる坂を下りると、坂手港横にある小豆島バスの車庫である。オリーブマラソンの受付が開設される場所である。しかし、受付がなければただの車庫であり、腰掛ける場所もみあたらない。逆に長居をすれば、バスに乗ってしまう誘惑に駆られる恐れが十分にある。草壁港までの距離を確認したらすぐ出発しようと決め、コース図をチェックするとあと6kmもあるではないか。気力が失せたところに、草壁港を経由するバスが出発した。もう少し早く距離をチェックしていたら、バスのタラップに足をかけていただろう。ここまできたら、完歩あるのみである。

オリーブマラソンでは草壁港の手前を折り返して岬の分教場まで行ってくるコースなので、マルキン忠勇前などは距離を読めるのであるが、疲れた体にはマラソンの時のようなリズムが無い。マルキン忠勇前のベンチで一休みして草壁港を目指す。草壁港まで1kmとの道路標識が。でも、歩けど歩けど草壁港はやってこない。あとでメンバーに聞いてみると、皆口を揃えて「あの看板の距離表示はおかしい」といっていた。草壁港からは約1.5kmでユースであるが、草壁港のフェリーターミナルから足を踏み出す元気がない。びしょびしょの体で待合所のソファに腰掛けるのは気が引けるし、なかなか体を休める場所がない。力を振り絞って、最後の直線を行く。時計を見ると22時間を切るのにあまり時間が残っていない。24時間以内にゴールすれば良いので、あとは這ってでもいける時間ではあるが、人間目標ができると妙にがんばれるのである。22時間以内を目指し、ユースを目指して歩き始める。ついに22時間に2分ほど残してゴ〜ル!である。

最後のチェックをして、ユースの風呂場に駆け込む。何をさておいても、乾いた服を着たい。風呂で汗を洗い、乾いた服に着替えて部屋に戻る。隣の部屋を覗けば、K隊員がすでに1時間前に完歩して帰ってきており、I隊員は80km台で、O隊員は60km台で残念ながらリタイア帰還したようである。3名と同じように、支部長も倒れ込むように眠ってしまった。

T副隊長が帰還して、
(T副隊長)「これから帰ってくるメンバーを玄関で出迎えてくるわ」
と部屋をでる。そうこうするうちにO隊長とM隊員、T隊員が帰りついて、
(O隊長)「疲れた者が帰ってきて仲間が迎えてくれることが、涙が出るほどうれしいもんよ」
といって部屋をでる。O隊長に促されて支部長も玄関に降りていくと、辻隊員とY隊員が玄関に現れた。

すでに外は暗く、時計は6時を指していた。あと制限時間までに30分を残している。メンバー全員が帰還した瞬間である。
あと、夕食での酒宴、部屋ので酒宴つき反省会、翌日の港での酒宴、日を改めての反省会酒宴と数々の酒宴をこなし、小豆島100km完歩は幕を閉じたのであった。


                    


(幹事長)「どうであろう。これを読んで、僕も出てみたい、私も歩いてみたいわ、なんて思う健全な青少年がおるやろか?」
(石材店)「酒は浴びるほど飲んでますけどねえ」
(幹事長)「こんなに厳しい道のりじゃあ、仲良しの女の子と参加しても楽しくないぞ」
(石材店)「でも高松支部を中心に社内から10人以上も参加しているという事実は何を意味しているんでしょうねえ」

ああーん、高松支部って、どんなところ?


〜おしまい〜




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