Misawa AB Race The Base Half-Marathon 2009

〜 米軍基地を走る 〜



(石材店)「ど、ど、ど、どしたんですかっ?このタイトルは?」
(幹事長)「ピッグ増田が画期的なレースに出たんよ!」


青森生活3年目を迎えたピッグ増田選手は、最初の年は新天地の青森で新しいレースをどんどん開拓し、次から次へとレースに出ていたが、だんだん尻すぼみになり、最近はあまりレースに出なくなってしまっていたが、なんと今回、三沢の米軍基地で開催された怪しくも画期的なレースに出場したのだ。
今回は、そのピッグ増田選手の報告記だ。



三沢に住んで2年半になります。三沢には米空軍と航空自衛隊が共同使用する基地があって、青森県の中でも超個性的な町です。市の人口は4万人程度で、そのうち1万人近くは米国人。基地関係での雇用も5千人くらいでしょうか。
町にはYナンバー(米国基地の車)が当然のように走り、街角やスーパーでも米国人を見かけて当たり前。道路標識も工事中の看板も、日本語表記の下に英語表記あり、です。

(幹事長)「そうそう、以前、三沢のスーパーのお菓子コーナーで、係のおねいさんが、アメリカ人相手に
       ネイティブのようなきれいな英語でお菓子の試食を勧めていたのに驚いた事があるよ」
(ピッグ)「三沢で商売しようと思ったら英語は必須ですね」
(幹事長)「あれだけ見事な英語を話せるのなら、英語の先生になれるんじゃない?」
(ピッグ)「三沢じゃ英語が話せるのは普通ですからねえ」


そんな三沢ですが、基地の中は別世界です。フェンスの向こうは米国そのものであり、関係者以外は入れません。(道路は自衛隊に倣って右側通行でした。)

(幹事長)「以前、基地のそばの小川原湖に行ったら、湖畔に米軍関係者しか入れない金網で囲まれたエリアがあって、
       中にきれいに整備されたキャンプ場なんかがあったよ。うらやましい」
(ピッグ)「まさに治外法権エリアですね」

そして今回、
2009年9月27日、米軍基地と地元市民との交流イベントとして三沢ABマラソン(AB=エアベース)が開催されました

三沢基地メインゲート付近
(こんな青空でした)

天気は秋晴れの申し分ない良い天気。練習は直前のシルバーウィークに3回程度といつものように適当な心意気でした。
参加人数は意外と少なくハーフで300人程度の様子でした。そのうち日本人が7割以上で、アメリカ人は3割以下ですが、それでも
外人比率が日本一高い国内レースではないでしょうか。

スタート直後は周りに乗せられてオーバーペース気味でしたが、徐々に力が抜けて練習と同程度のペースに落ち着きました。はるか彼方に八甲田連峰を眺め、基地の中は、芝生や林の緑がとても綺麗で道路も広くて気持ちよく走れました。

走行距離はマイル表示が1マイル毎にあり、時計を見ながら1マイルって何キロだったっけ?と考えながら・・・???(キロ表示も数箇所ありました。)三沢にいながら、パスポートなしの擬似アメリカ体験でした。
当然のことながら米国風の住宅の庭から米国人の住人が応援してくれました。走っていると大会スタッフやボランティアの方々からも“ガンバッテ!”“Good Job!”なんて声を掛けられたりしました。

コースは元来、空港なので、アップダウンも気になるほどしんどい所はなく、終始快適に走れました。しかし給水所で立ち止まってゆっくり水を飲んだことが仇となり、15キロ過ぎて慌てて2時間切りを目指したものの、残念ながら2時間オーバーとなり2時間4分という結果でした。

今回は、ライバルの幹事長もいなかったし、誰と競走するというわけでもなく、コースが開放的でとても気持ちよく楽しく走ることができました。40歳を超えてますますタイムや順位に執着がなくなっている気がします。



(幹事長)「なかなか貴重な魅力的なレースやろ?」
(石材店)「幹事長は出なかったんですか?」
(幹事長)「高松に帰省してたから出られなかったんよ」
(石材店)「次にピッグと勝負するのは1週間後の弘前アップルマラソンですね?」
(幹事長)「それがな、ピッグはな、このレースに出たからアップルマラソンには出ないと言うんや」


てことで、ピッグ増田選手が昨年出場した弘前アップルマラソンが1週間後に開催されるんだけど、ピッグは今年は出場しない。確かに、2週間連続のレースはきついだろな。僕ひとりで戦って参ります。


〜おしまい〜




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