第20回 四万十川ウルトラマラソン大会
2014年10月19日(日)、高知県四万十市において第20回四万十川ウルトラマラソン大会が開催された。
そして、なんと無謀にも、ピッグが60kmの部に出場したのだ!
(幹事長)「何考えとん?」
(ピッグ)「いや、まあ、あんまり考えずに軽い気持ちで」
我々一同、42kmのフルマラソンでさえ、30km過ぎると、すぐ歩きが入ったりして、なんとか足を引きずりながらゴールするのがやっとなのに、60kmだなんて有り得ない!もう絶対に有り得ない!!
しかも、60kmレースに出るとなると、それなりに練習を積んで出場するが普通だと思うのだが、どうせピッグの事だから、ロクに練習はしてないはずだ。
(ピッグ)「あ、バレました?よく分かりますね」
(幹事長)「貴様の行動は手に取るように分かる」
なのに、あろうことか、無事完走したというのだ。
ピッグから、その記録が届いたので、見てやろうではないか!
このたび、四万十川ウルトラマラソンに出場しましたので、報告いたします。
出場のきっかけは、以前、Y野選手が四万十川ウルトラの60kmの部に出場したという話を聞いており羨ましく思っていたこと、さらに現在の職場にも四万十川ウルトラの100kmと60kmを走ったことのある方がおり、「ピッグさんなら、絶対、イケますよ。100kmに申し込まないですか!」と勧められ、すっかりその気になってしまい、「それでは、今年は60kmを走ってみて、成功したら来年100kmに挑戦したいと思います」と軽弾みで申し込んでしまいました。
今まで、フルマラソン以上は走ったことがなく、練習でも、せいぜい、ゆっくりと1時間、走る程度です。四万十川ウルトラに参加が決まった後も、練習意欲に関しては全然、改善せず、土日に1時間走る程度で本番を迎えてしまいました。この完全に舐めきった態度のツケは、もちろん当日に身をもって味わうことになりました。
大会の前日には、60kmの部の前夜祭で前日受付ができるというので、あまり期待せずに参加してみたら、前の職場で一緒だったスーパーマラソン狂女子Y浅さんに会えました。せっかく久しぶりに会ったのに、会話は練習量に関する腹の探り合いばかり。彼女は足の裏が今週から痛くなり、十分に練習できていないとのお話でしたが、元々の練習量が半端でないため、練習のし過ぎによる痛み発症と思われました。私は練習量の少なさから痛みなどあるはずもなく、万全の体調です。彼女からも練習量に関して、「よくそんな練習量で出てますねぇ〜」と毎度、妙な感心のされ方をしております。
前夜祭では、土佐幡多地方の地元メシ、手長エビの天ぷらや川蟹の汁物、お約束のカツオのたたきや田舎寿司などを立食し、嬉しいことにビール、ソフトドリンクなど飲み物の提供もあり、自制心がなく、明日は完走あるのみという気構えなので生ビール2杯、臆せずいただきました。
また、抽選会では黄色のスタッフジャンパーが当たり、今後、夜に練習することがあれば?重宝しそうな良い物を手に入れることができました。くじで当たること自体、幸先が良いというか、気分の良いものです。前夜祭は期待以上に楽しく、最後に地元のボランティアスタッフと一緒に会場全体で、よさこい鳴子踊りを踊りました。
さて当日の朝、泊まっていた会社の宿泊施設で知り合いになったM澤氏と一緒にスタート会場までバスに揺られて会場入りしました。彼は35歳で、つい2週間前にポリープ切除の手術をしており、このところ練習できてないそうです。医者からは激しいスポーツをしないようにとの御触れが出ているにもかかわらず、目標タイムは驚異の5時間台!だそうで、体つきをよく見ると細見で足も無駄のない筋肉の付き方、確かに只者ではなく、イケてる人のようでした。
バスの車中から、早朝5時30分にスタートした100kmの部の出場選手が力走している雄姿を見かけ、40km近くをもう走破して、さらにこれから60kmを我々と一緒に走るなんて、正気の沙汰とは思えない・・・まさにセミプロというか、100kmを走るなんて、とてもとても自分には無理だと、100kmランナーの無言のその姿に感動すると同時に100kmをなめたらアカンぜよ!と説得された気分でした。今後、ウルトラを走ったことがあると、知人に自慢したくても、「ウルトラを走ったけど・・・、60kmの部ね!」と注釈をしないといけないのは甚だ残念ですが、実力相応で、ここはまず60kmを完走することで、勧めてもらった同僚、休みをもらった職場にも面目が立つというものです。
スタート前に地元小学生による金管楽器バンドの演奏が披露され、山間の小さな小学校ながらも頑張っているなぁ・・・と清々しい応援に元気をもらいました。高知県は過疎に悩む自治体が多いけれど、県民性は、明るく、楽しく、元気な方が多くようで、ぜひ、このような素敵なイベントで故郷を盛り上げてもらいたいものです。
いよいよスタート
それでは、満を持してスタート。60kmの部は参加者が593名と少なかったのでスタートはとてもスムーズでした。急がず慌てず、ゆっくり1km7分ペースで行けるところまで、足を止めずに行くイメージで、目標を7時間完走に設定しました。制限時間は9時間30分なので、多少遅れても大丈夫です。
ところがスタート直後から早くもキロ7分ペースが崩れました。スタート後、あまりに余裕をかまし、ゆっくり走り過ぎたのが原因です。さらに3km過ぎて早くも用を足したくなり、給水所に設けられたトイレでは順番待ちの列ができており、そこを避けてボランティア民家のトイレを拝借させてもらいました。『ご自由に利用ください。』と看板が出て、応援の方に便所はこっちと指示していただき、列に並ばずに清潔なトイレを使わせてもらえて、気分良く、序盤のレースを続けることができました。
四万十川を眺めてみると、先週の台風のために濁流になっているかと思いきや、とても透明度が高い清流そのものの状態で青く澄んで流れておりました。まだ、この辺りでは景色を楽しむ余裕が十分にありました。さらに四万十川沿いに走り進んでいると空耳なのか?セミの鳴き声が・・・。確かにセミ?まさか!幻聴を聞くには早すぎると思いましたが、聞こえました。もう一点、走っていて気になったのが青黒い色の蠢くミミズです。踏みつぶさないように気をつけたけど、「なにもマラソン大会当日の晴天の中で一生懸命、路上に出て這わなくてもいいのに、こんな日に力尽きたら日干しになってしまうぞ。なぜ今、この日中の目立つ時間帯にわざわざ動かないといけないのか?野鳥なんかの絶好のエサになってしまうのに・・・」などとこの時点ではミミズの身を案じる余裕もありました。(というか踏みつぶすと気持ち悪い。)
レースの進め方として、6km(1/10)、10km(1/6)、12km(1/5)、15km(1/4)、20km(1/3)、30km(1/2)、35km(7/12)、40km(2/3)、42.195km、45km(3/4)、50km(5/6)、55km(11/12)を目途に頑張ってみようと思い描いておりました。序盤からキロ7分ペースが維持できなくなりましたが、慌ててスピードアップしても終盤に力尽きたら何の意味もないため、2分程度の遅れは誤差の範囲内と割り切って10km辺りまでゆったりとしたキロ7分ペースを速めずに進め、これなら7時間は無理としても完走は間違いないなぁ〜なんて思っていました。
走っている最中にゼッケンの番号と色分けによって100kmの方との見分けがつきましたが、100kmの方の元気なこと、驚異的です。既に40kmも多く走っているハズなのにペースが乱れずグイグイと走っています。老若男女でこんなに多くの方が100kmを走れるなんて、まだまだ自分は洟垂れです。
そうこうしているうちに半家沈下橋に到着、景色は抜群で解放感あふれる道だけど、結構、流れが速く、ふらふら走っていていたら、四万十川にダイブかぁ、と内心ビビッていました。しかし、橋の向こうで構えているオールスポーツのカメラマンに向かっては、カメラ目線でしっかりと反応し気持ち良さそうな顔でしっかりとポーズをとってしまいます。
20kmで2時間25分と、とても遅いペース。でも60kmを走ら抜かねばならないので、全然、気になりません。
30kmを超えて、やっと半分です。フルマラソンなら、ここから正念場というところが、60kmでは、まだまだ。しかし半分を超えればゴールに着実に近づいている気になり、ちょっと一安心。足の疲労具合は問題なく、しばらくは、もちそうでした。無理をしないで、エイドで足を止めずに歩きながら給水することを心がけました。幹事長より「10分走って1分休むという走り方だと比較的、長い距離をラクに走り通せる」という方法もあると聞き、今回、試してみようかと思っていましたが、完全に疲れ切る前にどこからその走法を実行するか、きっかけが掴めず、新しいことを実戦でいきなりやってみる勇気も出ず、いつものようになるべく体力を温存し、練習不足の走力を薄く延ばすような走りをしました。
沿道からの応援の声がかかると、先を急いでいないので、いつもよりも愛想よく手を振り、挨拶をして走りすぎ、40kmまで足を止めずに走り続けることが出来ました。40kmで5時間6分と、最近のフルマラソンのタイムからすれば、がっかりするような時間ですが、この後、さらに20km、7時間台ではなんとかゴールできるかぁと目論んでおりました。
しかし、ここからが未知との遭遇、未体験ゾーンに突入で、確かに42kmまでは走り続ける自信があり、そのとおり実行できましたが、「まず、ここからなら、おそらく歩いても制限時間にはひっかからないぞ」との安心感が出て、徐々に気持ちの張りが失われ、走る歩幅も狭まり、腰骨あたりが痛いような・・・。上り坂道では、気持ちは萎え萎えで坂を歩いて上り切ったところで、下りは重力が勝手に走らせてくれるので走るといった状態でした。ここら辺りでは、かなり時間も経過して、コースの交通規制も緩くなったのか、地元警察による交通整理、誘導があるものの、一般車が狭い道を通るようになりました。車のすれ違いのための車列ができたりして、だんだん遅いランナーには快適と言えないような状態になりました。まあ一般市民の生活道を借りて遊ばしてもらっているので致し方ないところです。
さらに進むと、足が上がらないというか、着地の衝撃が膝上に伝わってきて、激痛でもないのに気持ちが途切れがちになります。トボトボと歩いていると、沿道から応援に出ている小学生の女の子が「飴、いりませんかぁ〜」と絶妙のタイミングで声をかけてくれるので、カンロ飴を1個もらいました。ここで良いところを見せない訳にはいかない!と、この一個の飴を舐め尽くすまでは、走り続けようと決めて、再び走り始めました。飴一個なら、まぁ5分くらい我慢したらいいかぁと思っていたら、意外にカンロ飴は長持ちして3kmくらい走り続けることができました。さらにまた歩き始めると、今度はおっちゃんに「頑張れ!」と声をかけられ、ここでも頑張らない訳にはいかないので、さらにもう一度、走り始めました。
50kmの給水所あたりでは、スタッフが給水所でペンライトを配っており、ペンライトが要るのかなぁ〜なんて思っていたら、あっという間に日が落ちて真っ暗、しかもコースは、まだまだ川沿いの林の中の一本道で本当に暗い。フラフラしていたら車にはねられそうでした。投光器や車のライトで要所、要所を照らしてもらうようになり、あららぁ、本当に真っ暗になってしまったなぁ〜という感じでした。こんな真っ暗でレースを走るのは初めて、ある意味、昂揚感がありました。
しかし、ゴールは遠く、まだゴールの中村高校は見えないのか?と残りのキロ表示が減っていくことをひたすら願いながら、走りと歩きを続けます。今年4月に家族旅行で四万十川沿いを車で走った時と同じコースを辿っているハズなので、ゴールの中村高校さえ遠目にでも見つけることができれば、ほぼ完走は達成できると当てにしていたのに、なかなか見つからないというか、暗くて全然わからないし、どうやら車で走ったのと別の道を走っているようで、残り3km付近になってもゴールが近づいている気配がないままでした。あと3km程度なら走り続けて恰好よくゴールしたいと思っていたところが、ゴール2km辺りに巨大な上り坂が出現し一気に気持ちを打ち砕かれました。これは、もう歩く以外の選択肢なく、篝火をたき、盛りあげてくれる声援に申し訳なく感じつつ、やっと巨大上り坂を終えると、今度こそゴールが近づいてきました。中村高校の校内を少しだけ回されて、ついに大型モニターに映る自分を見ながら、8時間11分59秒でゴールすることができました。男子45〜49歳の部で52人中33位でした。
いつも忘れがちなコースや皆様への感謝の気持ちを込めた一礼を今回は忘れずにすることができました。今回、完走だけで満足?というか、未体験の挑戦ができたことに満足です。
ゴール後に中村高校の高校生ボランティアスタッフに記録チップを取ってもらい、飲料とアイシングの氷をもらいました。高校生の皆様もとても良い笑顔をして一生懸命に働いてくれました。とてもありがたいです。アイシングの氷なんて、さすが100km大会です。他のマラソン大会ではお目にかかったことがありません。
しばらく椅子に座って、膝上をアイシングしているとスーパーY浅さんが登場し、「ピッグさん、全然、止まらなかったねぇ〜」と話しかけられました。「いやいや、歩いてばっかりいたんでねぇ・・・」と返事しつつ、彼女は余裕の充実した表情です。実は、後でタイムを見てみたら、2分程度の差で、すぐ後ろにいたとは本当にびっくりでした。こちらは精根尽きて全然、気が付かなかったのに、やはり忍耐力、根気がいることに関しては女性の方が断然、強い気がします。
10時にスタートして一日中走り、18時を過ぎて走り終えると気温が下がったせいもあって、全身が冷え、寒気がしてきました。抵抗力も落ちているし、60km走るとこういう風になるのか・・・とも思い、まさに体力を使い尽くしてゴール会場をあとにしました。
結論として60kmは、辛うじて何とかなるけど、100kmは全くお呼びでなく、別次元のお話。競技にかける熱意がまるで違う気がします。邪念のない方が練習を積み重ねて初めて参加して良いのではないでしょうか。
(幹事長)「お見事!8時間ちょっとで完走なら立派なもんやなあ。て言うか、完走できただけで凄いよなあ」
(ピッグ)「そうでしょ?でもウルトラマラソンって100kmの部が主役だから、なんとなく肩身が狭いんですよ」
確かに定員も100kmの部が1500人もあるのに60kmの部は500人だから、メインは100kmの部で、60kmはあくまでもオマケ的な存在だ。
(幹事長)「せっかくフルマラソンの1.5倍もある60kmのレースに出たのに、肩身の狭い思いをするなんて、やるせないよなあ」
(ピッグ)「でしょ?だから、次は100kmの部に出たいなあ、なんて思ってしまうんですよ」
しかし、100kmなんて、60kmを走った後に、まだフルマラソンを走るようなものだ。おまけに、四万十川ウルトラマラソンの100kmの部というのは、トンでもないコースなのだ。最初の20kmで600mほどを上り、次の20kmで600mを下るのだ。その後は60kmの部と同じコースで、ほとんどフラットだけど、最初の20kmで600mほどを上り、次の20kmで600mを下るってのは、龍馬脱藩マラソンとほぼ同じ設定だ。我々は、そななマラソンは絶対に無理だ、とのことでハーフマラソンに申し込んだくらいだ。それなのに、四万十川ウルトラマラソンの100kmの部は、龍馬脱藩マラソンのフルマラソンを走った後に60kmを走るようなものなのだ。
(幹事長)「絶対に無理です。不可能です。有り得ません。死にます」
(ピッグ)「じゃあ60kmに一緒に出ませんか?」
(幹事長)「・・・」
確かに、60kmの部は、ほとんどアップダウンが無いし、フルマラソンの1.5倍だから、絶対に不可能ってことはないかもしれない。でも、フルマラソンでさえ完走するのにヒィヒィ言ってるのに、60kmなんて走れるだろうか?
〜おしまい〜
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