第4回 龍馬脱藩マラソン大会

〜 台風で中止に! 民宿のおばちゃんとの戦いは来年に持ち越し 〜


2014年10月12日(日)高知県檮原町第4回龍馬脱藩マラソンが開催される予定だった。この大会に我がペンギンズは今年、初参加するはずだった。

初参加しようとしたのには理由がある。6月末の徳島航空基地マラソンの後、しばらくレースがほとんど無いため、数少ない貴重なレースとして7月末の汗見川マラソンに参加しようと思っていた。なぜしばらくレースがほとんど無いのかと言えば、マラソンには不向きな猛暑の季節になるからだ。当たり前だ。汗見川マラソンだって、開催される本山町は標高が高いから涼しいような気がするが、お天気次第では、暑い時にはトンでもなく酷暑のレースになる。でも去年、久しぶりに参加したら、暑いことは暑いけど、予想以上に気持ちよく走れたので、今年もぜひ参加しようと思っていたのだ。ところが、マイナーなレースだからと油断してたら、申し込み受付開始からあっという間に即日完売してしまって、申し込みし損ねてしまったのだ。
仕方なく、次善の策として9月始めの四国のてっぺん酸欠マラソンに出ようと思ったのだが、こちらも油断してたら申し込み受付開始からあっという間に完売してしまっていて、申し込みし損ねた。急速に進展する認知症のせいであり自業自得なんだけど、それにしても、汗見川マラソンにしても酸欠マラソンにしても、超マイナーな草レースが、ことごとく、あっという間に完売してしまうなんて、もう世も末だ。

(ピッグ)「酸欠マラソンの定員って400人ですから、仕方ないのかも」
(幹事長)「以前は、いつまで経っても400人も集まらなかった草レースやぞ」


おまけに、例年出ている10月末の庵治マラソンは、今年は同じ日に開催されるサイクリングしまなみ2014の方に参加するので、このままだと11月末の瀬戸内海タートルマラソンまで5ヵ月もマラソン大会に出ない、なんて情けないことになってしまう。それで急遽、出場可能なマラソン大会は無いものかと探して、まだ申し込み可能だった龍馬脱藩マラソンに申し込んだのだ。

汗見川マラソンや酸欠マラソンと言った超マイナーな草レースを含め、あらゆるレースが申し込みスタートと同時に即日完売になっていく昨今の異常なマラソンブームの中で、不思議なことに、なぜかこの龍馬脱藩マラソンは余裕をもって申し込むことができた

(ピッグ)「なぜですか?」
(幹事長)「超きびしーからだ」


龍馬脱藩マラソンは、かつての塩江山岳マラソン四国カルストマラソンに匹敵するような登山マラソンらしいのだ。

実は、このマラソン大会の存在は知っていた。なぜかと言うと、かつて開催されていた四国カルストマラソンの後継大会という位置付けだからだ。
四国カルストマラソンは、かつて塩江町が高松市と合併するまで開催していた塩江マラソンと双璧をなす恐怖の山岳マラソン大会だった。塩江マラソンは、前半は延々と12kmも急坂を登り続け、後半は9kmも急坂を下り続けるというトンでもないコース設定のマラソンだったが、四国カルストマラソンも酷暑の7月に炎天下の高原の急坂を登るという殺人レースだった。標高1500m前後の高原なので曇っていると夏でも肌寒いくらいで、空気も澄んで気持ち良いのだが、ひとたび太陽が顔を出すと空気の薄い高原のギラギラした直射日光が強烈に当たり、肌が焼けていくような猛暑になるのだ。なので、曇っていれば良いけど、天気が良いと灼熱地獄のレースになる。もちろん、日射しがきついだけでなく、アップダウンも尋常ではなかった。こんな苦しく厳しいレースだが、マラソン大会がほとんど無い夏場の貴重なレースということで、2回、参加したことがある。

ところが、この四国カルストマラソンが廃止されてしまった。なぜ廃止になったのかは分からない。炎天下の高原を走るという超レアなシチュエーションで、超マイナーながら圧倒的な存在感を誇った死のマラソン大会だったので、廃止になったのは惜しい限りだが、死ぬほどきつい急坂を炎天下で走る殺人レースだったため、危険すぎるってことで廃止になったのかもしれない。そして、その後継レースとして新しく3年前にできたのが龍馬脱藩マラソンなのだ
しかし、後継レースの龍馬脱藩マラソンは緩く優しくなったのかと言えば、そんなことはない。最長でも20kmコースまでだった四国カルストマラソンと違って、龍馬脱藩マラソンにはフルマラソンもできた。しかも、そのフルマラソンのコースが厳しいらしいのだ。
フルマラソンとハーフマラソンと、どちらにしようかと悩んだので、第1回から出場を続けているスーパー女性ランナーH本さんに聞いてみた。

(幹事長)「フルマラソンとハーフマラソンと、どっちにしようかと思って」
(H本)「悪い事は言いません。フルマラソンは死にます。幹事長の実力からすればハーフマラソンが限界です。できれば10kmの部にしてください」


あのスーパー女性ランナーのH本さんがフルマラソンは避けてハーフマラソンに出ると言ってるのだから、我々がフルマラソンに出るなんて選択肢はあり得ない。四国カルストマラソンと違って開催時期が7月から10月になったため、炎天下レースの危険性は無くなったが、フルマラソンの部は、スタート地点から折り返し点までの標高差が、なんと550mもある山登りマラソンなのだ。いくらなんでも、それは厳し過ぎる。ハーフマラソンの部がどれくらい厳しいのかは分からないが、フルマラソンの厳しさを考えると、ハーフマラソンだって甘いものではないだろう。でも、さすがに梼原まで行って10kmレースに出るってのも情けないので、ハーフマラソンに出ることにした

参加するのは私のほか支部長、ピッグ、ヤイさん、DK谷さんの計5人だ。私と支部長、ピッグ、DK谷さんは6月末の徳島航空基地マラソンに出ているが、ヤイさんに至っては4月下旬の徳島マラソン以来、実に半年ぶりのマラソン大会だ。一方、DK谷さんの元部下である國宗選手は、岡山県方面に異動になってしまい、参加できなくなった。



高知県内のマラソンであっても、本山町で開催される汗見川マラソンだったら日帰りで行ってたけど、さすがに檮原町は遠い

(幹事長)「梼原まで高松から日帰りは難しいよねえ?」
(H本)「何言ってるんですか!当たり前でしょ。睡眠不足で走れるようなレースじゃありません。脱藩マラソンを舐めたらあかんぜよ」
(幹事長)「て事は、檮原町に泊まるのことになるのか」
(H本)「今頃探しても泊まるところは無いですよ」
(幹事長)「え!?そうなん?」


檮原町は高知の、というか四国の山の中にある。かなり不便な場所なのだ。そもそも、なぜ脱藩マラソンなんて名前が付いているのかと言えば、坂本龍馬が明治維新を進めるために土佐藩を脱藩して伊予へ行く時に通った道を走るからだ。土佐と伊予の国境まで山道を登り、国境の韮ヶ峠で折り返してくるという脱藩コースを走るのだ。ちなみに、以前開催されていた四国カルストマラソンは、韮ヶ峠から少し東に行った峰の上を縦走するコースだった。
スタートとゴールは梼原町役場だから、韮ヶ峠ほど山深いわけではなく、檮原町の中心部に泊まれば良いんだけど、それでも宿泊施設は少ない。一番上等なのは雲の上のホテルだが、これはお値段がちと高い。我々のようなおっさんランナー集団が泊まるようなタイプのホテルではない。この雲の上のホテルの別館でマルシェユスハラというのがあり、こちらはお値段も手頃だし、おっさん集団で泊まっても良さそうなホテルであり、H本さんも毎年、そこに泊まっているとのことだ。でも、今頃になって予約しようと思っても相手にされないらしい。

(H本)「私たちは毎年、そこに泊まって出場してるんだけど、帰る時に翌年の予約をして帰ってますよ」
(幹事長)「どっひゃあーっ!」


一応、電話で確認はしてみたものの、やはり相手にされなかった。
慌ててマラソン大会のホームページを見て、民宿をピックアップした。檮原町内に民宿は全部で10軒ほどある。ただし、檮原町も結構広いうえに、基本的に山間部なので、役場の周辺でないと移動が大変だ。なので、現実的な宿泊候補となるのは5軒だった。どういう施設なのか情報が極めて少ないので、片っ端から電話を掛ける。ところが、恐れていたとおり、ことごとく満室だ。どこも数部屋しかないような小さな民宿なので、マラソン大会が開催されるとなれば、たちまち全部満室になってしまうのだ。
こうなったらもう須崎辺りに泊まって、朝、梼原に入るしかないかも、なんて諦めつつ最後の民宿に電話したら、おばちゃんが出た。

(幹事長)「あのう、脱藩マラソンが開催される前夜ですけど、部屋あいてますか?」
(おばちゃん)「う〜ん、え〜と、何人かなあ?」


とても渋そうな声だ。もう一杯だけど、1人や2人なら押し込むことも可能なのかもしれないが、こちらは5人もいるから難しいかも。

(幹事長)「えと、5人なんですけど」
(おばちゃん)「え?5人?5人とな?5人なら空いてます、あいてます。5人やったら大丈夫!」


おばちゃんの態度が豹変した

(幹事長)「え?どゆこと?5人も泊まれるの?」
(おばちゃん)「1人や2人やったら断ろうかと思ったけど、5人やったら大歓迎ですよ」


民宿は料金が「1人いくら」なので、同じ部屋に1人や2人で泊まられると収入が少ないから迷惑だけど、5人も泊まってくれると大儲けのようだ。

(幹事長)「部屋の広さは大丈夫?5人も泊まって狭くない?」
(おばちゃん)「大丈夫だいじょうぶ。2部屋続きやから十分寝られるよ」


2部屋続きなら、おっさん5人でも大丈夫だろう。

(おばちゃん)「夕食は無しでええかな?」
(幹事長)「え!?夕食は要りますよ!普通、夕食は要るでしょう?」
(おばちゃん)「マラソン大会の前夜祭には出ないん?みんな出るんよ」


最近のマラソン大会は前夜祭が開催されることも多い。マラソンに力を入れているランナー達なら、そういう場で情報交換するのも良いだろうし、遠方のマラソン大会に遠征した場合は、地元の人と交流できて何かと楽しい事も多いだろう。でも、我々はマラソンに人生を賭けるようなシリアスなランナーでは決して無いし、遠方と言っても所詮は同じ四国内なので、わざわざ前夜祭に出かけようなんていう気は起きない

(幹事長)「そんなものには出ません。出ませんから夕食いります!」
(おばちゃん)「そうな、夕食いるんな。でも5人もおったら食堂が狭いから、部屋で食べてもらわないかんのや」
(幹事長)「喜んで部屋で食べますがな。何の問題も無いですがな」
(おばちゃん)「老夫婦でやっとる民宿やから、部屋まで食事を運ぶ人がおらんでなあ」
(幹事長)「運ぶ人がおらんのやったら、私らが自分で運びますから」
(おばちゃん)「どこかでお弁当を買ってくる訳にはいかんかな?」
(幹事長)「なんでわざわざ弁当買って民宿に泊まるんですか!それくらいなら、その近くで食事しますけど」
(おばちゃん)「この近所には食事できるとこは無いなあ」
(幹事長)「それやった夕食作ってください!」


頑なに夕食を作るのを渋るおばちゃんだったが、なんとか夕食を作ってもらうことになった。それにしても夕食を作るのを渋る民宿なんて、聞いたことないぞ。どうなってるんだ?



10月上旬に厳しい山岳マラソンに出ることになったため、夏場の暑い時季も厳しいトレーニングを続けるつもりだった。しかし、決してサボっていたわけではないのだが、練習量が伸びない。なぜかと言うと、少し走っただけで足が動かなくなるのだ。

(ピッグ)「それ歳のせいでしょ?」
(幹事長)「去年までは大丈夫やったんよ」
(ピッグ)「老化は急速に進みますからね」


練習記録を見ると、去年も今年も走る回数は同じようなものだ。それなのに、去年に比べて長距離を走れなくなってしまった。暑さという点では、去年の方がはるかに暑かった。連日の猛暑でバテバテだった。今年は雨が多く、そんなに暑くなかったにもかかわらず、10kmも走れば足が動かなくなってしまった。
一方、自転車の走行距離は去年より延びた。小豆島遠征を2回もやったし。しかし、自転車とランニングでは使う筋肉が異なるため、自転車の練習はマラソンには何の役にも立たない。

(ピッグ)「持久力を鍛える点では同じじゃないんですか?」
(幹事長)「自転車は楽チンだから、持久力は鍛えられないな」


9月中旬になり、練習量の少なさに不安を感じていた頃、脱藩マラソンの1週間前に金比羅さんでこんぴら石段マラソン大会が開催されると知り、慌てて申し込んだ。前々から関心があった超色物草レースだし、脱藩マラソンの急な登りには絶好の練習になると思ったからだ。参加したのは支部長とピッグと私の3人。ヤイさんは村祭りの獅子舞で忙しく、出られなかった。
こんぴらさんの石段を駆け登るマラソンレースだなんて、聞いただけでも足が攣りそうだが、これが予想外に楽勝で、すっかり急坂に自信をつけてしまった

(ピッグ)「筋肉に良い刺激が入って、筋繊維が太くなっているような気がしますねえ」



レースの1週間ほど前になって、民宿のおばちゃんから予約確認の電話がかかってきた

(おばちゃん)「人数は5人でええんかいな?」
(幹事長)「最終確認して、また連絡します。夕食は頼みますよ」
(おばちゃん)「ああ、夕食は要るんかいな」
(幹事長)「夕食要りますからね!」


すっかり夕食の事を忘れているおばちゃんだった。

レースの数日前になって、参加メンバーに最終確認し、予定通り5人全員の参加が確定したので、再度、民宿のおばちゃんに連絡する。

(幹事長)「予定通り5人で行きますから。スペースとしては5人でも寝られますよね?」
(おばちゃん)「ああ、それは大丈夫。2部屋続きやから。ただ、ベッドは4つしか無いから1人は床で寝てもらうことになるけどな」


え?ベッドがあるの?てっきり畳の和室の2部屋続きかと思ってた。

(幹事長)「寝られる場所はあるんですね?」
(おばちゃん)「広さは十分にあるよ。寝具もあるからね」


寝るスペースがあって、固い床に直接寝るんじゃなくて布団があるのなら、ベッドでなくても別に構わない。

(おばちゃん)「それで夕食は無しでええな?」
(幹事長)「何を言うとんですか!夕食は要りますってば!」


ほんの数日前に夕食の確認をしたばかりなのに、もう忘れている。忘れていると言うより、わざと忘れたフリをしているとしか思えない

(おばちゃん)「ほうな、夕食いるんな。前夜祭には出ないんかなあ?」
(幹事長)「だから前夜祭には出ませんってば!夕食いりますから!」
(おばちゃん)「ほうな、夕食いるんな・・・」


どうしても前夜祭に出させたいらしい。どうしても夕食は作りたくないらしい。しかし、こちらとしても夕食は譲れないので頑張る。

(幹事長)「夕食と朝食と、どっちも要りますからね!」
(おばちゃん)「ほうな。ほな作るわな」


一応、作るとは言ってくれたものの、とても不安だ。ものすごく不安だ。前日に再度、電話しておこう。



と思っていたら、大会の3日前の夜、再び民宿のおばちゃんの方から電話があった

(幹事長)「どしたんですか?まさか夕食作らないってんじゃないでしょうね?」
(おばちゃん)「それが台風が来るとて大会が
中止になったそうや」
(幹事長)「え!?」


確かに、季節外れの巨大台風が日本に近づきつつあるってのは、天気予報を聞いて知っていた。
しかし、1週間前のこんぴら石段マラソンの時も、季節外れの大型台風に直撃される恐れがあって、ちょっと心配したが、日本一雨が少ない香川県だけあって、結局、ほとんど雨は降らなかった。なので、2週間連続の季節外れの巨大台風襲来とは言っても、どうせ大したことはないだろうと高をくくっていた。
それに、そもそも、マラソン大会って、多少の雨風というか、トンでもない暴風雨であっても、中止になる事はない2年前の第5回とくしまマラソンとか去年の第4回サンポート高松トライアスロンでも分かるように、悪天候のため中止するなんていう発想はマラソン関係者の辞書には載っていない。我々自身も、4年前の第33回小豆島オリーブマラソン大会で大雨の中を快走してからは、雨に対する抵抗感は払拭されている。なので、いくら台風が近づいているっていう天気予報を見ても、まさか中止になるとは思わなかった。

そもそも、大会事務局からは何の連絡も無いのに、なんで民宿のおばちゃんから連絡があるんだ?おばちゃんの言う事には、事務局から連絡があって「宿泊客に連絡してくれ」と言われたとのことだが、なんとなく確信が持てない。
で、H本さんに確認したら、彼女のとこには大会事務局から何度も連絡があったそうな。

(幹事長)「うちには何の連絡も無いで!」
(H本)「私らは常連さんやから」


ま、しかし、大会のホームページも中止っていう発表が掲載されていたので、やっぱり中止は本当だった。
これまで悪天候でマラソン大会が中止になったなんて聞いたことないし、そもそも台風はゆっくり来ているから、四国に影響が出始めるのは、せいぜい大会当日の夕方頃からではないかと思われる。そんなに気にすることないのに。

(H本)「ハーフマラソンの部は、まだマシだけど、フルマラソンは山のてっぺんまで行くから、結構、暴風雨が吹き荒れるのかもしれませんね」

確かに、日本一雨が少ない香川県と違って、日本一雨が多い高知県(当社比)だ。高知の台風を舐めたらいかんのかもしれない。
でも、それでも、今回の台風のスピードは遅く、普通に予測すれば当日はまだ大丈夫のような気がする。せっかく楽しみにしていたのに、本当に残念だ。悔しい。腹立たしい。大会事務局は、そんな弱気な事を考えず、強行して欲しかった。

って悔しい思いをしながら家に帰ると、大会事務局から留守番電話が入っていた。役場のお姉さんかもしれないが、とても丁寧な口調で、とても丁寧なお詫びと説明をしてくれていて、一気に怒りが静まった。我々参加者は大会が中止になって腹立たしいところだが、事務局はもっと大変であり、悔しさは我々より大きいだろうし、事後の始末も大変だろう。それでも、開催を強行して事故でも起きたら大変な事態になるから、断腸の思いで中止を決断したのだろう。安易に怒っていた自分が恥ずかしい。ごめんなさい。

それでも、あの四国カルストマラソンの後継大会という山岳マラソンは怖いもの見たさで楽しみだったし、あれほど夕食を作るのを嫌がっていた民宿の食事も食べてみたかったから、本当に残念だ。
来年こそは、ぜひとも参加したいし、同じ民宿に泊まりたいぞ。


〜おしまい〜




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