第16回 徳島航空基地マラソン大会

〜 中山選手 不死鳥の走り 〜



2014年6月22日(日)海上自衛隊徳島基地主催徳島航空基地マラソン大会が、民間旅客機用の徳島空港との共用飛行場である自衛隊徳島航空基地で開催された。

去年、徳島県内在住だったピッグが見つけてきた、なかなかマイナーでマニアックなレースだ。基地マラソンと言えば、かつて僕やピッグが勤務していた青森県内では、米軍の三沢基地(これも民間の三沢空港と共用)で Misawa AB Race The Base Half-Marathon が開催されていたが、航空基地はどこも、一般市民への開放イベントがあるから、このようなマラソン大会も全国の基地でやっているのかもしれない。

去年は、この大会は小豆島オリーブマラソンの1週間前の5月中旬にあった。4月末の徳島マラソンの疲れは残っていたものの、オリーブマラソンの直前トレーニングとしてちょうどいいかな、なんて思って出場した。結果的には、この徳島航空基地マラソン大会そのものは楽しかったけど、オリーブマラソンは惨敗したから、直前トレーニングとしては逆効果だったかも。
で、今年は、この徳島航空基地マラソン大会の開催時期が1ヵ月遅くなった。4月末の徳島マラソンから5月末のオリーブマラソンまで3レースが続いた去年に比べ、今年は1ヵ月ごとの3レースになったので、スケジュール的には理想的になった。
だが、しかし、良い事ばかりではない。5月末のオリーブマラソンだって、今年は炎天下のレースになって暑かったのに、さらに1ヵ月遅い6月下旬のレースになったから、天気が良くなると、猛暑のレースが予想される。しかも、オリーブマラソンなんかだと木陰もあるが、一面コンクリートの徳島空港の滑走路を走るため、日陰は一切無く、上からも下からも熱で焼かれる灼熱地獄になる可能性がある。

ま、しかし、そうは言っても、距離はたかだか10kmだ。暑くても、それくらいなら我慢できるだろう。それに、すぐ真横を飛行機が離着陸するのを見ながら走れる楽しいマラソンなので、面白い事は間違いない。参加費も、今どき珍しく1000円と安いし、出場しないという選択肢は無い。

今回、出場するのは、去年からの連続出場となる私、ピッグ、支部長、國宗選手に加え、今年は中山選手(元ダイエー、前コンサドーレ)とボクサー竹葉が参加する。

中山選手は古くからのペンギンズのメンバーで、ピッグや支部長と並ぶ私の好ライバルなんだけど、ここ数年、体調不良でランニングを中止していた。それを、「むしろ走って治した方が良いんじゃない?」なんて何の根拠も無い甘い言葉でしつこく勧誘して、2年前の第35回小豆島オリーブマラソン大会に連れ出したのが、実に5年ぶりのマラソン大会だった。このときは、まだまだ体調が完全には回復してないのに、炎天下のハーフマラソンをいきなり走ったため、気分が悪くなって途中で休まざるを得なくなった。

(幹事長)「で、アイスクリームを買い食いした、と」
(中山)「何があってもいいように、お金はいつも持ってますからね」


アイスクリームを食べて頭を冷やしたら元気も回復してレースを再開でき、何年も全くランニングをしてなかったにもかかわらず完走し、底力を見せた。ただ、5年間、全く練習もせずにいきなりハーフマラソンに出場して気分が悪くなったため、その後は再び冬眠状態に入り、2年間、全くランニングをしていなかった。
なのに、今回は、「たった10kmやから、簡単かんたん」なんていい加減な甘い言葉で誘い、再び中山選手をレースに誘い出すことに成功したのだ。

また、ボクサー竹葉は、酒の飲み過ぎで一昨年の秋、生死の淵をさまよって廃人になったのだが、酒を止めて節制したら、なんと1年で蘇り、去年の秋からレースに復帰し、今年の丸亀マラソンではゴール直前で抜かれて負けてしまい、これまた底力を見せつけられた。そして、今回も暇つぶしに参加するのだ。



心待ちにしていたレースだが、不覚にもレースの直前になって怪我をしてしまった。去年は、不覚にもレースの直前になって風邪を引いてしまったのだが、今回は1週間前に自転車に乗っていての事故だ。レースの1週間前ともなると、もう激しいトレーニングは控えておいた方が良いと思い、ランニングは止めて自転車に乗っていたのだが、ものすごい急な坂を上っていたら、あまりに急すぎて動かなくなり、力まかせにペダルを思いっきり踏み込んだら、自転車の前輪が浮き上がって、ウイリー状態になってバランスを崩して転倒したのだ。マウンテンバイクなら、こうはならなかったと思うが、ロードバイクは軽量のため、こういう事が起こるのだ。すり傷なんかは大したことなかったんだけど、右足の親指の骨を痛めてしまい、走るどころか歩くのも不自由な状態となった。打撲用の薬を塗ったため、炎症による腫れは数日で引いたが、ズキズキする骨の痛みは治らないままレースを迎えることになった。

(ピッグ)「レース直前に無理するからですよ」
(幹事長)「レース直前に無理したらいかんと思ってランニングを止めて自転車に乗ったんだけどなあ」


そうは言っても、せっかくの楽しいマラソン大会だ。距離も10kmだから、右足をかばいながら走れるかもしれない。所詮、マイナーなレースだから、痛くて走れなくなったら止めたらいいし。

一方、ボクサー竹葉は、ほんとにレース直前になってドタキャンした

(幹事長)「どしたん?体調が悪いん?」
(ボクサー)「いや、ちょっと気分が乗らないから」


う〜む。不死鳥のようなボクサー竹葉ともあろうものが、気分が乗らないからドタキャンするってのも、ちょっと理解しにくいが。



レース当日は、朝から雨だった。これは数日前から天気予報で言ってたので、どうってことはない。以前は雨が嫌で、朝から雨が降っていると一気に気分が萎えてしまい、サボろうか、どうしようか、なんて真剣に悩んでいた。
ところが、4年前のオリーブマラソンで、ものすごい土砂降りの雨にもかかわらず、エース城武選手に促されて渋々参加したら、土砂降りの雨は、走りにくいどころか、気温が低くなって走りやすくて、みんな考えられないくらいの好タイムを出してしまい、それ以来、特に暑い季節のマラソン大会では、晴天よりむしろ雨天の方を好むようになってきた
今回のマラソン大会は6月下旬のレースだし、日陰も無い一面コンクリートの徳島空港の滑走路を走るため、晴天だと炎天下マラソンになってしまうので、適度な雨が降った方がマシだ。もちろん、大雨は走りにくいが、これくらいの雨なら適度と言えるだろう。

なんて思っていたら、中山選手(元ダイエー、前コンサドーレ)から連絡が入る。レース直前の連絡ってのは、まず間違いなく悪いニュースに決まっている

(幹事長)「どしたん?」
(中山)「雨やし、練習してないっしー、体調万全でもないので、今日は欠場します」


そうか、中山選手は雨に対する抵抗感が払拭されていないのか。もちろん、ここであっさりと欠席を許してしまうと、今後の彼の成長に大きな禍根を残すことになるので、ここは説得する。

(幹事長)「雨は良いぞ」
(中山)「何が良いんですか?」
(幹事長)「雨の中を走るのは気持ち良いぞ」
(中山)「濡れて気持ち悪いでしょ?」
(幹事長)「最初は抵抗あるけど、いったん濡れてしまえば新たな世界が広がるぞ」
(中山)「どんな世界ですか?」
(幹事長)「そら、お前、濡れ濡れの・・・」
(中山)「行きますっ!」


などと騙して・・・、もとい誠意を尽くした説得が功を奏し、中山選手は参加することとなった。



レースの朝は、ピッグが中山選手と支部長を車に乗せて私んちに迎えに来て、最後に國宗選手をピックアップして、8時頃に高松を出発して徳島へ向かう。

基地が近づくにつれ、去年と同じような渋滞を覚悟していたんだけど、ピッグの車のナビは非常に賢くて、その指示に従って行くと、全く渋滞が無いまま、いきなり基地の門に出た。メインの道路は、やはり長い渋滞となっていた。
こんなマイナーな草レースなのに渋滞が出来るのは、この日のイベントはマラソン大会だけではなくて徳島航空基地一般公開のイベントだからだ。マラソン大会は、その一環として実施されるものだ。なので、マラソンの他にもウォーキングとか色んな行事がある。そのため、朝っぱらから子供連れの家族がどんどん押し寄せてくるのだ。

渋滞に巻き込まれずに順調に着いた割には、去年よりだいぶ遅かった。去年は到着が早かったため、えらく遠い奥の駐車場に車を停めさされたが、今年は遅かったので、受付会場のすぐ裏の駐車場に停めさされた。

(ピッグ)「遅く来た方が便利なんですねえ」
(幹事長)「嬉しいけど理不尽っ!」


我々が出場する10kmレースのスタートは10時半だが、受付は9時までだ。去年は初めてだったので、大幅に余裕をもって出発したから、道に迷ったうえに渋滞にも巻き込まれたけど、8時頃には着いた。ところが、別行動だったピッグは9時半過ぎに悠々と来て、楽勝で受け付けてもらっていたので、多少遅れても大丈夫だろうって事で、今年は大幅に出発時間を遅らせた。それでも順調に着いたため、9時直前には受付を済ませた。

受付でもらったゼッケンは、去年と同じく、今どき珍しい丈夫な布製だった。自衛隊仕様で頑丈に出来ている。なぜ、ここまでゼッケンを丈夫に作るのか意味は分からないが、いかにも自衛隊らしくて嬉しい。一緒に記録証ももらったが、当然ながら名前もタイムも記入されておらず、あとから自分で書くようになっている。確か、タイムは計ってくれて、後から分かるようになっていたはずだ。

待合い会場は、滑走路に面した飛行機の格納庫で、大きなビニールシートが敷かれ、そこで着替えたり待機したりする。
ここで、國宗選手の元上司のDK谷氏と合流する。DK谷氏は今年が初めての参加だったので、去年の我々と同じように8時過ぎには到着して、ひたすら待っていたらしい。
DK谷氏には、先月のオリーブマラソンの際に、このマラソン大会に誘っていたのだ。このマラソン大会は超マイナーなうえ、ネットで予約ができない旧システムのため、その時でも申し込みができたんだけど、同じ時に誘ったサイクリングしまなみの方は、DK谷氏がさっそく申し込もうとした時には既に定員いっぱいで申し込めなかったそうだ。て言うか、後から調べると、申し込み受付開始の79分後には定員いっぱいなっていて、DK谷氏を誘った時点では既に申し込みは終了していたのだった。

(DK谷)「このレースは、どんな感じですか?」
(幹事長)「坂の無い滑走路を走る超フラットなコースなんですけど、ずっと先まで見えちゃうから精神的にはきついですねえ」


このマラソンのコースは、メインの滑走路の横に並行して走っている誘導路を走るものだ。滑走路は2500mなので、1往復すると5kmだ。5kmの部は1往復して終わりだが、我々が出る10kmの部は、この誘導路を2往復することになる。
片道2500mてのは、考えてみれば結構、長いんだけど、何の障害物も無く変化も無く、ずっと先まで見えているから、折り返し点もゴールも、すぐ近くに見える。だが、実際には、行けども行けどもゴールが近づいてこない状態になり、精神的には辛い。

(幹事長)「坂が無いフラットなコースだから、良いタイムは出るはずなんだけどなあ」
(支部長)「いやいや、決してフラットじゃなくて、結構な坂があるで」


実は、完全にフラットでは無いのだ。徳島空港は一般の旅客ターミナルと自衛隊の基地が滑走路の両端にあるので、基地側から滑走路の端に立って見ると、はるかかなたに旅客ターミナルが見えるのだが、よく見ると、旅客ターミナルに向かって緩やかな上り坂になっているのだ。なぜわざわざ傾斜をつけているのかは素人には分からない。何か理由があるのだろう。全然たいしたことないくらいの緩やかな坂だけど、走っていると明らかに負荷がかかり、スピードダウンしてしまう。

(支部長)「それに、途中に段差があって危険や」
(中山)「えっ?滑走路に、そんなものがあるんですか!?」
(國宗)「支部長によると、あるらしいですよ」
(幹事長)「いや、まあ、支部長はそう主張してるんだけどね」


去年のレースで、支部長は段差に躓いて転倒してしまったのだ。うまく回転レシーブができたから大事には至らなかったが、レース中の転倒は危険だ。2年前の徳島マラソンでは、私は途中で転倒して足を痛めてしまい、途中棄権せざるを得なくなった。怪我も怖いし、精神的ダメージも大きい。

(幹事長)「ただ、この滑走路に本当に段差があるのかどうか、現時点では謎だ」
(支部長)「段差が無ければ転ばないって」
(國宗)「飛行機のジェットで吹き飛ばされたとか」
(中山)「えっ?そんなにすぐ側を飛行機が通るんですか?」
(國宗)「1時間も走れば1回くらいは離着陸がありますよ」


なんて話している間にも、大型機と小型機が動いているのが見えた。本当なら、軍用機の離着陸も見たいところだが。

雨は、だんだん小降りになる、と思ってたんだけど、一向に小降りになる気配が無い

(中山)「全然、止みそうにないですよ」
(幹事長)「これくらいの雨、平気へいき」


などと言いつつも、雨脚が強くなってきて、少し不安も出てきた。気温が少し低めのため、冷たい雨に打たれると寒いかもしれない

(幹事長)「またまた何を着るか悩んでしまう」
(國宗)「ほんとに幹事長って、毎回毎回しつこいほど着るものに悩みますねえ」


今日は、もし天気が良ければ、暑さ対策として、先月のオリーブマラソンで着た秘密兵器のメッシュのシャツを着ようと思っていた。どう考えても、オリーブマラソンの好タイムは、メッシュのシャツのおかげとしか考えられないからだ。しかし、雨が降れば、メッシュのシャツは、あんまり適しているようにも思えない。かと言って、普段の普通のTシャツでは、濡れて体に密着して気持ち悪いと言うか鬱陶しくなりそうな気がしたので、青森勤務時代に作った陸上部のユニフォームであるランニングシャツを着ようと思って持ってきた。どっちにしても、下は、この陸上部のユニフォームを履くつもりだったので、上下とも同じユニフォームで揃えようと思ったのだ。しかし、あんまり激しく雨が降ったら、ランニングシャツは少し寒いかもしれない。多少、走りにくくても、普通のTシャツの方が寒くなくて良いかもしれない。

(國宗)「いや、今日は何着ても寒いってことはないですよ」
(幹事長)「こんなに降ってても?」
(國宗)「何も着なくても大丈夫ですってば」


今は多少寒くても、走り始めると体が熱くなってきて、ちょうどいいかもしれない。それに、今日は普通のTシャツは、移動用に着てきた1枚しか持ってない。て事は、これを着て走ってずぶ濡れになると、帰りの着替えが無いのだ。てことで、多少の不安を抱えつつも、ランニングシャツを着ることにした。
他のメンバーは、普通のTシャツだが、支部長とピッグは雨対策のビニール袋を被っている。でも、今の季節では、ビニール袋を被ったら内側から汗でずぶ濡れになりそうで、あんまり意味は無いと思い、僕は被らないことにした。

ふと見ると、中山選手がTシャツの首のところに何か下げている。

(幹事長)「それ何?」
(中山)「お金です」


なんと、首から下げた防水の入れ物にお金が入っている。

(幹事長)「それでアイスクリームを買い食いしたのか!」
(國宗)「でも滑走路にはアイスクリームは売ってませんよ」

一方、DK谷氏はオリーブマラソンでも着ていた袖無しのシャツを着ている。今日の雨を考えると、それが一番良いような気がする。

去年は待ち時間が2時間もあったため、周辺に展示している軍用ヘリコプターや救難機を見学して遊んでいたが、今年は待ち時間は1時間ちょっとだし、雨で外へ出る気も無いので、格納庫の中で時間を過ごす。去年は、格納庫の中で大会の説明があり、規律正しく行事が行われていたが、今年は無かった。

そうこうしていると、9時半には5kmの部がスタートした。5kmの部の参加者は、かなり少なく、せいぜい200人てとこかなあ。なぜか先頭に三度笠を被ったランナーとタイガーマスクを被ったランナーが2人揃って飛び出した。すごい、って思ってみてたら、あっという間に大勢のランナーに抜かれていったから、最初だけ目立つための小道具だったのか。先頭集団は、こんな超マイナーなレースなのに、なんで?と思うくらい本格的に早かったが、一方で、最後尾集団は最初から歩くようなスピードで、そのスピードでは体も温まらず、この雨じゃ寒いだろうと心配になるほどだ。

その後もダラダラとストレッチの真似事をしていると、5kmの部のランナー達が滑走路を一往復だけしてゴールし始めた。先頭のランナーは16分台だ。1km3分20秒を切っている。たとえ1kmだけでも4分を切るのは不可能な我々では、考えられないスピードだ。

5kmの部のランナーが、あらかたゴールしたら、10時半の10kmの部のスタート時間が近づいてきた。
場内アナウンスで「スタート場所はだいぶ離れていますから、急いで集合してください」なんて言ってるけど、まだ結構、雨が降っているので、多くのランナーが格納庫から出るのを渋っている。

(幹事長)「スタート場所って、そんなに離れてたっけ?」
(支部長)「意外に遠かったような気もするなあ」
(中山)「やっぱり走るの止めとこうかなあ。」
(幹事長)「外に出るまではためらうけど、いったん外に出てシャツもシューズもずぶ濡れになっちゃうと、一気に平気になるよ」


横を見ると、「急いで集合してください」なんて言いながら、一方では、まだ受付をやっている。やっぱり最後の最後までギリギリまで受付は許容されるようだ。素晴らしい。

今回の参加メンバー
(左からピッグ増田、DK谷氏、幹事長、支部長、國宗選手、中山選手)

結局、雨は止みそうにないので、嫌いな帽子を被ることにする。帽子は鬱陶しいけど、顔に雨粒が直撃するのは、もっと嫌だし。
中山選手を引きずって外に出ると、やはりランニングシャツは雨が肩からモロに当たるので、ちょっと寒い

(幹事長)「やっぱり、ちょっと寒い!」
(國宗)「大丈夫ですって。走り出したら、すぐ暑くなりますって」


雨は降ってるけど、風が弱いのが救いだ。雨が降ってないと、風があった方が涼しいが、雨と風の両方が強かったら、さすがに体が冷えてしまう。

確かに、スタート場所は意外なほど遠く、ダラダラ歩いて行ったら、スタート時間ギリギリになってしまった。1週間前に痛めた足の指は、やっぱり痛くて、歩くのも苦痛が伴う。こんなんで走れるだろうか?
一方、あっという間にシャツもシューズもずぶ濡れになってしまったら、雨は、もう気にならなくなる。シューズも古いシューズは雨に濡れるとぐちょぐちょになって走りにくくなったけど、今のシューズは雨に濡れても、履き心地はあんまり悪くならない。

(國宗)「今日の目標はどうですか?」
(幹事長)「去年はギリギリで50分を切れなかったから、今年こそは50分を切りたいなあ。
       でも足の指が痛くて、最後まで走れるかどうか不安」
(支部長)「去年よりはタイムを上げたいな」
(中山)「僕、時計を持っていないから、どうすれば良いんでしょうね」


子供じゃあるまいし、中山選手は時計を持っていないのだ。今日、持ってくるのを忘れたんじゃなくて、そもそも持ってないのだ。

(幹事長)「しょせん10kmだからペース配分なんて考えずに、最初からひたすら走ればいいじゃん」

ピッグは去年、50分を切っているから、とりあえず今日はピッグの後を着いていこう参加者数は5kmの部と10kmの部を合わせて895人とのことだから、10kmの部は6〜700人ってところか。超マイナーなレースの割には多いとも言えるが、スタート地点の幅は広く、そんなに大混雑はしない。
超マイナーなレースだから、レベルが低いかと言えば、最近はむしろ、マイナーなレースの方がレベルが高い。大規模な大会は、知名度が高いため、最近マラソンを始めたばかりの人たちが大挙して押しかけてくるが、こういうマイナーなレースは、よっぽどマニアックな愛好家しか出てこないから、結構、レベルが高いのだ。

いよいよスタートとなる。誰か知らないんだけど、おばさんが傘をさしながら苦労して雨よけのビニール袋からピストルを取り出し、慣れない手つきで号砲をならした。
割と前方に位置していたこともあり、すぐさま全力で走り出す事が可能となった。そんなに混雑していないうえに、レベルが高いから、すぐに全体のスピードが上がったって訳だ。僅か10kmのレースなので、ペース配分を考えても仕方ないんだけど、どれくらいのスピードで走り出せば良いのか難しいので、当初の予定通り、ピッグに着いていくことにする
ピッグは結構、快調に走っていく。着いて行けないスピードではないけど、なんとなく僕には早すぎる気がする。まずは1kmだけでも着いて行って様子を見ることにする。周囲のスピードも似たようなもので、時々遅いランナーもいるけど、全体として良い感じだ。
足の指の痛みは、最初は少し痛かったけど、少し我慢して走っているうちに、気にならなくなってきた。ゆっくり歩いている時の方が、むしろ痛いくらいだ。なぜだろう。激しく走っていると痛みが麻痺するのだろうか。これなら最後まで影響は無さそうだ。

スタート後、数百mで最初の折り返し点があるので、すぐに折り返してきた先頭ランナーとすれ違う。こんな超マイナーなレースなのに、気合い十分でガンガン走っていく。最初の折り返し点を折り返すと、逆に後ろのランナーとすれ違う。最後尾の辺りには、おそろいのウサギの耳を着けたおばちゃん軍団がゆっくり走ってくる。あのペースでは、1周目を走り終わる前に2周目を走るトップランナーに追いつかれるだろう。

折り返してしばらく行くと、1km地点の距離表示がある。時計を見ると、4分40秒だ。う〜ん、やっぱりちょっと早すぎるような気がする。これで突っ走ったら、終盤に力尽きるような気がする。なーんて思い始めたら、ピッグに着いていくのがしんどくなり始める。これは、早くも体力的にペースを維持するのが難しくなったのか、それとも、早すぎるんじゃないかって思い始めた事による精神的なものなのか、よく分からない。どちらかと言えば肉体的な要因より精神的な要因のような気がするけど、ピッグからズルズルと遅れ始め、無理して着いていこうという気が失せてしまった

しばらく行くと、最初の給水所があるが、雨が降ってるせいか、喉は全然渇いていないし、僅か10kmのレースだから、給水する必要もないと思って水は取らない。スタートするまでは少し寒いと思っていたけど、一生懸命走っているうちに体が温まってきて、ちょうど良い具合になってきた。寒くもないし暑くもない。足の指の痛みも無くなったし、寒さも無くなったし、まさにベストな状態になってきた。ただ、意外に水たまりがあり、少し走りにくい。滑走路だから水はけが良いだろうと思ってたけど、そうでもなかった。

次の2km地点で時計を見ると、この1kmは4分50秒に落ちていた。ピッグとの差も徐々に広がっていく。ここまで、去年と全く同じ展開だ。こうなると気持ちの張りが無くなり、ズルズルと後退する恐れがあるので、ピッグには遅れても、できるだけ大崩れしないように緊張感を持って走り、これ以上ペースダウンするのは避けたいところだが、この辺りから上り坂になっていく。上り坂ったって、全然たいしたことない勾配なんだけど、走っていると微妙に厳しくなってくる。
また、支部長が力説していたように、確かに、時々段差がある。劣化したコンクリートの割れ目が段差になっているのだ。下を見て気をつけていれば、どうってことない程度の段差だけど、注意不足になると、躓くこともありそうだ。特に今日は水たまりもあったりするから、路面のコンディションは良くない。

坂を登り切ったところに第二の折り返し点がある。すれ違いながら後続のメンバーを確認すると、國宗選手、支部長、DK谷氏はもちろん、全く練習もせずに2年ぶりに走った中山選手も意外に速いペースで走っている。あんまりペースダウンしたら、誰に抜かれるか分からない状態だ。

このレースは1km事に距離表示があるんだけど、ちょっと混乱する要素がある。同じコースを2周するんだから、1周目と2周目の距離表示は同じ場所にあるのかと思っていたら、これがズレている。スタート地点とゴール地点がだいぶ離れているからだ。1周は5kmより短いのだ。そして、その距離表示が時々、風で倒れたりしているのだ。なので、去年はだいぶ混乱したが、今年は熟知しているので、もう惑わされない。
3km地点で時計を見ると、うわ、一気に遅くなり、5分10秒を越えている。いくら上り坂があったとは言え、ちょっとペースダウンし過ぎだ。これじゃあ50分は切れなくなってしまう。ちょっと焦ってペースを上げようと努力する。

しかし、次の4km地点でのタイムは、さらに悪化している。もう上り坂じゃなくて、むしろ微かに下り坂になっている区間なのにタイムが悪くなっているってことは、要するに早くも疲れが出始めたって事か。最初のペースが少し速すぎた悪影響が早くも出てきたのか。それとも、ピッグの後ろ姿も見えなくなり、気合いが失せてズルズルとペースが落ちているのか。

なんとか踏ん張らなければ、と走ってみたものの、次の5km地点で見たタイムも全くペースアップできてない。ここから2周目だ。
走る前は寒さを恐れていたが、ここまで来ると、むしろ少し暑いくらいだ。ランニングシャツにして良かった。
足も自分では、まだまだ上がっているように思える。一方、前を走っているランナーはチンタラ走っているように見える。なんで、あんなチンタラ走っているランナーに追いつけないのか不思議だが、たぶん、はたから見ると僕もチンタラ走っているように見えるんだろうなあ。

再び最初の折り返し点を折り返してしばらく行くと、6km地点だ。この1kmは、ほんの少しだけペースアップできたが、それでも、このペースでは50分は切れない。もっと上げなければいけない。とは思うんだけど、なかなかペースは上がらない。

上がらないどころか、やはり少しずつ再びペースダウンしてしまい、7km地点で時計を見ると、またまたかなりペースダウンしてしまった。ただ、特に大きくペースダウンはしていないはずで、抜くランナーも抜かれるランナーも、そんなにはいない。周囲も同じようなペースなのだ。
給水所はことごとくパスしながら再び緩い上り坂を上る。僅か10kmのレースとは言え、レース終盤ともなると、緩い坂が重くのしかかる

最後の折り返し点を折り返してすれ違うランナーを確認すると、相変わらず、みんな同じくらいの間隔を開けたまま國宗選手、支部長、DK谷氏はもちろん、中山選手も頑張っている。やはり雨のおかげでバテてないようだ。

折り返してしばらく行った8km地点で時計を見ると、さらにペースダウンしており、50分を切るのは、もう完全に不可能な状態となった。しかし、それでも少しでも良いタイムでゴールしようと思い、あと2kmなんだからラストスパートのつもりでペースアップを試みる。

しかし、いくら気持ちでラストスパートだと思っても、2kmもスパートできるはずがなくて、すぐにペースダウンしてしまい、9km地点でみたタイムは、大して良くはなっていない

やはり具体的な目先の目標が必要だ、との事で、ここまでレース中に何度も抜きつ抜かれつした女性が前方にいる事に気付く。彼女の走りは、後ろから見ると、まさにチンタラ走っていて、なんでこんなチンタラ走っているおばさんを抜けないんだって思い、時々抜くんだけど、気が付くと、いつの間にか抜き返されているっていう目障りな存在なのだ。いくらなんでも、こんなおばさんに負けるのは癪なので、せめてこのランナーには勝とうと思ってペースを上げようとする。ところが、おばさんとの差は一向に詰まらない。おばさんもペースを上げている可能性は否定できないが、どう見ても相変わらずチンタラ走っている。やっぱり自分のペースが上がっていないのだろう。ペースを上げるのって、難しいんだなあ、なんて今さらながらに思いながら、何度か気合いを入れ直してギアアップを試みる。そしたら、さすがに少しずつペースが上がったようで、おばさんとの差が縮まり始める。こうなると精神的にも乗ってきて、ますますペースを上げることができるようになり、おばさんとの差はみるみるうちに縮まってくる。そして残り、もう100mちょっとか、という地点で遂におばさんを抜き去る。いくらなんでも抜き返す余力は無さそうだ。そのまま一気にゴールして勝利の雄叫びを上げる。
ま、雄叫びを上げたって、大したタイムが出た訳ではない。50分は全然切れなかったし、去年よりタイムは悪くなっている。最後におばさんに勝ったからと言ったって、全く何の意味も無い

一応、タイムは自衛隊の人が目視と手動で計測してくれているんだけど、その結果はすぐには分からず、後からホームページで確認することになっている。だが、まあ、自分の時計で計測した結果と大した違いは無いだろう。
去年も50分はギリギリで切れなかったけど、風邪気味だった割には良かったと自己満足した。今年も足の指の故障とか水たまりで走りにくかったとか言い訳はあるけど、そんなに大きな悪影響ではなかったのに、去年より悪かったから、少し悔しい結果だった。ま、それでも、最後まで大崩はしなかったので良しとしようか。

ゴール横で待っていると、次々と國宗選手、支部長、DK谷氏、中山選手が数十秒間隔でゴールしてきた

(支部長)「去年よりだいぶ良かったで」
(中山)「僕はどうでした?」
(幹事長)「55分くらいやな」
(中山)「え?そんなに早かった?」


時計を持ってない中山選手は、てっきり1km7分くらいのペースだと思っていたとのことで、1km5分半のペースに自分で驚いていた。

(幹事長)「すごいなあ。2年間のブランクを感じさせないなあ」
(國宗)「いや、ほんと、底力がありますよねえ」


あんまり誉めると図に乗るので良くないが、でも、ほんと、2年間、全く走らずにいきなり出走して1km5分半のペースってのは、僕では考えられない。まさに不死鳥のような走りといえよう。

(中山)「結果的には、雨が良かったですね。晴れてたら、たぶん無理だったでしょうね」

先にゴールしたピッグは、今年も50分を切っていた。オリーブマラソンではゴール直前に捉えたけど、10kmレースでは逃げ切られてしまった。

ゴールしてしばらくすると、しつこく降っていた雨が上がっていく。去年はゴールしてから急に雨が降り出したから、今年は逆だけど、雨が苦にならなくなった私たちには、どっちでも良いことだ。



レースが終わったら、今年も基地内の食堂へ行って名物の海軍カレーを食べた。去年も同じものを食べ、「一体これのどこが海軍カレーなのか?」という問題について激論を交わしたのだが、メニューが定食とカレーしかないので、選択の余地は無い。しかも普通のカレーとカツカレーの価格差が僅か110円なので、430円の海軍カレーではなく全員540円の海軍カツカレーを食べる。

(幹事長)「誤解の無いように言っておくが、決して不味い訳ではない」
(支部長)「味と比べて特に価格が高い訳でもない」
(國宗)「インパクトが無いってことですかね?」
(幹事長)「あまりに普通で、これを食べたからと言って気合いが入るものではないな」


海軍カレーと言うからには、気合いが入るようなインパクトが欲しい。すごく辛いとか、すごく量が多いとか、すごく飯が固いとか。
一部の不届きものが、ボンカレー説を唱えていたが、大きな鍋で作っていたから、ボンカレーではないだろう。

(國宗)「業務用に大量に仕入れてるのかも知れませんよ」
(支部長)「大塚の地元やから、あり得るなあ」
(幹事長)「マラソン大会でもポカリスエットくれたしなあ」


カレーでお腹を満たし、帰途につく。雨で多少、走りにくかったとは言え、みんな最後までバテずに気持ち良く走れたし、10kmレースなので、お昼を食べて高松まで帰っても、まだお昼過ぎだし、疲れも大して残ってないし、心地よい満足感で帰った。

のだが、家で調べてみて、ちょっとガッカリ。何かと言えば、今日の10kmレースのタイムが、今年2月の丸亀マラソンの10km地点でのタイムと、ほぼ同じだったのだ。ハーフマラソンの10km地点と言えば、まだ残り11km残っている中盤だ。なので、ペース配分を考えて走っている。つまり、あとまだ11km走る余力を残して走っているはずだ。事実、その後、11km走ってるんだし。そのハーフマラソンの10km地点のタイムと、今日の10kmレースのタイムが同じってことは、今日のレースは全力を使い果たしていないって事なのだろうか。走っている最中は、これ以上スピードアップするのは無理って感覚で、いっぱいいっぱいのつもりだったのに、ペース配分を考えて後半の余力を残して走っていたハーフマラソンと同じタイムだなんて、ちょっとガッカリだよなあ。これは一体どういうことなんだろう。気合が入ってなかったってことかなあ



さて、この大会が終わると、しばらくレースが無い。本当は7月末の汗見川マラソンに参加したかったのだが、ちょっと油断してたら、申し込み受付開始からあっという間に即日完売してしまっていて、申し込みし損ねた。
次に9月始めの四国のてっぺん酸欠マラソンも、油断してたら申し込み受付開始からあっという間に完売してしまっていて、申し込みし損ねた。

(ピッグ)「なかなか懲りないと言うか、学習効果が無いと言うか、同じ過ちを延々と繰り返しますよねえ」
(幹事長)「これって老化かなあ?」


老化はあるにしても、汗見川マラソンとか、さらには酸欠マラソンとか、超マイナーな草レースが、ことごとく、あっという間に完売してしまうなんて、もう世も末だ。

(ピッグ)「酸欠マラソンって定員何人でしたっけ?」
(幹事長)「400人」
(國宗)「たった400人なら、あっという間に完売してもおかしくないのでは?」
(幹事長)「以前は、いつまで経っても400人も集まらなかった草レースやぞ」


あらゆるマラソン大会が申し込み困難になりつつあるとは言え、このような状況は、我々昔からのマラソン愛好家にとっては受難の時代と言えよう。

(國宗)「申し込み開始の日を忘れなければ良いだけですけどね」

まだ開催日は発表されていないが、今年は10月の庵治マラソンの日がサイクリングしまなみと同じ日になる可能性があり、そうなると、このままでは次のマラソン大会は11月末のタートルマラソンになってしまう。実に5ヵ月後だ。いくらなんでも、それでは練習のモチベーションが無くなるので、急遽、10月上旬の龍馬脱藩マラソンに申し込むことにした。

(幹事長)「皆のもの、よろしいか!」
(支部長)「おおうっ!」
(國宗)「おおうっ!」
(中山)「いや、私は止めときます」


さすがに中山選手は、まだ体調が完全ではないので、参加は見送りだ。
なぜなら、この龍馬脱藩マラソンは、かつての塩江山岳マラソンや四国カルストマラソンに匹敵するような登山マラソンらしいのだ。て言うか、フルマラソンの部は、それらをはるかに上回るスタート地点から折り返し点までの標高差が550mもある山登りマラソンなのだ。いくらなんでも、それは厳し過ぎるって事で、我々が出るのはハーフマラソンの部だ。ハーフマラソンの部がどれくらい厳しいのかは分からないが、おもしろ半分で出てみます。


〜おしまい〜




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