第68回 丸亀マラソン大会

〜 真冬とは思えない暑さ! 〜



2014年2月2日(日)、第68回香川丸亀ハーフマラソン大会が開催された。
毎年、ペンギンズの初レースは1月の満濃公園リレーマラソンだけど、あれは動物チームで出る遊び半分て言うか遊び全部の行事であり、真剣勝負のレースとしては、この丸亀ハーフマラソンが初レースとなる。しかも、ほとんど坂が無い日本陸連公認コースを走るってことで、どうしても良い記録を出したいぞ!やる気まんまんだあっ!

(ピッグ)「だからと言って、また長い記事を書くのは控えてくださいね」
(幹事長)「分かってる。今回は短くまとめるぞ」


去年の秋のサイクリングしまなみ2013や大阪マラソン2013の記事が長すぎて「長すぎて勤務時間中に読めんが」というお叱りを各方面から頂いたため、その後は気をつけようと思っていたんだけど、瀬戸内海タートルマラソン大会国営讃岐まんのう公園リレーマラソン大会も、ついつい力が入って記事が長くなってしまったため、今回こそは、真剣な勝負にふさわしく、真剣な短い記事にするぞ。

この丸亀マラソンは、高速レースとして全国的にも名高いことで、以前から人気が高かったが、昨今の異常なまでのマラソンブームのせいで、毎年、さらに参加者が急増している。ただ、会場の丸亀陸上競技場が大きいため、定員はあってなきが如しだ。どういう事かというと、一応、定員は1万人となっており、申込者が1万人に達すると、受付は終了してしまう。しかし、それは事前エントリーの受付終了であり、大会前日になると再びエントリーが可能なのだ。だから、前日に申し込めば、何人でも参加できるのだ。
もちろん、前日申し込みは、遠方の人にとっては不便だから、そんなには多くならないだろうけど。て言うか、そもそも、事前申し込みの定員が1万人なのは、キャパの問題ではなく、大会運営の経費の面からの限界なのだ。マラソン大会は参加料を取ってボランティアも総動員するけど、それでも大赤字で、東京マラソンや大阪マラソンは自治体が裕福だから3万人も参加させてくれるが、地方の大会では1万人が限界のようだ。前日受付は、わざわざ前日に現地に足を運んでまで参加したいっていう熱心な参加者のための救済措置なのだ。

それにしても、このレースに、こんなに大勢の人がエントリーするようになるなんて、第1回から参加している私としては、感慨深いものがある

(ピッグ)「第1回て67年前ですが、もう生まれてたんですか?」
(幹事長)「真相を知っているのに、わざわざツッコんでくれてありがとう」


真相というのは、このレースは今年で第68回だなんて言ってるが、これは嘘で、実はまだ18回目という事実だ。第1回は1997年で、その時は、まだこのホームページを開設してなかったため記事は無いが、翌年の1998年の第2回からは毎年記事を掲載している。そして、2001年の第5回のとき、突然第55回になった。なんと50回も上げ底されたのだ。水増しの事情については、第56回(本当は第6回)の記事に詳しく書いているが、理由はもちろん、数が多い方が伝統がある由緒正しいレースのように聞こえるからだ。僕は回数の水増しを非難するつもりは毛頭無い。僕の故郷のマラソンであり、回数が多い由緒正しいレースのように聞こえた方が、知らない人に対しては格好良いから、それでいい。ただ、ほんの15年前はコースが毎年、コロコロ変わり、僕の実家のすぐ裏の農道に毛が生えたような道を走ったりしていた草レースだったのに、1万人以上も走る立派なレースになったことが感慨深いのだ。

毎年、参加者が増え続けている大会だが、ペンギンズからの参加者が増えている訳ではない。ただ、今年は、僕と支部長、ピッグ、ヤイさん、國宗選手、ゾウ坂出に加え、なんと久しぶりにボクサー竹葉が復帰するのだ。ボクサー竹葉は、1年ちょっと前の一昨年の秋、生死の淵をさまようほど体調を悪くしていた。原因はもちろん酒だ。以前、小豆島オリーブマラソンの帰りの船の中で、みんなが缶ビールを飲んでいる横で、ワンカップの日本酒の6本パックを1時間で空けてしまい、それでも足りなくて、船を下りてからコンビニへ酒を買いに走っていった姿が生々しい。単身赴任していた時に住んでいた単身赴任寮の食堂で、夕食時に一升瓶を抱えて食べに来て、2日に1本くらいのペースで空けていたとの目撃証言もあるから、コンスタントにそれくらい飲んでいたらしい。いくら酒に強いボクサー竹葉でも、さすがにそんな生活を30年以上も続けていたら身体はボロボロになったらしく、担ぎ込まれた病院で医者から「酒を止めるか、生きてくの止めるか」と聞かれ、やむなく酒を止めたとのことだ。それで一命は取り留めたのだが、歩くのもやっとの廃人状態で、もう絶対に走るのなんて無理だと思っていたのに、なんと去年の庵治マラソンに復活してしまった。三途の川から引き返して、僅か1年後の話だ。そして今回、ハーフマラソンにも復帰するのだ。

(幹事長)「ほんまに、もう大丈夫?」
(竹葉)「全然OKっすよ」


なんと、今年の秋にはトライアスロンにも復帰するらしい。元々が鍛え上げられた強靱な身体だったからだけど、驚異的と言うか信じられないと言うか呆れ果てた肉体だ。
一方、石材店は、まだ足の調子が悪く、今年も欠場となった。矢野選手は、今年もペースランナーをしているのでランナーとしては参加しない。



最近のマラソン大会は、レース当日だけでなく、レース前日も受付できる場合が多く、丸亀マラソンも前日受付ができる。東京マラソンや大阪マラソンなんかは前日しか受付できなくて困るが、前日も当日もOKてのが、混雑が緩和されるから一番よろしい。だが、今年はレースの前日まで東京出張だったため、前日受け付けができなかった。受付ができなかっただけでなく、ちょっと疲れて体調が万全とは言えないのが一抹の不安だ。

レース当日の朝は、今回も支部長が迎えに来てくれる。最近、あらゆるレースで支部長がお迎えに来てくれるので、大変恐縮しながら家の中で待つ。

(支部長)「恐縮しているんなら、せめて家の前に出て待っといてくれる?
       逆の時は私はいつも道路まで出て待ってるやろ?」
(幹事長)「だって寒いんだもーん」


と言ったものの、家を出ると、全然寒くない。これは、どうしたことか?前日の東京も、2月の初旬の割りにはそんなに寒くはなかったが、それにしても今朝は寒くない。丸亀マラソンが開催される2月の始めは年間で一番寒い時期であり、天気は良い年が多いが、西風が強いことが多く、体感温度は非常に低くなる。ところが今日は、朝から天気が良いうえに気温も低くないし、なにより風が無い。このままだと寒くないどころか、暑くなるんじゃないだろうか。去年は天気は快晴で風が無く、おまけに気温が低めで、もうこれ以上は望めないような絶好のマラソン日和だった。そのおかげか、僅か2秒差とはいえ、大会自己ベストを更新することができた。
今年は、つい先日までかなり寒く、寒いのが苦手な僕は「あんまり寒いと嫌だなあ」って思っていたから、寒くないのは嬉しいんだけど、寒くないどころか暑くなりそうだ。

うちを出た後は、國宗選手ヤイさんをピックアップし、ゾウ坂出を迎えに坂出へ向かう。時間は8時過ぎだ。順調に行けば9時過ぎには到着できる。受付は9時50分までOKだし、スタートは10時50分なので、ウォーミングアップなんかしない我々に取っては少し早いかも知れないが、あんまり遅く行くと、駐車場の場所が遠くなるので、やはり少し早めに行った方が良いだろう。

(幹事長)「満濃リレーは業務上緊急事態で出られなかったけど、もう終わったん?」
(國宗)「いや実は、本番はまだこれからなんですけど、今日だけは久しぶりに休ませてもらいました」


実は國宗選手の会社は、全社をあげて丸亀マラソンに参加しているから、今日は参加できたらしい。ただし、あまりの激務に、最近は練習が全く出来てないらしい。今年に入ってから、一度も走っていないとのことなので、今日のレースは厳しいかもしれない。

(幹事長)「ヤイさんは練習はしまくりですよね?」
(ヤイ)「いや、犬の世話で大変なんよ」


ヤイさんは去年、退職したから時間はありまくりなんだけど、飼い犬の体調が悪化しており、その世話が大変らしいのだ。

(國宗)「幹事長は練習バッチリですか?」
(幹事長)「いや、まあ、適度に」


週に2回は平日に仕事が終わって帰宅してから5kmほど走り、週末に1回は10〜20kmほど走るというペースで練習を続けている。だいたい月100kmくらいのペースだから、決して多くは無いが、それ以上、走る気力は無い。もともと楽しいからやっているのであって、嫌なのに無理して走ることはない。そのおかげで、ほとんど故障は無い。ただ、その程度の練習では記録が伸びないのも仕方ない。ま、仕方ない。

坂出でゾウ坂出を迎えた後は、丸亀競技場へ向かう。ゾウさんは、今週の丸亀マラソンに続き、来週は坂出天狗マラソンがある。相変わらず元気やなあ。

予定よりは少し遅くなったが、9時半頃には丸亀競技場に着いた。参加者が急増して以来、駐車場の確保は大きな問題で、早めに申し込まないと会場付近の駐車場が確保できなくなっている。若年性認知症の進行が著しい私でも、さすがに最近はちゃんと覚えていて、今年も受付開始早々に申し込み、無事、駐車券をゲットしているので、競技場の近くの駐車場に入れた。駐車場では準メンバーの渡B選手にも会う。



競技場に着いたら、まずは受付を済ませ、ゼッケンやパンフレットをもらう。なぜか例年、記念品のTシャツはゴールしてからくれる。これは、どうしてだろう。確認はしてないけど、完走しないとくれないんだろうか。

受付が終わると、着替えのための場所探しだ。メインスタンドはこぼれ落ちそうなほど人が溢れかえっているので、去年と同様、バックスタンドに陣取る
ピッグ増田と、彼の車に同乗してきたボクサー竹葉とも、ここで現地集合した。國宗選手の元上司のクマさんも、現地集合だ。

スタンドに上がっても風はなく、天気が良いから暖かい。じっとしてても暖かいくらいだから、走り始めると暑くなるのは間違いない。もちろん僕は寒いよりは暑い方が好きで、炎天下で汗をかきながら走るのも嫌いではない。ただ、好きなのと早いのとは関係なく、当然ながら寒い方がタイムは良い。さらに、支部長なんかは暑さに弱い。

(幹事長)「風が無いから晴天が続くと絶対に暑くなるで」
(支部長)「こら、間違いなくアンデルセン状態になるなあ」


支部長は坂にも弱いが暑さにも弱い。大量に汗をかくため、終盤には頭が真っ白のアンデルセン状態になりがちだ。ひどかったのは2006年の第60回丸亀マラソンで、完全なアンデルセン状態でゴールし、終盤からゴール後にかけて全く記憶が無く、ゴールしてからしばらくは脳死状態だった。しかし、にもかかわらず、私は負けてしまったのだ!

(幹事長)「アンデルセン状態の支部長に負けるなんて、あんな屈辱は無かったぞ」
(支部長)「そら、単に幹事長の足が遅いだけのことや」

(ゾウ坂出)「これだけ暖かいと、幹事長は何を着るかで悩まなくても良いですね」


それは、そうだ。例年て言うか、どんなレースの時も、一番の悩みは、何を着て走るか、だ。

(國宗)「それって、ちょっと考えすぎですよ。私なんか、どんな季節のどんな天候の時でも同じ格好で走ってますよ」

確かに、國宗選手や支部長なんかは、季節も天候も関係なく、常に同じスタイルで走っている。それが習慣になっているから、それはそれで良いのだろう。でも、僕は、暑さ寒さに非常にナーバスになる。異常にナーバスになる。

(幹事長)「ほんの少しでも良いタイムを出そうと言う向上心の表れではないだろうか?」
(支部長)「全然タイムに関係してないやん」


確かに、暑かったとか寒かったとかでタイムが大きく変わる訳ではない。て言うか、どんなに悩んで着る物を選んだとしても、レース中には暑くなったり寒くなったりするものだ。太陽が雲に隠れれば寒くなるし、風が吹いても寒くなる。太陽が出て風が無くなれば暑くなる。当たり前だ。それでも、最後の最後まで悩んでしまう。そう、私はナーバスなのだ。
一昨年の丸亀マラソンでは、長袖の上から半袖を重ね着してスタートラインに立ったものの、なんとなく暑くなって、慌てて1枚脱いだりした。同じ年のタートルマラソンでも、いったんスタートラインに並んだ後で、暑くなって慌てて1枚脱いだ。当然ながら、スタート地点で脱いだりしたら、もう荷物を置いている場所まで持って帰る時間はないから、その辺の木にくくりつけたりする。

(國宗)「ようやりますなあ」
(幹事長)「シューズの靴紐だって、10回以上も締め直すんだぞ」
(支部長)「そこまでしたら偏執狂やなあ」


そんなナーバスな私でも、今日の天候なら迷う余地は無い。半袖のTシャツ1枚だ。

(ピッグ)「今日みたいな暖かい日には、青森時代のランニングシャツが良かったんじゃないですか?」
(幹事長)「そうなんよ。持ってくるの忘れちゃったのよ」


青森で勤務していた職場で作った陸上部のユニフォームは、すごく軽量のランニングシャツで、上下とも非常に走りやすい。でも、この季節には寒いから、去年は、普通の半袖のTシャツの上に重ね着した。去年は少し気温が低かったから、それでちょうど良かった。今年は暖かそうだったから重ね着は不要と思ってランニングシャツは持ってこなかったんだけど、こんなに暑そうになるんだったら、半袖Tシャツじゃなくてランニングシャツ1枚でちょうど良かったような気がする。失敗だったなあ。
しかも、上を普通のTシャツにしたもんだから、下も青森の陸上部のユニフォームじゃなくて、普通の短パンにしてしまった。青森時代のランパンは、短くて軽量で非常に走りやすく、去年、大会自己ベストを更新できた大きな要因だったような気がする。

(幹事長)「今年は着る物で悩まなくても良かったけど、後悔が大きいなあ」

とは言え、着るのは、ただのTシャツではない。去年の大阪マラソンのTシャツだ。これは格好良い。今日、青森時代のランニングシャツを忘れた理由の1つが、大阪マラソンでもらったTシャツが気に入ってしまい、それを着たいという欲求があったからだ。大阪マラソンは10月だったけど、フルマラソンなので終盤には超スローペースになり、体が冷えてきて長袖を重ね着したりしたが、今日は、これ1枚で十分だ。

一方、こんなに暑くなりそうなのに、支部長や國宗選手はいつもと同じように下にはランニングタイツを履いているし腕にはアームウォーマーを着けている。

(幹事長)「それ、どう考えても暑いって」
(國宗)「いや、もう、これで慣れてますから」
(支部長)「どうせ着けなくても暑い時は暑いんやし」


ゾウさんは、取りあえずアームウォーマーは着けているが、タイツは履くのを止めた。

(ゾウ)「アームウォーマーは暑くなったらいつでも除ければいいし」
(幹事長)「僕なんか、手袋も止めようと思ってるんだけど」
(ゾウ)「何言ってるんですか。手袋は汗拭いたりするのに要るでしょ?」


でも、だいぶ暑くなりそうだから、汗拭くのに手袋じゃ足りないと思い、ポケットにハンドタオルを入れ、手袋は止めた。それと、イザと言うときのためのポケットティッシュも入れた。これで万全か。

なーんて低次元の問題で悩んでいる私らを横目に、さすがにボクサー竹葉は、袖なんか無いランニングウェアに身を包んで万全の態勢だ。鍛え抜かれた引き締まった肉体に圧倒される。

(幹事長)「しつこく言うけど、あの死にかけた状態から僅か1年でここまで復活できるもんなん?」
(竹葉)「元が違いますよ。カンラ、カンラ」
(←笑い声)

季節外れの暖かさに緊張感が緩むメンバー
(左からピッグ、國宗選手、ヤイさん、ゾウさん、支部長、幹事長、そして不死鳥の如く甦ったボクサー竹葉)

そうこうしていると、早くも集合時間がやってきた。まだ10時だ。スタートまで50分もある。でも10時20分までに集合しないと、自分の目標タイムの場所に並べなくなってしまう。スタート地点は目標タイム別に集合するようになっていて、速い順にスタートするようになる。
タイムはゼッケンに着けたチップでネット計測してくれるから、焦って前の方に並ぶ必要は無く、前の方からスタートすると大混雑で思うように走れないから、後ろの方からゆっくりスタートしたほうが空いていて走りやすいようにも思うが、それは以前のように参加者が少ない時の話であり、今みたいに1万人以上が参加するようになると、前の方からスタートしなければならない。後ろの方には、仲間同士でおしゃべりしながらゆっくり走るおばちゃん軍団がいて、ブロックされてしまうから、走りにくいのだ。以前なら、邪魔なランナーがいても、そのうちバラけてくるが、1万人以上も参加するようになってからは、最後まで混雑は緩和されず、最後までおばちゃん軍団に前をブロックされたままになるのだ。
逆に、自分の実力以上に前からスタートすると、周りのランナーの邪魔になるので、マナー的によろしくない。それに、前の方からスタートすると、周りの速いランナーにつられてオーバーペースになりがちだし、抑えて走れば、最初からどんどん追い越されてばっかりになって精神的にはよろしくない。なので、やはり、できるだけ自分の目標タイムのところに並ばなければならない。自分と同じペースのランナーと一緒に走れば、邪魔なランナーを追い抜く必要も無ければ、後ろから抜かれる事も無いので、秩序良く走ることができるのだ。

まだスタート時間まで30分以上あるから、例年だと、コートを脱いで早々に集合するのは寒くて不平が出るところだが、今日は寒くないので、全然、苦にはならない。10時20分になると、目標タイム順にゾロゾロと競技場から出てスタート地点の方へ移動する
10時35分には、早くもプロ級の人達がスタートしたことが場内アナウンスされる。今回は3月にコペンハーゲンで開催される世界ハーフマラソン選手権の男子代表選考会を兼ねているため、多くの有力選手が出場している。以前は、プロ級が走る部門と我々一般ピープルが走る部門とは一緒にスタートしていたんだけど、最近は15分も間隔が開いている。1万人もの素人ランナーがすぐ後ろからスタートすると、プロ選手にとっても鬱陶しいだろうから分けているんだけど、おまけに、その間に3kmの部が行われるので、ますますスタート時間の間隔が開いているのだ。

さて、スタート時間が近づいてきたので、例によって、本日の目標タイムを設定せねばならない。もちろん、どんな時でも、どんなレースでも、大会自己ベストの更新は当然の目標だ。今日は暑くなるかも知れないので、自己ベストを出せるかどうかは分からないが、一応、目標は大会自己ベストだ。また、当然ながら、永遠のライバルである支部長とピッグには勝利せねばならない。久しぶりに奇蹟の復活を遂げたボクサー竹葉は、一度、廃人になってから、まだ1年しか経っていないんだから、勝たないといけないような気はするが、廃人になる前は常に完敗していたから、侮れない。て言うか、今日の肉体を拝見する限り、廃人になっていた痕跡は皆無で、どこからどう見ても勝てそうにない。

去年は大会自己ベストを更新できたが、実はレース展開に満足はしていない。中盤まで非常に良いペースを維持できていたんだけど、そのペースが若干オーバーペースだったようで、終盤にガクンとペースダウンしてしまい、理想的な展開とは言えない結果だったのだ。その点で言えば、去年より少しだけ遅かった3年前のペース配分の方が良かった。前半のペースは去年より若干遅かったけど、終盤もあまりペースダウンしなかったのだ。もちろん、一番の理想は去年11月のタートルマラソンだ。序盤があんまり速いペースではなかったとは言え、少しずつだが最後までコンスタントにペースを上げていくという理想的なパターンだったのだ。ただ、タートルマラソンも大会自己ベストを出した時のレース展開は、いつものように序盤で飛ばして終盤でペースダウンしながらも序盤の貯金で逃げ切ったという展開だ。
て事で、作戦は非常に難しい。序盤はあんまり飛ばさずに徐々にペースを上げていく、てのが理想的だ。だが、過去の実績を見ると、大会自己ベストはいずれも序盤に飛ばして終盤にペースダウンしながらも逃げ切るというパターンだ。だがしかし、やはり理想はだんだんペースを上げていくパターンだ。去年のタートルマラソンでは、大会自己ベストには届かなかったけど、理想的なパターンがとても気持ち良かった。

(幹事長)「てことで、序盤は少し抑えて、最後までペースを維持して、あわよくば終盤ではペースを上げる作戦でいく。皆の衆、よろしいか」
(支部長)「そら、それは理想やけど、そないにうまい事いくかなあ」
(國宗)「私は、この1ヵ月1メートルも走ってないので、完走だけが目標ですね」
(ヤイ)「私も、犬の世話が忙しくて全然走れてないから、完走できればいいですわ」
(ゾウ)「私は自己ベストを狙いますよ!」
(幹事長)「おおう、ゾウさんだけが、私と同じように高い志!」


もちろん、最も警戒せねばならぬライバルはピッグだ。ピッグは遅い時は、あっけらかんと遅いんだけど、最近はコンスタントに好記録を出し続けている。て言うか、最近は、フルマラソンでマジでサブフォーを狙っており、もしかして、もはや僕のライバルではないのかもしれない。
ま、しかし、マラソンはあくまでも自分との戦いであり、ライバルとの勝負よりはタイムが重要だ。

(支部長)「なんにしても、17km地点の給水がくせ者やからな」

支部長は17km地点給水毒入り説を頑なに主張しているが、それを根拠のない妄想と片付けることもできない。17km地点辺りからゴールの丸亀競技場までの直線コースでは、それまでどんなに快調に走っていても必ずペースダウンする。少しずつペースダウンするんじゃなくて、いきなりガクンとペースダウンするのだ。去年も、それまで快調にペースを維持していたのに、この最後の直線部分でいきなり大幅にペースダウンしている。この最後の部分は、なかなか自覚できない程度なんだけど、ゆる〜い上り坂になっている。ただ、坂と言っても、たかが4kmで15m上がるだけだ。もっと激しい坂があるタートルマラソンに比べてもペースダウンが激しいってのは理解に苦しむ。真相は分からないが、要注意だ。

プロ級の人たちのスタートが終わると、我々一般ピープルもスタート地点の方へダラダラと動き始める。ただ、まずは3kmの部のスタートとかあるから、一気には進まず、少し歩いては立ち止まり、の連続だ。場内スピーカーからはゲストの有森裕子の声がガンガン聞こえてくるが、姿が見えないため誰も聞いていない。

(ゾウ)「やっぱり緊張しますねえ」
(國宗)「えっ?何が?」
(幹事長)「ゾウさんは、丸亀マラソンでは緊張するんよ」


日頃、堂々として一番緊張とは無縁そうなゾウさんなんだけど、なぜか丸亀マラソンはとても緊張するんだそうな。高速コースで好記録が期待できるのと、自宅の近くでは知人が大挙して応援してくれているからだそうだ。

(幹事長)「私らも見習って、少しは緊張すべきじゃないか?ちょっとダレすぎやぞ」
(國宗)「一番ダレてるのが誰かは敢えて言いませんが」


そう言われてハッと我に返り、今日もウォーミングアップどころか、ストレッチさえ全くやっていなかったことを思い出した。慌ててその場でストレッチの真似事をやってみるが、混雑しているので、まともなストレッチはできない。

(幹事長)「ま、ストレッチが必要なほど激しい走りはしないし」
(國宗)「そなな事はないでしょーっ!」


ダラダラ歩いていると、遂にスタート地点がある国道に出た。だいぶ遠くだけど、一応、スタート地点の表示が見える。
それにしてもランナーの数が多い。スタート地点までだけでも何千人ものランナーがいる。我々の後ろには、さらに、その何倍ものランナーがいる。呆れるばかりのマラソンブームだ。参加者が多すぎて、スタートの合図が鳴ってからスタート地点までたどり着くのに時間がかかるのはいいとしても、スタートしてからも大混雑が続いて走りにくいし、給水所で水を取るのは戦いになるし、ゴールして記録証を受け取るんだって長蛇の列だ。

(幹事長)「みんな、よっぽどヒマと金を持てあましているんか?」
(ピッグ)「大した金もかからないし、暇つぶしには調度いいんじゃないですか?」


もちろん、ブームが去って、一気に参加者が少なくなったりしたら寂しいだろうから、適度なブームが長続きすれば良いと思う。



いよいよカウントダウンが始まり、スタートの合図が聞こえた。もちろん、我々が動き出せるのは、さらにしばらく待ってからだが、遠くのスタート地点では前方のランナーが走り始めたのが分かる。スタート直後には小さい上り坂があるから、遠くからでも動きが分かるのだ。それにしても大集団だ。多すぎて、ちょっと薄気味悪いぞ。
しばらくダラダラ歩いていくと、ようやくスタート地点が近づいてくるが、まだまだ走れる状態ではない。ただ、スタートラインを越えたら小走りが可能となった。その直後、道ばたに有森裕子が立ってハイタッチしてくれている。しかし、去年のように高橋尚子さまが居るのなら群衆を押し分けてでもハイタッチしてもらいに行くが、有森裕子では、そこまでの気力は沸かない。なので、大半のランナーが横目で有森裕子を見ながら走りすぎていく。

スタート直後は、走り始めたとは言っても、大混雑で思ったようなペースでは走れない。だが、そこで焦って他人をかき分けて走ってはいけない。マナーの問題と言うより、無駄な体力と精神力の浪費になるからだ。せめて最初の1kmくらいはウォーミングアップと割り切って、ゆっくり走ればいい
1km地点の表示で時計を見ると、混雑によるタイムロスは30秒程度か。これくらいは最初から計算内だ。今後、1km当たり1〜2秒縮めれば取り返せるロスなので、焦る必要は無い。
ペースが若干遅いためか、まだ暑くはない。だが、日射しが当たり、暑くなるのは時間の問題だろう。

1km地点を過ぎても、かなりの混雑ぶりだが、周囲のペースがちょうど自分と同じなので、そんなに走りにくいことはない。時々、遅いランナーがいて邪魔になるが、おしゃべりしながらブロックするようなおばちゃん軍団はいないので、軽く抜いていける。
大混雑のため、他のメンバーともはぐれてしまい、誰がどの辺を走っているのかは分からないが、前半のペースは同じようなものだろう。おそらく支部長は、すぐ後ろを走っているはず。一昨年は半分くらい走ったところで支部長に前に行かれ、そのまま追いつけずに負けてしまった。去年は少し暖かかったため、終盤に力尽きた支部長を振り切れた。要するに、支部長とは途中までは常に激しいつばぜり合いを繰り広げ、後は天候次第で支部長が逃げ切るか自滅するかの勝負となるのだ。
次の2km地点の表示で時計を見ると、だいぶペースが上がり、ちょうど良い感じだ。まだまだいけそうだが、これ以上ペースを上げるのは危険だ。終盤に足が動かなくなってしまう危険性がある。今のままのペースを維持しよう。
ペースが上がるのと同時に、体温も上昇してきて、早くも少し暑くなってきた。が、まだ汗まみれってことはない。

ペースを維持しようと思って走っていたのだが、3km地点で時計を確認すると、ぎょぎょぎょ、だいぶペースが上がっている。明らかに上がりすぎのオーバーペースだ。これはいかんと思って、慌ててペースダウンを図る。

それにしてもレースって不思議だ。一人で練習している時なんか、どんなに頑張って走っても、こんなに早いペースでは走れない。ところが、レース本番になると、アドレナリンが出まくるからか、スイスイホイホイ走れてしまう。もちろん、これはレース本番になると力がアップするのではなく、アドレナリンのせいで、持っている力が一気に出るだけだ。どこからかエネルギーが沸いてくるんじゃなくて、一気に出るだけだ。つまり覚醒剤と同じで、後になって大きなツケが回ってくる。エネルギーの全体量が増えている訳ではないから、すぐにエネルギーが無くなるのだ。

少しペースを落としたせいか、すぐ横をピッグが追い抜いていく。さすがに、みすみすやり過ごす訳にもいかないので、しばらく後ろを着いていったが、これじゃあ明らかにオーバーペースに戻ってしまうので、自制して着いていくのは止める。ピッグは近年、明らかに実力が大幅アップしているから、ムキになって勝負するのは危険だ。
去年は、このちょっと早すぎるペースで前半を折り返した。快調に走っていくのが、大変、気持ちよかったので調子に乗ったのだ。そのおかげで最終的には大会自己ベストを更新したんだけど、前半の無理がたたって終盤にガクンとペースダウンしてしまった。なので、今日の前半は、それより少し遅めのペースで攻め、そのまま最後までペースダウンしない作戦なのだ。
その後、4km地点5km地点でのタイムは、理想通りのタイムとなった。足は去年ほど軽やかではないが、まだまだ重くはない。去年ほど軽やかでないのは、たぶんランニングパンツのせいだろう。去年は超軽量の短いランニングパンツだったけど、今年は昔から履いている長目のパンツなので、少し走りづらい。こういう細かい違いがトータルとしては大きく効いてくるのかもしれないけど、ま、気のせいだろう。それよりも、だんだん暑さが気になり始めた。だいぶ暑い。汗もどんどん出てきて、タオルで何度も顔を拭う。タオルを持ってきて良かった。

5km地点の手前の土器川を渡るところでは、今年も、かつてのランニング仲間のアイドルの仁ちゃんが声援を送ってくれる。彼女は、この近所に住んでいて、例年、応援してくれている場所が同じなので見つけやすい。いつまで経っても30年前と全く変わらない可愛い姿を見ると、いつも元気をもらう。

土器川の橋を渡ったところには、最初の5km地点給水所がある。今日みたいな暑い日は、なんとしても給水しなければならない。しかし、とんでもない大群衆で走っているため、給水テーブルまで寄っていくだけで大変。さらにコップを奪い合うようにして取り、素早くテーブルを離れて、むせないように慎重に走りながら飲む。水を飲むだけで一苦労というか、なんだか体力を消耗してしまう。次の6km地点で時計を見ると、タイムも若干ロスしている。時々、腰にスポーツドリンクのボトルを着けて走っている人がいて、「給水所があるのに、なんでわざわざ自分で持ち運んでいるんだ?」って思ったけど、「給水所で水を取るのが大変だから、多少、邪魔になっても自分で運ぶ方が気楽で良い」とのことで、なるほどと感心した。

給水所を過ぎてしばらく走ると、折り返してきたトップランナーと早くもすれ違う。今年も黒人ランナーがトップかなと思っていたら、なんと今年は黒人ランナーと日本人ランナーが一騎打ちで競り合いながら走ってきた。3位とはだいぶ差を付けている。日本人の頑張りは嬉しいけど、どこまで競り合えるか不安ではある。そして、なんと、次の3位争いも黒人ランナーと日本人ランナーの一騎打ちで競っていた。なかなか面白い展開だ。

ふと気がつくと、1時間45分のペースランナーが後ろから追い越していく。なんと、去年と全く同じパターンじゃないか。彼らに着いていけばなかなか良いペースで走れるはずだから、取りあえず着いていくことにしたんだけど、9km地点の手前の2つ目の給水所で、再び混雑のせいで水を取るのに手間取っているうちに、すぐにペースランナーを見失ってしまった。これも去年と全く同じパターンだ。う〜ん、学習効果が無いなあ。て言うか、去年の事なんてすっかり忘れていたもんなあ。

給水所で多少、タイムをロスしたりしつつも、基本的には良いペースを維持できていると思ったんだけど、7km地点、8km地点、9km地点と、時計を見るたびにタイムはジワジワと悪くなっていく。おやあ、おかしい。せっかく序盤は自制したつもりなのに、これじゃあ意味ない。
て事で、気合いを入れ直して多少頑張る。マラソンは8割方メンタルなスポーツであり、ほんの少しの気の持ちようだけで足が痛くなったり痛みが取れたり、ペースダウンしたり一気にペースアップできたりする。なので、気合いを入れて気持ちも新たに頑張ると、次の10km地点のタイムは良くなった。

10km地点を過ぎてしばらく行くと、折り返し点だ。去年も確か折り返し点が少し先に延びていたけど、今年も少し延びたような気がする。参加ランナーが増えたため、スタート地点を前方に移動させているのかもしれない。
折り返し点の前では、前方を走っているはずのピッグを見つけようとしたけど分からなかった。折り返し点の後では、支部長なんかを捜したんだけど、これまた分からなかった。参加者が増えるにつれ、メンバーを探すのも至難の業になってきた。て事で、ピッグも支部長も、自分より前にいるのか後ろにいるのかも分からないままだ。

折り返して気持ちが少しリフレッシュできたためか、11km地点、12km地点のタイムは、ほんの少しずつ良くなっている。これは、なかなか良い感じ。このままペースダウンせずにゴールできるかもしれない。
それにしても、折り返してからも、すれ違うランナーの数が多い。はるか遠く地平線のかなたまで中国の大都市のように大群衆が見える。昔、制限時間が2時間5分だった頃は、僕らの後ろにはもうほとんどランナーはいなかった。それが制限時間が年々延び、3時間にまでなったため、ランニングを始めたばかりの人でもどんどん参加するようになり、僕らのような低レベルのランナーが上位になってしまったのだ。混雑のピークと思われる大群衆とすれ違った後でも、まだまだ後から後からランナーが続く。こら、主催者は大変だわなあ。

なーんて余裕を持って見ていたら、次の13km地点でタイムが一気に大幅に悪化している。いかん、いかん、油断してたらとんでもないことになる。再び気合いを入れ直して、14km地点でのタイムはまた良いペースに立て直せた。ただ、あんまり余裕は無いような気もしてきた。去年に比べたら少し遅いペースなんだけど、なんとなく余裕が感じられない。
暑さもどんどん増してくる。この時期、風が吹く時は西風なので、折り返したら向かい風になるかな、と期待していたんだけど、あまり風は感じられない。寒い時は、この向かい風が嫌なんだけど、今日みたいに暑い日は、向かい風で涼しくなるのを期待してたんだけど、ほとんど役立たずだ。最初は時々、ポケットからタオルを取り出して顔を拭いていたんだけど、ずっとタオルを握りしめて顔を拭きどおしだ。後から後から汗が出てくる。
ここまで来ても、まだまだすれ違うランナーは多い。2時間30分のペースランナーともすれ違うが、おや、よく見ると、新城プロではないか。2時間30分のペースランナーといえば、第63回64回大会で僕らがやったペースランナーだ。2時間30分もかけて走るってのは、僕らですら妙な感じだったのに、新城プロともあろうお方が2時間30分もかけて走れるんかいな、って思うけど、プロだから何とでもなるんだろうなあ。

次の15km地点では、再び大幅にタイムが悪化した。やはり余裕が失われているから、すぐにペースダウンしてしまうのだろうか。もう残り6kmなので、スパートするつもりで再度、力を入れる。その甲斐あって、次の16km地点、17km地点と、再び少しずつタイムを上げる事ができた。途中に土器川の堤防の上りがあったにもかかわらずタイムを上げることができたので、このまま残り4kmを乗り切れるかもしれない。
て事で17km過ぎの給水所は、もうパスして一気にラストスパートモードに入った。

最後の大きな角で、道路の左側に小さな子供達が並んでハイタッチしてくれている。ここで元気をもらわねば、と思って小さな手と次々にハイタッチしていると、なんと右側では金哲彦さんがハイタッチしている。確か金さんはテレビ中継の解説をしているはずだが、既に優勝者の表彰なんかも終わり、こんなとこまで戻ってきてランナーを激励しているのだ。しかし、金さんとハイタッチするよりは小さな子供達の方が元気をもらえるような気がするので、そのまま子供達とハイタッチを繰り返す。

元気をもらい、ますます気合いを入れてラストスパートしているつもりなんだけど、あれれ?なぜか次の18km地点のタイムは目を疑うほど悪くなっている。思わず時計を二度見したけど、やはり間違いない。一気に悪化している。またか。またなのか。結局、例年のように、最後の大きな角を曲がって南へ折れたところから、一気にタイムが悪化するのだ。残り3kmの直線コースに入ると、絶望的にタイムが悪化するのだ。

これは、一体、どういう事なんだろう。支部長は17km給水所の水に毒が入っているという陰謀説を捨てていないが、僕は今回、給水していない。それにも関わらず一気にペースダウンしてしまった。
主観的には、直線コースになって一気に駆け抜けているつもりだし、そんなに足が重くなった感覚も無い。しかし、周りを見ると、他のランナーがどんどん追い抜いていく。急に周りのランナーが一斉にスパートしたとも思えないから、自分がペースダウンしているのだろう。
これでは大会自己ベストが出せないと思って気合いを入れ直して一生懸命頑張るんだけど、次の19km地点のタイムは、ますます悪くなっている。こうなっちゃうと、どう考えても、もう大会自己ベストは不可能だ。そう分かると、一気に気持ちが折れる。あ〜あ、がっかり。

と、がっかりした瞬間、なんとボクサー竹葉が抜いていく。彼の足取りはしっかりしたままだが、そんなに速いペースではない。僕がさっきまでのペースで走っていれば、追い抜かれないペースだ。しかし、もう頑張ろうと思っても足が動かない。悲しい。悲しすぎる。僅か1年前に廃人同然で生死の淵をさまよっていたボクサーに抜かれてしまうなんて、絶望的な気分だ。
ますます心が折れてしまい、次の20km地点のタイムは絶望的なほどまで悪くなった。ここで頑張ったところで、なんの意味もない気がする。しかーし、そうでもない。実は、これまで多くのレースで同じような体験をしてきた。大会自己ベストの更新や目標としていたタイムのクリアが絶望的になった瞬間に心が折れて歩くように足を引きずったせいで、あとから「あーっ、あと数秒速かったら大会自己ベスト3位だったのにぃ!」とか思う事がよくある。丸亀マラソンだけでも既に10数回も出ており、似たような記録が並んでいるので、数秒差で大会自己記録何位なのか違ってくるのだ。ま、大会自己ベスト7位ってのと8位ってのと何が違うんだと言われたら困るが。
なんにせよ、ここで油断してはいけない。無意味のように思えても、最後まで頑張ってみよう。そう思って競技場の近くまで来たが、ほんと、もう足が動かない。情けないったらありゃしないが、足が動かないのでスパートができない。序盤から抑えて走ったのに、こんな事になるなんて、一体どうしたんだろう。
さすがに、陸上競技場内に入ったら気持ちも引き締まり、ほんの100mだけラストスパートして、なんとかゴールした。

ゴールすると、去年と同様、地元の高校の生徒が並んでハイタッチしてくれる。最後は力尽きて情けなかったけど、こういうのは嬉しくなって、再び少し元気な気持ちになる。
少しだけラストスパートできたので、その疲労感はあるけど、足が痛いとか立てないとか、そういう感覚は無い。これは良い事かというと、そうではない。足も痛くないし、平気で歩き回れるって事は、全力を使い果たしてないって事だ。本当に走りきったレースの後は、しゃがみ込んだら、もう立てなくなる。でも今日は全然平気だ。その割りには、終盤は足が重くて動かなかった。う〜ん、どうしたらいいんだろう。難しいなあ。

ゴールして横でしばらく待っていたんだけど、なかなか誰も現れない。ピッグとボクサー竹葉は既にゴールしてると思うんだけど、支部長や國宗選手、ヤイさん、ゾウさんは、見あたらないって事は、まだゴールしてないんだろうと思う。
どうしたのかなあ、って思って待ってたら、小松原選手に会う。彼とは毎年11月のタートルマラソンで会うんだけど、丸亀マラソンで会うのは珍しい。

(幹事長)「どうやったん?」
(小松原)「快調でしたねえ。1時間25分くらいでしたよ」
(幹事長)「え?にじゅうごふん???」


1時間25分だなんて、もう呆れて物が言えない。これまで石材店とか矢野選手とか渡部選手とか速いランナーも大勢いたが、それでも1時間30分を切れば上出来だった。それが1時間25分だなんて、すごすぎる。

(小松原)「次はフルマラソンでサブスリーを狙ってるんですよ」
(幹事長)「え?さぶすりい?」


サブフォーですら不可能だと思っている僕にとって、サブスリーだなんて、あまりに現実離れしていてピンとこないな。
小松原選手のタイムに呆れながら待っていると、疲れ切った表情で支部長が帰ってきた

(幹事長)「バテバテやんか」
(支部長)「アンデルセン状態目前や。暑くてフラフラ」


だからタイツやアームウォーマーは暑いって忠告したのに。
支部長に続いて、次はゾウさんが帰ってきた

(幹事長)「結構速かったやん。大会自己ベスト?」
(ゾウ)「違うんです。一昨年の方が速かったんです」


一昨年と言えば、僕はパッとしなかったけど、支部長もゾウさんも快走した年だ。それに比べれば少し遅かったとは言え、それでも十分速い。ゾウさんの家の近くでは、知人達が大きな応援の横断幕を広げて応援してくれたそうだ。

(支部長)「危なあ。危うく負けるところやった」
その後、しばらくすると國宗選手が帰ってきた。やはり1ヵ月もの間、1mも走ってなかったため、足が痛くなったようだ。誰だって1ヵ月も走らずに、いきなりハーフマラソンを走ったら、タダでは済まないだろう。
ここで、國宗選手の元上司のクマさんにも会う。クマさんも國宗選手と同様、ここんとこ激務で練習は出来てなかったらしいけど、さすがに基礎体力があるから、そこそこのタイムでは乗り切ったようだ。
さらにしばらく待っていたけど、それ以上、誰も現れなかったので、取りあえず完走証をもらってスタンドに帰る。すると予想通り、既にピッグとボクサー竹葉は着替え始めていた。もう完敗だったろうと思ってタイムを見せっこしたら、なんと3人とも1分も差が付いてなかった。

(幹事長)「ピッグは序盤で軽快に抜かれたから、ずっと前を走っていると思ったのに」
(ピッグ)「序盤は調子良かったんですけど、その後はガクッときましたからね」
(幹事長)「ピッグもボクサーも、もう絶対追いつけないと思ったんだけど、それくらいの差だったら、
       最後にもっと力を振り絞って頑張れば再逆転できたかも」


やっぱり最後まで気持ちを切らさずに諦めずに走る事が大切なのよねえ。後から言っても遅いけど。

ところで、ヤイさんの姿だけが見あたらない。いくらなんでも遅いなあ、と言ってたら、ようやく帰ってきた。

(幹事長)「どしたんですか?」
(ヤイ)「いや、もう足が痛くて」


なんと、超人的な肉体を誇るヤイさんとは思えないボロボロ状態だ。さすがのヤイさんも、ちょっと練習不足だったのか。でも、これまでも徳島マラソンとかサイクリングしまなみとか、ほとんど練習無しでも軽く乗り切ってきたのに。

走り終わっても、まだまだ暖かいので、のんびり競技場を見ていると、ようやく制限時間の3時間が近づいてきて、3時間のペースランナーが最後の走者を励ましながら入場してきた。3時間のペースランナー矢野選手だ。矢野選手は、もう5〜6年はペースランナーを続けてるんじゃないかなあ。矢野選手も高速ランナーだから、3時間もかけて歩くように走るのは大変だろう。
もっと遅いランナーもたくさんいると思うけど、後が来ないのは、20kmの関門で回収されたんだろう。20km地点って言えば、もうゴール目前なんだから、そのままゴールさせてあげたらいいようにも思うけど、どうなんだろう。瀬戸内海タートルマラソンのフルマラソンは、かつて制限時間が5時間で、それをオーバーしたこともあるけど、あの時は、いくら遅くても途中で回収されることはなかった。ただし、ゴールした時はゴールのゲートが跡形もなく片付けられていて、とても寂しかったな。

さて、トップ選手の結果は、トップを争っていた黒人選手のマーティン・マサシが日本人トップの村山(駒大)を引き離して優勝した。マサシの記録は1時間0分11秒っていうから、もう呆れてものも言えんわなあ。村山も優勝は逃したが、日本歴代3位の1時間0分50秒だ。

(幹事長)「わしらの半分やで」
(支部長)「ま、あれが仕事やからな。わしらは趣味やし」


そういう問題ではなく、肉体の違いが想像を超えている。

(幹事長)「でも経験ではわしらの方が上やで」
(支部長)「せやな。わしらがマラソン始めた時に、奴らまだ生まれてなかったんちゃうか」


ま、意味は無いです。



レースの後は、例によって、うどん屋で反省会だ。このレースには県外から多数のランナーが参加しに来ていて、せっかく香川県に来たのだから、みんなうどん屋で昼食を取るので、付近のうどん屋はどこも壮絶な混雑ぶりだ。競技場から近い長田in香の香に行ったんだけど、ものすごい長蛇の列だったので諦めて、その近所に新規開店したうどん屋へ行く。

今日のレースを総括すると、終盤にガクンとペースダウンした去年の反省から、序盤から抑えめに走ったにもかかわらず、終盤に去年と同じようにガクンと足が動かなくなってしまった。これは一体、どういう事だろう。練習量は、たぶん、去年も今年も似たようなものだったし。序盤に飛ばそうが抑えようが終盤には同じようにペースダウンしてしまうのだろうか。そんなアホな。それとも、去年より暑かったため、序盤に抑えたにもかかわらず終盤で足が重くなったのだろうか。それとも、今年は前日の夜まで東京出張で、コンディションがイマイチだったからだろうか。

(幹事長)「悩みは尽きない!」
(支部長)「そんなに悩むほどのレベルでもないがな」
(ボクサー)「練習量は嘘つかないって言葉、知ってますか?」


なんと廃人から復帰して1年のボクサーは、月に200kmは走っているという。僕なんか、せいぜい月に100kmくらいだ。やっぱり、もっと練習せんといかんのかあ。

(幹事長)「ゾウさんは来週、坂出天狗マラソンに出るし、ピッグは2週間後の海部川マラソンに出るんよね」
(ピッグ)「できればサブフォーを狙いたいですね」


僕と支部長、國宗選手、ヤイさんは、次のレースは4月末の徳島マラソンだけど、4月末まで3ヵ月近くもレースが無いってのも寂しい。去年は奇跡的に僕が東京マラソンに当選し支部長が京都マラソンに当選したから良かったけど、今年は二人とも落選続きだ。

(國宗)「自転車はいつ再開します?」
(幹事長)「寒いから、ゴールデンウィークからじゃない?」
(支部長)「そら、いくらなんでもサボりすぎやで」


ま、ちょっと寒さも和らいできたら、ぼちぼち自転車を始めましょうか。



て事で、いまいち嬉しくないタイムだったと思ったんだけど、家に帰って調べてみたら、そう悪いタイムでもなく、丸亀マラソンで過去3番目のタイムだった。3番目のタイムなんて、なんの意味も無いように思えるけど、そうでもない。この丸亀マラソンも、11月のタートルマラソンも、どちらも20年近く走り続けているレースだが、どちらの大会も、大会自己記録のベスト1からベスト3まで、全て50歳を過ぎてから出したのだ

(幹事長)「これって、ちょっとすごいと思わんか?」
(石材店)「2つ要因がありますね。1つは40歳台までのタイムが悪すぎ。もう1つは、練習量が少ないから故障知らず!」


マラソンって、トップランナーなら遅くても30歳台半ばでピークは過ぎるが、僕等のようなレベルの低いランナーの場合、年齢による衰えがくるのは、早くても60歳を過ぎてからだ。みなさん、まだ間に合う!まだ遅くないよーっ!



レースから10日ほど経ったある日、珍しくボクサー竹葉から参戦記が送られてきた。外人の知人に送ったものなので英語で書かれていた。
Marugame International Half-Marathon

-An old soldier never dies-

Marugame has been developing as a castle town and also bustling with pilgrims to Konpira Shrine since Edo era. It still preserves atmosphere of those days until now. A beautiful grand castle, which is in the center of the city, looks down on whole realm with dignity as if a feudal lord were still there. Most people perhaps don’t know, but Uchiwa manufacturing which is second to none in Japan features Marugame as well.

However, it seems it’s been losing energy and functions as the central city of the region. I guess a marathon was introduced as one of the methods to revitalize the city. I really hope, as a participant of the race, this will be a trigger for breaking through the status quo to change things for the better.

Anyway, Marugame International Half-marathon was held in this traditional castle town on February 2nd. As the name indicates, it’s an international one and a winner can get a ticket to the World Athletics Championship in Copenhagen. Lots of top athletes came to contend for a ticket and for the pride. Once I raced against Q-chan, who was the gold medalist in the Sydney Olympics, and of course, I lost very easily in this race.

It was expected raining on the day. As is often the case in this area, it was fine and rather hot for a winter's day. Yuko Arimori, who won silver and bronze medal in two consecutive Olympics, was invited as a starter and vigorously spoke out encouragement to the runners there through a speaker. Yuko-san became very popular after she won the second medal in Atlanta and made an impressive remark with tears of joy that she sincerely wanted to praise herself, with which all people were touched.

It took me more than five minutes to cross the start line after Yuko-san started the race because the number of participants exceeded 10,000 and starting area was packed with excited runners. Even after crossing the line, I could hardly run as I wanted to, which I'd never experienced before. I recognized what it would be like to run among so many runners.

I did my best and I'm very much satisfied with the race, although my time was terrible. Sadly, I already know I can't run as fast as I did ten years ago. However, my heart doesn’t sink. I confirm my resolution to train hard and show that an old soldier never dies.
(支部長)「英語かあ。読むのめんどくさいなあ」
(幹事長)「大したこと書いてないから、読まんでもかまん」
(ピッグ)「最後の an old soldier never dies. って格好いいですよねえ」
(支部長)「不死鳥のように甦ってくるってことか?」
(幹事長)「しかし、マッカーサーの演説では、このあと
       Old soldiers never die, they just fade away.(老兵は死なず, ただ消え去るのみ)
      って言うんぞ」


ま、しかし、マッカーサーは「潔く退任すべき」と言いたかったんだろうが、我々ペンギンズはヨボヨボになっても走り続ける信念だから、後半は不要だ。


〜おしまい〜




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