第4回 高知龍馬マラソン
2016年2月14日(日)、高知市において第4回高知龍馬マラソンが開催された。
この時期、四国内の貴重なマラソン大会が混み合っている。1週間前の2月7日には丸亀ハーフマラソンの記念すべき第70回大会が開催され、ペンギンズ主要メンバーの大半が参加したばかりだ。また、同じ日に愛媛マラソンも開催され、2年間のアメリカ勤務を終えて1週間前に帰国したばかりのスーパールーキーモンキー城武選手が出走したほか、スーパーアスリートウルトラマラソンアイアンマン小松原選手も出走した。
高知龍馬マラソンは、その僅か1週間後なので、丸亀マラソンや愛媛マラソンに出場した選手は連続になるので体力的にきつい。実は同じ日には、坂出天狗マラソンも開催され、丸亀マラソンで快走したD木谷さんやゾウさんは、そちらに連続出場した。
(幹事長)「どうやったんですか?」
(D木谷)「まあ、ボチボチでしたね、ふふ」
(ゾウさん)「丸亀マラソンの疲れが少し残ってましたけどね、ふふ」
二人とも絶好調だった丸亀マラソンの勢いを持続して快走したようだ。2週間連続なのに、すごい。
ただ、坂出天狗マラソンは15kmだ。ハーフマラソンの丸亀マラソンとの連続出場も、あり得ない話ではない。だが丸亀マラソンの1週間後にフルマラソンの高知龍馬マラソンを走るのは、ちょっときつすぎる。
って事で、誰も高知龍馬マラソンに出ようというメンバーはいなかった。そう、ピッグを除いては。
(幹事長)「すごいなあ、ピッグ!ハーフマラソンの翌週にフルマラソンかあ。偉いなあ」
(ピッグ)「え、いや、その、今回、私、丸亀マラソンには出ないことになりまして」
(幹事長)「なんやてーっ!!!」
ピッグがスキーを優先して丸亀マラソンに出なかった顛末は丸亀マラソンの記事に書いているので、ここでしつこく追求はしない。
(幹事長)「マラソンよりもスキーを優先するとは見上げた根性じゃがな」
(ピッグ)「しつこいですねえ。その代わりに翌週の高知龍馬マラソンに出るんじゃないですか」
(幹事長)「フルマラソンを走る前の週にスキーに行くとは見上げた根性じゃわな」
てないきさつで、ピッグがみんなの期待を一身に背負って高知龍馬マラソンに出場することになった。
それから、なんと、2年間のアメリカ勤務を終えて2週間前に帰国したばかりのスーパールーキーモンキー城武選手が、愛媛マラソンに続いて2週間連続のフルマラソン出場を決行する。実は城武選手はアメリカへ異動になる前の2013年の愛媛マラソンで優勝していたため、今回も注目されていたが、さすがに帰国直後の疲れで優勝はできなかった。そして、城武選手はアメリカへ異動になる前の2013年の高知龍馬マラソンでも優勝している。つまり、この年、彼は愛媛マラソンと高知龍馬マラソンと連続優勝しているのだ。あまりのすごさに開いた口がふさがらないが、そのため今回の高知龍馬マラソンでも注目されていた。
(幹事長)「もちろん、私の最大関心事はピッグの走りだがな」
(ピッグ)「任せてください、船長っ!」
てなことで、ピッグから記録が届いたので、みんなで見よう!
今回は、丸亀ハーフマラソンを休場し、満を持して高知龍馬マラソンに出場してきました。年末年始のお休み期間中は、例年になく暖かかったせいで、最大1日10km程の練習をぼちぼち積んでいましたが、1月に急に冷え込んだ時期に風邪をひいてしまい、しばらく走らなかったせいで僅かな蓄積もゼロクリアされたようです。とは言え、まぁ歩きさえしなければ、4時間30分程度で走れるのではないか・・・と2〜3年前の過去の絶好調だった時のイメージで何の根拠もなく過信しておりました。
前の日から行く事も考えましたが、早起きしたら日帰りできない距離でもないので、当日は4時に起床し、お餅3個、バナナ1本を食べ、4時半に高松市の自宅を車で出発しました。高知市内までの道中、かなり雨が降っており、「やれやれ今日は雨の中でのレースかぁ」と気乗りのしない心持ちでしたが、7時前に高知市内に到着するとすっかり雨が上がっていました。
実は大会要項に「出場者用の駐車場は一切、設けておりません」と驚くべき注意書きがあり、おかげで当日集合地点となっている高知市城西公園近辺のなるべく安い駐車場を探し求めて、早朝の高知市内をゆっくり車を流すことになりました。しばらく料金看板を見渡しているとビルの狭間の遊休地にある小さなパーキングが断然安く、700円上限の駐車場を発見して難なく駐車できました。これで駐車場問題は解決。これが普通の時間制の駐車場であれば、ゴール時間が遅ければ遅いほど課金されていくので、走り終えた後も、ゆっくりしていられない、と危惧しておりました。
(幹事長)「でも、早くゴールしないといけないって焦った方がタイムは良くなるんじゃない?」
(ピッグ)「確かに、ちょっと安心して油断しましたね」
おまけに、上々の駐車場が確保できたということで時間に余裕をもって集合場所へと徒歩で歩いていると、途中にもっと近い場所に300円上限の駐車場があり、1台空きがあるのを見つけて、やや出鼻から挫かれた気分でした。
会場に着き、受付を終えても荷物預けのリミットが8:15、スタートブロック集合時間が8:30とまだまだ余裕があったので、今回、とっておきの栄養ドリンク「モンスターエナジー」を飲んでみることにしました。缶のデザインが米国人好みのようで、スラム街の落書きのようないかにも怪しい感じで、いかにも不味そうな雰囲気全開です。ネットのレビューを調べてみるとカフェインが多く眠れなくなったとの投稿もあり、一体どんなに効き目があるのか?どんなに不味いのか?ついつい不味さを期待して飲んだけど、リ○ルゴー○ドを濃くしたような味で美味しく飲めました。内心、これで後半もスタミナ切れなく存分に走れるのだと、ドーピング効果を信じるに至りました。
天気も良く、根拠のない自身が漲るレース前のピッグ
その後、地元高知の知人に久しぶりに会い、近況を語りあい、今日のマラソンは相応にとにかく完走を目指そうということで互いにエール送り、スタート30分前にそれぞれの集合ブロックへと並びました。
真冬の大会とは思えぬほど晴天に恵まれ、風もなく、集合ブロックで並んで待っていても、マラソン用の軽装で寒さに震えることもなく絶好のコンディションでした。
スタート10分前から各ブロックの集団が所定の待機地点までの誘導に従い歩いていると、これまた久しぶりに昔の職場の先輩S石さんに会い、世間話をしました。S石さんの話によれば、先週の愛媛マラソンに参加したので、今日は、あまり無理せずに行くつもりとのことでしたが、サブ4を連発している実力者で、100kmマラソンにも数多く参加しているとのことでした。「S石さんの後ろに付いていければ、今日は願ってもない良いタイムが出るかも・・・」と、偶然にも格好のペースメーカーを見つけました。さらに周囲を見るとサロマ湖100kmマラソンのTシャツのランナーや第3回富士山マラソンのTシャツのランナーを見かけ、そもそも目標タイムがサブ4のブロックでのエントリーは分不相応だったかと思いました。
そうこうしているうちに龍馬に扮した高知県知事の合図でスタートが切られました。先頭に近いCブロックからスタート地点までのロスは2分程度と混雑もなく、快調なスタートを切れました。混雑が少ないせいでS石さんの背中もぴったりとマークすることができ、1km5分45秒ペースで序盤を快調に走り始めました。高知県庁前を電車通り沿いに、はりまや橋方面へ東進し、南国バイパスを心地よく走っていると、ゲストランナーの金哲彦さんが龍馬の仮装で現れました。龍馬ヘアーの長髪カツラに着物姿でとても走りにくそうでしたが、ランナーに声を掛けて盛り上げてくれました。調子がよかったので金さんのところまで行って握手してもらおうかとも思いましたが、せっかくの順調なペースが乱れると思い、自重しました。
高知龍馬マラソンは初参加で、高知市内の地理があまりよくわかっていない上、さらにコースマップも大体のイメージしか記憶していなかったため、「まだまだ東に走らされ、なかなか太平洋に向いて南に曲がらないなあ〜」と早くも辟易としていたところ、9km付近で「このままサブ4ペースのS石さんの背中を追いかけていると最後まで到底もたないぞ」とトイレ休憩を言い訳に追走を諦め、ペースを落として一人旅をすることにしました。この時点で小用が近くなったのは、モンスターエナジーに含まれる大量のカフェインの効果だったのかもしれません。
この辺りで感じたことは、今のところ余裕のある走りを続けているものの、初めてコースは見慣れた目標が定まらず目途が立てにくい、そのせいで南国市内を南下するコースは、距離以上の長さを感じました。また、この大会では、とにかく唯一最大の山場である20km地点での高さ50mの浦戸大橋までいかに体力を温存しておくかがカギだと思い込んでいました。やっとの思いで太平洋に近づいて西方向へとコースが変わり、本日のクライマックスと思われる浦戸大橋に差し掛かりました。「ここが20km地点、ここを歩かずに上りきれば、あとはほぼ平坦なコースで大きな障害はない」と完歩でなく完走をするために浦戸大橋の急こう配を短い歩幅でゆっくりと走り切りました。
これでひとまずは満足、その後の橋の下りも短い歩幅を保ち、足に負担をかけないようにしながら渡り終えると、ちょうど21kmの中間点となり、コース最高の見せ場である桂浜の絶景ポイントとなりました。遠来のランナーはせっかくの機会ということで足を止めて記念撮影していました。
残るは半分ということで、「今日の出来では4時間30分あたりか」と皮算用し、太平洋を左手に眺める気持ち良いコースをマイペースで無理なく走り続けておりました。あまりに天気が良くなったせいか、気温が20℃近くまで上がり、救急車の音や白バイの誘導する様子が聞こえ、「今日は倒れるランナーも結構出ているなぁ」なんて他人事のように思っておりました。
太平洋の荒波が聞こえる西行きの絶景コースも防波堤などで眺望を遮られる部分もあり、少しずつ単調さに飽きていると27kmくらいで先頭グループのランナーが折り返した後、東に向かって走ってくるのが見えました。ここで「おおそうか、折り返し点は近いぞ、きっと近いはずだ」などと、冷静に距離表示も考えずに大きな勘違いをしました。現実には27〜28kmなので折り返し点が現れるわけもなく、さらに少し走ると小ぶりなトンネルが出てきたので、「きっとこのトンネルを抜けたらすぐに折り返し点が見えるに違いない」なんて自分勝手にコースを想像していました。
ところがトンネルを通過したところ、延々と東に延びる先行ランナーが目に映り、「まさか、いったいどこまで連れて行かれるのだ?」と意気消沈、そんな気持ちのまま、ようやく仁淀川大橋が見えてきました。しかし仁淀川大橋の先がどこまで続いているのか橋がなだらかに盛り上がっているため、先が見通せず、とにかく渡りはじめます。そもそもコース上に仁淀川大橋があることを知らず、仁淀川大橋がどれくらいの全長なのかもわかっていなかったので、渡り始めてから、はじめて浦戸大橋に次ぐ第二の難関であるということに気が付きました。しかも「橋の上では立ち止まらないで下さい」と大書した大会運営者の看板も精神的プレッシャーになり、さらに長々と続く橋の大きさが意欲を萎えていき、スピードが漸減していきました。500mはあろうかという仁淀川大橋を渡りきると、やっとのことで折り返し点のコーンが見つかり、180°折り返したのも束の間、今、まさに渡りきったばかりの仁淀川大橋に再び戻るのでげっそりで、この帰り道がまた長く感じました。
橋を超えてようやく35kmを過ぎるけど、もはや体力、気力の限界に達し、その後、給水所ごとにしっかりと飲んで食べ、しばらく歩いてから走りはじめることになりました。歩きが加わると今までの走るリズムが大崩れして一気に疲労が表面化するのか、足がつってくるのがわかります。35km以降は、1kmずつに進むのが大変でつらい作業のような気持ちになりました。
37.5kmでやっとゴールの春野陸上競技場を目指す北上ルートをとるようになり、やっとの思いで終盤戦に入りました。この時点で時計に目をやると「最悪でも、とにかく5時間は切れるだろう」と騙し騙し歩きと走りを交互に繰り返し、40km付近まで行くと沿道の皆さんが「ゴールまであと少し、最後まで頑張って」と暖かく応援してくれました。
ところが、ここでも予想外のコース設定で、よく見ると春野陸上競技場って、春野野球場に隣接しているせいか小高い丘の上にあるように見えます。でもきっと野球場だけが一段高く構えているのであって、陸上競技場はもう少し低いの方にあるのではないかと甘く考えていたら、やはり最後に30mの高さまで上っていかなければなりませんでした。「沿道の応援もあることだし、最後くらいは頑張って走り続けよう」と決意したけど、思いのほか、陸上競技場へと続くだらだらの上り坂がきつく、堪え切れずに歩いてしまいます。今度は「せめて最後の陸上トラック内は、走ろう」と思い直したのですが、徳島マラソンのようにトラックの1/4の100mほどで終了と同じつもりで考えていたら、そんなはずもなく400mトラックを1周させてくれるということで、泣く泣く走っていると、またしても足がつってしまい、散々な思いで、ようやくゴールテープを切らせてもらいました。
足を引きずって、なんとかゴールするピッグ
ゴールインした直後、安心感からか、さらに強烈に足がつって、3枚設置されている計測チップ用の感応マットのうち、1枚を踏み越えたところで、よろけてしまいました。コースアウトしそうになるとスタッフさんが慌てて飛び出してきてくれて、親切に助けてくれるのかと思ったら、「悪いけど我慢してマット3枚分を通過しないとダメだ」と諭してくれました。公式タイムが取れないからだと思われます。
という訳で、今回はネットタイムで5時間を切るのが本当に精一杯という結果に終わり、自己ワースト2の惨憺たるレースとなってしまいました。
次回の、コースを熟知した4月の徳島マラソンでリベンジしなくては・・・
(幹事長)「ふむ。かなり苦戦したようやなあ。季節外れの暑さのせい?」
(ピッグ)「いえ、単なる練習不足というか、練習してないのに最初から調子に乗って飛ばしたのが作戦ミスですね。
後半にあんなに坂があるとは知りませんでした。やっぱりコースを知らないとペース配分は難しいですね」
これまで数々のレースで練習不足をモノともせずに快走した実績のあるピッグだが、やはりペース配分をミスると惨敗するという教訓でした。
ところで、レースの結果だが、2年間のアメリカ勤務を終えて2週間前に帰国したばかりのスーパールーキーモンキー城武選手が、アメリカへ異動になる前の2013年に続き、再び優勝した。2位以下に大差を付けてのダントツ優勝だった。本当にすごい。凄すぎる。ほんの少しでも見習いたいなあ。
〜おしまい〜
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