第25回 四万十川ウルトラマラソン大会
2019年10月20日(日)、高知県四万十市において第25回四万十川ウルトラマラソン大会が開催された。
そして、遂にピッグが100kmの部に出場したのだ!
(幹事長)「遂に汚名を晴らす時が来たな」
(ピッグ)「汚名じゃないですってば!」
実はピッグは5年前に四万十川ウルトラマラソンに果敢にも単独で挑戦したのだが、一般的な100kmの部ではなくて60kmの部でお茶を濁したばっかりに、詐欺者の汚名を着せられてきた。
偉そうに「四万十川ウルトラマラソンに出てきました」なんて言っても、それが100kmの部じゃなくて60kmの部だと分かったとたん、あらゆる人から詐欺師として軽蔑され小バカにされてきたのだ。
(ピッグ)「そんな事はありません!」
(幹事長)「でも、多少は肩身が狭かったやろ?」
(ピッグ)「まあ、少しは……」
募集定員からしても100kmの部が1800人なのに対して60kmの部は600人と少なく、明らかに60kmの部は100kmを走れないヘタレのためのオマケだ。
ヘタに60kmの部なんかに出るくらいなら、最初から出ない方がマシというのが四万十川ウルトラマラソンの常識だ。
(ピッグ)「60kmの部にも出たことないくせに、よくそこまで言いますねえ!」
その60kmの部に出たばっかりに日陰者の人生を歩んできたピッグが、遂に苦節5年、世間を見返して大きく花開くときがやってきたのだ。
彼の挑戦記を読もうじゃないか!
このたび四万十川ウルトラマラソン100kmの部に出場してきましたので、報告します。
<経緯>
今回、首尾よく四万十川ウルトラマラソンの出場権を得て、今回、100kmの部に初挑戦となりました。
というのも、2014年の第20回大会に60kmの部に出場したことがあり、たまに『ここぞ!』というマラソン大会には四万十川ウルトラマラソンのTシャツを着て意気揚々と参加するのですが、幹事長から「ピッグのウルトラマラソン出場っていうのは、60kmの部やからなぁ〜・・・」という残念なコメントを毎度いただいておりました。確かに当時、100kmという途方もない距離にビビッて、まずはお試しに60kmにしたのは事実で、60kmはコース設定が比較的フラットで、フルマラソンから少し頑張れば達する距離であり特別な鍛錬がなくてもなんとか完走できると踏んでの挑戦でした。
しかし前回はフラットな60kmと言えども、40kmを超えて薄暗くなっていく中、残る道のりを考えるとかなり気持ちが萎えてしまい、終いには足が攣ってくるのを騙し騙し、ヨレヨレ状態で、歩き・やや走り・歩きを繰り返しながら、ゴール地点の中村高校の灯りを心の支えになんとかゴールしました。またゴール後、椅子に座って放心状態でいると体が冷えて低体温症になりそうだったという思い出もあります。このため100kmには恐怖心を抱いており、なかなか挑戦する気になれませんでした。
しかし、2018年2月にサブ4を達成して以来、やたらとヤル気がみなぎっており、「今年も何かを成し遂げたい、何か達成して自慢したい!」と思っていました。身近にいるお仲間で同い年のD木谷さんは、既に四万十ウルトラよりも難度の高い京丹後ウルトラマラソンの完走しており、また会社の同期のクワちゃんも既に何度も四万十川ウルトラで完走しているということもあり、自分自身、今現在、マラソン歴20数年の中でもピークと言える絶好調状態であることや、既に一度、同大会の60kmを走っており、40km以降のコースは100kmも60kmと同じなので、少なからず前回の経験が生きてくるのではないかと皮算用。『今ならできる、今しかない』と決心し、満を持して四万十川ウルトラマラソンの100kmに申し込みました。
<前日>
前日、仲良く100kmを一緒に参加するクワちゃんが11時に自宅近くでピックアップしてくれて出発しました。順調に走行し、遅めの昼食ということで「久礼大正町市場」に寄り道して、鉄板メニュのカツオたたき丼+ウツボのたたきを堪能し、その後もスムーズに走行し、受付会場に到着しました。
受付会場辺りをウロウロしていると、2016年の高知龍馬マラソンでご一緒したS石さんに出会いました。S石さん、今回なんと視覚障害の方の伴走として100kmに参加とのことでした。一瞬、何を言っているのかと思いましたが・・・常人ならば、100kmを完走するのに自分の事だけで精一杯のハズなのに一体全体、理解を超えています。思わず「マジですかぁ〜」と叫んでしまいました。
その後、ホテルにチェックインして、前夜祭に参加、夕食、テレビでラグビー「NZvs南ア」を見て、入浴し、なるべく早く(10時頃)寝ました・・・。
<当日スタートまで>
というのも、なにせ早朝というか未明の2時起きです。3時から朝ごはん、朝ごはんはバイキングですが、どの程度、溜め込んだらよいのか、頃合いが微妙なものの、結局、満腹までしっかりと食べました。その後、着替えにあたり、サイクルジャージにして背中のポケットに食べ物やコース図などを入れて行こうかなと迷ったあげく、普段やらないことを本番でやるとロクなことがないので、普通にTシャツにランパンで落ち着きました。
準備後、3時50分発のバスで出発し、20分程度でスタート会場の蕨岡中学校付近で降ろしてくれました。まだ早朝4時過ぎで完全に夜です。ただ地元の和太鼓チームが景気付けに勇壮な曲調の演奏で出迎えてくれ、気分が高揚し「ついに来たか」、「ここに至るまで、半年ほど、そこそこは練習したよ・・・」などと頭の中で反芻していました。スタート会場では同じ会社の出場者と記念撮影し、皆で健闘を誓い合い、さらにトイレで時間を取られていると、あっという間にスタート地点までの移動時間となり、まだまだ暗い中、スタート地点に到着。あれこれ考える暇もなくスタート時間となりました。
本日の天候は最高気温24℃まで上がるとの予報で、暑さがどれくらい体に効いてくるのか危惧されますが、早朝の最低気温は16℃くらいで全然、寒くもなく風もなく、天候としては上々でした。
<スタート〜20km>
これといったカウントダウンもなく5時30分にスタート、100kmマラソンなので先頭集団はいざ知らず、私のいた付近は、皆さん先を急がずに余裕のスタート、まずは足慣らしです。夜明け前のスタートが非日常的で、このレースの醍醐味のひとつかと思います。自然とアドレナリンが体内に満たされて「やってやるぜ!」と意気盛んになりました。ただし先は長いので慌てず急がず、まあスタート直後のロスはあったものの、キロ7分くらいからの出だしです。
クワちゃんとは隣り合ってスタートしましたが3キロもすると明らかにクワちゃんが速いので、無理は禁物ということで早々にクワちゃんから離れました。その後、13時間のペースランナーを見つけて、極力、付いていくことにしました。この時点では、まだまだ四万十の山河の景色を楽しむ余裕があり、夜が明けてくるシーンを走る自分に酔いそうになりながら楽しむ余裕がありました。
さてスタートからは20km地点までが上りで標高600mの山頂を越え、その後40km地点まで下るという大まかな前半イメージであり、この間、いかに体力・筋力を消耗せずに足を温存できるかが大事という話です。高知のおんちゃんにも「割り切って歩く」のも立派な作戦と、かねがね経験談を聞いておりましたので、とにかく無理しない、上り坂がきつければ、あっさりと歩く!を実践しました。途中、澄んだ空気の爽快感、山の深さ、緑の濃さを感じ、川の水音を聞きながら景色を楽しみつつ、淡々と走り、あまり疲れずに一山越えることができました。ここまで20kmのタイムが2時間32分とキロ7分半ペースで上出来でした。
<20km〜40km>
ここから山を越えて下りに入るなり、私が追走していた13時間のペースランナーが山上りでのタイムロスを山の下りで一気に挽回しようと下りのペースを明らかに上げました。このまま付いていくと、間違えなく足をやられると判断し、ここからは誰も追いかけないマイペースランとなりました。こんな早朝でも年1回のお祭り騒ぎということで、地元の方々が家の玄関先や庭から応援してくれます。嬉しいかぎりです。
少しばかり一人旅で走っていると今度はゼッケンに静岡とあるスラっとした綺麗な女性が足音もたてずに良いペースで軽々と走っているのが目に留まりました。マイペースランのはずが、その美しさに惹かれて、付いていくことにしました。なで肩で華奢な方ですが、走るフォームがとても綺麗でかつ無駄がないのです。きっと、身軽さが強みにした低燃費走法で100kmを完走してしまうのだろうなぁ〜と思いました。まぁ、本当にお綺麗でしたが、ふとコースアウトしてトイレの列に並ばれたので残念ながら追走を諦めました。山を下りきって20km〜40km間のタイムも2時間24分とうまくペースをセーブできていました。また、ほぼ疲労感がなく、まだまだ行ける感じでした。
日差しが出てくると四万十川沿いのコースもやや暑くなってきました。暑さで干上がったらいかんので、給水所では毎回、水・アクエリアス・コーラを順繰りで飲み、大きな給食ポイントでは梅干しやバナナ、パン、おにぎり、缶詰のみかん、などせっせと補給させてもらったので、全然、空腹感はありません。給水所では決して立ち止まらず、歩いて水物を飲み、3か所あるゴミ箱のうち「最後」と表示された3つ目のゴミ箱までは歩いてもOKと自分でルールを作ってメリハリをつけていきました。
<40km〜60km>
天気が良く、四万十川の流れも穏やかだったので、水面に山々の緑が写りこみ、とても綺麗でした。都会から来たランナーにも“最後の清流”の名に恥じない風景であったと思います。53km付近の半家沈下橋では多くのランナーが嬉しそうに沈下橋の写真をとったりしていましたが、四国の人間としては珍しくないので橋から落ちないように中央寄りに走って通過し、唯一、カメラマンの前だけはポーズを作ってみます。
続く56.5kmの第2関門では、関門の閉鎖時間までの差し引きで1時間20分程度の貯金ができており、「結構、余裕あるなぁ〜。もしかしたら12時間台の記録も行けるのでは・・・」なんて妄想していました。以前に阿南のY浅さんから聞いた経験談では、初挑戦の時に最後の関門で引っかかり強制終了となったそうで、四万十ウルトラは、とにかく7か所の関門をいかに貯金を残しつつ通過していくかが要注意と心得ました。
40km〜60kmのタイムは2時間46分とペースの落ち具合としては、まだ踏みとどまれていました。
<60km〜80km>
61.5kmの大きなレストステーションが構えられており、スタート時に自分で預けておいた荷物を受け取ることができます。ここでは補給食のほか、アイシング用の氷も配ってくれて、とても助かります。私はちょっと右足の靴がイマイチな感じだったので、底厚の靴から軽めの靴に履き替えました。レース後にクワちゃんに聞くと、彼はここで10分間の仮眠をとって疲労回復に努めたそうで・・・ふつう仮眠したら2〜3時間、寝てしまいそうですが、さすがです。またS石さんにも会い「ピッグは、なかなか調子よさそうで完走できそうだねぇ」と励ましてくれました。この休憩では、どれくらい時間的余裕がなくなったのか、あまり自覚せずに走り出しました。正直、まだまだ行けるだろう、とタカをくくっていました。
しかし、60kmを過ぎてからが鬼門で、なかなかペースが上がりません。日差しも強い時間帯になってきたので日の当たる場所は我慢してやり過ごしましたが、四万十川ウルトラは基本的に木陰がコース上に多くあって助かりました。しかし、ここでは徐々にというか明らかにペースダウンして、60km〜80km間は3時間9分となりました。
給水所を過ぎて歩いているとS石さんの視覚障害者さんのチームに追い抜かれ、次の給水所で追いつくなど、気持ちを切らさないための良い刺激となりました。さらに「ここからが勝負だよ、頑張れ」と声掛けいただき、おかげさまで、歩くのをやめて走りに戻ったりできました。またS石さんの凄いところは視覚障害ランナーがS石さんと判別しやすいように100kmを速歩で押し通し完歩していました。冗談抜きで、私が真剣に走ってもS石さんの速歩に追いつけなかったです。
<80km〜100km>
後半は給水所が数多く設置されており、給水によるロスや歩きが入るので、あっという間に関門時間との追いかけっこ状態になりました。ギリギリセーフは危ないので・・・と思いつつも、砂時計のようにサラサラと猶予の時間がなくなっていき、なまじ呑気に歩いていられません。油断していたら14時間のペースランナーに追いつかれてしまって、ヤバさ全開です。14時間のペースランナーに置いて行かれれば完走できなくなってしまうので、必死で先行しました。
86.9kmの第6関門では閉鎖まで20分程度しか余裕がなく、お尻に火が付いた状態です。日が落ちてからは、これも四万十ウルトラ名物というか、夜道を照らすために乗用車のライトでコースを照らしてもらうサービスがあり、発光スティック(=オタ棒)も持たせてくれます。Y浅さんがストップさせられた最後の第7関門も20分前に通過し、残るはゴールまで7kmとなりましたが、本当に最終盤でも休んでいる間はなく、ここからが終わりそうで終わらない、道のりがすごく長く感じます。ゴール数km前にも小坂があり、ここでは歩いて上らざるを得ないものの、時間がない中で大焦りです。ただし最後の最後で足が攣ってゴールできなくても悔しいので、自重しながら坂を歩いて上りゴールを目指します。
ラスト2km、1kmがとても長く感じますが、もう終わる、完走できそうな見込みがたつと自然と喜びが沸いてきます。ゴールの瞬間は写真撮影を意識して帽子を脱ごうかなぁ〜とか、ゴールしたら一礼するのはマナーなので忘れないようにしようとか、邪念が入りします。
そして本当の最後、中村高校へ入ると名前を読み上げてくれました。これは嬉しいです。さらにゴールテープを張ってくれるので、さらに気持ちが高まります。ゴールした瞬間、『やった!やったぞ』と満面の笑みとなり、なんとか制限時間18分前に完走を果たしました。ゴール直後には、かわいい女子中学生に完走メダルをかけてもらい、嬉しくて心中、はしゃいでいました。
満面の笑みでゴール
<その後>
四万十川ウルトラマラソンは、今までのマラソン大会で間違いなく一番しんどい大会でした。例えるなら龍馬脱藩マラソン完走後に徳島マラソンを走り、その後、丸亀ハーフを走るイメージです。だけど完走した満足感・充実感は格別で誇りにすら思います。また四万十町、四万十市をあげての応援・一体感が最高でした。ボランティアの方々には本当に感謝です。数多くの給水・応援があってこその完走でした。また数年後に廃校となってしまう生徒数人の小さな中学校が生徒全員で応援してくれたり・・・そんな話を聞くだけで涙腺が緩みます。
ゴールした瞬間、「あ〜、しんどかった。もうこんなえらい目、たくさんじゃ」と思っていましたが、ひと晩、ふた晩、寝て疲労が回復し喉元を過ぎると、「あ〜、楽しかった。来年もやろうかなぁ」なんて考えています。
(幹事長)「すごい!見事な完走!頑張ったなあ。凄いなあ」
(ピッグ)「これで汚名返上できました!」
(幹事長)「自分でも汚名って言うてるやん」
(ピッグ)「冗談ですがな。幹事長もどうですか?」
(幹事長)「いや、ええわ。絶対に完走できないと断言できるわ」
ピッグが書いてる通り、山岳マラソンの龍馬脱藩マラソンを走った後に、フラットな徳島マラソンと丸亀ハーフマラソンを連続して走るようなものなので、今の私には絶対に完走できないと断言できる。
(ピッグ)「それなりの練習をすれば誰でも走れますって」
(幹事長)「それなりの練習なんてしたくないがな」
練習で何十kmも走る気は起きない。60kmの部なら走れるかなとも思うが、60kmの部に出るくらいなら、出ない方がマシだし。
(幹事長)「支部長はどう?」
(支部長)「遠慮しとくわ。私はトライアスロンに挑戦するからね」
て事で、来年もピッグに単独挑戦してもらおう。
〜おしまい〜
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