居合とは人に斬られず人斬らず 己れを責めて平らかの道。

無双神伝流抜刀術、神伝流居合兵法、抜刀術神伝流の成り立ち

流派名
無双神傳抜刀術、神伝流居合兵法,抜刀術神伝流
     
所在地

徳島県徳島市
稽古場所
佐古コミュニティーセンター
徳島市佐古4番町7番1号
電話088−652−3070


設立
2011年(平成23年6月)

役 員 
抜刀術神伝流  3代  宗家
神伝流居合兵法 4代  宗家
無双神伝抜刀術 21代  宗家
     樫 野   正
 
誠 正 館 代表         樫野  正

加入団体 

      一般社団法人大日本武徳会・誠正館(正会員) 

        誠正館の沿革・道場開設の経緯

抑も当流派は奥州楯岡の地に祭る林崎甚助重信を始祖として今日に及んでいる、爾来四百有余年幾多の名人剣士が続出した。植田平太郎竹生先生はこの術を無双神伝抜刀術と称して十七代を継承したのである。後に尾形郷一貫心先生は植田先生に師仕して妙技を会得し昭和二十七年十八代宗家を継承し流名を神伝流と改称して後世の弟子に伝授した、その弟子の一人山田新六郎を鳴門市大代の道場に呼び尾形郷一先生が神伝流居合兵法の形を初伝、中伝、奥伝の形を見せ、技名を巻紙に書き十九代宗家引き継ぎを記した根の書を書き、山田新六郎先生を十九代宗家と認め渡されたそうです。山田先生は、その巻紙を巻物に表具をして桐の箱に入れて大切に持っていたそうです。ところがある日突然尾形郷一先生より訂正の箇所があるとの事で持って来るようにと言われ、桐の箱に入れた巻物を尾形先生の所に持参したそうです。その後桐箱入りの巻物は、山田先生の元には帰って来なかったそうです。

私は山田新六朗貫石先生の最後の弟子となりました。私は、山田先生の送迎を担当しており、車中二人だけの時、居合道・弟子達の人となり、兵隊時代の話、技の解説、いろいろと公私共々ご指導をしていただきました。大変感謝をいたしております。しかし尾形先生の神伝流居合の技と山田先生の神伝流居合の技とはかなりの技が異なっています、この事について山田先生にはお聞きする事が出来ませんでした。憶測ですが山田先生が替えられたと思います。山田先生の死後二十代を継がれた高嶋恒夫先生が、私、樫野に教える事が残っている、他の弟子には見せたくないと言われ、私を連れ出し新しく道場を開き技を皆伝され二十一代宗家を委任されました。尾形先生、山田先生、高嶋先生を否定するものではありませんが、植田平太郎先生の無双神伝抜刀術を再現したいと考えています。


           誠正館修行の目標

心技一如の境地に到達すると共に高邁なる人格の修養と三千年来伝統の日本魂を育成することであって、其の修行は極めて峻烈苛酷で春夏秋冬倦まず弛まず切磋琢磨倒れて後止む強き盤石の信念を持って道に行じなければならない、而して我十徳訓及び十恩訓の教理は之を行ずる者の支柱であるから、怠ることなく教術を体して精進すれば何人と雖も必ず彼岸に達することが出来る。


          誠正館居合兵法の極致

心身の健康に留意し盤石の信念を以て死闘高邁なる人格を涵養して無刀止水の妙境に達し宇宙の新羅万象と渾然一体となって大往生するにあり。




                  系 譜

林崎甚助源重信(初代)
田宮平兵衛尉業(二代)
長野無楽入道槿露斎(三代)
百々軍兵衛尉光重(四代)
蟻川正左衛門宗続(五代)
萬野団右衛門信定(六代)
長谷川主税助英信(七代)
荒井平作信定{荒井清哲清信}(八代)
林六太夫守政(九代)
大黒元右右衛門清勝(十代)
ここより谷村派=直伝英信流<林益之丞政誠>。と下村派(神伝流)<松吉八左衛門久盛>(十一代)
山川久蔵幸雄(十二代)
下村茂市定(十三代)
ここから下村派十四代行宗藤原貞義から
曽田虎彦(十五代)
・広田広作(十六代)
別派、当流の祖(下村派無双神伝流抜刀術兵法)坪内清助長順(十四代)、
島村馬之丞(十五代)
島村善馬<改姓・細川義昌>(十六代)
植田平太郎竹生、剣道の達人香川県人(十七代・無双神伝抜刀術兵法)
尾形郷一貫心(十八代・貫心流剣術の達人、無双神伝抜刀術を植田平太郎先生より伝授される、後に神伝流居合兵法と改称)
「別派」梅本三男貫正(十九代)広島県
「別派」福井勝彦(十九代)鳴門市
山田新六郎貫石(十九代・晩年に流名を抜刀術神伝流と改称)
高嶋恒夫(二十代、山田先生の弟子)
樫野 正(二十一代){無双神伝抜刀術兵法(二十一代)、神伝流居合兵法(四代)、抜刀術神伝流居合兵法(三代)}
現在に至る。



抜刀術神伝流居合兵法
古流無双神伝抜刀術
   樫野 

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