幕末 BL 夏影

畦道で、

車輪を転がす手が止まる

(学パロ 伊庭八郎と土方さん)
 

 
ずっと誤魔化してきた言葉がある。

ずっと気づかない振りをして来た。

形にしてしまえば、もう後には引けなくなる。

そんな危険をはらんだ、大切な気持ちだったから。

だから。あの頃は、心の中でさえも形にすることはなかったんだ。

いつもそこにぼんやりとした輪郭で存在している、甘く切ない何か――

それは、ほのかに淡い痛みと柔らかさで、形は持たなくても――確かに心の奥底、大切にしまわれていたんだ。

 

xxx 
 
 

オイラが土方さんと出会ったのは、桜の舞い散る4月の半ば。

体育館脇の渡り廊下だった。

中学に入学したときから、女子が三年にかっこいい人がいるって騒いでいるのは知っていたけど。

オイラ男だしさ。そん時は「ふぅん」って、たいした興味もなく聞き流していたんだ。

いくら綺麗な顔をしてても、オイラ男よりも女の子の方が好きだしね。

それに正直、恋だとかそんなのはまだ早いって思ってたんだ。

だってちょっと前まで、オイラ達小学生だったんだゼ?

制服だって大きくなるのを見越して、こんなぶかぶかなのを着せられててさ。

この制服にぴったりの身長になったら、少しは大人になったような気はするんだろうけど……。

今はまだ、通う学校が変わっただけで、大人に近づいたんだって実感はなかった。

だってさ、袖だって、不恰好に折り曲げられてて。学ランの下、ぶかぶかのウエストには、きつくベルトが巻かれてるんだぜ?

そりゃあ、周りの奴らだって似たり寄ったりだったけど。

周りの大人はそれさえも新入生の初々しさだって、目を細めて眩しそうに笑ったけど。本人に取っちゃあ、かっこ悪くって恥ずかしいもんだったんだ。

小学校を卒業して、初めて纏った制服――

教室の中。背筋を伸ばして、緊張した面持ちで座るクラスメートの後姿を、ぼんやりと眺める。

オイラもきっと、皆と一緒。

同じ制服を纏った、その他大勢の一人に過ぎないんだ。

そうぼんやりと思ったとき、今まで鮮やかに膨らんでいた、新しい生活への期待とかがさ、いっぺんに音を立ててしぼんでいくのを感じた。

皆と同じように。はみ出ることなく。

周りに合わせて生きていく。

つまんないって思ったよ。

でも、平和でいるにはそれが一番なんだ。

 

土方さんに会ったのは、そんなふわふわとした期待が、急に現実に変わった――そんな時だった。

 

どうしてそんなとこを歩いていたのか。今となっちゃあ覚えていないけど。

放課後、渡り廊下で見つけたその姿に、思わずオイラの中の時間が止まっちまったんだ。

大げさでもなんでもなくってね。

手に持ったノートが落ちなのにも気づかず、オイラはただ一心にその凛とした自信にあふれた姿を見つめていた。

真っ黒の短い髪に、少しつり上がり気味の意地悪そうな瞳。

そばかすなんか一つもない白い頬に走る、赤い鋭い線――そこから滲む血――

剣道着を着た土方さんは、いらだたしそうに拳でグイと傷口をぬぐって舌打ちをしている。

校庭の向こうのほうで咲いている桜の花とあいまって、本当にドラマみたいに綺麗だったんだ。

オイラ、びっくりしたって言葉さえも浮かばないくらい驚いてさ。

釘付けになったみたいに、初めて見た土方さんをじっと目に焼き付けてた。

 

土方さんが、ゆっくりと此方を向く。

 

黒い瞳が自分に向けられた瞬間、ビクリ肩が揺れたのがわかった。

見られていたのが気に食わなかったのか、土方さんはムッと眉間に皺を寄せて、ずかずかと大またで歩いてくる。

「何か用か?」

ぶっきらぼうにそう告げて、目の前に立って偉そうに見下ろす。

身長はさ、オイラ一年だったし。悔しいけど土方さんより頭一つ分位小さかったからね。

よけいに威圧感を感じて、その雰囲気に呑まれて小さくなったんだ。

不遜な中に見え隠れする自信。惹きつけられる個性。

オイラはハッと固唾を呑んで、その人の口が動くのを見た。

自分の時間が止まっているのに。その人が動くのが、不思議でならなかった。

世界は止まっているのに、鮮やかでサ。

途端に。オイラは自分が不恰好な制服を着ているのが、恥ずかしくて堪らなくなった。

「あ……う……」

何か言わなきゃ、そう思うのに。

今度は、言葉がすっかり出てこない。

バクバク、焦りに心臓が音を立てて騒ぎ始め、オイラはますます混乱して――なぜかじんわりと目に涙が浮かびそうになって、慌てて俯いた。

どうしちゃったんだろう?

オイラ……。

その人に見られている。それだけで、ひどく落ち着かない。

土方さんはオイラが怯えてるとでも思ったのか、

「悪ィ」

ため息と共に、小さな声でポツリと呟いて、スと横を通り過ぎていく。

一瞬で失われた興味。それきりの邂逅。

いやだった。

それで終わるなんてさ。

これを逃したら、もうこの人との接点はなくなる。

何でもいい。

とにかく引き止めたかった。

引き止めて、

引き止めて――どうしたかったのか、わからないけど。

でも、

焦ったオイラは、気が付いたら無意識のうちに土方さんの腕を掴んで引き止めてしまっていた。

「……まだ何か用があンのか?」

呆れられたのか。低い声が、恐ろしい。

首だけを後ろに曲げて、オイラを見ている。迷惑そうなその仕草に、ビクリと身体が震える。

どうしよう!!

引き止めたのはいいものの、何も考えていなかったオイラは、パニックになって手が震えた。

何か、何か言わなくちゃ!

そう焦って、勇気を出して土方さんの顔を見上げた時。頬を走る、引っかいたような傷に目が止まった。

「――血が……」

やっとの思いで搾り出した声は、無様に震えていたけど。

「ああ」

土方さんは納得したように一つ小さく頷いて、ついで忌々しそうに舌打ちをして傷口をぬぐった。

血はもうほとんど乾いていて、そこはぷくりと赤く蚯蚓腫れが走っていただけだけど。

白い肌に走るそれは、酷く痛々しく見えてオイラはきゅっと顔を歪めた。

「何でお前がそんな顔をすんだよ」

「……だって」

「変なヤツだな」

土方さんはくくと笑って、ぐいと押さえつけるようにおいらの頭に大きな手を置く。

「別に気にするほどの傷じゃねぇ。こんなの舐めときゃ直る」

くしゃり。

髪を掴むように乱暴に撫でて通り過ぎていく。

その瞬間頭が真っ白になって――次いで世界が色づいたみたいに明るくなって、なぜか心がふわふわになって、有頂天になったんだ。

 

それからは必死だった。

どっちかっていうと、今まで体育会系じゃなくって、オイラ文科系だったからね。

憧れてた土方さんに近づきたくて、無理を承知で剣道部に入ったりなんかしてさ。

毎日筋肉痛になって、悶えてた。

 

土方さんが笑う。

土方さんがオイラの名前を呼ぶ。

たったそれだけで、世界が笑って。

 

土方さんが迷惑そうに横を向く。

眉間に皺を寄せる。

そんな些細な仕草で、世界は真っ暗になった。

 

どうしてこんな気持ちになるのか。

ずっとわからなかったけど。

放課後、教室で一人泣いている女子を見て、ハッとその輪郭が浮かび上がった。

まさか――!

慌てて頭を振って、逃げるようにそこから離れる。

心の中のもやもやが形になるのが酷く怖かった。

それでいいの?

その気持ちが、自分に問いかけてくるのが怖くて、オイラは耳をふさいで心に蓋をした。

形のない不安、オイラにさえ、なかったことにされた、生まれることのなかった気持ち――

 

結局オイラはその気持ちを最後まで形にすることはなく、

自分をだまし続けて

土方さんをだまし続けて

 

土方さんは卒業していった。

 

 

 

オイラは音を立てて、自転車のブレーキをかけると、細い畦道の中立ち止まった。

「あーあ……」

空に入道雲が浮かんでいる。

むくむく、空高く自由に膨れ上がるをれを見ていると、心の中がぽっかりと空虚で穴が開いたようにスースーとした。

寂しくて。

恋しくて。

そして――おかしくなる。

ごまかし続けてきた心?

それが何なのか、なんてとっくにわかってるけど!

(ただ、認めたくなかっただけで……)

オイラはため息をつくと、知らずあの後姿を目で探している自分に気づいて、俯いて苦笑した。

(土方さん。アンタは今、どこで何をしているンだい?)

こんなにオイラは、アンタがいなくて寂しいのに。

きっとアンタは、どっかで誰かと一緒に笑いあってンだろうな。

そう思うと自分が滑稽で、おかしくて悲しくなった。

空を広く覆いつくすように、蝉がわんわんと鳴いている。

風に夏草が音を立ててそよいだ。

この気持ちを伝えることは、きっと一生ないだろう。

もう、卒業した土方さんとは何の接点もなくて、友達ですらないけれど――

会えない日々は一日、一日積み重なって。

きっとそのうち、それは一年単位に変わって、そのまま積み重なっていくことだろう。

この思いもいつかきっと風化して、時々。

そう、こんなに暑い夏の日、稲がそよぐ音を聞きながらふいに思い出すんだ。

思春期時代の、青く苦い思い出になってね。

 

言い聞かせるように自分に呟き。

オイラは自転車のペダルに、重たい足を乗せた。

 

あの時、もう少し自分に勇気があれば、何かが変わっただろうか?

憧れの先輩。

気の弱い後輩。

その関係も、少しは変わっただろうか?

 

オイラは頭を振ると、すぅと大きく夏の風を吸い込んで、ニッと笑った。

今更後悔しても仕方が無いけどさ!

でも、やっと形にすることができた気持ちは、暖かくて――壊れてしまいそうなほど切なくて大切で。

オイラはやっと生まれることのできた気持ちを胸に、

「よぉし!」

気合を入れると、立ち上がって、自転車のペダルを漕ぎ始めた。

ぐんぐん、ぐんぐん景色が遠ざかっていく。

認めてしまえば、この気持ちは色鮮やかで。

恐れていたほど、悪いものではないような気がして――嬉しくて、切なくなった。

車輪の下ではじけた小石に、カゴの中の剣道具が音を立てた。

 

もうすぐ雨が降り始めるのだろう。

どこかで遠雷が聞こえる。

 

なぜか走り出したくて、堪らなかった。

オイラは全速力で自転車を漕ぐと、力いっぱい体育館のドアを開けた――

 

「あ……!」

 

雨がどこか遠くで、降り始める音がした。

オイラは目を見開いて、体育館の入り口で立ち尽くした。

 

「土方、さん……?」

「よぉ!」

 

何かが始まる、音がした。

 

 

2010.4.26




お題はこちらからお借りしました。