幕末 BL 夏影

どうかあともう少しだけ、

夏よわたしから逃げないで
 

 
どうしてこんなにも、この人のことが気になるんだろう?

いつからなのかはわからない。

だけど気が付いたらいつもあの人のことを考えていて、目で追いかけている。

どうして?

その答えはまだでないけど……

考えるだけで、こんなにも幸せになれる人は、あの人以外いないんです。

 

xxx

 

もう少ししたら、土方さんがこの道を通る。

宗次郎は風に前髪がぐしゃぐしゃになるのもかまわず、一目散に駆けていた。

この時間帯なら、急げば土方がこの道を通るのに遭遇することができるからだ。

土方は、自分は何物にも縛られず自由気ままに生きている、とでも思っているかもしれない。

しかし沖田は、土方の行動にパターンがあるのを早くから気が付いていた。

 

例えば今日みたいに暑い日。

こんな日は暑さの苦手な土方はあまり遠くまで行商に行かず、数箇所の剣術道場を回った後、木のこんもりと茂った神社で暑さをやり過ごしながら、木陰で弁当に持たされた握り飯を食べる。

そこで一時間ほど涼んだあと、観念してまたきつい日差しの中に飛び込むのだ。

 

少しでも涼を求めて川沿いを歩き、夕方前に試衛館に到着する。

最近の彼の口を付いて出るのは、

「……あちぃ」

ばかり。

そんな気力もないのだろう。いつもの人をからかうような言葉も、もうずいぶんと聞いてはいない。

 

宗次郎は足元の小石を蹴飛ばして走りながら、くすりと笑った。

3日。雨が続いたおかげで、土方は試衛館に顔を見せてはいない。

ならば、よく晴れた今日こそ来るに違いない!

 

じりじりと照りつける日差しは、9月に入ったとはいえまだまだきつい。

しかし宗次朗はそんなことに頓着するそぶりも見せず走ると、橋を渡る土方の姿を見つけてパァと顔を輝かせた。

しかし、まだ声をかけるようなことはしない。

暑さにうなだれて歩く土方は、まだ自分の姿に気が付いていないのだから!

(土方さんが私に気が付くまで、あと5分!)

沖田は必死で息を整える。

自分が土方に会いたいがために、試衛館から2キロの距離を走ってきたとは、気づかれたくなかった。

今日は朝からいい天気だったから。

今日こそは土方が来るだろうとそわそわと落ち着かず、いつもの倍のスピードで仕事を終わらせてこうして迎えに来たのだ、なんて知られたくなかった。

(それもこれもみんな、土方さんに会いたいがためだけど!)

どうして自分がこんなにも必死になっているのかは、宗次郎はわかっていない。

ただ純粋に会いたいのだ、と思っている。

一緒に住んでいる近藤たちと違って、土方とは時々しか会えないからというのもあるだろう。

どうして土方のことを考えるだけで、心が跳ねるのか。

どうして、ふわふわと幸せな気分になれるのか。

わからなかったが、ただそれが楽しくて、宗次郎は暇を見つけてはよく土方のことを考えていた。

会えなくてもこんなに幸せなのに。

それが会えたとなれば、心臓が飛び跳ねて嬉しくて仕方がなくなる!

(土方さん、土方さん! 私に気づいて!)

だけどまっすぐに彼のことを見つめるのは気恥ずかしくて、宗次郎は真っ赤な顔のままストンと土手に腰を下ろす。

む、と暑い草の匂いが鼻腔をくすぐる。

全神経を土方の来る左側に向けて!

きつい日差しに鋭く光る川の水面を、にらみつける!

 

あともう少し――!

 

あともうちょっとで気づくはず。

クスクスとこみあげてくる笑いを必死に我慢して。

楽しくて。

でも、気が付いてくれなかったらという不安にどきどきしながら座る宗次労の後ろで、じゃり、と重たい足音が止まった。

「――こんなクソあッちぃ中、何してやがる」

宗次郎、と呆れたような声が頭上から降り注ぐ!

瞬間、パァと世界の色がはじけた!

「土方さん!」

宗次郎は満面の笑みを浮かべて振り返ると、土方の腰に飛びつくようにしてしがみついた。

「おまっ! ちょ、! あぶっねぇ!」

あまりの暑さにダウンして伸びきっていた土方は、危機一髪宗次郎を受け止めると、数歩たたらを踏んで冷や汗を流した。

「お久しぶりです! 土方さん!」

「久しぶりって、おめぇ……この間も会ったばかりじゃねぇか」

「そうでしたっけ?」

「その歳でもうボケたのか?」

呆れたように土方が言う。

だけど仕方がない!

(一日だって会えなかったら、もうずっと長い間会っていない気がするんだから!)

キラキラとした顔で自分を見上げてくる宗次郎に、土方は照れたように顔を背けたが、ふいに何かに気が付いたようにもういちど宗次郎に目を落として、くしゃりと彼の前髪を撫でた。

顔が赤い宗次郎に、まさかとは思ったが。

「おま! まさかこの暑ィ中ずっとここに座ってやがったのか!?」

宗次郎の子供特有の柔らかな髪は、太陽の熱を吸収して熱いくらいになっている。

ぎょっとしたように声を上げる土方に、宗次郎はぎくりと肩を揺らした。

しかし、自分が彼に会いたいがために走ってきたのまでは気づかれていないらしい。

内心ほっとする宗次郎に気がつかず、土方は慌てて懐から手ぬぐいを出すと、乱暴に宗次郎の頭に被せた。

「熱射病になりたいのか! てめぇは!」

暑さのせいだろういつもよりも力のない声で怒鳴りつける土方に、愛しさがこみ上げてくる。

だが同時にきゅ、と心臓が鷲づかみにされたように痛んで、宗次郎は小さく首をかしげた。

様子のおかしい宗次郎に、土方が真剣な顔をして、顔を覗き込んでくる。

「……だ、大丈夫ですよ」

自分はちゃんと、笑えているだろうか?

(――どうしたんだろう?)

意地悪な彼が気にかけてくれるのが嬉しいのに。

(なのに、どうして少しだけ哀しくなるんだろう……?)

自分には大きな手ぬぐいに顔を半分隠して、宗次郎は視線を足元に落とした。

日に焼けて鼻緒の跡がついた、自分の足。

土方の、日に焼けても尚白い足……。

せっかく顔の火照りを冷ましたのに、きっと今。自分は真っ赤になっている。

 

「何が大丈夫だ? そんな真っ赤な顔をして!」

怒ったように早口で言うのは、本当は心配してくれているからだと宗次郎は知っている。

(いつもみたいに何か返さなくちゃ。)

そう思うのに、焦れば焦るほど頭が真っ白になって言葉が出てこなくなる。

土方は、しゅんとして俯いたまま返事をしない宗次郎に焦ったような顔をすると、ぐいと腕を取って歩き始めた。

「言わんこっちゃねぇ! 太陽にあたりやがったな!」

本当はそうじゃないけど。

本当の理由をいえなくて――自分でもわからなくて――宗次郎はしゅんと肩を落とした。

腕を引いてくれる土方の指の熱さだけを、熱として感じる。

夏の暑さは、忘れたように感じない。

今まで触れられたことなど幾度もあるはずなのに。なぜかビクリとも動けなくなって、宗次郎はほとんど引きずられるようにして駆けるように歩いた。

土方の背で、がたがたと石田散薬が乱暴に揺れる音がする。

鼓動が早くなって――

頭がぼぅとする。

(あれ……? 本当に太陽にあたったかな?)

喉がからからに渇いて、嬉しくて切なくて幸せで苦しくて……いろんな感情がぐるぐるぐるぐる混乱した頭の中、駆け回る!

だけど、嫌じゃない。

(やっぱり、嬉しい……)

不思議な甘い痛みに、ふいに泣きたくなって宗次郎は後ろから土方の顔を見上げた。

 

熱いのに。自分のために早足で歩く彼は、額に玉のような汗をいっぱいに浮かべている。

(土方さん――)

この感情の答えは何?

ふいに無意識に浮かび上がってきたそれに、宗次郎はハッとして頭を振ると、キュッと唇をかみ締めた。

 

9月の空は。

日差しはまだ暑いとはいえ、やっぱり秋の気配を漂わせていて。

羊雲が端のほうで、のんびりとくつろいでいる。

土手にはもう蜻蛉が飛んでいて、過ぎていく夏に――急に寂しくなった。

 

宗次郎はもう一度泣きそうな顔で土方を見上げると、自分の腕を掴む土方の手をじっと見た。

ゴツゴツとした大きな傷のある手――

自分とは大きさも何もかもが違う。

白くて器用そうな、長い指――

 

触れたくて。

でも、できなくて……。

 

宗次郎は手のひらに力を入れてきゅと丸めると、土方の左肩をじっと睨んだ。

 

焦り先を急ぐ土方に言葉はなく。

自分も。

なぜか話しかけるきっかけを見失って――

 

二人の間には決して交わることのない緊張感が漂っている。

宗次郎は前のほうにぼんやりと見える逃げ水を見つけて、くしゃりと泣きそうに顔をゆがめた。

 

相変わらず土ぼこりを上げる道は、足の裏が焼かれるように熱かったけど。

 

 

このままずっと試衛館に着かなければいいのに……。

宗次郎はそっと目を伏せて、心の中でつぶやいた。

 

 

逃げ水を捕まえて

そうしたら、あなたにもこの手が届くだろうか?

 

見えてきた曲がり角が、ひどく恨めしかった。

 



2009.9.26

 
 



お題はこちらからお借りしました。