幕末 BL 夏影

グラスの汗と氷の奏
 

 

『前世』 とは、ある人生を起点として、それより前の人生のことをさす(wikiより)

「どうして、こんなものが好きなの?」

他人には理解されない。自分でもはっきりとした理由はわからないが、何となく好きなもの。

トラウマや原因となる出来事はない筈なのに、なぜか他人が首をかしげるようなものが物凄く怖かったり――

そういうのって、大体前世に起因することが多いらしい。

 

どうしてオレが唐突に前世の話をしているのかって?

それはオレが前世の記憶を持っているからだ。

驚くなかれ!

なんとオレの前世は、坂本龍馬だったのです!

 
xxx
 

でもここでちょっと誤解を解いておきたいのは、オレと龍馬はイコールではないということ。

確かにオレは龍馬だったかもしれない。

だけど今のオレは、この平成時代に生きている 『ゆとり教育』 を受けた現代人だ。オレの思想も性格も、幕末のものとは比べ物にならない。平和な現代日本で形成されたものだ。

そりゃあさ、国に対する不満や怒りはたくさんあるよ?

でもオレ一人が怒ってても仕方ないだろ? あの頃ならともかく、今のオレには何の力もない。

唯一オレと龍馬がイコールで結ばれるのは、ある人物への恋慕だろう。

オレは ―― あの人に会ったことがないから、これが行き過ぎた憧れなのか、それとも本当に恋なのかはわからないけど。

オレの中の龍馬の想いが強すぎて、引きずられているだけかもしれないけど。

気が付いたときからオレはある人物に焦がれて止まなかった。

 

XXX

 

「そんなバカな……」

オレはポツリと呟いて、その男を穴が開くほど凝視した。

オレは今、京都にある高台寺前のオープンカフェにいた。

オープンカフェといえば聞こえはいいが、ようは単に外に赤い毛氈をひいた椅子を並べてあるだけのものだ。

今日は 『龍馬フェスタ』 っていう催し物があって、それに参加するためにここに来たんだ。

最近大河ドラマの影響か、どこに行っても龍馬がもてはやされていて、ちょっと気恥ずかしいけど……。

この龍馬フェスタは、歴史好きなオレとしては見逃すことができないイベントだった。

何でかって!?

扮装パレードがあるからだよ!

このパレードは一般参加者を募集してて、事前に申し込んでいれば、花魁や龍馬、それに高杉晋作や桂小五郎なんか 扮装をすることができるんだ。もちろん討幕派だけじゃなく、新撰組の衣装も着ることができる。

といっても、龍馬フェスタと銘打つだけあって、さすが坂本龍馬が異様に多い。

龍馬、龍馬、龍馬、龍馬、晋作、小五郎、龍馬、新撰組、龍馬、花魁、って感じの比率だ。

オレ?

オレはもちろん。龍馬をしてる! って言いたいところだけど、一応本物の龍馬転生者だぜ?

何で好き好んで現世でまで龍馬をしなくちゃならないんだっての。

というわけで、オレは新撰組平隊士の格好をしていた。

あ!

おい! 敵じゃんとか言うツッコミはなしだぜ!?

何を隠そう、オレの憧れて止まない人は、新撰組副長 土方歳三に他ならないんだから!

うん。まぁ……正直に言うと、後ろめたくはあるけどさ。

なんか――いけないことをしているような……罪悪感はひしひし感じるけどさ。

でも、ホ、ホラ! オレが龍馬だったなんて、知っている人は他にいないわけで!

って、何をオレは焦っているんだか……。

ま、まぁ、取り合えずだ。そういうわけで、オレは憧れの新撰組のだんだら羽織を着て、オープンカフェでアイスグリーンティを飲みながらくつろいでいた。

こういう衣装って、夏物を着せてくれるわけじゃないから……。

出番を待っているだけで汗が流れてくるんだよな。

せめて店の入り口近くの席に座って、中から漏れてくるクーラーの風に当たって涼みながら、オレはぼんやりと思い思いの人物に扮装した参加者を見た。

みんな、すごい気合入ってるなぁ……。

あの花魁の子たちなんか、暑さが俺たちの比じゃないだろうに。

七月も終わりになれば、暑さも半端じゃない。

俺たちみたいな格好だと、そのまま石段にでも腰掛けられるけど、花魁は頭が重いからなぁ……。

座ると形が崩れるのを恐れて、皆暑い中立っている。

ご苦労様です。

その根性に敬意を払って、グリーンティを一口飲む。

「ん?」

ごくり、喉が鳴った。

「あれ?」

あれ、あれ、あれはッツ!

オレは大きな灯篭の前に立つ人を見つけて、目を見開いた。

土方歳三! 土方歳三がいる!

オレのあこがれて止まない人が、すぐそこに!

オレは興奮を隠すことができなかった。

だって、あの写真そのままの格好で、そこにいるんだぜ!?

短く切られた髪――といっても、現代の感覚から言えば、十分長いかもしれないが――にロングコートを着て、革のブーツを履いている。

この真夏にも関わらずだ。

「すっげぇ、なりきり具合!」

物凄いこだわりのあるファンの人だろうか?

このフェスタでは新撰組はあのだんだら羽織の衣装しかなかったから、もしかして手持ちの衣装を着てきたんだろうか!?

オレは目をきらきらさせながら、うっとりとその人の横顔を見つめた。

「おおおお、す、すげぇ」

なんか、衣装もそうだけど、顔も凄くね?

似ているどころじゃない。むしろ本人ですか? と抱きつきたくなるくらいにそっくりだ。

っていうか――

「ほ、本人……と、か?」

ま、まさかね……。

渇いた笑いが口から出た。

オレ、とうとう現実と妄想の区別が付かなくなった? とは思いたくない。

異世界トリップはオレの夢ではあったけど!

 

オレは何度も目をこすって確かめた。

いる! やっぱりいる!

昼間だから……幽霊ってことは、ないよな?

オレは筋金入りの土方ファンだったから、彼が本物か扮装か位はすぐわかる。

たとえそれが、フェスタの会場だったとしてもだ!

 

土方さんはぎょっとしたような顔で、キョロキョロと辺りを見回している。

うん。何考えてるかわかる気がするよ。

龍馬多すぎだよね。

幕末の格好をしてる人が大勢いるとはいえ、現代日本だからね!

見慣れないものがたくさんあるからだろう。難しい顔をして黙り込んでいる。

オレはじっと土方さんを観察していた。

見れば見るほど写真の土方さんそっくりだ。

あ、コートの裏地、赤だったんだ。

ベストのチェーンって、あれ懐中時計かな? カッコいい。

写真じゃわからなかったけど ―― 本物の土方さんはこんなにも鋭いオーラをまとってたんだ!

オレたちの扮装とは全然違う。本物のサムライ……。

見ているだけでぞくぞくしてくる。

オレは背筋をびりびりと這い上がってきた震えに、武者震いした。

手に持っている刀ももちろん本物なんだろう。鞘に入っているにもかかわらず、禍々しい気を放っている。

ちょっと……怖い。

いくら土方さんが大好きでも、刀を持っているあの人にはちょーっと近づきたくないかな。

うんうん。元々オレ達敵同士だし!

オレは ―― 龍馬は、土方さんのことが大好きだったけど。土方さんは龍馬のこと……ただの敵としか思ってないだろうしね。

ちょっと離れたところから見るのが一番かも。

なんて――。

昔のオレと同じことを思ったりして。

あの頃のオレ、ごめん。ヘタレだ何て思ってて。

やっぱアレだわ。土方さん迫力あるわ。

オレは苦笑した。

龍馬もこうして気配を消して、よく土方さんを見てたんだよな。

あの時は本当に命がけだったんだけど。

むくむくと当時の気持ちが蘇る。

甘くて、だけど大きな石の塊みたいに苦しい気持ちが。

絶対結ばれることはないから余計苦しくて、切なかった。

周りの誰にも打ち明けることなんかできなかったしさ。

「土方さん」

あの頃は呼びかけることのできなかった名前。

「土方、さん」

そっと唇に乗せて囁くと ―― ふと、土方さんがこっちを見て目を見開いた。

うそ! 聞こえたわけ?

オレ達100mくらい離れてるのに?

いきなり土方さんの視線を独り占めして動揺する。

ちょ ――!

ビクリと肩が飛び跳ねて、手の中のグリーンティがぼちゃんと音を立てた。

ひ、土方さんがこっち来る!

ど、ど、どうしよう!?

軽くパニックになって慌てる。

土方さんはオレの前に仁王立ちすると、見定めるような目で俺を見下ろした。

「お前は……!」

「え」

きびしい目の中によぎったのは――せつなさと、苦さ?

オレは驚いて土方さんの目を覗き込んだ。

あ、そうか。土方さんが洋装をしてるって事は……

きっと土方さんは函館にいたんだろう……。ヅキリ、胸が引き裂かれるように痛んだ。

土方さんがオレをこんな目で見るのは……きっと新撰組はもう分裂して―― 隊服を着るものがいないからだろう。

ごめん。無性に胸が痛くなった。

オレ、悪気がなかったとはいえ、無神経だったよな。

土方さんがどれだけ新撰組を大切にしていたのか、知ってるつもりだったのに。好奇心で思いを汚すようなことをしてごめん。

罪悪感にいたたまれなくなって、オレは逃げるように視線を足元落とした。

土方さんは副長だ。だから、隊士にオレみたいなのがいないってきっと知っているだろう。

何て言われるんだろう……?

殺され、たりしねぇよな?

情けないけど震えた。

オレは判決を待つ犯人みたいな気持ちで、緊張していた。

ややあって、土方さんはかすかにため息をついて言った。

「……ここは、どこだ?」

え?

想像していたような質問と違って、拍子抜けする。でも、尤もといえば、尤もな質問だ。

「……」

でも、何て答えたらいいんだ?

「俺ぁさっきまで一本木関門にいた筈だが……」

土方さんの台詞に、オレは弾かれたように顔を上げた。それじゃあ……土方さんは、もう?

唇がわなないた。目を見開き、恐怖に染めた俺の顔を見て土方さんも思い出したのだろう。一瞬―― 眉を寄せて口を引き結ぶと、

「そうか……」

重々しい声で呟いた。

「俺は死んだか」

息が詰まった。

頭が殴られたみたいにクラクラして、口の中がからからになった。土方さんはそんな俺を見て意地悪く続ける。

「―― というこたぁ、ここは死後の世界ってやつか?」

答えられなかった。

「地獄にしちゃあ、ずいぶんと平和そうだが……」

「ッ、地獄じゃあ……」

「じゃあ、極楽か?」

まさかな、土方さんが笑う。

 

その顔を見るのが辛かった。初めから自分が天国に行けないことなど百も承知で、剣を振るってきたのだろう。日本の秩序を守るために――

オレは、壊した側だ。結果として、オレ達が勝ったからヒーローみたいに扱われているだけで……。オレ達が負ければ、賊徒といわれたのはオレ達だったかもしれない。

オレは俯いて、手の中のグラスを睨みつけた。

手に馴染むぼってりとした形のガラスの周りに、結露がたくさん浮かんでいる。

 

土方さんが死んだ。

衝撃だった。

勿論、過去の人だから! オレと同時期に生きているなんてありえないけど! だけど! 目の前にいる憧れの人が、ついさっき死んだばかりなんて、思いたくなかった。

結露が掌を伝って袴の上に、ポツリと落ちた。

土方さんは続ける。

「地獄でも極楽でもねぇなら、ここはどこだ?」

少し硬い、嘘やごまかしを許さないという声で。

オレはのろのろと顔を上げた。

答えないオレに焦れたのか、今や土方さんは殺気を放ってオレを見下ろしている。

左手は威嚇するように刀に添えられ、オレはごくりとつばを飲み込んだ。

 

土方さんは―― 死んだ。

なら……オレが真実を伝えても、歴史には影響しないはず。

俺が覚悟を決めると、土方さんは片目を細めて、刀から手を離した。

「ここは……未来です。あなたがいた時代から……150年ほどの」

「1、50年……」

あまりのことに土方さんが絶句した。

オレはこくりと頷くと、じぃっと土方さんを見た。どうか――彼があまり傷つかないで欲しい、そう願いを込めて。

深く、視線が絡まる。

土方さんは、オレの言葉が真実か否か見定めているのだろう。

ややあって、ふぅと息を吐くと、土方さんは目元を和らげた。

「奇怪極まりねぇ話だな……」

「―― はい」

「地獄にも極楽にも行けず、未来に迷い込むたぁよ。どんだけ方向音痴なんだ? 俺ぁ」

がしがしと乱暴な仕草で頭をかき、苦笑する。

信じてくれたんだ! 今度はオレがほっと息を吐く番だった。

「―― で? どうやったら地獄へ行けるんだ?」

「ぁ……」

「―― わりぃ」

よっぽどオレは傷付いた顔をしていたんだろうか?

土方さんは気まずそうにすぐに謝って

「、にしてもよ」

さっきとは違う、ざっくばらんとした雰囲気で興味深そうに辺りを見回した。

「150年後の未来っつても、あんまり変わんねぇんだな……いや、むしろ今の俺達の方が近代的というか……」

「ああ」

それは今日が特別なだけです! 龍馬フェスタをしているから、みんなこんな格好をしているだけで!

「それにお前ぇもだ。隊服なんぞ着やがって。新撰組は未来にもあるのか?」

からかうような台詞に、ボッと顔が熱くなった。

「お、オレは……」

今なら言えるだろうか?

俺がこんな格好をしているのは、土方さんが好きだからって。

前世から今まで引きずってきた想い。それを、今口にしたら開放されるだろうか ――!

この時代にはもう土方さんはいない。でも! オレは! 龍馬は、今尚土方さんが忘れられなくて―― その影響を受けて、オレも本気の恋なんかできなかったから……。

言えば、自分の思いにもけじめがついて、前に進めるようになるだろうか?

すがるように土方さんを見て、オレは頭を振った。

ダメだ。そんなのオレの自己満足にしかならない。

言われて土方さんはどうする? 困るだけじゃねぇか。

オレはもやもやした想いを振り払うと、愛想笑いを顔に貼り付けた。

「オレは……新撰組のファ、いえ、憧れてたから……」

「ほぅ」

「き、今日はお祭りなんです。だからみんな自分の好きな格好をしているんですよ」

「―― 成る程な。にしても、坂本は多すぎじゃねぇか?」

呼ばれた名前に心臓の深いところが跳ねた!

坂本 ―― 土方さんが『オレ』の名を呼ぶ。拳が震えた。下腹がむくむくして ―― 身体が、何でだろう。

後悔? 喜び? なんだかよくわからない……いろんな想いがぐちゃぐちゃになった苦しさと切なさで、震える。まるで、オレの心の深いところに眠る竜馬に、揺さぶられているみたいだ。

オレは色々な思いのない交ぜになった瞳で、ひたと土方さんを見つめた。

土方さんの顔が、驚きに染まる。

「お、前ぇ……」

ああ、龍馬が目覚めた。

身体が、龍馬に乗っ取られる……! 突然の出来事に恐怖に襲われ、口を押さえようとしたができなかった。

「ワシゃあ」

龍馬が勝手に俺の口を使って喋る!

「ワシゃあ……ほんまは、ずっとおんしに憧れちょったがぜよ」

力強い魂、力強い声……これが、龍馬?

「土方ぁ」

土方さんがまじめな顔でオレを見下ろしている。

「わしゃあ、げにまっこと――おんしを好いちゅう」

にこり、顔が勝手に笑いオレは気が付くとそんなことを言っていた。

「愛しちゅうがよ!」

ちょ、龍馬!? オレの葛藤を返して!

オレは愕然とした。

言いたいことだけ言うと、龍馬は土方さんの答えを待つように、じぃっと彼を見つめた。

あ……

平然としているように見えて、心の中が荒れ狂っている。オレは息を飲んだ。

不安で不安で堪らない、そう心が叫んでいる。

龍馬でも恐怖を感じるんだ……。

ドクドク、心臓が異様に速い。

もうどうにでもなれ!

オレもなかば自棄になると、土方さんの答えを待った。

土方さんはじぃっとオレを――龍馬を見下ろしていたが、やがて静かにこう言った。

「……坂本、か?」

おおっと! そういや、こいつ自己紹介してなかった!

オレは頭を抱えた。

龍馬も苦笑すると

「そうじゃ」

短く肯定した。

「……お前ぇは未来にいる、のか?」

「ああ」

「そうか……」

「答えは?」

「……俺ぁ死んだ。これから黄泉比良坂を探すところだ」

「……そうか」

「未来、か……」

とてつもねぇ話だな。

腕を組んで土方さんが空を見上げる。

土方さんがこんなにも穏やかなのが意外だった。もっとけんもほろろに断られると思っていたのに。

龍馬も拍子抜けしたのか、不安がちょっと小さくなったのを感じた。それでも鼓動はまだ早いままだ。

「お前ぇが未来にいるんなら……俺も行かなきゃならねぇな……」

「……」

ん? なんか想像と違う答えが来たぞ?

「また未来の日本を壊されちゃ、たまらねぇ」

にやり、意地悪な笑みを浮かべ龍馬を見下ろす。

そういうことか、ちょっとがっかりした。

そりゃあ、そうだよな! なんてったって、オレ達は敵同士だし……。

龍馬はまぶしいものを見るように、土方さんを見つめている。

うん、オレお前の気持ちわかるよ。なんて魅力的な人なんだろうな。土方さんって。

大人で――でも、子供っぽいところが残ってて。

怖くて厳しくて。でも、いたずらっ子みたいで憎めなくて、優しいところもある。

一見矛盾するものが、うまく土方歳三の中で同居している。

龍馬は太い息を吐くと、ニッと笑った。

「来い! 土方!」

もう、鼓動は早くない。

「いつまでもトロトロしちゅうと、待っちょってやらんき! 早ぅ来んと、船に乗り遅れるぜよ!」

沈み行く日本丸を操縦するのは、おまんかワシか!

それとも ―― 今度こそ共闘するか?

龍馬が豪快に笑いながら言うと

「悪くないな」

土方さんも笑った。

「悪くない」

「だったら、早ぅ……」

生まれ変わってこっちに来い!

言いかけて、龍馬は口を閉ざした。

あ――!

土方さんの足が、透け始めている……。

オレは思わず立ち上がった。

「ダメですよ」

唐突に明るい声が響いた。

「土方さんは、私たちの土方さんですから。取らないでください!」

くすくすと笑い混じりの若い男の声。姿は見えない。

だけど土方さんは懐かしそうに顔を綻ばせて

「総司か……」

泣きそうな顔で言った。

「ええ。迎えに来ましたよ。歳さん」

沖田総司――。

「みんないますよ。近藤さんも。平助も……山南さんも」

「……!」

「もう! こんなところにまで迷いこむなんて! 随分探したんですからね!」

「悪ぃ」

「土方さんは私たちが連れて行きますから!」

声がオレ達の方を向いた。

「だから、あなた達は違う方を勧誘なさって下さい。坂 本 龍 馬 さん!」

挑発するような言い方にムッとする。しかし龍馬は違ったのだろう。豪快に笑うと、穏やかな顔でもう半分ほど透けてしまった土方さんに手を差し出した。

「どうやら、さようならのようじゃな」

「ああ」

「ぐっど らっく じゃ!」

こいつはこいつで魅力的な奴だったんだろうな。

結果として振られたっていうのに。ふっきれたように爽やかでさ。

大人の余裕とお茶目さで、パチンとウインクをしてみせると、土方さんは困ったような呆れたような顔をして、バチリと龍馬の手を叩いた。

「さようならじゃ」

ああ、土方さんの姿が消えていく……。

寂しく呟く龍馬の声を最後に、土方さんは―― 空気に溶け込むように消えた。

龍馬 ――。

心がさびしくて、穏やかだった。

龍馬。

心の中で呼びかけても、もう彼は答えない。

土方さんが去って、龍馬の記憶もまた深い眠りに沈んでしまったらしい。

 

 

オレはぼんやりと、そこここに散るたくさんの龍馬たちを見回した。

若い人も、年がちょっと行った人も。様々な人たちが龍馬の扮装をしていて、彼が愛されていることに嬉しくなって、同時に切なくなった。

どんなに探しても『龍馬』はそこにいないってわかっているけど……。

 

 

「龍馬フェスタにご参加の方は、こちらに集まって下さーい!」

オレは、手で簡易メガホンを作り、大声で呼びかけるスタッフの声に、ハッと我にかえった。

「龍馬フェスタにご参加の方はぁー!」

「行かなきゃ……」

もうパレードが始まるのだろう。オレは急いで解けた氷に薄まったぬるいグリーンティを飲み干すと、毛氈の上にグラスを置いた。

ワイワイガヤガヤ。

口々に思い思いのことをしゃべりながら、参加者が集まり始める。

オレは立ち上がって伸びをすると、気分を入れ替えるように頬を叩いた。

「よし!」

いつまでも引きずってちゃだめだ!

オレと龍馬はイコールじゃないんだから!

「よし! 行こう!」

大きく深呼吸して一歩を踏み出したとき ―― 龍馬の一人が俺を振り返って、ニヤリと笑った。

え、あの笑い方って……

まさか ――

土方さんの笑い方と重なって、思わず呆然と立ち尽くす。

オレよりいくつか年下の、『坂本龍馬』に扮した少年 ――。あの子は一体……?

 

そいつは大またでオレのところに歩いてくると、おもむろにオレの手を掴んでこう言った。

「運は自分で掴むもんだぜ? 坂本!」 

「……!」

居を突かれた。

驚き固まる俺を見て、『坂本龍馬』もとい土方さんはしてやったりと笑うと、

「行くぞ!」

オレの顔を見ずに集合場所に向かって走り出した。

「う、そだろ……?」

俺の手を掴んで前を走る土方さんの耳は、赤い。

「うそだろ?」

まさか、まさか!

土方さん本当に未来に転生してきたのか!?

しかも、記憶を持ったまま!?

期待に胸が高鳴った。

 

オ、オレと龍馬はイコールじゃないけど!

それでもオレも嬉しくて、嬉しくて舞い上がりそうな気持ちで土方さんの手をきゅっと握ると、土方さんは振り返って照れたように笑った。

なぁ、土方さん。

オレのこの気持ち、今でも憧れなのか恋なのかわからないけど。

あんたと一緒に答えを見つけていってもいいかな?

敵とか味方とか、そんなこと考えずに、あんたと仲良くなりたいって言っても、許されるかな?

 

声には出さなかったけど、オレの想いが伝わったのだろうか?

土方さんは俺の手を握り返してくれた。

ああ、泣きそうだ。

オレは嬉しくて、切なくて。

鼻がツンとして泣きそうになって困った。

 

フェスタが始まる。

太鼓と篠笛に合わせて街中を練り歩きながら、オレは眩しい空を見上げて目を眇めた。

幕末で―― 姿を隠していた龍馬が見上げた空は ―― 格子に区切られて狭かったけれど。

今こうしてなんのはばかりもなく、土方さんと同じ空の下を歩けるのが、嬉しかった。

オレは嬉しさに叫びだしたい気持ちをぐっと飲み込むと、前の方を歩く土方さんを見つめて、そっと目を伏せた。

これからはきっと――

新しい関係が築けるだろう。

平和な平成の空の下――

共に生きていける喜びをかみ締めて、オレは俯いて密かに一粒だけ涙をこぼした。

 

オレの中の龍馬が、ひどく満ち足りた顔で、嬉しそうに微笑んだような気がした。
 

 
 

2010.7.24

2010.7.25




お題はこちらからお借りしました。