1 鷲巣村へ
夜行バスから降りて、深呼吸する――。
海の匂いがする……。
たった3ヶ月しか離れていなかったというのに。もう何年も故郷を離れていたような、そんな気がする。
懐かしくて、どこか気恥ずかしい。
アタシは小さく笑うと、バスの小さな座席に縮こまっていた身体を伸ばすために背伸びをした。
小高い山の斜面にしがみ付くようにして建っている、茶色の家々!
フランスの6月の風は、日本のそれよりもからっとしていてずっと肌寒い。
「帰って……きたんだ!」
口にだしていうと、じわじわと喜びが広がってくる。
アタシは小ぶりのボストンバッグを振り回して、歓声を上げたくなった――もしこれが夜中じゃなかったら、人の目なんかお構いなしにそうしていただろう!
アタシの名前は。17歳。
日本からの留学生だ。
アタシがフランスの専門学校 『 騎士の学校 』 へ留学しようと思ったのは、訳がある。
日本では全然珍しいことじゃあないけど、アタシの家族は仲が悪い。
毎日毎日怒鳴りあいのけんかばかりして。いい加減殺意が沸いてくる。
親元を離れて自由を満喫したくて。
もっと違った生き方がしたくて。
ずっと、道を模索していた。
そんな時。
中世の雰囲気そのままを残す、この町を知ってアタシは矢も立てもたまらず、ここへ留学することを選んだんだ!
アタシは茶色い古ぼけたレンガ造りの家々を眺めて、身体の深い部分からホゥとため息をついた。
この町は世界遺産に登録されてこそ居ないものの、重要な歴史的文化財だという。
小さな村は元は要塞として利用され、現在その砦は『騎士の専門学校』として使われている。
何処までも続くくねくねとした茶色い石畳の階段は、長い年月を経て真ん中だけが磨り減っていてところどころ欠けている。
真っ暗闇の中。家と家の間から黒い空間がぽっかりと見えるのは、きっと地中海だろう。
微風に乗って、ひっきりなしに潮騒が聞こえてくる。
家の軒先にはオレンジ色の光の燈ったランプが吊るされていて、夜中に訪れる旅人のために一晩中足元を照らしてくれている。
アタシは。はやる心を抑えて、興奮にクツクツと笑みをこぼしながら、くねくねとした路地を歩いて。
アーチをくぐって――頂上までの道を急ぐ。
この地に来るまでは。
アタシはただのツマラナイ子供だった。
いつも何かに飢えていて……。
飢えを満たすために無茶ばかりをした。
見た目は――。今も昔もそう変わってはいないけれど。
茶色い胸くらいまで伸ばした髪は、緩くコテで巻いていて耳の辺りにミルクティ色のエクス手を付けている。
服装は、一言で言えばギャル系。
ちょっとだけ厚い唇には、グロスをたぁっぷりと塗って。夜中だからって、手抜きはしない!
目は気合を入れて睫ボリューム3割り増し(当社比)でございます!
細いヒールじゃ、でこぼとで水溜りのたまった石畳は歩き辛いけど。
これでもアタシは騎士の見習い!
根性で上りきります!
家の曲がり角のレモンの木は。
アタシがいない間に少しだけ大きくなっていて、『 魔女の宅急便 』 に出てきた 『 キキの看板 』 みたいな鍛冶屋さんの看板に届きそうになっている。
ふんわりと鼻に届いた、爽やかな香りに。
胸いっぱいに吸い込もうと深呼吸すると、くしゃみが出た。
アタシが日本に一時帰国したのは、ビザの取得のためだ。
フランスでは18歳以下の学生は、最大11ヶ月までのビザしか発行してもらえない。
引き続き滞在する場合には、一時帰国して再申請しなければならないんだ。
アタシは騎士の学校の2年生。
春休みを利用して、日本に一時帰国していた。
ホントー面倒くさいったりゃありゃしない!
アタシは日本になんか帰りたくないのに!
だってサ。
ここには騎士を目指して、世界中から美形達が集まってきているんだよ?
日本人のナヨってる男達とは大違い!
騎士の卵がたぁくさんいるっていうのに!
――そりゃあ、もちろん。アタシ達と男子達は棟も違うし、授業で一緒になることも余りない。ケド!
原則として全寮制だから!
こんな小さな村だから。行く所だって限られているし。
何より――ココだけの話し。うら若い美形の男子たちが、一つ屋根の下でめくるめく夜をすごしているって想像するだけで……!!
鼻血モノでしょう!?
真夜中。妙にテンションの高いアタシの足音と潮騒と、時折チカリと灯りが消えるランプのかすかな音だけが響いている。
「はぁ……結構しんど……」
日本に居る間、全然修行なんかしなかったからなぁ!
体力が随分と落ちている。
アタシは膝に手を付いて呼吸を整えると、また階段上りを再開した。
もうすぐ、もうすぐ!
この角を曲がれば――。
もうすぐいかめしい茶色の砦が見えてくる!
アタシの――騎士の学校が!
2006.5.15
コウジ