ひととせ

大きい歳さんと小さい歳ちゃんまぜこぜ

が歳さん。が歳ちゃん。

そしてまた一年が巡る…

 

 

365

みんなの日常

睦月 

如月 

弥生 

卯月 

皐月

水無月

文月 

葉月 

長月 

神無月 

霜月 

師走 

来年も共にありますように…

 

モドル

 

 

 

 

 

 

 

 

睦月

 

正月がくりゃあ、また年を取る。

 

「あけましておめでとうございます」

新年の挨拶をして回る人々の声を聞きながら、土方歳三はつまらなそうに舌打ちをした。

 武士になる。

そう決意してから、今年でもう何年がたつのだろう?

武士を夢見て植えた庭の矢竹は、とうに自分の背丈を越えた。  

 

「新年明けましておめでとうございます」  

どいつもこいつも浮かれたような声で。

雪の上に残る下駄のあとさえも、てんてんと弾んで見えて面白くない。

薄暗い部屋に、不貞腐れたようにごろりと横になると、火鉢の中で炭がカチンと弾けた。  

 

 

ザクザクと粗い氷を踏みしめて聞こえてくるのは

 

その後ろを――新雪を楽しそうに踏みつけて、足跡をそこいらじゅうにつけてはしゃいでいるのは

 

 

「歳ー!!」

勢いよく開け放される障子!  

眩い雪の白!

何事もなく一年が過ぎるのは、幸せなことだというけれど。

何事もなく一年が過ぎていくのが口惜しくて。

届かない夢に――近づいているのではなく。

それはどこまでも届かない、遠い星のようなものではないのか、と。

地上から眺めるしかない、遠いものでしかないのでは、と――

くじけそうになるたび。

屈託のない豪快な笑い声が。

まっすぐな信念が。

それを吹き払ってくれた。

 

「歳!」  

「としぞうさん」

紋付袴の近藤の後ろから、きちりと髪を結った惣次郎がひょこりと顔を覗かせて笑いかける。

やれやれ。  

本当はうれしいくせに、歳三はワザとしごくゆっくりとした動作で起き上がると、部屋に上がってきた近藤たちの前に姿勢を正して座った。  

 

「新年明けましておめでとうございます」  

 

重なった三つの声の後。  

顔をくしゃくしゃにして破顔すると、近藤は

「堅苦しいのはここまでだ」

と言って角樽を掲げて見せた。  

 

正月がくりゃあ、また年を取る。

だけど……。

三人一緒にまた一年を歩んで行けるのなら。

遠い夢に戦いを挑んでいけるのなら。

「それもまたいい」  

歳三は他愛のない話に声を上げて笑いながら、そう思った。
 

 

  

2006.7.22

 

 

 

 

 

 

 

 

如月  

 

試衛館の井戸の裏には、小ぶりの梅があった。  

雪帽子を被る千両の横で。小さいながらも横に一杯に枝を伸ばす梅が、ことさら土方歳三のお気に入りだった。

 

2月に入り、日を追うごとに蕾が赤くなっていく。

黄緑色の若い枝をス、と上に伸ばして。

ささくれだったつるべの縄を引き上げながら、毎日まだかまだかと咲くのを待っていたものである。

 

井上源三郎の家に行く途中の道には、見事な梅林があった。

ちょうどよい目線の高さにそろえられた梅の木は、数も多いことから、まだ蕾なのに近づくと良い香りが漂ってきた。  

剣術道具をくくりつけた葛篭を背負って、行商(兼剣術修行)に行った帰りは、遠回りであるにもかかわらず必ずこの道をとって帰った。

 

 霜柱を踏んで。

白い息をあかぎれの手に吹きかけて。

蕾の固さを確かめて帰る。

それが歳三の2月の日課だった。

 

「歳三さん」

「……源三郎さん!」

後ろからニコニコとしたしゃやがれた声が聞こえてきて、歳三は梅から声の主へと視線を移した。  

見れば6歳年上の井上源三郎が、日に焼けた顔に素朴な人柄を表すような笑みを浮かべて立っている。  

「歳三さんは、梅が好きだねぇ」

飽きることなく梅を眺める姿を、試衛館中の人が知っていて。

改めて言われて、照れた様に歳三は笑った。  

「梅ってのぁ、武士の花だからな」

 「武士の花、か」

のんびりとした声にうなるような響きを含ませて、井上源三郎も歳三に習って梅を見つめる。

遠くの方でいかるがが囀るのが聞こえてきた。

根元に雪を積もらせた梅の木は、こんなにも冷たい朝なのに花を咲かせる準備をしている。

数日前は固い赤い蕾だったのが、今朝になって白くふんわりとしたものに変わっていた。

 明日か明後日には咲くのだろう。

歳三は嬉しそうに口元をほころばせると、井上源三郎に別れを告げて行商に出かけた。

 

厳しい寒さを耐え咲く、梅の花が何よりも好きだった。

その控えめな上品な香りもいい。

桜の様に派手ではなく、凛と気高い雰囲気を纏っているのが、何より気に入っていた。  

 

部屋に帰った歳三は。  

机の上に梅の花が飾ってあるのに気づいた。

驚いて兄に聞けば、井上源三郎がもってきたものだという。

梅が好きだというコトは兄には言っていなかったが、もちろん兄はそれを知っていて、にこにこと笑いながら教えてくれた。  

枝に咲いているのは、一輪の梅。

他のものよりも早く咲いたのだろう。まだ固いつぼみがいくつか下についている。  

「……へぇ」

机の前に胡坐をかいて、じと見つめていると、一輪しか咲いていない梅が、それでもちゃんと梅の形をしていることに気づいた。

今まで木全体を眺めて、その中の一輪だけの花をめでるような事はしなかったから、気づかなかったけれど。

集団の中にいる者の個性を発見したように。

当たり前のことが、新鮮に思えて歳三は目を細めて小さく笑うと、飽きることなくいつまでも梅を眺めていた。  

 

もうすぐ試衛館の梅は咲くだろう。

梅林のうめは見事に目を楽しませてくれることだろう。

それよりも何よりも。

机の上の自分だけの梅が。それもどこよりも早く咲いた梅があることに、小さな優越感を覚えて歳三は得意げに目を細めた。

 

庭の木に積もった雪が、太陽に解けて音を立てて落ちるのが聞こえた。

 

  

 

2006.7.23

 

 

 

 

 

 

 

弥生

 

※ 下品につき注意

 

奉公先より帰って以来、土方歳三は家業の石田散薬を売り歩く日々を送っていた。

黒い薬箱の上に剣術道具をくくりつけて、得意先を廻りながら剣術修行を行なっていたのだ。

その武者修行の帰り道のことである。

多摩川の川原に見知った二人の姿を見つけて、歳三は声をかけた。

5つ年下の原田左之助と、4つ下の永倉新八だ。

「何してンだ?」

「あ、歳三さん!」

永倉の影になっていて遠目には分からなかったが、惣次郎もいたらしい。

ひょこりと顔を覗かせると、にこにこと笑って駆け寄ってきた。

「よぉ、歳さん! 今帰りかぁ?!」

底抜けに明るい原田が、ぼりぼりと腹をかきながら言う。

「ああ」  

こんな所で何をしていたんだ?

不思議に思って三人を見比べると、

「へへ」

永倉が鼻をこすって、にたりと白い歯を見せた。

「あいつを狙ってな。飛ばしてたんだ」

あいつ?

首をかしげて原田を見ると、にたりと永倉と同じ表情を浮かべて、雑草を指差す。

生い茂る緑の中、一際高く背を伸ばしている”すずめのてっぽう”。

「永倉さん!」

永倉がそれを指差した瞬間、惣次郎が慌てたように彼の袖を引っ張ってたしなめた。

「飛ばす?」

何を?

眉をひそめると、原田が悪戯っ子のような笑みを浮かべて袴の裾をまくって見せる。

「俺たちの鉄砲はスズメの、なぁんて小せぇモンじゃあねぇけどな!」

そう言って、用を足す仕草をしておどけてみせると、

「違ぇねぇ!」

腰に手を当てて永倉が笑った。

なるほど。

いつもの悪ふざけか。

二人はいつも何かしらのくだらない遊びをしては、ふざけあって笑っている。

今日はそれに、惣次郎が巻き込まれたらしい。

見れば雑草の周りは、水溜りになっている。  

チラリ。

横目で惣次郎を見ると。

大人気ない二人に真っ赤になって、しきりと早く帰ろうと催促している。

恥ずかしいのか泣きそうに眉を寄せて、声代わりをしていない舌足らずな声を張り上げては、二人の周りを廻って袴を引っ張る惣次郎を見ていると――  

むくむくと悪戯心が芽生えてきた。

「よし!」

薬箱を地面において、横目で惣次郎を伺い見ながら件のスズメのてっぽうの正面に挑むように立つ。  

普段なら到底そういうコトをしそうにない歳三の思わぬ参戦に、原田と永倉が沸いた。

 「歳三さん!!」

悲鳴のような声で惣次郎が叫ぶ。


もちろん本気でするつもりはないが。

袴に手をかけると、

「うぉッ!?」
 

突然がしりと腰に惣次郎が飛びついてきた。

「やめて下さいよ! 歳三さんまでッ!! 大人なのにっ!!」

―― 男同士なのに。何がそんなに恥ずかしいんだろう?

ふと疑問が頭をよぎったが、真っ赤になった顔を押し付けてくる惣次郎が可愛くて、頭をクシャリと撫でると  

「冗談だ」

歳三はニヤリと笑って、地面においていた竹刀を惣次郎に押し付けた。  

薬箱を背負いなおして

「帰ンぞ」

原田たちに言うと、歳三もノッてくれると思っていた二人は、口々にぶーぶーと文句を言いながらも、のそのそと付いてきた。

惣次郎は自分のものよりも重い、歳三の竹刀にはしゃいで素振りをしながら歩いている。

原田と永倉は、後ろのほうで他愛のない話をしながら、大声で笑っている。

彼らの声に、農作業をしていた老百姓がギョッとしたように振り返った。  

その度に惣次郎は恥ずかしいのか、唇を尖らせてじとりと物言いたげに二人を振り返る。

雲雀がひっきりなしに囀っている。

道の小石を踏みつけると、川原で踏み潰した雑草の匂いがふわりと鼻に届いた。

春のにおいの染み付いた草履。

サラサラと流れる用水の水しぶき。

道の両脇には”タンポポ”や”ホトケノザ”が咲いている。

微風に、ヨモギやオオバコが白い葉の裏を見せてそよぎ、畑でなく山羊の声がした。

暖かな春の午後。


4人の笑い声は、いつまでもいつまでもやむことはなかった。  

 

  

 

2006.7.24

 

 

 

 

 

 

 

卯月


 

さくら さくら やよひのそらは

みわたすかぎり

かすみか くもか あさひに におふ

さくら さくら はなざかり

 


澄んだ声にあわせて爪弾くのは三味線。

鈴を転がすような、という形容詞がぴったりな声で、お琴は唄っていた。

お琴の三味線に合いの手を入れるのは、歳三の一番上の兄、為次郎である。

為次郎は生まれたときより目が見えなかったため、家督は次男の喜六が継いでいたが、本人は気にするそぶりも見せず、日々趣味に明け暮れるという生活を送っていた。

そして。歳三が密かに憧れ、懐いていたのがこの長男であった。

 

為次郎は飄々とした、風流人であった。

長い髪を結いもせずに肩に垂らし、着流しを着たひょろりと背の高い男だった。

静かな微笑を口元に浮かべ、筋張った手に撥を持って撫でるように弦をはじく。

傍から見たら、何と似合いの二人だっただろう。

 

聞こえてくるのは、梢で鳴く鶯の声と、艶やかな三弦の音。

香の立ち上る音さえ聞こえてきそうな静けさの中。

二人は音で桜を愛でるかのように、唄い奏でる。

薄暗い部屋の窓と言う窓は開け放され、障子の向こうから満開の桜の木が見えた。

 

お琴は歳三の許婚であった。

女関係が元で奉公先をクビになった歳三に、また問題を起こされては叶わないとばかりに、本人たちの意思をよそに結ばされた関係である。

早く祝言を挙げよ、としきりと兄たちの急かすのをのらりくらりとかわして、歳三は一向に彼女の元を訪れようとはしない。

なぜかと理由を尋ねる兄に、歳三は誤魔化すように笑うだけで理由をいうコトはなかったが。

 

 「咲いたなぁ……」

歳三はぼんやりと上を向いて歩きながら一人ごちた。

 

あれは、今日のような春の日のことだった。

 

染井吉野の香りが、村一杯に漂っていた。

石田散薬の入った薬箱を背負いなおしながら、ふと歳三はお琴の事を思い出して足を止めた。

控えめで大人しい女だった。

取り分けて美人と言うわけではなかったが、庇護欲を書きたてられるような愛らしい――しかし芯のしっかりとした少女だった。

 

「あの人も馬鹿だよなぁ……」

歳三は目を細めて、くるりくるりと舞い落ちる花びらを見つめて呟いた。

桜の木の向こうには、畑一面に菜の花が揺れている。

そこかしこで花が咲いているのだろう。

山の緑の中に、ぽつりぽつりと淡いピンク色が見える。

 

歳三にお琴を紹介したのは、兄の為次郎だった。

浄瑠璃が趣味である兄が、糸や駒を買いに行っていたのがお琴の店だったのだ。

 

いつだったか――。

縁談が持ち上がってから、歳三もお琴の店の前をこっそりと通ったことがあった。

可憐な澄んだ歌声に惹かれるまま、足音を忍ばせて家の裏側へ回ったとき――

薄暗い部屋で差し向かいながら三弦を弾く二人の姿を見て、ドキリとした。

慌てて息を潜めて、木の陰に姿を隠した後――兄の目に自分が映ることがないことに気付いて、

(何をしているんだ!? 俺は……)

何か言いようのない罪悪感を感じて、息を殺して中を伺った。

背中を向けているお琴も、気配を消している限り自分に気付くことはないだろう。

(へぇ……)

兄の口元に浮かぶ、優しい表情に気付いたとき。

歳三の中のむず痒いような思いは四散し、かわりに清々しい風が吹き抜けたような心地がした。

「ああ……あの人も馬鹿だよなぁ」

何と似合いの二人だっただろうか!

 

穏やかな世界を共有する二人。

彼らを取り巻く空気さえも柔らかな――

静かに長い睫を伏せて、弾く兄の一の糸。

こちらに背を向けているため、表情こそは分からなかったものの、ほっそりとしたなで肩のお琴も、穏やかな表情を浮かべているに違いない。

あまりにも似ている雰囲気を持った二人に、

(何でアンタ等が祝言を挙げねぇんだ?)

歳三は、渋い顔でぼやいた。

目が見えないことに、引け目でも感じているのだろうか?

兄は大体遠慮がち過ぎると思う。

お琴もお琴だ。

そんな兄に惚れているくせに……

親の言うなりに、自分の元に嫁ぐつもりなのだろうか?

歳三は顎を撫でて目を細めると、そっと足音を忍ばせてその場を去った。

 

「わっかんねぇなぁ……」

惚れてるなら、弟なぞに譲らず自分が妻にしたらよいものを!

唇を尖らせてそう呟くと、歳三は苦笑して首筋をかいた。

まぁ、あの兄のことだ。

どうせまた遠慮しているに違いない。

自分の気持ちなどおし隠して、死ぬまで彼女に告げる事はしないだろう。  

「まったく。不器用な人だなぁ」

それはどちらに向けた言葉だったか。

足元の小石を踏みつけながら、小さく欠伸をすると、歳三は肩に落ちてきた花びらを指でつまんでそっと風に流した。

 

 

さくら さくら やよひのそらは

みわたすかぎり

かすみか くもか あさひににおふ

いざや いざや みにゆかん  

 

「あーあ」

別に彼女に惚れていたわけではないが。

どことなく淋しくて。

歳三は足元の小石を蹴飛ばすと、

「桜でも見に行くか……」

試衛館へ向けていた足をくるりと返して、山を見上げた。

兄を取られたような気がして淋しかったのか。

それとも、やはり――心のどこかでは、彼女のことが気になっていたのか。

ふんわりと漂う桜の香りを一杯に吸い込むと、

「よし!」

歳三は気合を入れるように薬箱を背負いなおして、地面を蹴飛ばすようにして走り始めた。

さくら さくら……

風に乗って、お琴の涼しい声が聞こえてきたような気がした。

 

  

 

2006.8.19

 

 

 

 

 

 

 

 

皐月

 

ピシリ ぺちり。

菖蒲打ちの音が聞こえていた。

 

「そうか……今日は五日か……」

大方近所の子供たちが、束ねた菖蒲を地面に打ちつけて、音の大きさを競い合っているのだろう。

何気なくそう思いながら試衛館の門をくぐり、まっすぐに道場に向かおうとした土方に、

「おぅ!」

天然理心流三代目宗主、近藤周助は巻き舌気味の声を掛けた。

(ん?)

声を掛けられたのは自分だろうか? 

足を止めて辺りを見回すと、井戸のところで水を浴びていたのだろう。もろ肌を脱いだ周助が手ぬぐいで顔を拭いながら、ニコニコとしていた。

「おぅ、来たか。あいつらならァ、あっちにいるぜィ?」

挨拶をする土方に、周助は上機嫌そうに笑いながら、親指で自宅のほうを指差してみせる。

(稽古は?)

この時間に稽古もせずに家にいるのは珍しい。

そういえば、道場は嫌に静かだ。

開け放された扉から中を覗いてみると、そこには中島登や山南敬介、井上源三郎といった面々しかいなかった。

「やぁ、歳三さん」

気さくに声を掛けてくれる井上に挨拶をして、もう一度ぐるりと道場を見回す。

今は山南と中島が手合わせをしているらしい。

いつもなら聞こえるはずの、近藤勇の怒号にも似た掛け声は聞こえない。

普段は軽口ばかり叩いているが、稽古のときは別人の様に寡黙になる永倉や、負けず嫌いの原田の悔しそうな声も聞こえない。

 

木刀を合わせる音は聞こえるが……

あまりにも静かな……。

 

眉をひそめながら、近藤周助に教えられた自宅のほうへ歩いていく。  

 

ピシリ。 ぺちり。

菖蒲打ちの音が聞こえてくる。

 

(まさか……)

嫌な予感がして、思わず駆け出す。

(いたーッ!!)

土方はそこに馴染みの顔を見つけて、思わず脱力した。

縁側に腰を下ろして、粽を食べているのは藤堂平助。

菖蒲打ちの音の大きさを競い合っているのは、子供じゃあない!

永倉と原田だ!

大声で

「俺のほうが大きかった! 絶対ぇ大きかったっ!!」

「いや、俺だって」

などと言い合いながら、菖蒲がぼろぼろになっているのも構わず、地面に打ち続けている。

地面に接する部分は擦り切れ、そこから濃い菖蒲の匂いがした。

「あ、土方さん。今日は」

藤堂は笑いながらそれを見ていたが、唖然としている土方を見つけると、白い顔をふとほころばせて声を掛けた。

「お、おぅ……な、何してんだ?」

「菖蒲打ちですよ」

「いや、それは見ればわかるが……」

なぜ稽古もせずに!?

肩からずれ落ちそうになる薬箱を背負いなおして、渋い顔をすると土方は三人をぐるりと見回した。

「こ、近藤さんは?」

何か嫌な予感がしつつも、恐る恐る藤堂に聞くと

「ああ」

彼は品のいい顔をニタリ、と歪めて

「あちらに」

と、庭の片隅を指差した。  

家の影になっていて見えないが、耳を澄ませば確かに近藤と惣次郎の声が聞こえてくる。

(あっちはあっちで何やってンだ?)

せっかく稽古をするのを、楽しみに走ってきたのに!

やる気が音を立ててしぼんでいくのを感じた。

土方が重たい足を向けると、今気付いたかのように永倉と原田が嬉しそうに声を掛けてきた。

「なぁ、なぁ! 歳さん! これこれ! な!? 俺のほうが大きいよなッ!?」

ペシリ。

「いやいやいや。土方さん、俺のほうだろ?」

ぴちり。

「……どっちも鳴ってねぇぞ。音……」

力強く握り締めすぎたのだろう。つかんだ部分から菖蒲はぐにゃりとだらしなく折れてしまっている。

これではしっかりとした音が鳴らないはずだ。

脱力しながら土方が言うと、二人はチェーっと唇を尖らせて、それきり興味を失ってしまったかのように菖蒲を振り回しながら土方の後ろに付いてきた。  

後ろで藤堂が置いていかれまい、と慌てて庭下駄をつっかける音が聞こえる。

昨日降った雨に、庭の土はまだしっとりと柔らかく、日陰の部分はぬかるんでいた。

土の匂いと、苔の匂いがする。

いつからそこにあるんだろう。苔むし、すっかりと緑色になってしまった庭石。

音を立てて風にそよぐ柳。  

日陰に入った瞬間、ぐと肌寒くなった風に原田が気持ち良さそうな声を上げた。

「近藤さん。惣次郎!」

そんなところで何をしているんだ?

そう続けようとして、歳三は気付いたように声を飲み込んだ。

二人は、滅多に行かない庭の隅っこにいた。

どことなく緊張した面持ちで、惣次郎は木に寄りかかるようにしてまっすぐに背を伸ばしている。

近藤の手に持っているのは、小刀。

小さな音を立てて、近藤が木の幹に傷をつけ終わった後、やっと金縛りが解けたと言うように、惣次郎がつめていた息を吐いてパァッと笑顔になって土方の元に走ってきた。

「背ぇ比べか」

「はい! 今日はっ。歳三さん!」

(そういやァコイツ、また少し背が伸びたか?)

出会った頃は土方の腰ほどしかなかったのに、惣次郎はぐんぐんと伸びて今は土方に迫るほどになっていた。

まだ幼い頃の面持ちの残る惣次郎の頭を、ぽんぽんと軽く叩いてやると、彼は嬉しそうに目を細めて小さく笑った。

「ああーッ!! 近藤さん! 俺もー俺もーッ!!」

原田が叫んで近藤の元に走っていく。

「俺も計ってください」

菖蒲を投げ捨てて永倉も負けじと走ると、

「わかった、わかった」

近藤は苦笑しながら、今度はどちらが先に計ってもらうかで喧嘩を始めた二人を宥めた。

「お前はいいのか?」

振り返って大人しく粽を食べている藤堂に言うと、彼は涼しげな目を細めてニタリと笑って、首を横に振った。

「そうか?」

「ええ。だって―−」

「ん?」

「木に跡をつけても、意味ないじゃないですか。木だって成長するんだから」

最もな意見に土方は苦笑すると、藤堂はしれっと惣次郎に粽を渡して楽しそうに騒いでいる三人に目をやった。

「それに――あの人たち、まだ成長するつもりですか?」

もう大人なのに。

自分の背は伸びなくなっても、木だけがぐんぐん生長して。

自分の背丈よりも高くなった木の跡を見上げるのって、何か虚しくないですか?

藤堂の冷めた意見に

「まったくだ」

土方は声を上げて笑うと、満足そうに腕を組んで木を眺める三人を見た。

来年の今日。

彼らはあの木を眺めて、どんな反応をするのだろうか?

想像すると笑みがこぼれた。  

風がそんな彼らを笑うように、音を立てて通り過ぎて行く。

柳の葉がさわさわと揺れ、用水で小魚が跳ねる音がした。

「平助ー。もう一個頂戴」

「はいはい」

(手、大きくなったなぁ……)

藤堂に差し出す沖田の手の大きさに、土方は今更ながら彼の成長を思い知って瞠目した。

藤堂は懐から出した粽を宗次郎に渡して、

「最後の一つです」

土方にも笑って差し出す。

甘いものの余り得意ではない土方だったが、

今日くらいは――

小さく礼を述べて齧った瞬間――

「ああーッ!!!」

いきなり三人が大声を上げて、びくりと肩を揺らした。

「何食ってんだよ! ずるいずるい! 藤堂! 俺のは?」

原田が勢いよく走ってくる。

「まさかナイ、とかってふざけたことは言わねぇよな?」

後ろで青筋を立てながら永倉が言う。

「ない、のか……?」

どことなくしょんぼりと肩を落とす近藤に、ずきずきと良心が痛んで、土方が食べかけのそれを差し出すと――

永倉と原田が奪い合って、喧嘩を始めた。

「悪い。近藤さん……」

「もう食べちゃいました」

「ごちそうさまでーす」

にこにこと邪気のない顔で言う藤堂と惣次郎に、がくりと肩を落とすと

「いやいやいや、いいんだ別に。おいしかったか? そうか」

近藤は無理やり笑いながら呟いた。

こいつら絶対ワザとだよな……。

しかも最後の一つ俺に食わせて、共犯にしようとしやがった!

土方がじとりと藤堂を睨むと、彼はにこりと笑って返した。  

道場では稽古が始まったのだろう。

周助の、腹に響くような気合を入れる声が聞こえてくる。

「ほらほら、行くぞ」

肩を落とした近藤を引っ張りながら土方が言うと、

「後で菖蒲酒飲もうな……歳……」

近藤がひっそりと耳打ちしてきた。

(アンタの声でかいから、多分みんなに聞こえてると思うけど)

苦笑しながら頷くと、近藤はパァッと顔を輝かせて張り切って歩き始めた。

ピシリッ。ピシッ!

どこからか菖蒲打ちの音が聞こえてくる。

塀の向こうの、すっかりと耕された畑を見て、土方は背伸びをして風を一杯に吸い込んだ。

青空をゆったりと、鯉のぼりが泳いでいた。

 

  

 

2006.8.20


 

 

 

 

 

 

 

水無月
 

「武士になる!」

 土方歳三が、一番初めにその夢を伝えたのは、長兄為次郎だった。

その時兄は、笑って頭を力強く撫でてくれながら、

「じゃあ。歳は、誰よりも強くならなければならないな」

柔らかな声音でそういった。

「うん!」

あの時兄がそう言ってくれたのが、どれだけ嬉しかっただろう。

 

小さな頃から 『武士になりたい』 という漠然とした夢はあったが、長ずるに従い、それは果てしのない遠いもののように思えてきた。

家業の石田散薬作りを手伝いながら、姉の夫、義兄の佐藤彦五郎に剣術の話を聞くたびに、夢は膨らむものの――

現実は、重く肩にのしかかってくる。

奉公先から二度も実家に戻ってしまい、土方歳三は自己嫌悪に陥っていた。

「武士になる!」

子供の頃は、何の迷いもなく高らかと宣言していたことなのに。

今はそれが、苦痛に感じられてならない。

歳三は不貞腐れて、木陰にごろりと横になりながら空を眺めていた。

降り続いた雨は、昼過ぎになってやっと上がった。

遠くの方で、まだ雷が聞こえるものの。今は重たい雲の隙間から、わずかに太陽が覗いている。

しっとりと雨露を纏った草木に、着物が濡れるのも構わず、歳三はため息を付いてぼんやりと高いところを飛ぶ鳶を眺めていた。

「お前はいいよなぁ……自由で……」

いろんなしがらみに、がんじがらめになっているこの身が厭わしい。

(俺は武士に何ざ、なれやしねぇんだ)

このままこの田舎で、百姓として生涯を終えなければならないんだ。

百姓が武士になんか、なれるはずがない!

「いっそ、夢を諦めてしまえたら……」

剣術は趣味程度でもいいのではないか?

どうして、好んでこんなにも苦しまなければならない?

いっそ思い切りよく諦めてしまえたら、楽になれるのに……。

じわじわと頭の芯が熱くなって、泣きたくなった。

今では、

「諦めてしまおう」

という思いは、

「武士になる!」

という思いと同じくらいの大きさになった。

「俺だって、いつまでもガキじゃあねぇ。遊んでばかりもいられねぇ」

自分に言い聞かすように呟いたとき。

向こうの方から、豪快に笑いながら歩いてくる一団を見つけて、歳三は弾かれたように身を起こして、茂みに隠れた。

弱っている姿を、誰にも見られたくなかった。

こっそりと腹ばいになって、茂みの隙間から声の主を見る。

(ありゃあ……)

先頭にいるのは、確か島崎勝五郎 (近藤勇のこと) だ!

師である近藤周助の荷物を持って、時折何かを話しながら、大声で笑っている。

義兄の話では、勝五郎は自分とは一つしか違わないらしい。

がっしりとした体躯。無骨な――けれど男らしい。

大股で迷いなく、まっすぐと前を向いて歩いている勝五郎を一目見てから、

(うわぁ……)

歳三は、目が離せなくなった。

彼らは出稽古に向かっているのだろう。

一団の中には、義兄の姿も見える。

たくさんの男達の中で、一際勝五郎は異彩を放って眩しく見えた。

(すげぇ!)

自分とは一つしか違わないのに!

勝五郎は、歳三の中の理想そのものだった。

百姓でも武士になれるんだ!

今まで胸のうちに堪っていた、もやもやとした思いが、一気に吹き消されたような気がした。

賑やかに行く一団の後を、子供たちがはしゃぎならがついていく。

鼻をたらして指をくわえた一番小さな子の手を引いて、8歳くらいの少女が、目をきらきらとさせながら楽しそうに笑っている。

濃い緑の中。ゆったりと行列は進み――

勝五郎の逞しい背の向こうに、ガクアジサイが咲いているのが見えた。

(すげぇ、すげぇ! すげぇッ!!)

歳三は高潮した頬で、見えなくなるまで勝五郎を見送ると、徐に立ち上がって拳を握り締めた。

「よしっ!」

俺も武士になるんだ!

俺だって本気でやりゃぁ、勝五郎みたいになれるはずだ!

「よしッ!」

興奮した面持ちで大きく頷くと、叫びだしたくなる衝動をぐと飲み込んで、歳三は走り出した!

緑がグングンと流されていく!

袴が濡れるのも構わずに、水溜りを蹴飛ばして――

水田の中の道を走っていく!

見渡す限りの田園風景。

田んぼには水が一杯にひかれていて、漣を立てている。

まるで湖を横断しているような不思議な感覚に、歳三は息が切れるまでがむしゃらに走った。

(俺は武士になる! 武士になるんだ!)

勝五郎の姿が、目に焼きついて離れない。

(やるぞッ!)

絶叫する代わりに足を止めて拳を握り締めると、歳三は荒い呼吸のまま草むらにドカリと腰を下ろした。

 

いつの間にか、空はすっかりと暗くなっている。

そこかしこでやかましく蛙が鳴いている。

一体どこまで走ってきたんだろう?

ふと不安になって周りを見回そうとして、歳三は慌てて頭を振った。

(今はそんなこたぁ、どうでもいい!)

立てた方膝に額を押し付けて、歳三は忍び笑った。

こみ上げてくる笑いを、どうしても抑えることができない。

今までの鬱々とした気分が嘘のようだった。

(俺も出来るんだ!)

代わりに夢が大きくなったような――近づいたような気がして、歳三は顔を上げた。

(……あッ!?)

ポワリ、ポゥ

 

藍色の闇の中、蛍が飛んでいる。

萱の上で。

アジサイの上で。

無数の蛍が舞っている!

息を飲んでそれを眺めた後、歳三は足音を忍ばせて、そっと葉の上に止まる蛍を捕まえて掌に包み込んだ。

自分の手の中で、音も鳴く光を放つそれは。

歳三に捕えられて驚いているのか、しきりと動き回っている。

黄緑色の光を一生懸命にちかちかとさせて、

ぶン。

羽根を震わせると、歳三の手の内から飛び立っていった――!

 

なんて幻想的な風景だっただろう。

そこには自分以外誰もいない。

月もない夜なのに。

夜道が、黄緑色の光にボゥと浮かび上がっている。

飽きることなく蛍を見つめながら、歳三はいつまでもいつまでもそこに座っていた。

(武士になるってのぁ。生半可なことじゃあねぇ。俺はわかっていたつもりで、全然わかっちゃあいなかったんだ)

そんなに簡単になれるのなら、今頃世の中は武士で溢れかえっている。

それに、だ。

(簡単に手に入るようなら、やりがいがねぇ!)

歳三はクツクツと笑うと、立てた方膝に顎を乗せた。

(俺ぁ武士になってやる!)

今までの自分が甘すぎたのだ。

(今度こそ、俺ぁ本気で――!)

肩で風を切って歩いていた勝五郎。

いつか。あの人と並んで歩ける様になってやる。

歳三は奥歯をかみ締めると、

「よしっ!」

気合を入れるように声に出して、立ち上がった。

自分の心が定まれば、時間が惜しかった。

今度は来た道を全速力で走りながら、堪えきれない感情の高ぶりに、歳三は短く叫んでにやり、と笑った。

 

  

 

2006.8.21

 

 

 

 

 

 

 

文月

 

幼い頃、土方歳三には友達があまりいなかった。

親の影響だろう。近所の子供達は、 『お大尽の家の子』 と歳三を特別扱いし、腫れ物にさわるように遠慮がちに接したからだ。

そんな子供たちの中にいても、面白くはない。

どんなに大勢の中にいても、孤独を拭い去る事はできず。歳三は段々と子供たちとは遊ばず、家にこもる様になった。

 

年の離れた兄、為次郎は歳三の恰好の遊び相手だった。

「あんちゃん。あそぼ」

舌足らずな子供特有の高い声でそう言っては、背中に覆いかぶさってくる歳三を、為次郎もことのほか可愛がっていた。

小さな歳三の肉厚の手は、まだぽつぽつと笑窪が残っている。

歳三は兄の背中にぶら下がっては、彼の話す難しい漢文や歴史物語を聞いたり ( 何しろ兄は、子供の扱いに慣れてはおらず、どのようなものを好むのか分からなかったから ) 、為次郎のガッシリとした肩に顎を乗せて、浄瑠璃を聞いたりしていた。

太棹を滑る兄の指先を目で追いながら、首筋に顔を埋めて小さな手で兄の髪を指に巻きつけて遊ぶ。

すっかりと夏座敷に変わった部屋を、風が通り抜けていく。

畳の上にひかれたあじろが、足の裏にぺたりと冷たくて心地良い。

襖は簾戸に。

障子は御簾に。

畳の上にはあじろをひいて。

柔らかな太陽の光が、立て簾越しに入って部屋をオレンジ色に染め上げる。

軒先に揺れるのは釣りしのぶ。

襷をかけた女中が、籠に一杯の洗いたての野菜を持って、裏口に向かって歩いていくのが見える。

2番目の兄、喜六が何かを言っているのが聞こえる。

内容は――もうわからない。

うとうとと、歳三は兄の太い首に腕を回して目を閉じた。

「……歳三?」

兄が自分の名を呼ぶのが聞こえる。

外と家を隔てるのは、立て簾だけ。

子供たちがはしゃいで笑いながら、家の前を走っていくのが聞こえた。

為次郎は自分の肩にすっかりと体重を預けて、腕をだらりとたらした歳三に、三味線を置いてもう一度小さく名を呼んだ。

ガクリ。

身体を揺らして歳三が目を覚ます。

「……うー……」

ごしごしと小さな手で目をこすりながら、歳三は不機嫌そうに唸ると、為次郎は苦笑して、歳三の小さな身体を胡坐の上に抱き上げた。

腕に抱え込むと、直ぐに歳三が身を摺り寄せてくる。

(まるで犬猫のようだな)

弟のあどけない仕草に小さく笑って、肩を23度軽く叩いてやると、すぐに小さな寝息が聞こえてきた。

絽の着物は、柔らかな幼子の頬にはちくちくと痛いらしい。

顔をしかめて小さく唸ると、歳三はごそごそと居心地のいい場所を探すように身じろぎして、為次郎の曲げた肘に頭を預けて落ち着いた。

小さな手にしっかりと袖を握り締められて、為次郎は身動き一つ出来ない。

「やれやれ……」

為次郎は苦笑すると、しっとりと柔らかな弟の頬を愛おしそうに撫でて

(句でも捻るか……)

外の音に耳を済ませた。

喜六の妻が、忙しそうに廊下をパタパタと走る音が聞こえる。

(おや)


まだ小さな稲が音を立ててそよぎ。

風に乗って、今年初めての蝉の鳴き声が聞こえてきた。

「雨上がり蝉の鳴き初む朝(あした)哉」  

窓のところで風鈴が涼しげな音を立てた。

歳三の穏やかな寝息を聞きながら、為次郎は口元に小さく笑みを浮かべた。

 

     

 

2006.8.22

 

【語句説明】

(お大尽)
大金持ち。土方家は、大百姓だった。

(太棹)
三味線の種類。
胴も弦も太い物。

(夏座敷)
襖や障子を風通しの良いものに換えた、夏仕様の座敷。

(あじろ)
畳の上にひく、夏用の敷物。植物を編んで作られる。ひんやりと冷たくて気持ちいい。

(簾戸)
夏障子とも言われる。紙ではなく、すだれをはめ込んだ障子。

(釣りしのぶ)
苔玉の元祖。
木炭などの芯を水苔を丸く包み、しだとかをはやしたもの。
江戸時代駒込付近には、植木職人さんがたくさん住んでいて、彼らがお屋敷にお中元としてもっていっていたものが広まった。

(絽の着物)
夏の着物の一種。
シースルーみたいな感じ。見た目は涼しそうだけど、実は結構暑い……。

 

 

 

 

煩い程に蝉が鳴いていた。

木一本辺り、最低10匹はいるのではないだろうか?

土方はそんなコトを考えながら、土手を歩いていた。

「ったく、ちったぁ静かにできねぇのかよ……」

単調なリズムが、ワンワンと頭が割れそうなほどの大音量で渦を巻いている。

土方は流れる汗を拭って、ぐったりと太陽を見上げた。

 

 

葉月

 

 

「暑ぃ……」

背中にぴったりと密着する行李に、汗がそこだけ集中して浮んでいる。

このままだと湯気で大切な石田散薬がふやけてしまわないだろうか。

「チッ……面倒くせぇ……」

歳三は行李を背中から下ろすと、片方の肩に担いで、着物の胸元を寛げて乱暴に仰いだ。

じりじりと容赦なく太陽は照りつけ、地面からも湯気が上っているように見える。

遠くの方に見える水溜り。あれは恐らく逃げ水だろう。

 

折りしも今は真昼だ。

一日のうちで最も暑い時だ。

(少し位休んだところで、バチは当たるめぇ)

ひっきりなく流れ落ちる汗を拭って、ちょうどよい木陰を探して頭を巡らせる。

 

パシャリ。

 

小さな水音が響いた。

(何だ?)

魚が跳ねたのだろうか?

その音に、ピタリと蝉は鳴きやみ、当たりは奇妙な静寂に包まれる。

ピンと張り詰めた緊張感。

土方も流されるままに気配を消し、誘われるように涼しげな音を探す。

 

様子を伺っていたカワセミが、遠慮がちに囀り始めた。

土方は注意深く浅川に沿って歩いた。

 

パシャリ!

 

まただ!

「――あ」

土方は川の中ほどにいる人物に気付いて、目を丸めた。

見ればそこに、同門の中島登がいるではないか!

中島と土方は同門だったが、師は違う。

しかし事あるごとに試合や合同稽古をしていたので、お互いに顔は知っていた。

中島のイナセな苦みばしった顔。

彼の反骨精神を物語るように、方眉を跳ね上げ頬を歪めて笑う癖。

決して仲がよいというほどの間柄ではなかったが、土方はこの男が嫌いではなかった。

(何してるんだ?)

中島の真面目そうに引き結ばれた唇を見ると、むくむくと悪戯心がわいてくる。

彼は真剣な目をして水面を睨みつけている。

腰に下げているのは魚篭。

ははぁ。

土方は合点した。

どうやら中島は、鮎を釣っているらしい。

浅川の鮎は、美味いことで有名だ。

 

サラサラと音を立てて流れる水面――水から突き出る岩の上でさえずるカワセミ。

煩い蝉のざわめきの中にあってもなお、中島は涼しげに顔色一つ変えずに佇んでいる。

尻端折り露になった脚を水に浸して――

 

熱をふくんだ風が音を立てて通り過ぎ、木の葉を揺らした。

「おーい! 中島ぁ!」

土方はわざと大声を上げて、その切り取られたような緊張感をぶち壊すと、足音高く土手に下りていく。

中島は魚を逃したのだろう。渋面を作って振り返った。

(俺がこんなに暑い思いをしてるってぇのに、テメェだけ涼んでいたバツだ!)

そんな理不尽な事を思いながら、土方は行李を川原において着物を投げ捨てると、歓声を上げて川に飛び込んだ。

 

「土方さん……」

呆れたような中島の声もどこ吹く風。

ばしゃばしゃと水しぶきを上げて子供の様に泳ぐ土方を見て、中島も破顔すると脱いだ着物を丸めて川原に投げた――!

 

ザンッ――!

 

高く上がった水しぶきに驚き、カワセミが逃げていく。

熱を吸収した身体が、急速に冷やされていく。

二人はゆったりと泳ぐと、示し合わせたように潜り、にやりと笑った。

どちらともなく、どちらがより長く潜っていられるか、意地の張り合いが始まる。

 

青く碧く透き通る水底に、太陽の光がゆらゆらと帯の様に揺らいでいた。

 

  

 

2007.2.28

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨戸が吹き飛ばされるか、というほどの大風が吹いていた。

耳を劈く雷鳴。

風はゴウゴウと恐ろしい唸り声を上げて家を揺らす。

土方歳三は、姉らんの腕の中で息を潜めて身を縮こまらせていた。

きっちりと雨戸を閉めているせいで、部屋の中は暗い。

隙間風に倒されないよう――もちろん部屋の中に、そんな強い風は吹き込んできてはいなかったが――行灯は部屋の中央でぼんやりとオレンジ色の光を放っている。

今が昼なのか、夕方なのか。それとももう夜になったのかはわからなかった。

「らんねぇちゃん」

大きな声を上げると雷様に家を吹き飛ばされてしまいそうな気がして、歳三は囁くような声で姉を呼ぶと、まだ幼いらんは

「大丈夫よ」

と言って小さな歳三の身体をぎゅと抱きしめた。

 

 

長月

 

 

歳三とらんは、従兄弟の佐藤彦五郎の家にいた。

一昨日までは長兄為次郎も一緒だったが。昨日になって為次郎は突然

「嵐が来る前に帰る」

と言って帰ってしまったのだ。

為次郎は当然まだ小さな妹弟も連れて帰ろうとしたが、二人は嵐が来ると聞いて、必死に被りを振って

「ここにいる!」

と言って聞かなかったのだ。

頑として動こうとしないらんと歳三に、為次郎は困ったように彦五郎の方に顔を向けると、彼は白い歯を見せて、三人の不安を吹き飛ばすような明るい笑い声を立てた。

「なぁに! 心配は要らないさ、為次郎さん。二人はオレがしっかりと見ててやるから!」

彦五郎の声に背を押されるようにして為次郎は帰り。

そうして二人は佐藤家に残ったのである。

 

長兄為次郎は雷がてんで駄目だった。

もう一人の兄喜六はしっかりものだったが厳しく、嵐が恐いから一緒にいてくれなんて頼むことはできない。

その点従兄弟の彦五郎は優しいし頼りになる。

頼めば一晩中だって一緒にいてくれるだろう。

彦五郎は11歳で日野本郷名主、宿問屋役、組合村寄場名主を継いだというしっかり者だ。

さっぱりとした明るい性格の彼が、二人は大好きだった。

 

「らんねぇちゃん」

「大丈夫よ」

家が音を立てて揺れる。

瓦が飛んでいったのだろう。何かがぶつかって壊れる音がする。

雷はバリバリと鳴り響き、何か得体の知れない怪物が外で暴れているような心地がして恐ろしかった。

歳三は目を恐怖に一杯に見開いて、姉の着物をしっかりと握っていた。

彦五郎は村の中を見回ってくる、と出て行ったきり帰ってこない。

二人の心に不安が広がる。

姉弟が暗闇の中、震えながら抱き合っていると。突然大きな物音がして戸が開いた!

何か大きな物が、水を滴らせながら転がり込んでくる!

「ヒ!」

「きゃ!」

らんが引きつったような声をあげ、歳三は悲鳴を上げてひしとらんにしがみ付いた。

「あー! まいった、まいった! 下帯の中までびしょぬれだ!」

「え?」

「ひこ、ごろう、さん?」

聞こえてきた声に恐る恐る歳三が声をかけると、

「ん?」

彦五郎は振り返って二人を見つけると、眉尻を下げて苦笑した。

「歳三に、らんちゃんかぁ。こんな所でどうした?」

「彦五郎さんを待ってたの」

「いたの」

「オレを?」

「うん」

姉弟揃って仲良く頷いて、二人はジッと彦五郎を見つめる。

彦五郎はよく似た可愛い二人の姉弟に見つめられて、照れたように

「ハハ」

頬をかきながら小さく笑うと、らんはハッと気付いたように手ぬぐいを持って彦五郎の下に駆け寄った。

「おー! スマンスマン」

「心配したんですよ!」

「かみなりさまに、たべられちゃったかと おもった」

「ん? 雷様にか」

彦五郎はガシガシと頭を拭きながらきょとんと二人を見ると、次いで大きな声で笑い始めた。

「大丈夫だって! 雷様だってオレの足には追いつけないよ」

「ひこごろうさん、はしるの、はやいもんね!」

「おお! わかってんじゃねぇか!」

「でも……川に落ちたりしてやしないかって……ずっと、心配で……」

安心したのか、とたんに声を詰まらせるらんに彦五郎は慌てると、彼女の目線に合わせるように膝を付いてらんの頭を撫でた。

「大丈夫だよ、らんちゃん。もうどこにも行かないから」

「本当?」

「ああ、ずっとここにいるよ」

彦五郎の言葉を聞いて、らんが彦五郎に抱きつく。

震える小さな身体を抱きしめて、ポンポンと宥めるように背中を叩くと、

「歳三!」

彦五郎は、指をくわえてもじもじと彦五郎を見ている歳三に気付いて、片腕を広げて名前を呼んだ。

歳三はパッと顔を輝かせて、歓声を上げて腕の中に飛び込んでくる。

彦五郎は二人をしっかりと抱きしめると、どっかと座って色々な面白い話を身振り手振りを交えておもしろおかしく話してくれた。

 

薄暗い部屋の真ん中には、行灯が煌々と燈り。三人の笑い声は、いつまでも絶えることはなかった。

 

嵐の音は、もう気にならなかった。

 

 

2007.1.9

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神無月

 

 

星一つない夜だった。

どこから漂ってくるのか。金木犀の香りがする。

どんよりと空には分厚い雲がかかり、月は見えない。

雨が降るのか。空気は湿気を含んでじっとりと重たく、生暖かかった。

土方は、濡れ縁に座って刀の手入れをしている斉藤一を見つけると、息を潜めてそろりと忍び足に近づいた。

 

「――何か用か?」

「チ」

今日こそは背中を取れると思っていたのに!

斉藤は後ろにもう一つ目があるらしい。

土方が舌打ちをしてドカリと斉藤の横に腰を下ろすと、

「……土方さん、か」

斉藤はそこで初めて彼だと気付いたように小さく呟いた。

「誰だと思ったんだよ?」

「いや……」

斉藤は鋭い目でチラリと土方を見ると、それきり無言になってまた刀の手入れを再開する。

 

開け放した障子の向こうには、行灯がひとつ燈っていたが。ここは暗い。

星の一つでも出ていたら、また違っただろうが――。

斉藤は背筋をまっすぐに伸ばして、真剣な目で刀身を眺めている。

筋張った手。分厚いタコのできた手には無数の刀傷がある。

 

斉藤は後ろから行灯の火を受けているため、体の半分は闇の中に沈み、もう半分はオレンジ色の光と濃い影を纏っている。

チキリ。

斉藤が手の中で、刀を確かめるように握り締める。

刀身に光が反射し――彼岸花が闇の中でどす黒く咲いているのが見えた。

 

月――?

刀に反射した光源を探して土方は顔を上げたが。空にはやはり星一つない。

斉藤は、隙のない流れるような動作で刀を鞘に収めると、土方に向きなおった。

鋭い眼差し。

きつく結ばれた口元。

そげた頬。

厳しそうな端正な顔立ちが――濃い陰影をまとって自分を見ている。

土方は、知らず口の中にたまったつばを飲み込んだ。

目の前に、自分の夢を具現化したような男がいる。

武士――。

自分が求めてやまない、夢。

惹かれる様に斉藤を見ていると、斉藤はわずかに口元を緩めて厳しい顔に小さな笑みを浮かべた。

「土方さんはよほど刀が好きと見える」

「へ? あ、ああ……」

憧れているのは刀じゃなくて武士であるアンタだ、なんて言える訳もなく。土方が曖昧に頷くと、斉藤は嬉しそうに土方に刀を差し出した。

「よければ」

「い、いいのか?」

差し出された刀に、恐る恐る指を伸ばして受け取る。

手にしたそれはズシリと重たく、冷たい剣気を纏っていた。

斉藤は鋭い抜き身の刀のようだ。

黒い漆塗りの趣味の良い太刀。

装飾性よりも実用性の勝ったそれを手にしながら、土方はそっと斉藤を盗み見た。

闇の中で腕を組んで満足そうに小さな笑みを浮かべる彼は。

この上もなく恐ろしく。ゾッとするほど美しい悪夢のように思えた。

 

 

2007.1.8

 

  

此れを書くまで、斉藤さんの事を忘れていました。アレ?

ゴメン!! 斉藤さん!!

 

 

 

 

 

 

 

 

神社の銀杏が黄金に色づいていた。

僅かに斜めに傾いた鳥居は風雨にさらされ、侘びた風情をかもし出している。

ふっくらと地面を覆う緑の苔の上を、覆うばかりに銀杏やもみじが彩っている。

山南敬介は足を止めると、眩しそうにそれを眺めて隣を歩く土方歳三に声をかけた。

「少し寄って行っても構わないかい?」

 

 

霜月

 

 

二人がひょっこりと出会ったのは、半刻前のことである。

土方は行商の帰り道。

山南は手土産を持って試衛館へ向かう途中。二人はばったりと出会った。

「あ」

声を上げたのはどっちだっただろう?

一瞬、ほんの一瞬、山南は顔に途惑うような色を浮かべたが、すぐに綺麗にそれを消してにっこりと笑って挨拶をした。

その一瞬の感情を見逃さないのが、土方である。

小さく眉間にしわを寄せると、ぶっきらぼうに挨拶を返して、二人は並んで歩き始めた。

 

山南と土方は、特に仲が良いと言うわけではなかった。

仲間であるという認識はあったが、それ以上ではない。

二人は他人の感情に敏感すぎるのだ。

 

山南は土方に嫌われていると思っている。

ゆえに今日のように、ふいに二人きりになった時。途惑うような、困ったような感情をチラリと覗かせる。

それに気付いて不機嫌になった土方に気付いて、ますます困り果てる。

顔には笑顔を浮かべて、一生懸命話題を探しはするものの、土方は短い生返事しか返してくれない。

 

まいったな……。

困り果てて首筋を撫でながら話題を探して視線をさまよわせた時――ふいに山南の目に見事な銀杏が飛び込んできた。

「土方君」

「……何だ?」

「その、少し寄って行っても構わないかい?」

「ん? ……ああ」

山南の指す方を見て、初めて土方も銀杏に気付いて足を止めた。

どこかで落ち葉を焼いているのだろう。焚き火の匂いがする。

二人は並んで社に腰を下ろすと、土方は無言でキセルを取り出してふかし始めた。

 

そこかしこで声高く囀るのは百舌鳥。

屋根の上を歩いているのか、小鳥が飛び跳ねる小さな足音が聞こえてくる。

「見事な銀杏だ」

「ああ」

「よく近くを通るのに、こんな所があるなんて気が付かなかったよ」

「俺もだ」

土方は紫煙を吐き出すと、首を上に向けてぐるりと辺りを見回した。

「よく見つけたな。山南さん」

この神社は防風林の奥に隠れる様に建っていて、通りからは少し見えづらくなっている。

嬉しそうに――それでも顔には分かるほどの感情は浮んでいなかったが――辺りを見回している土方に、山南は照れたように口元を緩めると

「偶然だよ」

はにかんで笑った。

「誰にも教えるなよ。山南さん」

「え?」

「特に原田たちには絶対に言うな」

「何でだい?」

「……あいつらにぁ風情なんてもんはわからねぇ。落ち葉を集めて焼き芋を始めるのがオチだ」

「……まぁ、否定は……できないね」

山南が苦笑すると、土方は小さく笑って隣の山南を見た。

「そろそろ行くか?」

「ああ、そうだね」

立ち上がって、几帳面に汚れてもいない着物をはたく山南を見て、土方はぶっきらぼうに何事かを告げると、先に立って歩き始めた。

「土方君!」

後ろで山南が驚いたような声を上げて、慌てて土方の横に並ぶ。

土方はとぼけるように空を見上げると、

「秋だなぁ」

ため息混じりにしみじみと呟いた。

「え?」

面食らってつられるように山南も空を仰ぐ。

澄み切った空には一面に鱗雲が浮んでいる。

あぜ道でススキが音を立ててそよいでいる。

何となく先ほどの土方の言葉に返事をしそこなって、山南は困ったように小さく首を傾げて苦笑を浮かべると、早足の土方を追いかけた。

 

「俺に気を使う必要なんざねぇよ。山南さん」

仲間だろ?

嫌われていると思っていた土方の一言が、自分でもおかしいくらいに嬉しかった。

ふわふわと弾む心を宥めて、先ほどよりも早足になった土方を追いかける。

山南は、後ろから見えた土方の耳が赤くなっているのに気付いて笑みをこぼすと、それに気付いた土方はムッとしたようにますます足を速めて歩き始めた。

嫌われていたんじゃなかったんだ。

ただ、お互いに人の気持ちに敏感すぎただけで――。

山南はふと肩の力を抜くと、慌てて土方の背中を追いかけた。

「土方君!」

「……何だよ」

もう息の詰まるような思いは感じなかった。

 

2007.1.7

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長火鉢の中で、鉄瓶がシュンシュンと沸いていた。

今日はひどく冷える。

土方歳三は長火鉢にかじりつくようにして両手をあぶりながら、真っ白の息を吐いた。

 

 

 

師走

 

 

朝起きると、試衛館には誰もいなかった。

そういえば昨日、近藤が沖田を連れて出稽古に行くと言っていたような気がする。

いつもより寒い朝に中々布団から出られず、昼前になって起きてみたら誰もおらず、土方はやっとそれを思い出して詰まらなそうに舌打ちをした。

 

それにしても寒い。

この分だと雪になるのではないだろうか。

土方は身体を縮こまらせながら暖を求めて客間を開けると、そこには自室から布団を運んできたのだろう、原田が長々と寝転んで春画本を読んでいた。

「よぉ! 歳さん」

「今日は冷えるな」

「ああ。雪になんじゃねぇ?」

原田は寝そべったままニコニコと土方にむかって言うと、雪という単語にあからさまに顔をしかめて、土方は長火鉢の前に陣取った。

見れば五徳の中の火が熾になりかけている。

慌てて近くの炭籠を引き寄せて炭を入れると、軽く息を吹きかけて土方は着物の袖に手を隠して鉄瓶の蓋を開けた。

ああ、大丈夫。

水はまだ半分ほど入っている。

蓋を少しずらして、手をこすり合わせる。

 

原田はそれきりまた暇そうに春画をぺらぺらとめくり、歳三もこれと言って話題もなくぼんやりと白くなっていく炭を眺めていた。

 

部屋の中のぼんやりと暖かな空気が、感覚のなくなった足のつま先をとかしていくようで気持ちがいい。

 

背を丸めて空気に溶け込む湯気を眺めていると、後ろでガサリと言う音が聞こえた。

「あ」

原田が声を上げる。

「……どうした?」

億劫そうに顔だけ振り返って原田を見ると、彼は体を半分起こして障子を見ている。

何だ?

子供のようにわくわくとした原田の顔を見て、嫌な予感がよぎる。

原田に習って土方も障子を見ると、そこにいくつもの小さな影が映っているのに気付いて顔をしかめた。

空から舞い降りてくる、小さなぼんやりとした灰色の影。

「雪、か」

「けっこうでけぇぞ! 見ろよ! 歳さん!」

はしゃいで障子を開け放した原田に、土方は顔をしかめると首をすくめて外を見た。

 

空から落ちてくる、無数の牡丹雪。

 

「……積もるな」

「積もるなっ!」

二人は声をそろえて言うと、原田は嬉しそうに顔中にこにこと笑って庭に飛び出していった。

 

原田の開け放していった障子から入り込む冷気に土方は身震いすると、長火鉢を引き寄せて原田が今まで入っていた布団にごそごそともぐりこんだ。

 

相変わらず、鉄瓶はシュンシュンと暖かな音を立てている。

これ以上冷気が部屋に流れ込むのはゴメンだ、とばかりに土方はすっかり布団に入ってしまうと、キセルをふかし始めた。

 

原田は雪にはしゃいで廊下を走り回っている。

「……ったく、元気だなぁ」

土方は小さく呟くと、ぷかりと紫煙を吐き出した。

 

 

 

 

2007.1.5

 

なんでもない普通の一日が書きたかったんです!

初めは山南さんと歳さんにしようかと思ったけど、山南さんだと気を使って色々と話しかけてくれそうなので、原田さんにしました。

つか、さのやん好きじゃー。

 

 

 

 

 

モドル