あの石段を飛び越えて
今までの自分がどうして死んだのかわからない。 交通事故? 病気? それとも寝ている間に、地震や竜巻なんかの天災にあった? 私は確かに平成の世でOLをしていた筈なのに。 気が付いたら、なぜか幕末に生まれ変わっていた。 それも沖田総司として――!
あの石段を飛び越えて
私は平成に生きていた頃から、新撰組の大ファンだった。 中でも土方さんが大好きで、同じく新撰組ファンの友人と休日を合わせては、日野や京都はては北海道まで旅行に行ったものだ。 だから、自分がなぜか幕末に生まれ変わったと知った時も、驚きはしたがそれほどショックを受けることはなかった。 (むしろラッキーと思ったくらいだ!) そんな私につけられた名前は、『沖田宗次郎』。 赤ん坊ながらに意識をしっかり持っていた私は、その名を聞いてもしやと胸を膨らませたものだ。 生前の記憶は、なぜか生まれ変わった今も消えなかったからね。 みつやきんという姉がいて、そして白河藩士の父がいる。 これだけ揃えば、期待するなって方が無理でしょ? ああ、早く大きくなりたい! 大きくなって土方さんや近藤さんに会いたい! 赤ん坊で眠ることしかできない私は、まだ会えぬ彼らのことを妄想しては日々過ごしていた。 『沖田宗次郎』。 この名前が、かの総司と同姓同名で、私は単なる一般人に過ぎないのではないか。 そりゃあ毎日無駄なことを考えるだけしかできなかったからね、そんなことも考えたよ。 でもね、そう思うより本人だって思う方が楽しいじゃない! 本物の総ちゃんがいないのはすっごく寂しいけど……。 でも、このポジションは本当に嬉しくて楽しみで、私は毎日幸せな夢を見てすくすくと育っていったんだ。
2010.4.16
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○ 2歳になった。 少しずつ昔の記憶がなくなっていった――かと言えばそうじゃなく。 私は今尚、平成の記憶をしっかり持っていた。 といっても、この時代から見ての未来になるのかどうかはわからないけどね。 私はここが、一種の平行世界、パラレル世界なんじゃないかって思っている。 沖田総司が私なのが、その証拠。 どうして未来から過去に来たのかはわからないけど、いつだったか何かの本で読んだことがある。 時間の流れというものは、独立してぶちぶちと切れたものではなく、過去・未来・現在は同時に存在し、同時に流れている、とかいう理論。 ま、実際のところは考えたってわからないんだけど。 とりあえず、私がここに存在しているのは確かだ。
私は生前OLをしていた。 つまり女だった。 だけど、転生してみればなぜか男になっていた。 でも意識は女のままなんだ。 これってすごく問題じゃない? ……私のせいで、沖田総司がおねえ系とかになっちゃったらどうしよう! え、考えたら何か怖くなってきた! 口調は……うん。 私、って言ってても大丈夫な気がする。 総ちゃんは基本敬語なイメージがあるし。男むさい感じじゃないし! 実際のところは、まだ鏡を見たことがないからわからないけど――。 総ちゃんは華奢な美少年のイメージがあるから……きっと多少のことは大丈夫だろう! (希望だけどね!) だけど、うん! 意識は極力男っぽくしなくちゃね! 私のせいで、後世に変な伝承は残したくない。
って、うわ、今気が付いたけど、これってかなり大変なことだじゃない? 沖田総司といえば、歴史に名前を残してて今尚人気のある人だもの。 一般人すぎる私が、沖田総司でいいんだろうか? 私は本当に、総ちゃんみたいに剣が上手くなって、新撰組一番隊長になれるんだろうか? これってうかつに動いたら、歴史が変わっちゃったりってことに、なる、よね。 責任重大だわ! 彼の名前に恥じないよう、一生懸命生きなくちゃ!
2010.4.17
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○ 家族のこと
私が沖田総司として生まれ変わった時、心配していたのは家族のことだった。 私の知っている『沖田総司』はあんまり家族に恵まれなかった、って聞いている。 裕福な家庭ではなかったため、幼い頃口減らしに出されたのだと。
だから、心配していたんだ。 ただでさえ、私は総ちゃんの偽物みたいなものだから―― 生まれてきても、良かったのかな、って。
でも、杞憂だったみたい。 やっと歯が生え揃ってきて、片言の赤ちゃん言葉を話し始めた私に、家族はメロメロになったから。 私より11歳年上のみつ姉さん。 13歳にしては大人っぽくてしっかり者の姉だったけど、どんなに忙しく仕事を手伝っていても、暇を見つけては私のところに走ってきて、細い目を柔らかく綻ばせて、可愛い可愛いと話しかけてくれる。 母さんのお古の地味な着物を着て、いつも襷を掛けて手ぬぐいを被っていたみつ姉さん。 そんな彼女の癒しになるなら、と私は精一杯の笑顔で彼女を迎えて、まだ動きづらい舌を一生懸命に使っては、姉さんの名を呼んで笑いかけた。
私より7つ年上のきん姉さんは、まだ9歳なのにとってもおしゃまで元気一杯。 みつ姉さん同様、渋い色合いの着物を着ていたけど、女の子なんだなぁ。 いつも簪代わりに、野の花を髪に挿していた。 そんな二人がキラキラとした目で一生懸命話しかけてくれるから。 私が普通の子供よりも話し始めるのが早くても、母さんは不思議がったりせずにむしろ喜んでいてくれた。 色の白い、線の細い母さん。 正に日本の母、という感じの凛とした女性で、同性ながらも憧れてやまなかった。 いつもピンと背筋を伸ばして、きっちりと着物を着こなしている。 袖から覗く手はあかぎれてて痛そうだったけど、そんなそぶりなんかちっとも見せずに、いつも柔らかく微笑んで私たちを育ててくれる。 母さんを見ているとね、全然違うタイプのはずなのに……平成に生きていた頃の母さんを思い出して、無性に悲しくなった。 私が『宗次郎』じゃなくて、『私』だった頃の母さん。 今頃、どうしているんだろう? 私、突然死んじゃったみたいだから……悲しんで、いるかも、知れない。 ごめんね、ごめんね。 心の中で謝っても、未来の母さんには届かない。 ただ苦しくて、寂しくて。恋しくて―― 声を上げてわんわん泣くと、総ちゃんの母さんは、仕方なさそうに目を細めて、愛おしそうに私を抱きしめて安心するまであやしてくれた。 でも、総ちゃんの母さんは、私の母さんじゃない。 それが、哀しくて―― 一層声を上げて泣くと、優しい手つきで宥めるように背を叩いてくれた。 『母さん』 二人とも、本当の私の母さんだけど―― でも。 総ちゃんの母さんは、『総ちゃんの母さん』っていう目でしか見れなくて。 罪悪感にかられて、私は力の入らない指でぎゅっと母さんの着物を握って、謝るように涙に揺れる視界で彼女を見上げる。 全てを許すような、慈愛に満ちた微笑が見たくて。 安心させて欲しくて…… そんな私を、母さんは優しく見つめると、穏やかな声で子守唄を歌ってくれた。 ゆったりとしたリズムの、だけどどこか物悲しい音色の唄にすがるように、私はいつも眠りに付いた。
総ちゃんの父さんは、武士という感じの人だった。 厳格で生真面目な、日本の父という感じの人だった。 まっすぐな人で、無類の恥ずかしがり屋らしく、いつもは背筋をしゃんと伸ばしていかめしい顔をしているのに。 家に誰もいないのを確認しては、私の傍によってきて赤ちゃん言葉で話しかけてくれるんだ。 抱き上げるのは怖かったのか、いつも恐る恐る手を伸ばしてはひっこめて、って葛藤していたけどね。 目じりに皺を寄せて、全身で愛おしいって言いながら、赤ちゃん言葉を話してくれる父さん。 姉さん達がこの姿を見たら、きっとびっくりしてぽかんとしちゃったと思う。 (母さんはきっと、父さんのこの姿を知ってる、って思う)
大好きな、私の家族。 大切な私の家族。 精一杯の愛情表現で、小さなもみじの手を伸ばして頬に触れると、誰もが笑顔になって喜んでくれた。 良かった。 総ちゃんは、こんなにも皆に愛されていたんだ。 口減らしに出されたのだって仕方のないことで…… 本当は、こんなにも望まれて生まれてきたんだ。
そう思うと、一層家族が愛おしくて。 私は家族を抱きしめるように、声を上げて笑った。
2010.4.18
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○
はじまり
私の幸せな生活は、突然終わりを告げた。 父が死んだ。 まだ、若かったのに……。 死ぬような年齢じゃなかったのに。 もしかしたら、現代で言う過労死に近かったのかもしれない。 私たちを養うために一生懸命、働いて、働いて――眠るように息を引き取ったんだ。
それからが大変だった。 私はまだ2歳だし……いくら精神が大人だって言っても、みんなはそれを知らない。 (言っても絶対信じてもらえないし) この時代は個人主義じゃなくて、家単位で全てが運ぶから、沖田家を継ぐものがいなければ、お家断絶も免れなくなる。 母さんも姉さんも泣く暇もないくらいに忙しく走り回って、そして見つけた。 沖田家を継いでくれる人を。 それが、例え沖田家の武家の株を売るということになっても――。 沖田家をなくすわけには行かない。 それは母さんにとって、武士の妻としてのプライドと義務だったに違いない。 名目上の武士の身分を売って、養子という形で相続してもらう。 それが、武家の株を売るということだ。 そうすれば、沖田家はなくならない。
私にはまだわからなかったけど、この時代江戸の物価は物凄く高かったみたいだ。 でも、そうまでして守らなくちゃいけない感覚が、私にはわからなかった。 武士の身分は……そこまでして守らなくちゃいけないものなのかな? 土方さんがあれほどまでに欲した武士の身分は、この時代の人たちにとってそれ程尊いものだったのかな。
私にはわからない。
だって……。
母さんは、父さんと同じように―― まるで後を追うように、儚く死んでしまったのだから。
私にはわからない。 どうしてそこまで、みんな武士に固執するのか。 私が…… 平成時代の記憶を持っているからなのかな。 だから……! この時代に、馴染めないの、かな……。
沖田家の武家の身分は、日野の豪農、井上林太郎という人によって買われ相続された。 姉たちは肩を寄せ合い、いつもの布団の中、安らかに眠る母の死に顔をじっと見つめていた。
父さんが死んで、母さんが死んでも。 私には、実感がわかなかった。 この世に生を受けて、二年。 両親と過ごしたのは、たったの二年だったから。 死んでも、私と同じようにどこかで生まれ変わって、幸せになっているかもしれない。 そんな風に逃げ道を作って、悲しみをやり過ごしていた。 まだ若い母さん。 かつて生きていた私と、あまり歳の違わない母さん。
どうして、死んでしまったんだろう? (あなたは馬鹿だ) こんなに小さな、姉たちを残して。 まだ家を継ぐことのできない、幼い長男を残して。 ねえ、いくら私の精神が大人だって言っても、身体はまだ2歳なんだよ? どんなに望んでも、姉さんたちを守れやしないんだよ? ねぇ、母さん。父さん。 どうして働きすぎて死ぬくらい、無理をしたの? 家族のことを思うなら、もっと体を休めて――ずっと長生きをしてほしかった。
ああ、 姉さんたちが泣いている。 こんなに小さな手じゃ、姉さんたちを助けることもできない。 悔しくて、哀しくて―― 辛い。 無力な自分が。 母さんを父さんを助けることができなかった、幼い身体が。
あなた達は、馬鹿だ。
あなたたちが生きていなければ、他人が沖田家を継ぐしかなくなるじゃないか! そんなことで、本当に家を守ることができた、って言えるのか?!
あなた達は、馬鹿だ。 ……馬鹿だ。
どうしようもなくて、すすり泣く姉さんたちの傍に寄ったけど、彼女たちは私にかまう余裕もなく、ただただ途方にくれて泣き続けていた。 薄暗い部屋の中。 天井近く立ち上る、線香の煙だけがやたらと白くて、私はつんと目に染みるその煙を追い出すように、ぎゅっと目をつぶって――開けた。
瞬間目に入ったものに、ぎょっと肩を震わせる。 誰? すっかりと血の気を失った白い頬。 何かに耐えるように、きつく結ばれた唇。 きっと常は活発そうな、やんちゃな子供なんだろう。だけど、大きな目を不安そうに見開き、こちらをじっと凝視している。 見知らぬ子供。 ぱちり、 目を瞬いて、私ははっとした。 あれは……鏡に映った、私?
目の前にある死に、怯えるように見張られた瞳。 それをまざまざと見せ付けられて、今まで自分を偽っていた逃げ道が飛散した。 ああ……! 大きな目から、ポロリと涙がこぼれる。 母さんは、父さんは、 いなくなってしまった。 ぽっかりと心が虚ろで、黒くて、寒い。 死んでも、転生するから平気? そんなこと…… そんなこと、嘘だよ。 平気なわけないじゃない。 代わりなんていない、大切な家族だったのに! もう、会えなくなるって言うのに! もう、その愁いを帯びた瞳に、私たちが写ることは、ない。 あの優しい、穏やかな声で子守唄を歌ってくれることもない。
いなくなってしまった。 いなくなってしまった。
「とうさん、かあさん」 涙の滲む震える声は、二人には届かず、ぽつりと落ちた。 ただ、私の声を拾った姉さんたちは、鼻をすすって一層激しくすすり泣きはじめた。
「とうさん、かあさん」 あなた達は馬鹿だ。 もう少しだけ。 もう少しだけ、私が大きくなるのを待ってくれたら良かったのに。 この手が、姉さんたちを守れるだけ大きくなるのを待ってくれたら、良かったのに……。
2010.4.19
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○
それでも地球は回っている。 誰が言った言葉だったっけ? どんなに悲しいことがあっても、死ぬほど苦しいことがあっても。 そ知らぬ顔で、地球はいつもの営みを続ける。 だって、どんなに私たちが苦しんでいても、世界の人口からみたら、微々たる物なんだもの。 毎日日は昇り、一日の時間は長くなることも短くなることもなく。 同じ一日が繰り返されるだけ。
ただ、そこに父さんと母さんがいないというだけで。
父さんと母さんが死んで、お葬式にお金を使ってしまったから。 我が家は行灯の油を買うお金もなく、夜が来たら真っ暗な中、身を寄せ合って眠るという日々が続いていた。 当然食べるものもあまりなくて、姉さんたちは自分が食べる量を減らしては、私に食べさせてくれていた。 自分たちだって食べたい盛りだろうに……。 遠慮して私が食べないと、辛そうな顔をして泣きそうに顔を歪めるんだ。 どうしたら食べてくれるの? どうして食べてくれないの? って。 きっと二人が今生きているのは、大げさでもなんでもなく、私がいるからなんだと思う。 私を育てることを生きる活力にして、悲しみをやり過ごしていたんだと思う。
皮肉だよね。 私だって守りたいのに。守られることしかできない、なんてさ。 だから私は、精一杯の明るい顔で。姉さんたちの名を呼んでは笑いかけた。 そうするとね、少しずつ。少しずつ姉さんたちの顔からこわばりが取れて、柔らかくなっていくんだ。 それを見ると私もほっとして。だからますます、にっこりと満面の笑みを彼女たちに向ける。 そんなことをしているとね、いつの間にかまた私たちの間に笑顔が戻ってきたんだ。 私たちは、たった三人の姉弟。 もう誰もなくしたくない。 幸せになりたいんだ。
そんな中――みつ姉さんの輿入れが決まった。
沖田家を継いでくれた、井上林太郎さんの親戚である、井上宗蔵さんの弟 『井上林太郎』さん が婿養子になり、沖田家を継いでくれることになったんだ。 何か変な感じだ。 武家株を買って、家を継いでくれた林太郎さんと同じ名前、同じ苗字の林太郎さんが継いでくれるようになったのは。 こんな言い方をするのは何だけど…… なんだか、沖田家がどんどん侵食されていくような気がする。 私が幼いせいで、沖田家が実質井上家になってしまったような気がする。 姉たちを守りたいのに。 姉は姉で幼い私を守ることに必死になっていて…… みつ姉さんは一もにもなく、縁談を快諾したそうだ。 そんなのってない! みつ姉さんは、どんなにしっかりしてるって言っても、まだたったの13歳なんだよ? 平成時代の記憶を持つ私には、姉がまだ子供にしか見えない。 そんな姉が、6つ年上の19歳の郷士と結婚をするっていうんだ。
「どんな人かは知らないけど。井上林太郎さんは、八王子千人同心のお家柄で、一応武士になるのよ」 誇らしげに姉がそう言ったとき、体中の力がどっと抜ける気がした。 なんだかやるせなくなって、ぼんやりと姉の顔を見上げた。 (きん姉さんの、スゴイ、スゴイとはしゃいだ明るい声が、遠くの方で聞こえたけど) 姉さん。 あなたも……あなたまでもが、やっぱり武士の身分にこだわるんだね。 どんな人かは知らない? それで、本当にいいの? もしその人がとんでもない悪人だったらどうするの? 姉さんたちを売ってしまうような男だったらどうするの?! もっと考えて行動しなさい! OL時代の私なら、そう言えたんだろうけど……。 「けっこん、だめ!」 活舌の悪い今の私には、それだけ言うのが精一杯だった。 どうしてダメなのか、なんて説明なんかできない。 (そんな長い言葉喋れない!) 姉さんたちは、家に知らない人が入ってくるのを嫌がっているんだと思ったのか、必死に私を宥めてくる。 嬉しそうな顔で、ごめんねなんて謝まられても説得力ないよ。 本当に――本当にそれでいいのかな……? たまらなく不安になってくる。
思い出せ。私! 昔読んだ本には、どう書いてあった? みつさんは、幸せな一生を送った? ――わからない……! 総ちゃんのことは、よく読んだけど……。 その家族のことまでもはよく知らないことに気づいて、私は愕然とした。 どうしよう! こんな賭けみたいな結婚! 止めなきゃ!
焦る私を置き去りにして、縁談はとんとん拍子に進んでいく。
そうして、ついにやってきた井上林太郎さんを見て、私はむぅっと口を尖らせた。 何だか、頼りないっ! ひょろひょろとしてて、武よりも文を好む感じだ。 人はよさそうだけど、気が弱そう。 子供は好きそうだけど、扱い方を知らない。 私にはそういう風に見えた。 ただ――婿養子に来た林太郎さんは、武士株を買った林太郎さんとは違って、実直で真面目そうな人だったのが救いだけど……。 身分でしか結婚相手を選べなかった姉さんが、たまらなく可愛そうだった。 武士という身分は、不自由だ。 大好きな姉には、好きな人と結ばれて欲しかったのに。 初恋さえする暇もなく忙しく働いていた姉は、たった13歳で私たちを守るために結婚を選択したんだ。
「みつ姉さん」 羨望を込めた目できん姉さんが、みつ姉さんを見つめている。 夫となる林太郎さんが用意してくれた、華やかな色の晴れ着をまとった姉さんは――それでも綺麗で。 見たこともない位、キラキラと輝いていた。 照れたようにはにかんで笑って、心配そうに見上げる私の頭をゆったりと撫でてくれる。 そんな顔をされたら、 「……ねえさん、きれぃ」 そう言うしかなくなるでしょ? いつも地味な着物を着ているところしか、見たことがなかったから。 本人も、赤い着物を着るのは初めてで照れくさいんだろう。 私は姉さんの横に座る林太郎さんを見た。 これが、姉さんの夫となる人―― かつてOLだった私よりも年下の、ひょろりとした青年。 しっかりしてよね! どこか頼りなさそうな、にこにことした顔を見て、心の中で渇を入れてやる。 姉さんは夫の顔を見るのが恥ずかしいのか、始終赤い顔で下ばかり見つめている。 林太郎さんは林太郎さんで、おどおどと視線をさまよわせて、姉さんに話しかけようとしない。 ただきん姉さんのはしゃいだ声だけが、狭い部屋に響いていた。
暗い部屋に少しの光明が差すように。
ふと目を合わせて、真っ赤になってさっと顔をそらした二人を見て、私は苦笑した。 ……良かった。 いい人そうで。 これで、変な親父のところに嫁ごうものならやりきれないけどね。 嘘のつけない、不器用そうな人だ。 しっかり者の姉とは、案外お似合いかもしれない。 こういう結婚も、ありかもしれない。 ほっとすると、何だかそう思えてきた。 順番がすごく無茶苦茶になっちゃったけど、こういう出会いもあるのかな、ってね。 (だって、姉さん幸せそうだ) 好きな人と結婚するのもいいけど、結婚した相手を好きになるのも、いいのかも、しれないなぁ……。 夫と妻。 今日から、そういう縁を結んだ二人。 まだ慣れないから、恥ずかしそうで――見ているこっちが、恥ずかしくなるけど。 ……幸せになってよ。 ねえ、みつ姉さん。 沖田家のこととか、私のこととか。 そんな難しいこと、全然考えなくていいんだよ? 私たちは、姉さんに幸せになって欲しいんだ。 もう、家族のために誰も自分を犠牲になんかして欲しくない。 きん姉さんも、私も。 姉さんの幸せを祈っているよ。 心の底から笑いあえるような。 そんな穏やかな日々を望んでいるんだ。 そうなるためには、姉さんも幸せでなくちゃいけない。
幸せになろうよ。 だって私たち、たった三人の姉弟じゃない。 ……今日からは、家族が一人増えるけどさ。 私は、くるくると二人の周りを回って、忙しそうに話しかけるきん姉さんを見て、肩の力を抜いて笑った。 あ。 ふと目が合った林太郎さんが、垂れ気味の目を困ったように細めて、笑いかけてくれた。
2010.4.20
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