○ 春になった。 私はまた一つ歳をとって、3歳になった。 この時代はね、誕生日に歳を取るんじゃなくて、お正月がきたら皆一つずつ歳を取るんだ。 だから夏生まれの私にはちょっと早いけど、3歳。 やっと3歳になれた! けど、まだまだこんな手じゃ、何もできない。 私は小さなふくよかな手を見て、ふぅと息をついた。
登場
林太郎さんが来て、働き手が一人増えたとはいえ、沖田家の家計は、相変わらず苦しかった。 姉さん達が幸せそうだから、まぁいいんだけどさ。 二人の恋は見ていてヤキモキするほど、一途な恋だった。 彼氏とか、何人と付き合ったとか。 そんなことをしたこともない人たちだったから。お互いがお互いを助け合って生きていて、お互いのことしか目に入らないんだ。 やっと20歳になった林太郎さんは、やっぱり少し頼りがない人で要領が悪く失敗ばかりしては、しょんぼりと肩を落としてみつ姉さんに慰められていた。 きん姉さんはそれを見て、林太郎さんをからかって笑って。 林太郎さんは真っ赤になって、慌てて。 私は少し離れた所で、それを微笑ましく見ている。 そんな、まるでおままごとみたいな生活だけど。 男の人がいてくれるのといないのでは、全然違う。 こんなに頼りない人でも、家族を守ろうと必死なのがわかったからね。 私たちは皆すごく心強くて、貧しいながらもそれなりに幸せで満足していたんだ。
そんな時だった。 林太郎さんが、少し年下の男の子を伴って帰ってきたのは。 養子という自分の立場に今まで気兼ねしていたのだろう。 遠慮がちにしていた林太郎さんがはじめて連れてきたお客さん! やっと彼が本当に心を開いて、自分たちの家族になってくれたような気がして、私は驚きながらも嬉しくて有頂天になった。 丁度姉さんたちは仕事にいっていていない。 なら、私がお茶の用意をする? 「おちゃ、のむ?」 うん、と首をいっぱいに上に伸ばしてお客さんに言うと、彼は顔をくしゃくしゃにして笑って、私の頭を撫でてくれた。 林太郎さんも微笑ましそうに笑ってる。 よし! まかせろ! 林太郎さんはそこで座ってて! 私、うんとおいしいお茶を入れてきてあげるから! そう思って、よいしょと立ち上がって厨に行こうとした私を、林太郎さんは慌てて抱き上げて、お客さんは声を上げて笑った。 あれ? 「お茶はオレが入れるから!」 焦ったように言う林太郎さんに首をかしげる。 お茶くらい、私自分で入れられるよ! だって姉さんがいないときは、そうしてたしね。 だけど、林太郎さんはあわあわと慌ててお客さんに私を押し付けると、足を机にぶつけながら厨に行ってしまった。 あーあ、おっちょこちょいなんだから! 呆れた目で林太郎さんを追っていたけど、お客さんはぽんぽんと私の頭を撫でて、 「ありがとうな! けど、坊主は俺と一緒に縁側で待ってような」 にこりと目元を綻ばせて、私を抱き上げたまま縁側に移動した。 む。 皆して、私を幼児扱いして! ちょっぴり不満で、頬が膨れる。 お客さんはまたおかしそうに笑って、縁側にドカリと腰を下ろして私を膝の上に抱き上げた。 ……何だか、初めて来た割にはいやにくつろいでない? この人……。 いや、別にいいんだけど。 林太郎さんとはやけに仲が良さそうだったし……。 首を後ろに回して、じーっと観察してみる。 歳は、きっと高校生くらい。 日に焼けた茶色い顔と、茶色い手。 きっちりと結い上げられた髪。この髪型は、林太郎さんと同じ。一応、武士なのかな? 一応と思ったのは、彼が林太郎さんと同じく、絹ではなく木綿の着物を着ていたから。 人が良いというのが全身に現れているような、その人を見て、私はあれと首をかしげた。 何だか、どっかで見たことがある? それもつい最近だ。 うーんと、考えていると、ニコニコと笑うその人と目が合った。 あ! そうだ! 結婚式! みつ姉さんと林太郎さんの結婚式に来てた人だ! あの時結構な数の人が、ひっきりなしにお祝いに来てくれたんだけど、狭い我が家には入りきれずに、挨拶をしてはすぐに帰っていったから……。 気づかなかった。 けど、思い出してみたら、確かにあの時来てくれた人だ。 親戚なのかな? 聞いてみよう! 「ねぇ!」 「ん? 何だい?」 「おにいちゃん、だれ?」 「ん? そういや、まだ名乗ってなかったな!」 それは失礼した! また笑いながら、ぽすぽすと頭と撫でて、その人はにこりと目元を綻ばせた。 「おれの名は、井上源三郎。林太郎さんの親戚だよ」 「い、いのうえ、げんざぶろ、ぅ……!?」 思わずぽかんと口が開いて、その人をまじまじと凝視してしまう。 え、何? 今すごく聞き覚えのある名前が聞こえたような気がするんだけど。 驚いたあまりたどたどしい言い方になっちゃったけど、それを幼さゆえだと思ったのか、その人は良くできました、と言わんばかりに喜んで、 「よろしくな! 宗次郎!」 私の脇の下に腕をいれて、くるりとひっくり返して膝の上で向かい合わせにすると、日に焼けた顔をくしゃくしゃにして、穏やかに笑った。
2010.4.23
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● 「よろしくな! 宗次郎!」 その人はそう言って、朗らかに笑ったけど。 私は、その人の名前が気になって仕方がなかった。 だって、ねぇ! 井上源三郎って言ったら、あの人しか思い浮かばないでしょ? 新撰組 副長助勤の井上源三郎さんしか! そりゃあ、林太郎さんの元の苗字は井上だし、親戚だから苗字が井上でもわかるけど。 源三郎って名前も、この時代珍しいものじゃないかもしれないけど……。 もしかしたら、もしかするかもしれない。 私を抱っこしてくれている源さんは、17歳くらい。 私が今3歳でしょ? ということは、14歳差か……。 うーん。微妙。 総ちゃんと源さんって、それくらいの歳の差のような気もするし、もっと離れていたような気もする。 正直……源さんって、何だかおじさんのイメージが大きかったからさ。この人と、あの新撰組の源さんが結びつかない。 確認しようにもこの時代新撰組はまだないし……。これだけ若かったら、試衛館に入門しているかどうかも微妙だ。 (っていうことは! はっきりするまで、これから数年間、蛇の生殺しってわけ!?) 彼が、『あの』源さんかどうか、わからないまま過ごさなくちゃいけないなんて。 す、すごく気になるのに……! 私は源さんの膝の上、悶々と考え込んでいた。 もし私がもっと歴史に詳しかったら、源さんの両親兄弟の名前を聞いて、本人かどうか確認することができたかもしれないけど。 生憎、生前もそこまではチェックをしていなかった。 源さんは私の悩みなんか知りもせず、胡坐をかいて後ろに手をついてのんびりとくつろいでいる。 麗らかな春の昼下がり、庭の隅では背の低い紫陽花が、青々と大きな葉をつけていて、空はぼんやりと薄い雲に霞んで見える。 私は諦めて、ため息を付いた。 ま、今考えても仕方ないよね……。気持ちを切り替えなきゃ。 あーあ。 内心がっかりと息をついて、ぽすりと源さんにもたれる。 のんびりとした雰囲気を纏った源さん。 何だか癒し系な男の子。 だからかな。 背中に伝わる穏やかな心音を聞いていると、なんだか眠くなってくる。 午後の風は眠りを誘うように柔らかく、遠くの林から鶯の鳴き声を運んでくる。 眠い……。 ううん、でも眠っちゃダメ……。 もっと、源さんと一緒にいたいから。 話していたいから。 小さな手で目をこすって、うんと伸びをする。 うーん…… ちょっとだけ目が覚めてきたかな? 眠気を追い出すように、大きな口をあけて欠伸をすると、後ろの源さんもつられたのか、大きな口で欠伸をしていた。 平和だなぁ〜。 鶯の声が気持ちいい。 仄々と聞くとはなしにそれを聞いていると、鶯の囀りに混じって、聞いたこともない綺麗な鳥の声が聞こえてきた。 ヒヨヒヨヒヨ トゥルルル 高く澄んだ、よく通る声。 鳶でも、鶯でもない。大きな声。 何の鳥? 「ヒヨヒヨヒヨ トゥルルル」 暇つぶしに口に出すと、後ろで源さんが噴出した。 「あれはクロツグミだよ」 「クロツグミ?」 「そう。夏を告げる鳥だ」 もうすぐ暑くなるなぁ……。 独り言みたいに、間延びした声で源さんが言う。 首を後ろに回して源さんを見ると、彼は悪戯っぽく笑って、 よ! と身体を起こして、猫背になって私を抱えた。 そして、クロツグミの囀りを口笛で真似してみせる。 「ヒョヒョヒョ ピピピピ」 でも……何だかちょっと違うよ? 今度は私が笑って、源さんの真似をして下手な口笛を吹いてみた。 だめだ! 私の場合は口笛を吹く以前の問題。 かすれた息が勢い良くすぼめた唇から出るだけだ。 源さんは笑って、私も可笑しくなって声を上げて笑った。
そんな私たちの笑い声を聞いて、林太郎さんも嬉しそうにニコニコしながらお茶を持って縁側にやってきた。 ああ、でも、でも! 林太郎さん、もっとゆっくり歩かないと、きっと茶托にお茶がこぼれてるよ! 気が付かない林太郎さんに、はらはらする。 林太郎さんはそれすらも気づかず、ずかずか大またで歩いてきて縁側にお盆を置いた。 そこでやっと、あれ?って林太郎さんが首をかしげている。 あーあ。 言わんこっちゃない。あんなにいっぱいいっぱいお茶を入れるから。 茶托はお茶で水浸しになっていて。 それでも、 「まぁ、茶の味は変わらないから……」 源さんは慰めるように苦笑して。林太郎さんは、またやっちゃったって顔をして片目を歪めて苦笑した。 その微妙な顔が、本当に林太郎さんらしくて! 思わず声を上げて私が笑うと、林太郎さんも頭をかいて笑って、私用に少しぬるめに入れてくれたお茶を渡してくれた。
2010.4.27
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○ それから時々、源さんは遊びに来てくれるようになった。 仕事の合間を見つけては来てくれているのか、いつも来る時間はばらばらだったけど。 いつも暇をもてあましている私は、源さんが来てくれるのが楽しみで仕方がなかった。 夏になって日が長くなって。 姉さんたちも林太郎さんも、返ってくるのが遅くなったから余計にだろう。 大体家には誰もいなかったから、私は一人でぽつんと時間をつぶすしかなかったのだから。
植えられるもの
その日も朝からいい天気だった。 どこか遠くのほう――ううん、近くでもいっぱいニイニイ蝉が鳴いていて、私は暑さに寝苦しさを覚えて、ゴロリと寝返りを打った。 「うー、ん……」 暑いから、と布団もかけずにペタリと畳にほっぺたを押し付けて昼寝をしていたんだけど。 額に浮かぶ汗に前髪はべったりと張り付いて、暑さにいやおうなしに意識が覚醒させられる。 と、同時に庭からなにやらざくざくという小気味良い音が聞こえてきて、私は目を覚ました。
今……何時ごろだろう? 姉さんたちが仕事に行ってから大分経つから―― 私はぼんやりと起き上がって、目をこすった。 障子越しに入る光は、燦々と明るく輝いている。 もう昼を過ぎたのかもしれない。 私は誰も見ていないのをいいことに、大口をあけて欠伸をすると耳を澄ました。 うん、やっぱり聞こえてくる。 ざくざく、ざくざく。 一定の小気味良いリズムを打つそれは、どうやら何かを耕す音らしい。 お百姓さんが畑を耕しているのかな? けど。 あれ? 私は今の時間帯を思い出して首をひねった。 今は一番太陽が高い時間だ。 これだけ強い日差しの中、お百姓さんたちは外で仕事はしていないだろう。 蝉はうるさいぐらいにチーチージージー鳴いているし、転寝をしていただけでも背中にびっしょりと汗をかくくらいだ。 今はきっと納屋で仕事をしているはず。 じゃあ、何? 息を詰めて耳を澄ましてみたけど、やっぱりそれは誰かが畑を耕している音に聞こえる。 私は首をひねって、ハッとした。 あれ? この音、うちの庭から聞こえてない? 「……!」 私は半開きの目をぱちりとを開けると、勢い良く障子に飛びついて開け放った! 途端、強烈な夏の日差しが目を突き刺し、眩しさに視界が白く染まる。 燦然とした太陽に照らされ、生垣の葉は濃い緑にてらてらと輝き、 私はその焼け付くような日差しの中、見知った姿を見つけて驚愕に思わず彼の名を呼んだ。 「源さん!」 源さんだ! 源さんがいる! 日に焼けた真っ黒な顔を笠の下に隠して、着物の裾を帯に挟んで汗を流しながら鍬を振るっている! 「え……」 いきなり、どうして源さんが……他人の家の庭を耕しているんだろう? ぽかんと口を開けて見つめていると、視線に気づいた源さんは 「おー! 宗次郎!」 顔をくしゃくしゃに綻ばせて、私の名を呼んだ。 「な、なに を しているの?」 「ん? 見ての通り畑を作っているんだ」 「畑?」 ……いや、そりゃあわかるけど…… 林太郎さんにでも頼まれたのかな? 確かに家の庭はそこそこに広い。 一応武士の体面を保つため、雑草だけはぼうぼうに生えないように気をつけていたけれど、庭木に費やすようなお金も時間もなかったから、庭は空き地みたいに遊ばせているだけだった。
源さんはその庭を慣れた手つきでどんどんと耕していく。 私は覚悟を決めて日向に飛び込むと、源さんの横にしゃがんでそれを眺めた。 源さんが小石を弾く。 (あ、ダンゴムシ発見) 薄い茶色の痩せた土が、細かい砂煙になって風にふわりと舞い上がる。 私は顔の前まで流れてきた、黄色の風をふぅと吹き飛ばすと源さんを見上げた。 何を植える気なのかな? 今まで寂しかった家の庭が、源さんの手でどんどんと変わっていく。 殺風景だった地面が、ほこほこと柔らかそうに盛り上がっていくのを見ると、何だかわくわくしてきた。 「なに を うえるの?」 思い切って聞いてみたけど、源さんは 「んー」 とごまかしてニコニコ笑うだけで教えてくれない。 だから余計に、想像が膨らんで楽しくなってくる。 (まるで私の心も一緒に、耕されていくみたい!) ほっぺたが赤いのは、きっときっとこの暑さのせいだけじゃないはず! 私は興奮に目をキラキラとさせて、鍬の動きを目で追った。
どれくらいそうしていたんだろう? 源さんは一頻り耕してしまうと、腰にてを当ててうんと伸ばすと、達成感のある顔で畑を見回した。 すごい! 見慣れた家の庭なのに、ちゃんと畑に見える! 大きさにしたら、6畳位の広さかな。 まだ何も植えられていないけど、私は期待をいっぱいに膨らませて、源さんを見上げた。 源さんは一体何を植えるんだろう?
あんまりにも私が一心に見つめるものだから、源さんは照れたように気恥ずかしそうに笑って、大きな手でぐいぐいと頭を撫でてくれた。 「雑草はお前に任せるぞ! 宗次郎!」 源さんは早口で、照れ隠しにそう言っただけかもしれないけど。 私にも何かできることがある。 仕事を任された! そのことが嬉しくて、誇らしくて! 私はパァッと顔を輝かせると、大きく頷いて源さんの足にしがみついた。 「うん! まかせてよ! 源さん!」
2010.4.30 2010.5.26
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