世界の真ん中
山崎にはああ言ったものの、俄かには信じられる話でもなかった。 霊だの妖だのの類の話は、局中法度でも堅く禁じてある。 山崎がそれを知らないはずもない。
これが他の者の言ったことなら、鼻であしらっただろう。だが山崎は真面目で実直、冗談のつけない性格だ。 だから嘘ではないのだろう。 (夢か幻……てぇ訳でもねぇみてぇだしな……) 任務中に転寝をこぐような山崎ではない。 ならば、他の忍に忍術でもかけられたか―― 考えて土方は頭を振った。 優秀な山崎を、そうそう術中に陥れられるような忍もいないだろう。 ――とすれば。 件の祈祷師が精神に作用するような怪しげな薬でも使ったか……? (――まぁ、ここで考えていても埒はあかねぇか) できるだけ先入観は持たないようにしておかなければ。真実を見誤ることになる。 土方は紫煙を吐き出すと、障子に人影が映っているのを見つけ、眉間に皺を寄せた。 この背格好は沖田だろう。 まるで部屋の中の様子を伺うように四這いになって、障子に張り付いている。 風が沖田の長い髪を揺らした。 恐らく。沖田は土方が自分に気付いていることに、気付いている。 本気で中の様子を探るのであれば、気配を消してこんな風に見つけやすい所にはいないだろう。 (――どうせまた、暇つぶしにでも来たか……) 京に来てから試衛館連中でさえも距離を置いていた土方だったが、 (仕方ねぇ) どんなに冷たくしても、変わらず暇をもてあましては部屋に来る沖田に、重たい腰を上げて障子を開け放った。
「――あ、見つかっちゃいましたか」 沖田が微妙な体制のまま、悪戯っ子のような笑みを浮かべて笑う。 「何の用だ?」 高い位置から見下ろすように言う土方に、沖田は身を起こしてへたりと座ると、懐から何やら出して差し出した。 「清水の金平糖。買ってきたんです。一緒に食べましょう」 ね? 子供のように小首を傾げて笑う沖田に、追い出す気をそがれ土方はわざとらしくため息をつくと、そっと廊下を伺った。 「丁度皆さん見廻りに行ってて、誰もいませんし」 他の人たちは道場で稽古中だし。 土方の先を読んだように沖田が言う。 土方はじろりを沖田を睨んだが、諦めたように脇によけてやった。 「ありがとうございます」 土方のよけた隙間から、するりと沖田が部屋に入ってくる。 (いつまで経っても、こいつだけぁ変わらねぇ) 大きくなったのは図体ばかりで―― 子供っぽいしぐさに、沖田に背を向けたまま小さく笑うと、土方は障子を閉めた。
部屋では沖田が早速金平糖を広げている。 懐紙の上に広げられた色とりどりの小さな星に、土方の目元が和らいだ。 指摘するとすぐにまた土方は不機嫌になるだろう。沖田は久しぶりに見た土方の小さな笑顔――それは笑顔と呼べるほどのものでもなかったが――に顔をほころばせた。
「はい。土方さんの分です」 土方の手を取って、むりやり金平糖を押し付ける。 黒い着物によく映える色とりどりの金平糖は、まるで夜空に浮かぶ星のようで―― 小さな願い事をすれば、叶えてくれるのではないだろうか? 沖田はちらりと横目で土方を見て、目を細めた。 (新撰組があなたの夢だと、わかっているけど……) あまり無理はしないでほしい。 そして――そして、どうか自分たちを遠ざけないでほしい。 (原田さんや永倉さんたちは、寂しがって拗ねちゃって大変なんですから) 口には出すことのできない願いは、金平糖と一緒に口の中に解けた。
甘く――どこかほろ苦いそれを口の中で転がしながら、沖田は土方の机の前に陣取って悠々と足を伸ばすと、 「おいしいですね。土方さん」 土方に向かって、にこりと笑いかけた。
2009.8.9 |