ミイラ

第1章へ

 

どうも妙なものが出入りしているらしい。

雪丸がその話を持ってきたのは、申の刻の事だった。

まるで日が沈むのを待ちかねたように部屋に飛び込んできて、開口一番そう言ったのだ。

 

黒船が来てからこっち、異国の様々な怪異が日の本に流れ込んできていたが。

そんな雑魚とは違う。もっとはっきりとした自我と意識を持った”もの”らしい。

いつもの雪丸からは想像もできない真面目な顔で言う彼を、牡丹は胡乱な目で見ると扇子をぱちりと閉じた。

「異国の鬼、か……」

「うん。それも飛び切り強い、ね」

雪丸にここまで言わしめるのだ。相当なものだろう。

彼はああ見えて、大天狗の5族長のうちの長の一人なのだから。

面倒なことになりそうだ……

牡丹は不機嫌そうに眉をひそめると、扇子を開いた。

花街を乱す鬼がいることは、牡丹も知っていた。

懇意にしている妓達からの文にもそう書かれていたからだ。

彼も無数の目を持っている。

妓たちもその一人だ。

 

異国の男――

若いのか年老いているのか……

女たちの文はどれもあやふやで、それすらもわからなかったが。

それだけの実力のある鬼なら、複雑な幻視の術がかけることもできるだろう。

女達がわからないのも、無理はない。

雪丸の話では、金の波打つ髪を持つ若い男らしい。

年齢は20代前半から中半位か。シルクハットをかぶっていたため、顔を見ることはできなかったと言う。

雪丸の力を持っても、気づかれずに探るのはそれが限界らしい。

無理に探ろうとすれば、戦闘になったかも知れない。

今の段階では、それは良策ではない。

猪突猛進な雪丸がそういうのは珍しい。

不満そうに、つまらなそうに口を尖らせているところを見ると、戦えなかったのがよっぽど不満だったのだろうが。

――無駄な争いは避けるよう命じておいたのが役に立ったな……

戦闘好きなのが天狗の性だとは言え、雪丸が牡丹の眷属である以上尻拭いは牡丹がしなくてはならなくなるのだから。

牡丹が命じてさえいなければ、雪丸は嬉々として件の鬼に襲い掛かっていただろう。

「どんな術を使うのかわからん以上、こちらのそれ相応の用意をしておくしかあるまい。」

牽制する意味もこめて牡丹が言うと、雪丸は渋々頷いた。

これで、こちらは大丈夫だ。

 

引き続き雪丸には京の見回りをさせ、敵が襲ってくる前にこちらも戦力を整えなくては。

(こんなこともあろうかと、手を打っておいて正解だったな)

牡丹が再び音を立てて扇子を閉じたとき――

「ハニー!?」

大きな羽音をさせて、鷹が部屋に飛び込んできた!

「ピィ」

普通の鷹のふた周りほども大きいそれは、足に何かを鷲掴みにしている。

突然現れた愛妻に、雪丸は驚いて腰を浮かした。

鷹は掴んでいた物をそっと牡丹の前に降ろすと、雪丸の横に並んだ。

「何や? それ牡丹」

微かな妖気をかぎつけ、雪丸が警戒したように妻を背にかばう。

牡丹が妻に言いつけ持ってこさせたものだ。

普通の”もの”であるはずがない。

 

いやな予感がする……

さっきから首の後ろの毛がちりちりと逆立っている。

”それ”は、子供ほどの大きさだろうか。

びっしりと呪の書かれた白い布に、幾重にも巻かれている。

雪丸は鼻をひくひくと動かした。

長い間香の焚き染められた部屋にあったのだろうか。それはきつい伽羅のにおいがした。

牡丹は慎重な手つきで布を解くと、満足そうに口元に笑みを浮かべた。

「こ、れは……まさか……」

出てきたそれを見て、雪丸が目を見開く。

後姿でもわかる!

あれは――茨城童子だ!

雪丸の頬を嫌な汗が流れた。

 

膝を抱えるように窮屈に四肢を折り曲げたそれは、茶褐色の干からびたミイラだった。

長い年月を経、身体は朽ち果てようとしているのに。

身にまとう衣装だけが、時の流れにおいていかれたかのように、新しい。

金赤の水干に、グラデーションの袴。

胸元や袖を飾る、ふわふわとした菊綴――

どうして見誤ることができるだろう。

茨城童子。

(あれを――起こす、いうんか……)

雪丸は身を震わせた。

牡丹は、あれを制御できるとでも思っているのだろうか?

雪丸はごくりとのどを引きつらせると、恐ろしいものを見るような目でミイラを見た。

目の上ぎりぎりで揃えられた前髪。肩口までのおかっぱの髪。

目を閉じ安らかな顔をした少年の頭には、小さな角がひっついている。

 

恐れ戦く雪丸を見て、鷹は心配そうに一声鳴くと、小さな頭を雪丸にこすり付けた。

「ん……大丈夫や。ハニー。おおきに」

愛らしい妻のしぐさに、僅かに落ち着きを取り戻し、雪丸は小刀を手にする牡丹に目を戻した。

躊躇うことなく一文字に手首を切り裂き、牡丹は茨城童子に血を浴びせている。

「目覚めよ。我が僕よ」

 

硬質な声でそういう牡丹の声をどこか遠くに感じながら、雪丸はじっと茨城童子を見つめていた。

 

 

 

第1章へ

 

209.8.10