略歴               English      メールマガジン合気道 佐柳孝一師範語録

佐柳孝一(さやなぎ・たかいち)

大正14年4月11日、香川県生まれ。

少年時代より柔道に打ち込む。昭和22年10月シベリアより復員。24年より高知地方検察庁勤務。30年、合気道開祖植芝盛平と意出会い合気道本部道場で稽古を重ねる。35年合気道高知県支部を設立、県下の合気道の普及振興に尽力。

合気道高知県支部長 高知県合気道連盟理事長 全日本合気道連盟理事
中四国合気道連盟顧問 高知大学合気道部師範 松山大学合気道部師範
高知工科大学合気道部師範 合気道八段
平成10年武道功労賞を受賞(日本武道館)
平成11年7月17日入神

武道功労賞に寄せて(月刊武道1998年4月号掲載)

和の心に魅せられて

合気道 佐柳孝一

出会い

私の武道人生には、二つの大きな出会いがあった。一つは柔道の望月稔先生であり、一つは合気道の植芝盛平先生である。

少年時代の私は柔道に熱中して過ごした。やがて青年に達すると、講道館柔道の望月稔先生に師事した。その頃の望月先生は合気道にも造詣があったので、私も往々手ほどきを受ける事となった。やがて私は合気道に強く惹かれるようになった。先生は私を大いい励まされ、紹介状を書いて、私を合気道の本部に送り出された。今でもその時の先生の、功利を離れた広いお心を思うと、胸が熱くなる。

合気道の開祖、植芝盛平先生の恩愛も語るに尽くし難い。門外漢だった私を迎えて、視るに一視同仁、そのお人柄は実に謙虚で心優しい方であった。私は植芝盛平先生の稽古では面白い様に投げ飛ばされた。それでいて先生の技には、人間を虐げようとする棘の様なものが微塵もなかった。それは身代の震える様な経験であり、見事な武道だった。私はここに生涯の武道を発見し、生涯の師を得たのである。

昭和三十五年、合気道高知県支部開設の認可を得て旅立つ私に、植芝盛平先生は慈愛の籠もった眼差しでこう仰って送り出された。「もし困った事があれば、この爺を呼べ」--------その言葉は今でも耳に残って離れない。

気力

私には一つの忘れ難い記憶がある。昭和四十五年の事であった。私のいる居酒屋男が入って来た。見れば着衣は血だらけ、手には刺身包丁を握っている。男は前科十二犯の凶漢で、人を刺して逃走中であった。ここで正直に告白しなければならないが、私は男を見た瞬間、これは厄介な事になったと思った。その男には本物の凶漢のみが持ちえる異様な迫力があった。客は身動き出来ず、私に無言の期待が集まる。実はその頃の私は、喧嘩に強い合気道の先生として、ネオン街で少し有名になっていた。

 引くに引けなかった私は、ともかく男を外に出して対峙した。すると一人だと思っていた相手は、外に仲間がいて三人であった。覚悟を決めた時、ふと脳裏をよぎったのはかって植芝先生から頂いた言葉「爺を呼べ」である。私は心のなかで先生を呼んだ。今でもこの時の事を思うと不思議の感に耐えないのであるが、私は全く平静になった。そして何の恐れもなく男を取り押さえた。男はまるで魅入られたように全く抵抗できなかったのである。後に男は警官に、「あの人は一体何者か」と訊ねたという。

 この出来事は私を沈思させ、謙虚にさせた。もし私が立ち回りを演じて取り押さえたのであれば、私は大いに得意になってはしゃいでいたかも知れない。しかし、私は何もしていなかった。あの凶漢を恐れさせたのは、私ではない。私の身を借りて現れた、もっと大いなる力である。この時まで、私には武道の何たるかがわかっていなかった。この出来事を機に、私は改めて武道に深々と頭を垂れたのである。




 恩返し

齢七十を過ぎ、半世紀に及ぶ武道人生を振り返る時、私が後の世代に確かな事として語り得るのは何であろうかと考える。それは、自然はかけがえのないものであり、人間は孤立しては生きて行けないという事である。

人がその人生において、どの様な視点を持ち得るかは、その人の心掛け次第であり、生き方の問題でもあろう。もし、その人が宇宙という視点を見出す事が出来たならば、地上のあらゆる場所が故郷となり、あらゆる人間、あらゆる生命が有縁のものとなるであろう。しかし人間は、生まれながらに他の生命を思いやるようにはできていない。そうなるためには訓練が必要である。そして武道はそのためにこそある。

 正直に自己を見つめながら、稽古に励むならば、その時々に、弱い心を持つ自分を、惰性に流されやすい自分を、あるいは卑怯な自分を発見する事が出来るであろう。こうした悪い自分を知ることは、実は素晴らしいことなのである。それは自分を向上させる動機となる。どんなに愚かな自分を発見したとしても、決して卑下することはない。そこから自分に打ち勝とうと発心すればよいのである。

人は自分を知ることで他人を理解し、人間を知るであろう。人間を知ることで、人間を生かしている宇宙に思いを馳せることが出来るようになるであろう。

 今日のような近代兵器の時代にあっては、合気道は他の多くの武道と同じように、武道本来の目的であった戦闘能力を身につけるという側面での意義を失ってしまったであろう。しかし、決して無力な他愛もないものとなったわけではない。人間が自分を向上させようと戦っているところにおいては、過去ののどの時代にも増して大きな力となり得るのである。なぜなら、合気道とは、その技の一つ一つを通して、相手の心を思い、宇宙の摂理を思い、自分を宇宙の摂理から外れぬように森羅万象の内に、位置づけることを強いるものだからである。そして今日ほど、人類がこうした宇宙的視野を必要としている時代はあるまい。

 武道について考えるとき、その美しい魂を幾代にも亘って受け継ぎ、我々に手渡してくれた先人達の苦労を思う。

私とって合気道は、植芝盛平先生から授けていただいた心の財産であるが、それは一時預かっている財産に過ぎず、未来の人々のためのものであろう。私は、その精神を損なわぬように努め、次ぎの世代に正しく伝えねばならない。そうすることが、この度はからずも武道功労賞受賞という栄誉に浴した私の、これからの責務であろう。有難うございました。