武産合気 合気道より(光和堂刊)

◆道主を中心とした或る座談会

・   合気道とは---私にいわせれば、真の武道ということができよう。というのは、宇宙の真理から出てきた武道だからです。そしてその宇宙は一つのものから分かれてできていて、宇宙全体が一つの家族の様に和合し、平和の極地を表現しています。

・   こうした宇宙観から出発している合気道は全く愛の武道でなければならないということです。暴の武であってはならないのです。ですから合気道は万物を生んだ造物主の分身---いいかえれば偉大な巨人ともいえるのですね。

・   だから合気道では天地が修行の地であり、その境地は平和でなごやかな暴力否定の境地、いわゆる暴力をも善導しようという至妙境なのです。またこれは日本武道の真の精神でもあります。我々は地上天国を作る使命を持って、この地上を与えられたのですから、戦争などはもってのほかです。

・   合気道の武は愛の表現であり、国へのご奉公のために学んできたのであって、その精神はあくまでも愛と和なのです。しかし、合気道は天地自然の理、すなわち宇宙のあらゆる事象によって生まれた真の武道であるから、絶対的に勝っている武道であるといえるのです。

・   いや、神秘的に見えるでしょう。合気は相手の力を全面的に利用してしまうんです。だから相手に力があるほどこっちは楽なんです。

・   合気道では絶対に攻めない。攻めるということは、その精神が既に負けることを意味するんです。徹底した無抵抗主義で相手に逆らわない。だから合気道には相手がない。正勝であり吾勝であり天の使命によりあらゆるものに打ち勝つのであるから絶対に強い。

・   「勝とうと思ってはいけない。武道は愛の構えでなければいけない、愛に生きなければならない」と悟りましたが、これが合気道で、むかしの正眼の構えです。そう気がついたら、こんどは何故か有難くて有難くて涙がこぼれてきて、どうしようもありませんでしたよ。

・   指一本で動けなくなってしまう---人を中心にして円をかく。この円内が、その人の力の及ぶ範囲なんです。いくら力のある人でも、この円の外には力がいかない。無力なんです。だから相手をこの円の外に置いて押さえれば、人指し指でも小指でも押さえることができる。相手は既に無力になっているのですから。

・   気の流れ---合気道は常に自己の気の動きによって相手の気を自由自在に操り、自己の動きの中に相手を巻き込んでしまう訓練をします。自分のもっていきたい方に相手の力が進んでいる。ですから、相手に力があればある程、こちらは楽なわけになります。これを真向から相手の力を受けとめれば、力のある者には敵わないはずです。

・   技---合気道は絶対に相手に逆らわない。突いて来ても、切ってきても要するに一本の線であり、点であるからそれをよければいい---。

・   「正勝」「吾勝」「勝速」---正勝は正しきに勝つ。吾勝は自己に与えられた天の使命に打勝つ。勝速とは速さに勝つの心いきです。

・   合気道の精神---合気とは「愛」であり、天地の大愛を心として、あらゆるものを愛護することを自己の使命としなければならない。その使命を完遂するのが真の武の道でなければならない。真の武は自己に打克ち、敵の戦う心をなくす---いや、敵そのものをなくしてしまう絶対的な自己完成への道なのです。そして合気の武技は天の理法を体得して、霊肉一体の至上境にまで到達するまでの業であり道程なのです。