武産合気 合気道より(光和堂刊)
◆ 基本動作と基本技法
・ 凡そ道は「礼に始まって礼に終る」と昔からいわれている。基本動作の最初に最も大切なことは礼である。礼は形だけでなく、先ず己の心を正しくして人に対しなければならぬ。容儀を正しくして敬礼することによって互いに敬虔の徳を養うのである。かく礼儀を重んじることによって、高尚な品性と動作とが養成されるのである。
○構え
・ 無形の目にみえぬ気のつながりを以って離れて相対するのをたてまえとする。
○間合
・ 普通道場稽古の場合、相手の手刀と自分の手刀とが触れ合う程度に間合いをとることが常道とされる。そしてその間合いをとった時に、目に見えぬ気の流れを、その中に包蔵していなければならぬ。そこで、相手が突いて来ても、打って来ても、自由自在に体を捌いて、自分の動きの中に相手を吸収してしまうのである。
○捌き
・ 常に中心があり、その中心の移動により自己の体を捌き、相手を捌いて行くのである。この捌きは三百六十度の円を意味し、また立体感の伴った円、すなわち球体を意味する。このように中心を持って円転滑脱に体を動かしていくことを体の「捌き」といい、合気道の練習においては、特にこの捌きが、後述する「気の流れ」と共に重要な一面を担っているのである。
○気の流れ
・ 人は無我の境に入れば、相手の動きを正しく察知することができるようになる。この直感力は武道においては特に必要とされる。
・ 先人は「先々の先」「先」「後の先」などということを述べているが、これを意識してやるのではなくて、自然に無意識に出て来なくてはならぬ。すなわち彼我、勝敗を超越した絶対不敗の心から発する、一体和合の気の流れにより、自己の動きの中に相手を入れてします至妙境において、何の分別をはさむ余地もなく、機に応じてすらすらと出て来る働きをいうのである。
○先
・ この先の重要さは一武道ばかりでなく、処世の全ておいて共通している。
・ 合気道を修練せんとする者は、もし相手になろうとする者がいたとしても、相対立せずして反抗の心をなくさせ、自己と一体の境地に吸収同化してしまうという、ことさらに「先」ということにとらわれない心構えが必要である。
・ 「“先”などと言う語を口にする間は、まだまだ道の門にも至らず、と言わねばならぬ。合気道には“先”も“先々の先”もない。自己が動く処、相手が喜び勇んでついて来るようになるのである。」と説いている。
・ 若しこうした境地が合気道によらず何事においてつくられても、それは先の立場から見れば法則にかなった絶対の先ということができるであろう。
○力の使い方
・ 先ず第一に肩、首等上半身の力を抜き、臍下丹田に気力を充実すること、第二に手を開き五指を張って指先に力をいれる。
・ こうした力も、常に一つ所に止まっておれば、澱んだ水が腐るように、正しい働きを忘れることになる。これ等が絶えず螺旋状に円運動をしてこそ生きた力の働きということができるであろう。
・ 例を手刀にとれば、指先にまで気力を充実し、腹からの力で大きく螺旋状に振りかぶり振り下ろすという独特の力の出し方をするのである。
・ 腹から出た体全体の力を外へ外へと大きく出し、その力の発するところ、自己と宇宙と一体となるという合気観が、そこから生ずるのである。
○坐法
・ 座技鍛錬法---これこそ合気道における腰の回転力、腹から出す気力(呼吸力)に最も必要な鍛錬法である。
○基本準備法
・ 身体に天地の気を受けて、気力を充実させることが必要である。
・ 気の変化---常に手先き、足先にまで、少しの隙もないように気力が充実し、自ら相手の気を導くとともに、自分はいつでも機に臨み変に応じて自在に対処できる、不動の状態を失わないことが肝要である。
・ 呼吸転換法---合気道刀法の変化を体に表したもの。指先へ力をいれ、息を吸い込みながら大きく螺旋状に振りかぶる。
○受身
・ 「受身の上達は技法の上達」とか「受身三年」とかさまざまの言葉で受身の重要性が強調されている。
・ 何れの場合も、受身は合気道の技の延長であるという意味から、自然に転がる形をとり、ことさらに手で拍子をとって強く地を打つようなことはしなしようにしている。
○基本技法
・ @転換法A基本投げ技B基本固め技C呼吸法
・ 片手取り転換法---外転換 内転換 横転換 後転換
・ 両手取り転換法---前転換 後転換 左転換 右転換
・ @相手との間における気のつながりA呼吸力の養成、いわゆる合気力の出し方B手足が常に一体となって動く、合気統一体の表現C剣は体の延長であるという考え方から発し、この動作に剣を持たせれば立派に剣の操法となるところの剣体一致の基礎表現。
・ @の気のつながりは、合気道の生命である。すなはち両手首を相手に掴ます前にすでに行動を開始しているという考え方、つまり自己の気の動きによって相手を自由自在に捌くのであって、両手首に相手の両手が吸いついて来るのだというくらいに、気においては絶対の自己を堅持せねばならぬのである。
・ 基本呼吸力養成法---この気の力のことを「呼吸力」と称する。
・ すべての動き、すべての技に、呼吸力が充実すれば、その動き、その技は、滔々と流れる水のごとしく断続のない、調子の整った、生き生きしたものになるのである。
・ 呼吸力とは---整理的には息を吸い息を吐くことを呼吸と言うが、ここに言う呼吸法も全くその通りである。しかしながら、これは、頭の先から足の爪先まで、からだ全体で、天地と共に呼吸することを意味する。即ちこの場合、天地の流れと一体化し、自然と融和した姿そのものが呼吸であるのであるから、かかる心境を養うことにより、自然力の充実なる集中発揮が可能となるのである。
・ 気力充実し必勝の信念を以て事に当たれば、普段に数倍する威力を発揮することができる。その気の力を平素常に保持し、臨機応変たくまずして自然に出し得るように自己を鍛錬するのが、呼吸力の養成である。
・ 合気道の体捌きは、動く場合は一つの中心を得て恰も独楽の如く廻る。そして静止した場合は物理学者のいわゆる正三角四面体ともいうべき、まことに安定感のある態勢を示現する。
・ 即ち合気道の技法は、一つの中心を持った球運動によって相手の重心を変え、相手をしてその運動に吸収され、または運動の力によってはねとばされるようにならしめる形にもってゆくことである。
・ 合気道の原理から言えば、「押さば廻れ」「引けば廻りつつ入れ」ということになる。この廻るという円運動は、前の直線的な動きと異り、種々複雑な要素がこれに付随して来ることになり、天地の理合から言っても、これを武道に活用するならば、更に効果的な違った世界を示して来ることになるのである。
・ 即ち一つの中心とそれから発する遠心力、求心力といった球運動の展開であり、従って、当然空間全部におよぼす立体的な様相を伴ってくるものである。故に合気道に於いては、相手と自己とは対立的ではなく、相手は自己と一体、自己の掌中にあって、自己からの遠心力と、求心力とによって全く左右される状態となるのである。こうした球運動が秩序ある統一体として連続するとき、そこに合気道独特の美しいリズムとカーブとが出てくるのである。
・ こうした力のこもった連続的な球運動が身体の各部に及ぶ時、その各部の力も作用されて、自然に、円に球に螺旋にと、中心に一致して秩序のある動きをするものである。しかもこの回転法は、中心に磐石の重みを有しながら、まわる形は柔軟にして且つ鋭敏そのものでなくてはならない。
・ それは丁度風車の考え方であり、また独楽の考え方に一致する。風車が人体に感ぜぬような僅かな風によっても、鋭敏に反応し回転しつづける。また独楽が心棒の回転により、公平に力が末端にまで行きわたり、その力が再び心棒に集って心棒を支え、独楽全体が平均を得る。
・ 自己を中心として、相手は不安定な状態で外周をまわるという事になる。
・ 道に忠実であった道主は、礼儀を第一としていた。師礼をつくさぬ者に道を教える必要なし。