大本教 出口王仁三郎聖師

「言霊」ことだま

日本では古代から「言霊」は、人の人たる天恵のあらわれの最たるもの、いいかえれば「言霊」の体現と表示の有る無しがその人の格の優劣をわけるものとされた。

   太元神としての厳霊

   救世神としての瑞霊 素盞鳴尊

「産霊」むすび

   「宇宙には、神霊原子というものがある。また単に霊素といってもよい。一名、火素ともいう。火素は万物一切のなかに包含されてあり、空中にも沢山に充実している。また体素というものがあって、単に水素ともいう。火素水素相抱擁帰一して、精気なるもの宇宙に発生する。火素水素のもっとも完全に活用を始めて発生したものである。この精気より電子が生まれ、電子は発達して宇宙間に電気を発生し、一切の万物の活動力の言動力となるのである。

   そしてこの霊素を神界にては、高御産巣日神といい、体素を神御産巣日神というのである。この霊体二素の神霊により、ついに今日の学者のいわゆる電気が発生し、宇宙に動、静、解、凝、引、弛、合、分の八力完成し、ついに大宇宙、小宇宙が形成されたのである」『霊界物語より』

   古事記の「天地の初発のとき、高天原に成りませる神の御名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、神御産巣日神、この三柱の神は、みな独神成りまして隠身なり」

   師には、「産霊とはよろずのものの生れいずるもとつ御神の御魂の力よ」なる歌があるが、いずれにしても、師における「言霊」とは、つまるところこの生命力としての「産霊」のひとつのあらわれであり、それもまた生命力なるがゆえに素盞鳴尊の救世的行為ともかかわるのである。

   『霊界物語』のとくところによると、宇宙の大元霊神は唯一絶対の神であり、『(ス)神』または『(ス)の神』ともとなえる。大元霊のはたらきは火(霊)と水(体)とにわかれ、その本体を火水(かみ)(新-霊)といい、水火のはたらき(用)を水火(いき)(息-生命力のあらわれ)という。イキによって言霊を生じ、言霊によってさらに霊の動き、はたらきがあらわれる。霊のはたらき、すなわち言霊である。

   大元霊なる主神はその神格をわけて(いづ)の御魂および(みず)の御霊としてあらわれる。わけて厳の御魂は国常立尊・日の大神(伊邪那岐大神)・天照大神とあらわれる。その神性は至厳至直で父神の立場とはたらきであり、これを大元神とも称する。瑞の御霊は豊雲野尊・月の大神(伊邪那美大神)・素盞鳴尊とあらわれられ、至仁至愛の神性で、母神の立場とはたらきであり、これを救世神または救の神ともいう。

   主神=大国常立大神によって、その神徳が完全に発揮された状態を天照大神といい、瑞の御霊によって、その神徳を完全に発揮された状態を素盞鳴大神という。この場合、主神の神格のあらわれとして、素盞鳴大神を主の神という。

   厳の御魂は神格の本体であり、瑞の御霊は神格の用・はたらきである。それゆえに素盞鳴大神は、天地万有一さいの統御神たる主神の用として、神・幽・現の三界を守り、救いのはたらきをさせられるというのである。

   いささか難解かと思われるが、要は、神・霊的な「産霊---「言霊」---「瑞の御霊」(素盞鳴尊)をかりて、人間における「生命力」---「気・息」---「用、はたらき」の強調されたのだと解しても、あながち誤り誤りではあるまい。

合気道開祖 植芝盛平伝 (出版芸術社刊)より