西山禾山老師   保内郷    宇和町    伊達藩


「郷土の歴史・文化を知る事がより郷土を愛し、郷土を興す道だろう。」「郷学とは、郷土に学ぶということで、郷土の歴史・伝統・先人の偉業に学び、血の通う心にしみるものとなればと念じるものであります。」身近な私の尊敬するリーダーの言葉です。紹介します。

総鎮守八幡神社御由緒

御由緒  総鎮守八幡神社は応神天皇を主神として奉斎する神社にして、元官幣大社宇佐神宮の御本源にましまし、其の御鎮座は宇佐神宮よりも八年古く、奈良朝の御代元正天皇の養老元年(1377/8/19)の御鎮座也 
鎮座地  愛媛県八幡浜市矢野神山510番地
旧社格  県社
主祭神  誉田天皇 大帯媛命 田心媛命 湍津媛命 市杵島媛命
神 紋  正称・右巻三頭尾長巴
氏子区域 矢野郷33箇町村の総鎮守
例 祭  宵宮祭10/18 例祭本殿祭10/19 に引続き神幸祭。神輿渡御あり。
特殊神事 夏越大祓「茅の輪くぐりの神事」7/31
5年毎に、海上渡御の神事あり。古例に依り、50年毎に式年大祭あり。
宇佐神宮の御本源
全国の八幡神社の内、四番目の古社
萬葉史蹟矢野神山 
名門・武将・藩主の崇敬あり。


萬葉史蹟矢野神山

総鎮守八幡神社の社叢一帯は、古来歌枕「矢野神山」として世に知られ、歌聖柿本朝臣人麻呂の歌、
「妻こもる矢野の神山 露霜に 匂ひそめたり 散らまく惜しも」
---萬葉集巻10・第2178番---
を始め、歴代の勅選和歌集に数多くの名歌を載せられた名山旧蹟也。萬葉史蹟矢野神山


現在もなお矢野神山は萬葉史蹟です

現在の氏子区域 矢野郷33箇町村一帯は、日の丸みかん 真穴みかん 川上みかん 伊予柑 デコポン 清見 と日本一の柑橘地帯です。五月の初旬にはみかんの花が香ります。また、岬アジ 岬サバをはじめ美味な魚 じゃこ天ぷら かまぼこ宇和海産ちりめんいりこ 川亀の酒 梅美人の酒 焼酎など美味しい食材に恵まれています。足を運べば宇和の米どころ 四万十川 自然に恵まれて良いところです。お国自慢です。私の末娘は神山小学校に通い、八代(やしろ)の地名もこの矢野神山の地名に由来するものと思います。現在もなお矢野神山は萬葉史蹟です。誇りに思います。愛郷心を持てる郷土を大切にしたいものです。


AIKIDO-YAWATAHAMA.JP

市町村合併にともなう新市の名称を「八幡浜市」に決定しました。当会も以下の汎用JPドメイン名を登録しました。当会も aikido-yawatahama.jp のドメイン名を取得しました。新WEBサイトは http://www.aikido-yawatahama.jp/ です。

八幡浜の地名は旧記に「八幡大神立たせけるにより、八幡浜と名づく」とあり、養老年間(717〜723)からその名が伝えられ、明治22年(1889)八幡浜町が誕生するまでは八幡浜浦と称されていた。

総鎮守八幡神社(八幡浜市)の社伝
神功皇后の三韓征伐の際に皇妹豊媛命が当地において軍旅を整えたと云われる。この由縁の地に八幡大神の神霊が降臨したと伝えられている。養老元年(717年)に矢野郷33ヶ村の総鎮守として八幡大神を奉斎したのが創祀である。大分の宇佐神宮はこの八幡神社からご奉遷したと伝えられている。また、八幡浜という地名は、「八幡大神の鎮座する海浜の集落」とも云われている。http://www.geocities.jp/je5fbd/jinja_intro.htm


初代「朝汐太郎」(1864〜1920)
宇和郡八幡浜浦(現八幡浜市)出身。本名は増原太郎。最初、大阪相撲の押尾川部屋に入ったが、その後、東京相撲の高砂部屋に入門して「朝汐」を名乗り、大関にまで昇る。得意技は、右四つ寄り、上手投げ。幕内での取り組みは、138勝76敗31分け12預り。引退後、年寄「佐野山」を襲名。「朝汐」もしくは「朝潮」の名は、代々高砂部屋のシンボルとなった。


二代目 「朝潮太郎」(1879〜1961)
新居郡玉津村(現西条市)出身。本名は坪井長太郎。初代朝汐太郎に弟子入りし、「朝嵐」を名乗る。その後、師匠の名「朝汐太郎」を襲名。後に「朝汐」を「朝潮」に改め、大関にまで昇る。得意技は、右四つ下手投げ。幕内での取り組みは、98勝64敗25分け7預り。引退後、年寄「高砂」を襲名し、第3代高砂浦五郎として、横綱男女ノ川、前田山、東富士など多くの力士を育てた。


第39代横綱「前田山」(1914〜1971)
本名萩森金松。大正3年、旧喜須来村(八幡浜市保内町喜木)に12人兄弟の末弟として生まれ、14歳で大相撲高砂部屋に入門。昭和12年春入幕、13年夏大関に昇進し、闘志あふれる取り口で“張り手旋風”を巻き起こしました。19年秋、初優勝。22年、33歳で第39代横綱となりました。現役引退後は、高砂親方として相撲の国際化に努力し、海外巡業で発掘した高見山(現東関親方)は、外国人関取第一号となりました。通算成績307勝、152敗、73休。愛媛県唯一の横綱である。


国際柔道家「道上 伯」(1912〜1998)
愛媛県八幡浜市向灘出身。1964年東京オリンピック、柔道無差別級で金メダルのオランダのアントン・ヘーシンク他を育てるなど国際的に柔道を普及する。http://www.haku-michigami.com/









神山王子森天王宮祇園社八尺神社おおじのもりてんのうぐうぎおんしゃやさかじんじゃ)

主祭神 素盞鳴尊・奇稲田姫命・三女五男神(多紀理姫命・市寸島姫命・多岐津姫命・速日天乃忍穂耳命・天之穂日命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命) 例祭 7月25日

建造物 本殿・幣殿・拝殿・鳥居・注連石・狛犬・灯籠・手水舎

由緒・沿革 口伝によると、奈良時代に王子森牛頭天王宮祇園社(おおじのもりごずてんのうぐうぎおんしゃ)として創建され、平家全盛のころには氏神として崇敬されていたといわれる。明治初期の神仏分離による神社名登録届のとき、神職清家堅庭が、三種の神宝の八尺の勾玉から八尺神社と命名した。正式名は神山王子森天王宮祇園社八尺神社である。昭和53年4月23日、放火により社殿が焼失したが、神山区・八代区の氏子が中心になって再建復興した。八重垣祭(元旦より8日間)、祇園祭(旧6月14日)が盛大に行われている。境内に、改装されてはいるが「王子文庫」がある。 八幡浜市誌(市制50周年記念版)より

2014/09/28 清家貫志宮司より八尺神社の沿革をお聞きする機会あり。地名は歴史を物語っている。昔にあっては海の航路は重要な交通手段であった。八尺神社は九州に渡るため(都に上るため)の海の要所であったであろう歴史がある。五反田に鯨橋があるごとく神社近くまで海であった。古くは神功皇后が三韓征伐の折に、皇妹豊媛命が軍旅を整えた拠点であった。八代(やしろ)は、弓矢の矢を作るための「矢の代」であった。王子(おおじ)は、九州への道と本州への道が「合う路」であったことを示す。人加志(ひとかし)は「人を渡す河岸」であったことを示す地名である。

天孫降臨の地である宮崎県の正面に位置し、隣町の宇和町は米所であることから神武東征において使われた路であったかもしれない。また、佐田岬沿いという安全な航路であり、瀬戸内海の海賊を避ける公家の公達の秘密のルートとして利用された経過がある。この矢野の神山八尺神社の地は、平家全盛のころには源の頼朝の命ごいをされた平清盛の義母である池禅尼(清盛の父である忠盛の正室 藤原宗子)の荘園であったことで、源氏の時代となっても所領は安堵され、平家の氏神として崇敬されていたといわれる。神山王子森天王宮祇園社八尺神社の地には素盞鳴尊を祭る歴史と文化がある。

矢野郷 やのごう 弓矢に使うシノ竹が豊富
八代 やしろ 弓矢の代
王子 おおじ 合う路
人加志 ひとかし 人を渡す河岸
祇園橋 ぎおんばし 祇園社のある地の橋
神山 かみやま 神の山
牛名 うじな 牛頭の地名
国木 くにぎ 国の木(素戔嗚尊の毛)
神田 じんで 神の田
五反田 ごたんだ
川舞 かわまい