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〇合気道八幡浜道場 のメールマガジン第3部 第13号 2024/01/17
タイトル 「魂の学び/魂の力/魂の修行/魂の技」(マガジンID:0000179313)
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第13号 目次
◆ 誠の宝槍/高橋泥舟(謙三郎/精一)Vol.8「西山禾山・高橋泥舟・山岡鉄舟3人の師匠と試練について」
◆ 愛媛県合気道連盟発足20周年記念大会を祝す。
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No.13
◆ 誠の宝槍/高橋泥舟(謙三郎/精一)Vol.8「西山禾山・高橋泥舟・山岡鉄舟3人の師匠と試練について」
2023/3/1の西山禾山顕彰会の総会にて「西山禾山・高橋泥舟・山岡鉄舟3人の師匠と試練について」と題して講演をさせて頂きました。
一 高橋泥舟の師匠は、義祖父宗家8代目高橋義左衛門包實・兄山岡静山・小石川伝通院内の浄土宗処静院の住職である琳瑞和尚である。
貧乏小役人の二男、高橋謙三郎(泥舟)は養祖父に槍を学び、二十二歳で幕府講武所の槍術教授方出役に抜擢された。皮肉にも実家山岡家に不幸が続き、鉄太郎、のちの鉄舟が婿養子で入った。鉄太郎の知友、清川八郎が画策してつくった幕府の浪士組が内部抗争を起こし、京都から江戸へ連れ戻す大役が謙三郎に与えられた。だが、近藤勇、芹沢鴨たちが新選組として京にとどまり、清川八郎は刺客に斬殺された。謙三郎は責任を問われ蟄居したが、再び召され将軍慶喜の身辺警護の大任を果たす。--- 澤左近将監(勘七郎幸良)は、謙三郎の精忠論を説き一方ならぬ奔走あり。幽閉を免ぜられ二ノ丸留守居席、槍術師範となる。
徳川家の対官軍関係で活躍した勝海舟とは対照的に、幕府の内政で大きな役割を果たした。「江戸城無血開城」を成し遂げた江戸幕府側一番の功績者は、誠の宝槍/高橋泥舟(謙三郎/精一)である。しかし維新後はいかなる推挙をも拒み、市井に埋もれて清貧の生涯を送った。「至誠の人」「至誠一貫」の生涯で、高遇なる幕臣と評される。
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二 山岡鉄舟の師匠は、義祖父宗家8代目高橋義左衛門包實・山岡静山・高橋泥舟・「中西派一刀流」浅利又七郎義明また、臨済禅にては「悟前適水、悟後禾山」
16歳で生母磯女病没、17歳で朝右衛門高福脳溢血にて没。弟五人を連れ飛騨を引上げ江戸に帰着。幼い乳呑児を連れて辛酸の生活を送っています。20歳静山の妹英子と結婚す。結婚後も第一子が餓死する貧乏生活も舐めています。
人は不遇にある時こそ大切な時間である様に思います。父母の教えを守り、山岡鉄舟は15歳の時に『修身二十則』を自ら作り実行しています。人は我欲と環境に大きく左右され易く、過ちや罪を犯してしまいます。この戒めは、真直ぐ「剣の道」を修行する上で大いに有効であったと思います。
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三 西山禾山禅師の師匠は、「右に毎巌、左に越渓」と提唱の中に口癖のように口を衝いて出て来た。一人は宇和島大隆寺毎巌老師(1798~1872)であり、一人は京都妙心寺越渓老師(1809~1884)であります。
越渓和尚から送られた碧巌録を大法寺の大火(1881年)で消失したのを余程残念がられた。(火中から持ち出そうとして大火傷を負う)越渓和尚は此の由を聞いて西山禾山和尚の為に親しく筆を執り三年間かけて碧巌集十卷稿本(白隠禅師らの提唱の書きこみを含む)の全部を書いて贈られた。稀に見る美談であります。その年の1884年師越渓老師寂。その稿本はいまも伝えられて釈迦牟尼会に護持されています。
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2023/03/01
西山禾山顕彰会 講演レジュメ 小清水祥孝
・臨済宗 ・妙心寺 ・応燈関一流 大応(南浦紹明)国師/大燈(宗峰妙超)国師/妙心開山無想(関山慧玄)国師
・愚堂/至道無難/正受老人/白隠 ・晦巖/越渓/禾山
・不立文字 ・教外別伝 ・直指人心(直に人の心を指して) ・見性成仏(性を見て仏と成す) ・見性悟道
・大事了畢(だいじりょうひつ) ・悟後の修行(聖胎長養)
・白隠の達磨---袈裟の形 心
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参考図書
〇平常禅 発行日 昭和2年2月15日 発行者 大本山妙心寺布教師会
pP161 晦巖一流の宗風
晦巖の遺風を承けて、本光門下の傑物として雷名近世に轟きし西山禾山和尚、又書にも堪能なり、---「お礼なら隣で貰へ」
〇明治の禅匠 発行日 昭和56年9月15日 発 行 禅文化研究所
P161 禾山玄皷(げんく)---禾山玄皷禅師衲覩(ノート)秋月龍民
P169 故鈴木大拙先生が晩年とくに禾山に親しみの情を示されたのも、一に師宗演と禾山の法縁による。
P175 法を嗣ぐものに蘭渓観(大法寺後董)、琢道珠、卓禅慶(大徳寺管長)、大鳳潭(銀閣寺住職)、洞家の祥山、密門の秀戒(槙尾山主)、戒光(雲照寺住職)および磐州居士河野広中の八子がある。
〇宗門安心章提唱 発行日 昭和63年11月11日 著述者 倉内松堂 編集者 宗門安心章編集委員会 発行所 妙心寺派花園会本部
P1.4行目 四国の大法寺の禾山和尚が「檀徒安心章」というものを作って---
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◆ 愛媛県合気道連盟発足20周年記念大会を祝す
20周年記念大会委員長
愛媛県合気道連盟副会長 小清水 祥孝
愛媛県合気道連盟発足20周年記念大会を祝します。私は、発起人の一人で、副会長を20年努めさせて頂いています。思い出すのは、愛媛県合気道連盟発足10周年記念大会の開催を共に祝した故鈴木茂会長です。連盟の安定的な発展と後進の育成に腐心されていました。喜ばれていると思います。あれから10年を重ねました。私の合気道人生は、山あり谷ありです。道場運営も苦しい時期もありましたが、今日の境地を開くことが出来ましたのは、稽古の賜物です。謙虚にしっかりと稽古を続けたいと思う今日この頃です。
さて、日本国内はもとより世界情勢は、混迷の時代となっています。「正しい情報を選択して入手し、自由な思考により正しく判断する」ことが必要な時代となっています。合気道の稽古により心身を練り、一人一人が職場や地域を支えましょう。私の道場に伝わる「信条」を紹介して結びと致します。「人の一生は、修行である。」「 我々は、常に不撓不屈の精神をもって技を磨き、正しい心と丈夫な身体を鍛えて斯道の発展に努めよう。」(伝佐柳孝一師範)
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◆ 編集後記
佐柳孝一師範から初めてご指導頂いたのは、1993年の春でした。私が35歳、佐柳孝一師範が68歳でした。私自身が、その当時の師範の年齢に近づきつつある。技と境地と斯道の発展において師範の背中を追いかけて来た。健康年齢を維持して稽古精進あるのみと祈念する。有言実行あるのみ。
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○タイトル 「魂の学び/魂の力/魂の修行/魂の技」(マガジンID:0000179313)(年2回1月と7月 17日発行)
○発行責任者:〇 合気道八幡浜道場 小清水祥孝
〒796-0001愛媛県八幡浜市向灘3084-5TEL0894-23-1541.FAX0894-21-1539
○ホームページ:http://wwwc.pikara.ne.jp/koshimizu1541/index.html
○発行システム:『まぐまぐ』 http://www.mag2.com/ を利用して発行しています。
解除は http://www.mag2.com/m/0000179313.htmからできます。
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