白い雲トップへ  次へ   参考資料   お願い  登場鳩

白い雲  第一章 第一篇   2001.3.29日分

プロローグ
白竜号

 初秋の風に吹かれながら・・ふと少年は空を見上げた・・。
今にも雨が落ちそうな天気である。
山間から、少し下った平野部、のどかな稲穂の垂れ下がる季節・・少年は急ぎ足で家に向かった。

「駄目でした・・一個は・・ええ・・ええ・・丈夫に一羽だけでも育ってくれれば・・」
 彼の名は香月一男・・地元E高校に通う、レース鳩愛鳩家であった。
 電話の相手は彼(香月)の所属する、競翔連合会の副会長、支部長でもある川上真二氏だ。
 電話は続く。いつもそうであるように、階段に座り込んだままの姿勢で。
「はい・・そうですね。・・ええ・・あの系統でR系統(栗)に出たらな、そう思ってます・・はい・・順調ならば5日目にリング(足輪)装着しますから、その時にでも、叉・・・はい・・失礼します」
 やっと電話を置くと、香月は「ふーーー」と深いため息をついた。今にも降り出しそうな空・・昨日まで夏を引きずった上天気だったのに・・・。


 香月が何故、競翔に夢中になっているのか・・この孵化した子鳩の電話をしているのか・・・
物語は3年前に遡る。
 彼が中学生に通っていた頃、学校に一羽の鳩が迷い込んできた。その鳩は肩がだらりと垂れ下がり、翼を痛めていた。ほとんど飛ぶ事も困難な状態にあり、薄汚れた体だが、非常に俊敏そうで、理知的な瞳をしたその鳩が、一目で神社仏閣に居る「土鳩」とは違うように思われた。小さい時から動物好きな彼はすぐさま鳩を抱きかかえると、不思議に鳩は全く暴れもせず、彼の手に収まった。
見れば、左足には鳩競翔連合会の足輪、右足にはピンクの番号の入ったゴム輪、更にそのゴム輪の下には愛鳩倶楽部、川上の住所管が装着されてあった・・絹の様なふさふさした羽毛、ルビーのような眼をしたこの鳩がとても大事な鳩であるように感じた香月は、すぐさま、近所の動物病院へ連れて行った。
「うーーん、私も動物病院を開設して長いが、鳩を見るのは初めての事だよ・・よほど大事な鳩なんだろうね。人間で言えば、瀕死の重傷だ。最善を尽くして見るが、治っても恐らく以前のようには飛べないだろうね・・1週間ここで治療しよう」
 香月は急いで帰った。
「何やってんの?」
隣に住む、2つ違い年上の芳川浩二が、声を掛けた。
「鳩小屋」
「鳩飼うの?」
「うん」

 香月があまりに楽しそうに言うので、兄貴分の芳川も香月の鳩小屋作りを手伝った。
一人っ子の香月にとっては、物知りで優しい面倒見の良い芳川は、本当の兄のような関係だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・
*我々が一般に眼にする鳩だが、姿形は同じでも3つに大別される
●土鳩・・・神社、仏閣に群れている鳩・・元々は伝書鳩が野生化したもの
●鑑賞鳩・・普通一般に飼われている鳩で、祖先はカワラ鳩
●伝書鳩・・軍用に通信手段として改良された鳩で、帰巣本能の優れたもの
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つまり、香月の飼おうとしている鳩は、この伝書鳩であり。恐らく優秀なレーサー(競翔鳩)であろうと思われる。
だが、まだ芳川は、香月の飼おうとしている鳩がどのような種類なのか、まだ分からない。小屋だけこの日の内に完成していた。



  2001.3.30日分
 
 一週間後・・香月が、嬉々として家に帰ってきた。両手には鳩が大事そうに抱きかかえられて・・。
「おっ・・鳩がとうとう鳩舎に入ったな・・」
兄貴分の芳川も気になっていたのか、覗きこんだ。
「ほお・・一男・・伝書鳩じゃないか、こんな鳩を飼うつもりだったのか」
芳川は聞いた。
「う・・うん」
香月は少し、歯切れ悪く答えた。
「怪我してるけど、凄い羽毛がきらきらしてる。凄い良い鳩なんじゃないかなあ・・誰かから貰ったのかい?」
芳川の眼にも、この鳩が凛とした高貴な気品を感じたようだった・・。
「実は・・」
香月は理由を話した・・。
「そうだったのか・・」
彼はそれ以上は言わなかった。香月の喜びようを見て、この鳩に心奪われたその気持ちが理解できたからだ。もう少しこの鳩が元気になったら・・住所管からして、車で30分も走れば飼い主の所へは連絡できる距離だ。
 そして・・日数はどんどん経って行った。香月が学校から戻ってきて、毎日鳩小屋の前に立つその姿を見ながら、芳川は悩んでいた。
・・恐らくこの鳩は優秀な競翔鳩に違いない。元気を取り戻した今、輝くような羽毛とその凛とした高貴な姿は、本当の飼い主である川上氏もきっと心配されているであろう・・と。
彼は意を決して、香月に言った。その気持ちが痛いほど分かるからこそ、手放すタイミングをこれ以上延ばしてはならない。香月が鳩を好きになったのなら、川上氏に申し入れて、分譲できる鳩がもし居れば、一緒に頼んでやろう・・そう考えた。
「返さなきゃ・・飼い主に・・」
「・・・う・・うん・・」
「一緒に行ってやるよ」
「うん・・」
この鳩に心奪われた香月の様子に、芳川も辛かったが、彼がダイヤルを回した。
「はい!川上精肉店ですが」
電話に出た声は非常に明瞭で、商売人らしい口調でありながら、どこかに優しい響きを感じさせた。
芳川は正直に香月が学校に迷い込んだこの鳩を治療し、そして、元気になったら連絡しようと日延びしながらもこの鳩に心奪われ、今日まで連絡せずに居た彼の心情を話した。
「・・そうでしたか。良く連絡してくれましたね。有難う、香月君が優しい少年である事に本当に感謝します。間違いなくその鳩は当家の大事なレーサー(競翔鳩)の一羽です。君が香月君の心を代弁してくれて、その心情も良く分かります。どうでしょう?もし、よろしければ、飼っていただけませんか?」
「えっ・・本当に!」

芳川は予想外の言葉に驚いた。
「勿論です。そんな優しい少年なら喜んで。どうでしょう?今度の日曜日にでも私の家に遊びに来られますか?」
「は、はい!」
 もっと早く勇気を出して言えば良かった・・。芳川はそう思った。
そして、鳩小屋の前で、やや元気を失っている香月に、その事を伝えた。
香月は恥ずかしくなった。自分の身勝手で日延びした連絡を咎めもせず、電話の相手を、そのまま家まで招いてくれると言う、愛鳩家の素晴らしい人柄に感動したのだ・・。