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白い雲  第一章 第一篇   2001.3.31日分

出会い

 人と人との出会いの中で、どれほど自分の心を揺るがす事があろうか・・どれほど感激できる事があろうか・・自分が相手にとってどれだけ影響を与える事があろうか・・人と人との出会いはまさに運命・・素直で純粋に生き物と対して接してきた香月と、周囲の人望も厚く、優れた競翔家、川上氏との出会いはこうして生まれた・・。
 着いた所は、香月の家から芳川のバイクで、30分程の所にあった。表通りの、割りとにぎやかな通りの筋を2つ入った、狭い商店街の一角に「川上精肉店」の看板が見えた。4、5坪程のこじんまりして明るく、清潔そうな店内には客の姿は無かったが、感じの良さそうな中年の婦人がその中に立っていた。
 芳川が、
「川上真二さんはご在宅でしょうか・・電話した芳川と申しますが」
婦人は笑みを浮かべ、
「ま♪、貴方が芳川さん。はい、はい。いらっしゃい。そこの横を通って裏に回ってね」
喜色満面で、香月にもにこにこしながら婦人は見守った。香月はやや顔を赤らめながら、頭を下げた。
 2人が裏を抜けると、立派な2階建て鉄筋の家があり、約30坪ほどの広々した庭には松や植木が整然と並び、その一角には鉄筋の物置の上に、約3坪もある立派な鳩舎が2つ並んで建っている。2人は驚いてそれを眺めていた。粗末な香月の鳩舎など比べ物にならない立派な創りだからだ。一方の鳩舎には、四方を金網で囲んだ遊び場らしいスペースが設けてあるし、その中にはのんびり羽を伸ばした数羽の鳩が見える。鳩舎の外には無数の鳩が群れていて、どの鳩も素晴らしい健康的な美しい姿で、眼の前を飛び回っていた。
 ようやく2人は玄関のチャイムを押した。
「はい」
中から、若い女性の声が聞こえてきてドアが開いた。思わず香月は「ドキッ」とした。非常に整った顔の色白美少女は、ほぼ同年齢であろう。そのまま何も言えずに立ち止まる香月の横から、芳川が言う。
「あの・・芳川、香月とも申しますが、川上真二さんはご在宅でしょうか」
「はい!お父さん、芳川さんと香月さんが来られたわ」

 早口に少女は言うと、小走りに奥に入って行った。すぐ、頭が少し白くなった中肉中背の、品の良い目元が優しそうな川上氏が玄関に出てきた。電話の応対そのままに、いかにも優しそうな思った通りの人となりに、芳川も香月もほっとした。出会い・・とは当にこの事であろう・・香月は、一目で川上氏に心を惹かれるものを感じたのだった。
「はじめまして、先にお電話しました芳川と申します。今日は香月君と一緒にお邪魔させて貰いました」
「いらっしゃい。良く来てくれたね。さあ、さあ・・中にお入りなさい」

優しい笑顔そのままに、2人は部屋に案内された。そこには数え切れない程のトロフィーやメダル、賞状が並び飾られていた。書棚にも、これまたぎっしりと鳩に関する書物がずらりと並んでいた。2人は驚く目できょろきょろ見回していた。その様子に、
「ははは。驚いたでしょう?この部屋は私の鳩部屋と言うんでしょうか、本当は応接間として創ったのに、今では鳩に占領されてしまった。私自身は、こう言う飾りは余り好きでは無いが、やっぱり自分が競翔した鳩達が遠い距離を帰ってきて、それが入賞や優勝をしたりすると、隅っこに追いやるのは申し訳ない気持ちになるんですよ」
・・ああ、この人は本当に鳩が好きなのだ・・初対面とは思えぬほど2人は川上氏の話に引き込まれ、これまでのいきさつや、色んな話を聞く内、こんな人ならもっと早く連絡をすれば良かった・・香月は思った。
 鳩用のバスケットに入れて連れてきた鳩を、川上氏に香月達は見せると、川上氏の柔和そうな顔が一瞬鋭いものに変わった。その瞬間には、香月も芳川も少しどきっとしたが、その大きな手は優しく鳩を包み込み、そして丹念に両手で羽を伸ばしたり、指先で触診するように鳩の体を触ったりしていた。やがて鋭い顔はにこやかな顔に戻り、
「良く・・これだけの傷を治してくれた・・物言えぬ鳩に成り代わり、深く感謝を申し上げたい。それもこんなに短期間で。君達がどれほど大切にしてくれたのか、充分に分かりました。有難う・・。この鳩が再び大空を自由に飛びまわる事は無理かも知れないが、こんな飼い主ならきっと大事に飼って貰えるだろう。」
 香月も芳川も顔を赤らめた。ここまで言って貰えるほど大した事を自分達はやってないと思ったからだ。
そして、川上氏は書棚から一枚の血統書と、数枚の賞状を取り出した。
「これが、この鳩の血統書と、この鳩が入賞した賞状です」
 2人は、目を合わせてただただ驚くばかりだった。川上氏は言葉を続けた。
「これは、競翔鳩なら必ずついている血統書です。君達も幾らかは知っていると思うが、競翔鳩は通信に使われていた伝書鳩を更に幾世代も交配を重ねて、競翔と言う淘汰の中で残ってきた優秀な血を改良してきた、馬で言うならサラブレッドなのです。この鳩に装着している足輪は、唯一羽を世界中で証明するもので、血統書とは鳩の素性を明らかにするものです。・・・・」
話に夢中になる川上氏の熱い言葉と、鳩に対する強い愛情を感じ取った香月だったが、それ以上にこれほど大の大人が熱中する鳩レースとは・・興味を覚えた。同時に、鳩を飼育する責任も川上氏から教えられているような気がしていた。

2001.4.1日分
 この出会いと、川上氏の一人娘・・川上香織と、香月もやがて人生にとっての大きな出会いとなった事は、まだこの日の集いでは知る由も無い。だが、川上氏はこの後2人を案内する鳩舎の中で、香月と言う少年が今まで出会ったどの競翔家よりも、超越した洞察力の持ち主と知る事となる。
「おっと・・長話をしてしまったね・・さあ!鳩舎の方へ行きましょう。色々鳩を見ながら説明しましょう」
 玄関から表に出ると、2人が下から先ほど見ていた2坪ほどの鳩舎に、まず案内された。
「ここが選手鳩(レーサー)の鳩舎です。今は、表で遊ばせているので全ての鳩は見せてあげられませんが、ここには一才から五才までの鳩を50〜60羽入れてあります。ここの鳩達をレースに参加させている訳です。前面に取り付けてある、棒状のアルミ製のものはタラップと言って、鳩が外から入れますが、中からは出られないようにしてあります。競翔中にはもう一つ中にタラップを作って、その中で競翔から戻って来た鳩のゴム輪を外す事になります。・・又、君達が競翔に興味を持って倶楽部でも入会したいと感じたら、その時に説明しましょう」
 勿論2人にとってはまるで、別世界のような、矢次早の話でもあった。
「次に中の構造ですが、ご覧のように内部は止まり台、それも鳩一羽が止まれるスペースで作ってあります。何故なら鳩と言うのは非常にセクショナリズム(縄張り根性)が強くて、この止まり台が無いと争いが耐えません。彼等(競翔鳩)にとって、鳩舎の止まり台とは唯一の安息場所ですし、餌を得る唯一の場所も鳩舎の中です。それを子鳩の時から、繰り返し競翔家が訓練の中で習慣つける訳です。争いを起こす事は鳩舎の中でつまらない体力を消耗する事となり、いざレースでの失踪につながる事になるかも知れません。競翔家はそう言う点も充分把握しながら、又気をつけるべきでしょうね・・あ・・又、説教おじさんになってる・・あはは」
 説明を受けながら、でも香月の脳裏にはこれほど、細心な注意を払いながら、科学的とも言える鳩舎の設計にただただ驚くとともに、それ以上に深く興味を持った。それは彼が生きてきた、14年の人生の中で、温厚で寡黙な少年だった自分に対する、心の中から湧き上がってくるような熱い感情と、出合ったばかりの川上氏と言う人物への深い信頼に近い心揺るがす感動でもあった・・。
「では、今度は種鳩鳩舎です。」
 今度は3坪ほどのスペースが2つに仕切られた、内部と、2つの金網で囲まれた運動場のようなスペースがあった。一つ、一つの巣箱は作りも立派で、先ほどの選手鳩の止まり台のような狭いスペースとは違い、個々が約60センチ四方もある戸棚式であった。それは素人眼の香月にも理解出来た。
2つに仕切ってあるのは、繁殖期以外には雄と雌を分離する為です。鳩は一緒にしておくと年に7〜8回も仔を育ててしまいます。それでは年間に多くて、16羽から20羽もの子孫が増えてしまう訳ですが、その自然のままに繁殖させると、優秀な仔鳩の出現確率が下がってしまいます。そこで、優秀な仔鳩を得る為の人為的方法があります。優秀な親鳩から出きるだけ多くの子孫を残す為に、代理で仔鳩を育てる仮母と言うやり方もあります。優秀な親鳩からの卵と、仮母との卵を差し替える訳です。こうする事によって、優秀な仔鳩を自然産卵以上に得る事も可能です。鳩と言うのは雄・雌の仲は非常に良くて生涯番になる事も多いですが、それも人為的に交配を変えるのです。これは、競翔鳩と言う特異な鳩飼育の一例ではありますが」
・・幾ら聞いても恐らく時間が足りない話になるであろう・・川上氏もそこで話は中断した。
その鳩舎の中から川上氏は一羽の鳩を捕まえてきて、しばらく丹念にその鳩を触診していた。そしてその鳩を抱いたまま、戻りましょうと2人を先ほどの応接間に再び案内した。その前、香月は選手鳩鳩舎の中をじっと見つめていた。芳川が促すと、後から慌ててついてきた。