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白い雲  第一章 第一篇   2001.4.2日分
 
 再び雑談後、川上氏は無造作に書棚の中の木箱を取り出してきた。中を開けると、それは血統書であった。
無言で一枚、一枚血統書に眼を通して行く。やがてその中の一枚を抜き、しばらく考えている様子の後、
「うん!」
と頷くと、香月に微笑みながら、
「香月君、君に差し上げた鳩はイギリスのノーマンサウスウェル系×ブリクー系です。この血筋の鳩は非常に悪天候に強く、勇敢で、方向判断力に優れます。君の鳩は生後3年で、2才時に700キロレースで連合会で2着に入賞してますが、この時も非常に悪天候だった。君の所へたどり着いた時は300キロレースの最中だったが、その前の100キロレースでも3位に入っています。このように君の鳩は、短距離から中距離にかけてスピードが出る中距離鳩ですから、この雄に見合う血統には、長距離型の粘り強い在来種の雌が良い。この雌は勢山系と言って日本の国土に順応してきた優れた系統の鳩です。この鳩を差し上げよう。この配合で、仔鳩を作出して下さい。君が競翔に興味を持ったら、是非その時にはこの仔鳩達を参加させて下さい。中学生の君ですが、大勢同じような少年も居ますからね」
 芳川も香月も口を揃えて、それは断った。
「と・・とんでもないです。聞けば聞くほど。こんなに競翔って大変だし、凄い事なんだと分かりました。興味もあります。けど、それ以上にこんな素晴らしい鳩を飼育できるだけでも嬉しくて、頂いて良いのかな・・と思っている上に、又そのような鳩まで頂くなんて」
「君達のような少年だからこそ!鳩を愛してくださる方だからこそなんです。動物を飼う気構えは教えて出来るものじゃない・。それは自然と香月君達には備わっているからです」
・・ここまで言われては、もう2人にはお断りできる言葉も無かった。何度も礼を言いながら、彼等は帰路についた。
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 2人が帰った後、香月が帰る前にふと言った言葉が気になって、その後、川上氏は慌てて鳩舎に戻った・・
そこで・・やはり・・。
川上氏は一人、応接間に座っていた。香織が入ってきた。
「どうしたの?お父さん」
「あ・・いや、何でもないよ・・。そう言や今日来た香月君は、香織と同じ中学2年生らしい。芳川君と言う高校1年の子と来たんだが、彼に聞くと成績の優秀な子らしいね」
「ふうん・・」

香織はそれ以上は言わなかった。すぐ応接間も出て行った。
実は・・この時川上氏は、驚いていたのだ。
・・・あの・・香月君と言う少年は現在80数羽居る選手鳩の中から、一羽の些細な程度だったが、病鳩を見抜いてしまった。何と言う・・。全く鳩すら飼った事も今まで無かった少年が、この鳩飼育歴30年の私でさえ気づかなかった小さな異変を・・。何かが違う・・あの少年は。
そう言う驚きであった。



白い雲  第一章 第二篇 プロローグ 競翔  2001.4.3日分
 
 やがて、芳川、香月によって持ち帰られた一番
つがいの鳩は一坪の鳩舎の中に、二番の仮母達と飼われる事になった。川上氏のアドバイスを忠実に守り、粗末な鳩舎ではあったが、通風、換気などには充分な注意を払い、3番の鳩達にとっては余りある位のスペースであった。外敵の多い農村地帯なので、地上から1メートル鳩舎を持ち上げて、頑丈なほど鳩舎には外敵への気を使っていた。
 突然鳩を飼い出した香月に、母親奈津子は少し心配そうに言った。
「お父さん・・今年は大事な中学3年生だと言うのに、大丈夫ですかねえ・・」
母親、奈津子さんの心配は世の親なら当然でもあった・。しかし、父泰樹がこう言った。
「なあに・・あいつのこんなに生き生きしてる顔は初めてだよ。日ごろから大人しい子で、親にも今まで全然心配させるような事もなかった。引っ込み思案で、学校の成績は悪くは無いが、友達も少なく隣の長男の浩二君位だろう、あいつと遊ぶのは。変わったよ。あんなに明るく息子が変わったのもきっと、川上氏と言う方が素晴らしい人だからだろう」
泰樹は、遠くを見るような視線で、むしろ喜んでいる風だった。
「でも・・お金も掛かると言うじゃないですか、鳩のレースって。こんな大事な時期に」
「心配するな、あの子は日頃から忙しいわしらに、気遣って今まで、なんの無理も言わずに一人で過ごす時間が多かった。そんなあの子が一生懸命にやる事なら、黙って見守ってやろう」

そう言って、両親は又、専業農家である自身の田畑に出かけて行った。
 香月は、この理解ある優しい両親にも恵まれていた。
仔鳩を収容する鳩舎も2坪のスペースで建設中であり、いよいよ競翔家香月が誕生する日も近い。
 季節は2月。仔取りには少し早い時期であった。芳川のバイクの後に乗って、この日も川上宅へ向かう香月だった。この頃は芳川も香月を送り届けては、又迎えに来ると言ったパターンで、川上氏宅へ一緒に入る事は無かった。
 この日、川上氏は所用で出かけていて、30分程して帰ると言った伝言を香織にしていたようで、一人応接室で待っている香月だった。そこへ、ほとんど、挨拶程度にか口も交わした事の無い香織が入ってきた。茶と茶菓子を運んで来たのだ。美少女の香織は、父親の鳩狂いが少し嫌いでもあった。若い競翔家に時々、こんな意地悪を言う事もある。
「ねえ・・もしもよ?私が貴方の彼女だったとして、もう鳩なんか飼うの止めて!って言ったら止める?」
 実は訪れる高校生の競翔家の中には、香織目当ての者も多い。口を揃えてその子達は言う。
「勿論、すぐ止めるさ!」
答えを聞くと、香織は即、同じ言葉を間髪入れずに言う。
そう!貴方にとって、鳩ってそんな存在なのね?馬鹿見たい」
自分の父親は、自分がどんなに懇願したとしても、絶対鳩を飼う事を止めはしないだろう。何が楽しくて、何が面白いのか良く分からないが、とにかく自分の好きな事を中途半端でなく、信念を持ってやってる父親は好きである。そんな答えを聞くと、父親のやってる事が否定されるようで、無性に腹が立つのだった。
罪な少女であった。
 香織は香月の真向かいに座った。そして、香月の顔をじっと見つめた。真近で香織の大きな黒い瞳に見詰められると、香月の顔も赤くなった。
「あの・・・顔に何かついてます・・?」
「ぷーー!」

香織が吹き出した。
ますます香月は不安になり、自分の顔に手を当てた。
「やっぱり何かついてるんだ・・」
 とうとう香織は
「キャー、キャッ、キャッ・・!」
と笑い転げた。
「あの・・・」
益々不安な顔の香月だった。
やっと笑いを沈めた香織だった。そして聞く。
「あーー苦しい・・ねえ・・香月さんて、私と同じ中学2年生。来年受験でしょ?」
「はあ・・そうですね」

「勉強しなくていいの?こんな時期から鳩飼って・?」
「えっ・・まあ。僕の場合地元の高校だし、それに普段勉強してればね。受験だって騒ぐほどの事でもないし・・」
「わあ・優等生なんだ・地元のE高校って県下でも1、2番の進学校でしょ?」
「えっ・・はあ、まあ・・」

打ち解けて話を始めた2人だった。同じ年と言うのもある。香織が香月に興味を持っていた事もあるが、何より受験と言う、人生最初の関門が2人に待っている。
「へえ・・そうなんだ。おとなしそうに見えるけど、香月さんって剣道をやってるの」
香織は楽しそうにくりくり目を輝かせながら、聞いた。そして突然に
「ねえ、香月さんてもてるでしょ」
大きく香月はかぶりを振った。
「そんな!・・全然だよ。僕なんか変に大人びてる奴って敬遠されてるよ、クラスの隅に居るもん」
そして香織は例の調子で、常套文句を言った。
「じゃあ・・もしも。もしもよ。私が香月君の彼女だったとして、今貴方が夢中になってる鳩なんか飼うの止めてと言ったらどうする?」
香織が初めて喋った人間に対してこの台詞を言った後、少ししまった・・と言う顔になった。香月自身にに微妙な心の揺らぎを感じたからかも知れないが、それは、無意識に出てしまったのだ。
ところが・香月は・・。
「確かに難しい質問だね。でも、上手く言えないけど、僕は川上さんのような立派な競翔家の下で、鳩レースを楽しみたいと思ってる。君は今、不幸せだろうか?きっと鳩にかける愛情以上の気持ちで君に接してくれてるお父さんだと思うよ。だって、僕にもこんなに気遣いしてくれる素晴らしい人だもん。とっても尊敬してる。そして君もきっとお父さんが誰よりも好きだし、鳩に夢中になってる川上さん自身を、君は見るのが好きなんだと思う。だから、止めない。」
 この誰よりも自分の気持ちを完璧に見抜いた香月に香織は、他の者と全く違う何かを感じた。
当にこの時、香織の心は動いたのだ・・出会いがここにもう一つ生まれたのだった。