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2003.7.15日分

アメリカから戻って来た香月は、出来上がった鳩舎に早速種鳩を移した。芳川も手伝っていた。
「古木を使って、大工さんも急ピッチでやってくれたよ。良い鳩舎になったよな、一男」
「うん。俺の設計通りにやってくれたよ。」
「なあ・・何で現役最高選手鳩である、
スプリント号を急に種鳩鳩舎に移すんだい?」
芳川が聞いた。突然の意外な選択・・誰の目にも明らかだった。
「頭が良過ぎるんですよ、この鳩。確かに今春のレースに間に合った調整が出来てれば、参加したでしょう。何しろこの鳩舎のエースですから。でも、無理ですよ。今春は今からじゃ間に合わないです」
「けど、
カズ・エース号は一男の言う通り、2回の100キロ訓練をしたぜ。どうして、スプリント号には訓練をしなかったんだ?」
「うーーーん。香月系を固定化するのに必要だから・・と言う部分が大きいかな?」
「ふーーん。競翔素人の俺だから、詳しい事までは分からんよ。ま、君の鳩だ。俺がとやかく言う事でも無いしな」
「それで、どうでした?これまでの連合会の成績は」
「ああ、立会いに2回行ったんだけど、川上鳩舎が連続優勝をしているよ。一男が出かけた300キロ合同杯でも総合5位に入ってるし、総合13位にも入賞している」
「やはり・・この勢いはペパーマン系でも止められないか・・」
「いやいや・・。磯川鳩舎だったら、これまでのレースに全て上位入賞しているよ。他にも佐野鳩舎、渡辺鳩舎、高橋鳩舎も良いよ」
「それは承知してるんだ。ただ・・トップを取る鳩は血統・・・川上・磯川鳩舎には、そう言う鳩群が既にひしめいている」
「うーーん・・果てしない、競翔欲なのかなあ・・やっぱり、一男もそうなのかい?」

芳川がぽつりと言った。
「浩ちゃん。俺も、川上さん達もそんな競翔はしてないよ。見ててくれるかい?一緒にやろうよ、ね。」
「ああ・・」

芳川にとっては、あの初レースの感動を香月が既に忘れてしまったのでは無いか・・そんな疑問があった。それは自分自身の、人生にも影響を与えた、あの感動を感じ続けたい為に・・だから、香月を手伝っている自分が居る。あの頃の粗末な鳩舎からは一変し、素人目にも明らかに違う素晴らしい選手鳩達。一緒に面倒を見た、源鳩パパ号は今も健在だ。感動を貰った、初レース、初優勝の「ピン太号」も威風堂々として、種鳩鳩舎に居る。その陣容は当時と比べようも無い。しかし、この期間までの断片的な手伝いはあったが、ほぼ全般的な空白の中で、香月が繰り広げて来た、競翔の歴史を芳川自身は知らない。現実の鳩舎には、無数のエース鳩達が存在し、そして、新たに建築された、選手鳩鳩舎にはこれから作出された、雛達が収容される事になる。芳川が香月の留守中や、これまでの1ヶ月間を観察して来た、旧選手鳩鳩舎の現役レーサー20羽の中から、スプリント号を初めとする、キング号クイーン号等一級の鳩達が、種鳩鳩舎に移されるのを見て、何故か寂寥感が沸いていた。芳川はこの鳩群は、どんな雄姿を見せて帰還するのか、それを見て見たかった言う気持もある。この時、芳川は香月にある提案をしたのだった。
「なあ、お願いがあるんだが、一男の所の旧選手鳩鳩舎が空になったら、俺にくれよ」
「え・・?」

香月は意外そうに芳川の顔を見た。
「俺もさ、その時に鳩を飼いたいんだ」
「浩ちゃんが望むなら、構わないけど・・・どうして・・?一緒にこの鳩舎で、やる事は出来ないの?」
「勿論それまではやるよ。でも、一男が求める香月系は、俺には関係無い事だから。俺は俺の競翔を楽しんで見たいんだ」
「・・浩ちゃんがそう言うなら。で?もう決めてるの?この鳩舎の中の鳩から」
「ああ。川上さんの血統の鳩が良いな。でも、それは、一男の所からじゃない。もう、入会届は出して来たし、川上さんからも旧主流の選手鳩からの仔鳩を貰う事になっているんだ」
「・・驚いた。浩ちゃん・・」

一つの流れが、少しずつ変化していた。それは、芳川の人生にも初競翔が大きな影響を与えている事を、示すものであった。
この会話の後、香月は川上宅へ向かう事になる。それは前夜、両親に打ち明けた、香織との結婚の報告であった。突然の事で昨夜遅くまで話し合った香月達であったが、とうとう根負けして、川上宅へ両親が行く事になっている。その川上宅でも、同様の会話があった。しかし、香織の強い意志には根負けした。両親が望むのは、2人が暮らす時期、環境を整えて・・それは、世間一般の親と同様な思いからであった。
夕方到着して、和室に招かれた、香月一家と、川上一家が談笑していた。
「ははは・・。めでたい事で、祝福するのが親ですが、余りにも突然、事後報告となれば、やはり面食らうのが当然。お互い驚きましたねえ」
「誠に申し訳ない。ただ・・2人の言い分を聞いてると、我々が間違っているのかと言う錯覚を覚える。ただ、一男は、やっと自分の進む方向が見えたばかりの人間です。生計を立てるのは今からで、親として、2人の同居は認める事は出来ない。そう言えば、同居=結婚ではない、婚約した2人が人生の出発を誓いあったのが結婚。そう言う形をまず求めての結婚ではないと言うのですから」
「親としては、色々世間体もある。結婚と言う儀式は、2人が考える程簡単なものでは無い。そっちの披露宴については、2年待ってくれと言う。何故かと聞けば、生計を立てる器が出来てからだと言う。なら、今の婚約のままの形で良いじゃないかと言えば、やはりそうじゃないんだと・・。昨夜から同じ問答の繰り返しですよ。無論、この結婚については、我々だって、祝福するし、こんなに理解ある両親はきっと他に居ない筈・・ははは」

川上氏はそう答えて笑った。
「お父さん、川上香織としてでは無く、香月香織として生きる。それが私の一番の幸せです。お願いします」
「俺はまだ半人前の人間ですが、人生のパートナーとして、香織さんを選びました。終生の誓いをしたからには、この2年間で、必ず、皆さんの前で、堂々と結婚披露宴をしますから」
「・・で・・?それが、籍を入れる事にどうしてなるのかな?」

川上氏が聞く。
「はい。籍を入れて・・ただ、俺には、人生設計が出来てません。同居するには、後2年待って欲しいのです」
「それが・・分からんのだよ。今の婚約と比べてどう違う?」

そこで香織が言う。
「お父さん、川上香織でこれから生きる2年と、香月香織となって生きる2年は、全く違います。それは、もう婚約の関係では無くて、彼を支えるパートナーとして生きる事だから。私達は浮付いた気持ちで、突然挙式をしたのでは無いの。私もこの2年で、自分の道をしっかり見つめるつもりだから」
「ふぅ・・・昨夜から何度問答した事だろう。どうですか?お母さん達の意見は」

川上氏が困惑しきった顔で、言った。
恵子さんが言った。
「この娘を今日まで見てきて・・我ままで、負けん気が強くて・・でもね。香月君と言う最高の男の子が現れて。私達はきっと、おめでとう!って叫びたい位の心境なのよ。それは、香月君のご両親も同じ事でしょう。こんな良縁は無いわ。だからこそ、親として精一杯の祝福をしてあげたい、その形を求めたい。けど、この2人は、そんな形よりも、もう同じ空間の中で、同じ夢を歩んでる。それは、もう純粋で、その気持ちも私達は分かってあげたい・・ねえ、貴方、香月さんご両親。2年間ですが、花嫁修業に出す気持ちで、それぞれの環境が整うまで、披露宴を延期して、見守りませんか?」
「そう言って頂ければ。親として、無常の喜びです」

香月の両親が手をついた。川上氏もとうとう、最後に認めた。それは父性が持つ感性であろうささやかな抵抗でもあった。
気持ちでは十分に理解していた事であった。この日より、香月一男・香織の人生が始まる。
この頃、選手鳩鳩舎内では、紫竜号が猛然と暴れていた。中に居る20数羽の鳩達に突然襲い掛かっていた。その様子に芳川が慌てて、紫竜号を捕まえようとしたが、激しく抵抗し、芳川の手からは血が滲んでいた。
「な・・何なんだ・・この鳩は」
芳川は紫竜号に、恐怖心すらこの時抱いた。