白い雲トップへ  次へ   参考資料   お願い  登場鳩

2003.7.20日分

香月が戻って来たのは、深夜であったが、芳川が帰宅を待ちかねていたように家に訪れた。
「ど・・どうしたの?浩ちゃん」
驚く香月だった。
「遅くに済まん。少し話がある。時間をくれよ」
「うん・・ま、上がって酒でも飲む?」

香月の部屋に入ると、すぐ母親が酒とつまみを持って来た。そのまま、もう寝ろよ・・母親に言うと香月は芳川と向かい合った。
「で・・?どうしたの?浩ちゃん」
「今日ね、選手鳩鳩舎で、凄い争いがあってね。どうも、
紫竜号が中心に暴れたようなんだ」
「え・・?それで?」
「とにかく、分けたんだよ、
紫竜号と他の鳩。鼻コブから血を流してる鳩や、目尻を腫らしている鳩も居た。止めようとして、ほら、紫竜号の嘴にやられてさ、この通りだ」
芳川は自分の手を見せた。真っ赤な切り傷と、蒼染みた痕があった。
「むう・・こんな騒ぎは無かったのに、今まで。何でだろう・・」
「とにかくさ・・あの
紫竜号ってのは、怖いよ、俺。何て言うんだろう・・意思を持ってる底知れぬようなオーラを感じるんだ」
「・・これまで、殆ど
紫竜号は無意識の中で、本能に導かれるまま競翔に参加して来たんだ。でも、それは、自分でもコントロール出来ない才能を放出するように。けど、今、紫竜号は自身の力で変わろうとしている。その時なのかも知れないね」
「そんな・・あんな鳩に人間のような感覚があるとは思えないが・・・あ・・あれ?今気づいたけど、一男、お前、結婚指輪なのか?それ」

香月の指に入っている指輪に芳川は気づき、言う。
「ああ・・」
「ふうん・・とうとうあの美女と一緒になったのか。すると今日はその話だったんだね、悪かったな、こんな時間に」
「ううん。浩ちゃんが、こっちに戻って来てくれて、又一緒に鳩を飼えるなんて夢のようだよ。俺の方こそ、色々面倒かけて悪かったよね」
「あのさ・・あの
紫竜号は、一男にとって、不吉な予感がする・・これからもあの鳩を競翔に参加させるつもりなのか?正直に聞くよ?」
「・・・2年・・・香織と一緒に住むのを待ってくれと言った。俺がその2年待ってと言ったのは、
紫竜号の使翔の為だ。その為、突然だったけどスプリント号には早い決断をした。まだまだ現役の、一級の競翔鳩を今引退させるのは惜しいと思うし、選手鳩としての優秀さも認識しているが、引退させるのは、その体型や、骨格・・香月系を作って行く為に、種鳩としての必然性が、あるからなんだ。でも、紫竜号には、才能を持て余している自身のジレンマを強く感じるんだ。超長距離鳩としてのその資質を、俺は開花させてやりたい・・」
「そうか・・なら言おう。川上さんの家で、色々聞いて来た。香月君がこれからも紫竜号を使翔させるというなら、その参加レースに自分の鳩舎の主力を集中させると」
「えっ・・?」

香月は、少し驚いた。
「誰にも、未来を予想は出来はしない。その冒険に紫竜号の身を置くと言うなら、全力で阻止すべきだ・・とね」
「何で・・?」

香月は視線を上げて、淋しそうな表情になった。
「川上さんが言うには、それは、香月君の為でもあり、紫竜号の為でもある。競翔に聖域を作るとするなら、犯してはならない事がある。それは、人間が作った勝手なルールで、その鳩を評価してしまう競翔界の中で、香月君のやろうとしている事は恐らく紫竜号にとって過酷なものになるだろう・・って事。何故なら、俺は川上さんに紫竜号を見せた。そして、川上さんは、紫竜号を優しく抱いて・・そして涙を零した。何故だか分かるか?一男。こんな深い傷を負って、それでも競翔と言う危険な冒険の旅に向かわされる、紫竜号の運命に泣いたのだよ。何でこんな傷を負ってまで、紫竜号は羽ばたかねばならない?俺は、その時思ったんだ。一男は、心底競翔家になっちまったのかなって・・」
「・・浩ちゃん・・今は・・俺の気持ちを理解して貰おうなんて思わないよ。でもね、一つだけ聞いてね。俺は自分の鳩舎の
ピン太号や、グランプリ号スプリント号キングメッシュ・・・。どの鳩よりも今は紫竜号を愛してる。そして、紫竜号は、俺に託くされた優しかった白川のじいちゃんの大事な宝なんだ。失うのが怖いんだ・・だから・・だからこそ・・その為に俺は鬼になって訓練をしているんだ」
涙声になって、反論する香月に、芳川はそこまで・・と言ってこの夜は帰った。だからこそ、競翔に参加しない方を選んだ川上氏の心情に芳川は同感した。何故、そんな辛い選択を香月が選ばねばならないのか・・今、何故紫竜号が暴発しているのか・・不思議な運命の中に自分も巻き込まれている事を感じては居た。