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2003.7.25日分

鳩舎内の紫竜号は、無性に苛立っていた。それは、今春自身との決着をつけようと思っていた、スプリント号の突然の種鳩への引退にある。むしろ、その引退を誇りにさえ思う、スプリント号への怒りと、自身の持って行き様の無い気持の矛先が、鳩舎内の全選手鳩達に向けられたからだ。残るエース鳩は、短距離のカズ・エース号や、若い鳩達だけ。紫竜号は、自身の底から湧きあがるような、どうしようも無い激しい情念の中に居た。
朝早くから起きて来て、鳩舎内の選手鳩の一羽、一羽を丁寧に見た香月だったが、最後に紫竜号に目を向けた。薄暗い鳩舎内から、香月を見下ろし、爛々と光る目で、射抜くように見つめる紫竜号
「・・・何時からだろう・・。紫竜、お前が俺に敵意に近いものを持ったのは・・」
香月は紫竜号を見つめながら、呟いた。少なくとも、あの事故までは、紫竜号の目には、敵意は無かった。その目は、白竜号の、あの厳しい目さえ凌いでいる。香月は紫竜号には、この朝、触れなかった。

数日して、香月の元に、日下氏から6羽の鳩が送られて来た。その立会いに川上氏を招いていた。
その鳩達を一羽、一羽、血統書と、記録を確認して行く。

一番目 名をファースト号 BC♂
100キロ2、5位 200キロ優勝、3位 300キロ2位 400キロ優勝 500キロ3位 700キロ2位(総合46位)1000キロGC優勝総合39位)5位(総合108位

2番目 名をセカンド号 R♀
200キロ2位、300キロ4位、400キロ2位、500キロ優勝、600キロ3位、700キロ4位、1000キロCH優勝総合82位

3番目 名をサード号 RC♀
100キロ優勝・2位、300キロ3位、500キロ5位、600キロ3位、800キロ優勝総合29位)、1000キロ記録、1100キロ優勝総合68位

4番目 名をフォース号 RC♂
400キロ2位、700キロGP2位(総合63位)、1000キロCH優勝総合24位)5位(総合189位

5番目 名をフィフス号 S♂
100キロ3位、300キロ3位、400キロ6位、600キロ2位、9位、700キロ10位、1000キロGC優勝総合73位

6番目 名をシックス号 BW♀
600キロ2位、700キロ3位(総合98位)、800キロ2位(総合46)、1000キロGC優勝総合19位

年の順に、ファースト号、次にセカンド・サード号が次年度産、フォース・フィフス号が次々年度産、最後の鳩がシックス号と一番若く、木下氏が鳩レースを中断した年にあたる。ファースト号が、ピン太・グランプリ号の同年産と、非常に若い鳩ばかりであり、木下系の最高選手鳩達でもあった。川上氏が唸った。
「・・これ程までの一級選手鳩が贈られようとは・・体型・この成績。最高の鳩達だね」
「まさか・・ここまでの鳩が俺の鳩舎に来ようとは、予想だにしてませんでした」
「この鳩達の仔鳩をそのまま競翔に使えば、活躍するのは保障されているようなものだね」
「あ・・いえ、この鳩群は、俺の鳩舎の第一交配源鳩群になります。この子孫・・何羽が残るか分かりませんが。全てストックして、再来年から仔鳩を作出しますから、その仔鳩達が3年後に使翔する事になります」

「ううむ・・。それが、君の現役最高レーサーのスプリント号を引退させるのと、関係がある事なんだね。しかし・・一競翔家としては早く結果が見たい、そう思うのは、卑しい考えであろうか?」
「いえ・・凄く当然であって・・しかし、それは即ち、日下系を俺が使翔するのであって、香月系ではありませんから。」
「その考えには賛同したい・・だが・・私は出来有れば・・・白川系との同一連合会での活躍も見たい・・そう思うのは、私の感傷だろうか・・」
「全く・・同じ事を俺も考えました。そして・・それは・・木下氏も同じでした。実は、今秋に間に合うように、日下氏は
日下ピロ号の直仔を作出されています。その鳩達がこの隣にある、新築の鳩舎に収まるのです。管理は芳川さんがします。」
そこまで聞いて、川上氏の目が少し潤んだ。
「そうか・・君はそこまで考えていてくれたんだね、嬉しいよ。」
「いえ・・俺もこの話が実現するなんて思ってなかったですから、日下さんのご提案に深く感銘致しました」
「素晴らしい競翔家だね・・。私からも是非感謝申し上げたい。・・ところで、今日君に呼ばれて立会いに来たついでに、私から少し話もあったんだ」

・・それは紫竜号の事ですね?」
「うむ・・君はどう考えているのか、現時点での考えを聞きたい。それは芳川君から聞いた、紫竜号現役続行と言う、君の意思を再確認した上での事だ」
「その前に・・何故紫竜号について、それほどまでに川上さんご自身が、使翔法に対する疑問を持たれるのでしょうか。一体・・何が白川のじいちゃんと川上さんの間にあったのでしょうか?それをお聞きしたいのです」
「敏感で鋭敏な君の事、言わねばならない時が来たような気がする・・。少し良いかな?君の家の中で話そう」
「はい・・」

香月は何かを感じていた。それは、紫竜号の話をする時の川上氏の顔が、憂いを含んだ表情になって居る事を。それは、これまで、香月が語り、川上氏から語られた別次元の話であるように思えたからだ。芳川に宣言するような、紫竜号阻止の意図はどこにあるのだろうか・・・と。
「俺はこれまで、お伝えしてきました。それは、スプリント号が若くして、種鳩になるのと、紫竜号現役続行とは、比例しない話なんです。スプリント号はこのまま春の競翔に出すより、香月系主流源鳩、全ての基礎鳩して欠かせない鳩だからです。だから引退させました。ですが、もう完成されているスプリント号に比べて、大怪我を負いましたが、紫竜号は、まだ競翔鳩として、未完成。その能力の半分も出し切って居ません」
香月は少し悲しそうな顔で、川上氏の顔を見つめた。それは師匠の同意を求めるような、視線でもあった。
「何から・・話そう・・紫竜号については、飼い主である、君が一番良く知っている筈だ。そして、それは君の言う通りだろう。敢えて、白川氏の遺児であるとか、至宝とかの言葉は使わない。それは、別次元での話になるからだ。いっそ、あの怪我で、紫竜号が、現役引退してれば、私はもう何も言う事も無かった。その訳は白川氏がまだ得られぬ、白竜号ネバー号との仔鳩の将来さえも危惧して、君に託そうとした事、競翔家としての果てしない欲望の末に、辿りついた途方も無い夢の中へ迷い込んでしまった・・魔道に君を巻き込みたくない・・そんな感情を知っているからだ」
「途方も無い夢?魔道・・?」

「白川氏は、自身の競翔の生涯の中で、一羽の最高傑作を生み出してしまった・・それは君が何度も認めた、ネバー号の資質である。それは、彼自身が得た、数多い選手鳩のどれもが、色あせるような、最高傑作でもあった。事実、その稀世の資質は証明されている。ところが、君はその資質さえ、一瞬で見抜き、白竜号さえ、凌駕すると言った。その時、氏は私に託したのだ。「もし白竜・ネバーの仔が非凡であったなら、お前が香月君を魔道に迷い込まぬよう、見守ってくれ」・・と。そして、その危惧通り、紫竜号の資質は、恐らく、ネバー号すら、超えてしまったような底知れぬ力を秘めている。磯川君、私、そして、君がそれを見抜いている筈なんだ」
「・・ネバー号と同世代、時代の・・そう言う次元的なものとは、比べようがありません」
「いや・・君がはっきり認識してなくても、それは、君が使翔すると言う限り、きっと、災いをもたらすだろう・・芳川君は、紫竜号を怖い・・そう表現したよ。紫竜号には得体の知れない意思が支配しているような気がする」
「・・・教えて下さい・・魔道とは何ですか?じいちゃんの危惧した内容は何ですか?」