白い雲トップへ  次へ   参考資料   お願い  登場鳩

2003.8.2日分

もう空を見上げる時間帯になっていた。今年の初参加レースになる、香月鳩舎の全鳩が参加されたこの400キロレース。短距離のエース「カズ・エース号」も、勿論参加されていたが、長距離鳩有利のこのレースでは、期待はされていなかった。この400キロレースは、GPやその後に続く、長距離レースのステップ。短距離鳩には不利と言える地形でもあった。その2人の頭上に姿を現したのは、昨秋の記録若鳩の一羽だった。
時間は1時50分。まあまあの帰舎タイムだった。
「早い?」
芳川が尋ねる。
「どうだろう・・。良い線には言ってると思うけど。何しろ、磯川鳩舎が主力を投入してるからね」
香月は、明解な答えは出さなかった。
その一番目から、間髪を入れずに戻って来たのは、紫竜号
芳川が声を上げた。
「おお!紫竜号!」
香月が驚く。
「え・・?」

香月がゴム輪を外して、タイムをしたが、紫竜号を抱いたまま、じっと眺めている。
「どうした?一男?」
芳川が尋ねる。
「・・とんでも無い奴だ。紫竜号。叉・・無茶したな」
「何が?」
「・・気流に乗れない体だから、想像するに、この時間に戻れるって事は、全く別のルートを辿って来た事になる。」
「何故分かる?」
「主翼を傷めているから・・」
香月は
紫竜号の左の主翼を芳川に見せた。大羽の先端が裂けていた。
「本当だ・・」
「断定は出来ないが、飛び立つ時に他の鳩と接触した事も考えられなくは無いけど、それなら、この体重増の体では、エース級の若鳩にはスピードでは敵わない筈。
紫竜号は別ルートから、恐らく山頂からの下降流に乗ったに違いない」
「そこまで見抜くのか・・競翔家と言うのは。本当に科学者だな、お前は・・」

そう言う話の間に、3羽次々と戻っては来たが、タイムはしなかった。夕方になって、香月に叉医薬品会社の担当から電話が入り、芳川が開函場所に行く事になった。合計、24羽中22羽が当日帰舎していた香月鳩舎であった。
結果は、早く集計が終わって、芳川が改めて、香月鳩舎の代理人と言う事で会話が始まった頃、
「えーー結果は磯川鳩舎が、100キロレースから続く5連勝です。優勝鳩はパイロン3世号です。」
「凄いなあ・・
パイロン3世号は幾つ目の優勝なんだね?」
高橋会長が磯川に聞いた。
「連合会では、7つ目・・かな。総合は1つ」
「現日本競翔界で、最高の競翔鳩だよ」

小谷氏が形容した。
「そんな事は無いですよ。今日のレース、4位に入賞している、香月鳩舎の紫竜号が居る」
芳川はドキっとした。
「確か・・文部杯全国優勝の鳩だったよね」
渡部氏が聞いた。
「そうです。GP総合8位、GC総合9位の鳩です」
磯川が答える。芳川は、磯川がこれ程までに紫竜号を評価している事を知って、少し驚いていた。この世界に足を踏み入れたばかりの芳川には、まだ会話の中心が見えなかった。
「確かに素晴らしい。けど、パイロン3世号の成績には及ぶまい、今期の成績次第では、CHの称号も検討されているじゃないか」
小谷氏が言うが、磯川は首を振りながら答える。
パイロン3世号は自分でも自慢するんじゃ無いですが、最高の出来の鳩ですよ。でも、紫竜号とは比べる次元が違うんですよ。確かに成績はパイロン3世号の方が良いかも知れません。しかし、紫竜号は、過去全ての参加レースに入賞している。それも全て優勝を狙える上位。参加レースは少ないけど、この入賞率は図抜けている。更に、この鳩には体を覆い隠すような副翼と、飛びぬけて長い主羽がある。俺が思うに、秘めた力には、計り知れないものがあると見ています」
そこへ川上氏が、参加した。
「随分・・磯川君は、香月君の鳩を観察してるんだねえ」
「川上さんはどうですか?そう思いませんか?」

磯川が聞く。
「今や・・連合会ではCH、GCH、GNレースの3大レースに一桁入賞を果たす勢い。確かに紫竜号は素晴らしい。その通りかも知れないが、あくまで、競翔鳩は資質よりも結果で判断される。と、なれば、紫竜号は今、君の使翔するパイロン3世号と比べては、下に位置しよう。ま・・君が注目するのは、結構なんだが、今年の私の鳩舎にも、西コース1000キロ一桁入賞の鳩群も居る。次の500キロには私も主流を参加する。君も注目してくれるかな?」
わはは・・会員達の場が和んだ。確かに・・そう言う意味では、紫竜号は、GP総合8位が光るだけで、GC総合9位の成績では3大レースと比べると、評価点はやや低く、非凡ではあるが、これらの鳩群と比べては幾分見劣る成績でしか無かった。
その中で、芳川が帰り際に川上氏に耳打ちした。
「・・・ほお・・では、今期、この後の紫竜号の参加は、微妙なのか?」
「ええ・・主翼の2枚を傷めてますので、そんな事を言ってましたね」
「・・ふうむ・・
紫竜号には、先天的にトップを義務付けられるような、そんな宿命があるのだろうか。」
常にトップを形成する血・・それは、ブレーキをかけ続ける香月の目論見とは相反するものだった。
紫竜号は悔しくて、鳩舎内で喉をぐうぐう鳴らしていた。同鳩舎内の400キロ2位鳩。のちのアルマ号に負けた悔しさも、手伝っていたからだ。
「俺の実力はこんなもんじゃない。何故主人は俺を鞭打とうとするのだ・・」
その言葉に、カズ・エース号が言う。
スプリント号の言葉を思い出したらどうですか?」
「何だと?」

紫竜号が喉を鳴らした。
スプリント号は、種鳩鳩舎に移る事を誇らしげに言った。
紫竜さん、俺はどうやらあっちへ移される様だが、あんたがあっちの鳩舎に移る事は決して無いだろう。期待を背負って競翔に参加するのは、あんたには苦痛だろうが、俺は自分の使命を全う出来る喜びで、それを果たして来た。あんたはどうだ?一度たりと、主人があんたを喜んで迎えてくれた事があったかい?思い出して見るが良い。俺は知ってるんだ。」
と・・。
初レースから、今日まで、紫竜号が帰舎して、にこやかな顔で香月が迎えた事は確かに一度も無かった。
「どうです?今日も迎えてくれましたか?」
「うるせえ!若造!」

このレース、カズ・エース号は自鳩舎の中で、4番手に戻った。香月は嬉しそうな顔で、迎えた。
のちのアルマ号もそうだ。賛辞を送ってくれた。紫竜号はどうだ?選手鳩にとって一番大事な羽を傷めて、例えトップ集団に戻ろうとも、彼等のように主人は評価してくれない。この先のレースをふいにしてしまったかも知れないのだから・・。