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2003.8.5日分

佐野が、少し間が開いた後、こう言った。
「最終的には、香月君の判断なんですよ、それは。磯川さんよりもっと前から、紫竜号の生い立ちについては、俺も知ってます。理由は、今香月君が言った通りです。紫竜号を使翔するのは、やはり香月君を置いて他には居ません。稀代の銘鳩達がが残した遺児として、紫竜号の価値を見るのは、人間の勝手な思惑では無いでしょうか。自然に、より自然に、香月君は紫竜号の成長を願い、俺達もその気持ちを応援して来ました。お願いです。鳩界の至宝と言う目では無く、香月君がこの一羽に向ける気持ちを分かってあげて下さい。この通りです」
佐野の暖かい友情の言葉に、自然に拍手が沸いていた。川上氏は、もう、何も言わなかった。
500キロレース・・川上氏が「白雪号」にて2万8千476羽中総合優勝を連合会新記録で飾った。2位にも「白兼号」総合2位。「白兼号」は秋の西コースVC1000キロ総合3位の鳩でもあった。叉英傑が生まれた。恐るべき白川系の血筋、連合会のメンバーは唸った。しかし、連合会3位には、カズ・エース号が入賞。総合でも10位に入った。素晴らしい短距離のエースも、これが最後。有終の美を飾る事となった。
その後、600キロ、700キロGPと続き、香月は、400キロ2位のアルマ号で、連合会3位、総合24位に入賞した。アルマ号には、来年1000キロ挑戦の道が残った。700キロGPの優勝は、佐野鳩舎のレビン号がこれも秋の菊花賞総合3位の鳩で、総合5位に食い込んだ。素晴らしい銘鳩が佐野鳩舎にも叉誕生していた。2位が川上鳩舎、総合7位、3位がアルマ号、4位が磯川で、パイロンビクトリー号(総合28位)・・以下略。
東神原連合会は、今や日本鳩界をリードする立場に立っていた。
主要競翔鳩の殆どが、種鳩鳩舎に移った香月鳩舎には、続く800キロKC、900キロQCと参加する鳩は居なかった。
その競翔の合間の中で、香織と出かけたのは、日下部ペットショップであった。香織がやはり1年後保母さんとして手伝う事となり、ようやく市の認可を受けて、そちらの打ち合わせも兼ねていた。日下部氏は、早速香月を手招きした。
「よお、待ってたんだ。悪いけど、ちょっと鳩舎の方を見てくれよ、ドクター」
香月はA薬品会社の委託ドクターとなって、いよいよ獣医としての活躍が始まる。
日下部氏が手招きしたのは、実は全然目的が違っていたのだ。香月が笑った。
「なあんだ・・。仔鳩の出来ですか。あははは。」
「ふふ。良い口実だろ?あっちは、あっちで、今打ち合わせ中だしね。俺も少し君の意見を聞きたくて」
「良い出来ですね、
ハンク×ステッケルボードの直仔。ミューとの交配も良い出来だ・・。
着々と香月系の基礎鳩は作出されていた。
「来たんだろう?日下氏から、日下ピロの直仔・・どう?この仔鳩と比べて」
「比較は出来ないですよ。ステッケルボート系が2分の1とは言え、こっちは、シューマン系がまだ強く出ている。」
「秋には、その実力が分かるね。君の鳩舎から参加させるかい?」
「いえ・・それはありません。この仔鳩達は基礎鳩達と違う、試し腹な訳ですから・・申し訳ありませんが、日下部さんの所で、使翔して下さいよ、今秋も。お願いします」
「はは。それは勿論結構な事だよ、昨秋は5連勝。今春ももう、3つも優勝している、先の合同500キロレースでも、連合会優勝、総合176位に入っている。尤も・・君の連合会のような成績は到底無理だがね。この位置じゃ」
「無理を言います。とにかく3年後の春には、第3世代を使翔させる訳ですから、相当数のストック種鳩が出来るのです。その仔鳩達の中からどれだけの歩留まりで、残って来るか。それまでは、日下部さんの所での生きたデータが欲しいのです。」
「ああ、分かってるよ。俺の鳩舎はやはり、オペル系で行く。それは、これから先も変わらないよ。ただ・・圧倒的だよね、この血筋の鳩達の方が。あははは」
「色んなタイプの鳩が作出されてきて、それから、一群のグループ分けをして、データを取って、血統書を眺め・・これからの10年間はあっという間でしょうねえ」
「ふふ、年寄り見たいなセリフだね、若い夫婦にゃ、今からじゃないか」
「叉、披露宴の時には、お知らせしますから」
「当たり前じゃないか。俺達は、家族なんだからな。」

日下部氏との関係、川上氏との関係。周囲の環境。香月は確かに恵まれていた。
この時、香月の脳裏にあるひらめきのようなものが走った。それは、誰もが考えが及ばないような計画であった。その実行をこの時香月は、決心したのだ。それは、周囲を巻き込み、香月自身も極限の状態に追い込まれるようになるとは、この時、考えもしなかった。