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2003.8.15日分

「来たまえ」
川上氏から電話が入った。紫竜号の放鳩の日が来たのだ。紫竜号ルピー号の卵はやはり無性卵だった。
隔離鳩舎の前に立った川上氏は、静かな口調で言った。
「驚くべき事だがね。奇跡的な回復だったよ。ほぼ健康状態を取り戻していると思う。こうして見ると、君が年月をかけていかに、ここまで紫竜号を育てて来たか、深い愛情が私にも実感出来たよ。もう・・何も言うまい。」
「良く・・ここまで・・。深く感謝致します。全ては川上さんのお陰です」
「2度と君には渡すまい・・そんな事を思った日々もあった。この穏やかな
紫竜号の顔が、彼自身の幸せとするなら、もう、それで良いじゃないか・・私はそう思った。ただ、君がここまで施して来た訓練がこの体を作り上げた・・それは、紫竜号を競翔鳩として育てて来た意味で、君に最終的には帰属するものだろう。最後の挑戦をしたい。私も、競翔家として、せめて・・」
「はい・・でも、今の紫竜号が完璧な体に回復したとしても、俺を主人とは認めないでしょう。その責任は負わねばならないと思います」
「君は・・一体・・」

その瞬間・・紫竜号の穏やかな表情が一変し、香月を睨むすさまじいその眼光に、身震いした川上氏だった。香月も紫竜号も、見詰め合ったまま微動だにしない。
香月君は、一体、紫竜号にどんな厳しい訓練を強いて来たのだろうか。川上氏は思った。
一羽と、一人の天才。交わる事の無い、感情・感性・・・互いに飛び散る火花が見えるようだった。
「では・・良いんだね?紫竜号を今から放して」
「ええ。お約束した通りです。
紫竜号が俺の鳩舎に戻れば、今期、CH、DC、GNレースに参加させます。ここへ戻れば、川上さんの所で飼って下さい」
「例の団体等は、激しく君を非難するだろう。鳩界関係者さえ、疑問を投げかける者が大半だろう。それでも、君は無謀としか見えない挑戦をする事になる。」
「責められるのであれば、それはそれでも構いません。しかし、それを成し得る事が出来る鳩は
紫竜号を置いて他に居ません。叉、それが、白川のじいちゃんの残した夢であったとしたら、やはり紫竜号白竜号ネバー号の無念の思いにも報いてやらねばならない。紫竜号は、その為に俺に託された・・そんな気がするのです」
「何度討論して来ただろうか・・この事を・・。しかし、今私は思う。君と白川さん、
白竜号ネバー号は運命の出会いをしたのだと」
川上氏は紫竜号を抱いて外へ出した。ルピー号も一緒に。川上氏には驚く程従順に・・穏やかな表情の紫竜号であった。静かに川上氏は言った。
紫竜号・・お前は分かっている筈だ。お前には憎しみしかあるまいが、その激情と引き換えに、お前を何度も死地から救って来た、香月君の深い愛情を。お前にとって、一番の理解者が香月君である事を。・・・未練だ・・惜しい、実に惜しい・・これ程の競翔鳩を手放すかも知れないこの瞬間が・・。しかし、私は放鳩しなければならないのだ・・さあ・・安息を選ぶか、試練を選ぶか、お前に任せる」
潤む目で、優しく紫竜号を撫でる川上氏。紫竜号の表情が緩んだ気がする。
夕方4時ジャスト。運命の分かれ道だった。寒い1月の冷気の中、紫竜号は大空目掛けて解き放された。続いてルピー号
まっすぐ西の空に向かった紫竜号が、一度視界から消える。
「やはり・・無理か・・」
そう思った河上氏の眼前に紫竜号はその姿を見せた。
「おお・・!」
紫竜号ルピー号と何度も川上鳩舎の上を旋回する。
「もしかしたら・・」
川上氏は感じた。だが・・何十回の旋回の後、ルピー号との別れを惜しむように、最後に上空高く舞い上がった。ルピー号が到底ついて来れない高空へ・・そして見えなくなった。
肩を落とした川上氏の前に、別れが分かるのか、力無くルピー号が舞い降りた、何度も何度も喉を鳴らし、泣いているような悲しい声だった。川上氏はルピー号を抱いた。
「許しておくれ・・ルピー号。こうなる事は分かっていたのだ。お前の愛情は深く紫竜号には届いていた。しかし、止めようの無い運命の力によって、紫竜号は限りない飛翔へ旅立ってしまったのだ・・」

ぽろぽろと涙を零す川上氏に黙って一礼をすると、香月は家に戻った。

夢語る時、人は遠くを眺める眼差しで、童顔のようになって・・そして言う。
「俺は何時か・・私は何時の日か・・」
香月と紫竜号は夢を語ったのでは無い。共に夢を見たのでは無い。運命に導かれ、翻弄されたのだ。だが、類稀なその才能は、しっかりと現実を見つめ、才能に溺れ、自らを壊す事は無かった。堅実な土台を作って来た。

春・・日本鳩競翔界に、どよめく大記録が誕生する。

「奇跡の超銘鳩の仔「紫竜号」、昨年度GCHレース総合優勝に続く、CHレース当日唯一羽帰り3万4568羽中総合優勝!」

大騒ぎの中、次のDCにもエントリーされている事を知り、周囲が愕然となる。激しい団体からの抗議があった。しかし、川上氏、香月は、平然としてなお、こう言った。
「驚くのはまだ早い。次のGNにもエントリーしている事を知れば」
その爆弾発言に、非難の声、驚嘆の声が猛烈に上がる。
時を同じくして、川上氏から手記が発刊される。その手記の中で、これまで、全く見えなかった鳩レースの世界、鳩に接する競翔家の愛情、そして香月少年との出会い、恩師との別れ、怪物紫竜号との深い愛情に包まれた、香月の飼育法、訓練、愛娘との結婚・・読む者は涙した。それは、一冊の本を超えて感動するドキュメンタリーであったからだ。
団体からの抗議も、まるで、意に返さぬように、静かな笑みを浮かべながら、香月達はこう言った。
「総合優勝なんて、人間の価値観ですよ。それを求める為に競翔をしているんではありません。誰よりも深く鳩を愛し、そして歩んでいるのです。共に・・」
日下氏はこう語った。
「愛無くして、競翔は語れず。努力無くして銘鳩は、誕生せず・・」
DCレース、1万7632羽中、当日帰り日本記録で、連続総合優勝の快挙が達成されたのは、10日後の事であった。
香月は今度は絶賛された。天才競翔家だと。見事な手腕であると・・。

2週間後に迫る、GNレースについては語りますまい。所詮は作者の一人よがりの文章。作者は字を知らず、文章を知りません。きっとどこかで、紫竜号は、皆さん達競翔家の手によって飛んでいるのでしょう。

紫竜号は、このGNのレース中、こう思った。
「白い・・白い雲が見える。・・ああ、優しい主人が待ってくれている・・早く帰らなきゃ・・」


                



2003年度中は、文中の誤字、脱字、文章の変な所を随時校正中です。
第2部は、2004年度から始めます。