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2001.4.19日分

「聞いてみたら良かろう・・まず、この子に」
白川老は、微笑みながら言った。ツバメが目の前を飛んで行く。青い空に白い雲が浮かんでいた。
川上氏が苦笑いしながら、

「どうやったの?佐伯君の鳩」
「別段変わった事はしてません。ただ、あの鳩はまだ一歳にもなってなかったですよね。ハンセン系の血も入ってますし、少し晩生のような感じを受けたのです」
「うむ・・確かに」

川上氏は頷いた。
「それに佐伯さんは、大羽数を飼育されてますし、ひょっとして、選手鳩鳩舎には充分な安住できるスペースが無かったのでは?そう考えました」
「うむ・・。彼はレース淘汰主義で来たからねえ」
「それで、ちょうど
ピン太と交配して見ようと、番にしました」
「なるほど!もう説明は良い、分かったよ。香月君」

白川老が笑った。
「あっはっは。この子はのお、動物の心が分かるのじゃ。ドンがすぐなついたのも持って生まれた才能じゃ」
川上氏も大きく頷いた。
「まさに・・」
白竜号とネバーマイロード号の交配過程について・・
――2羽を一坪の鳩舎に移す。中を2つに区切った。仕切りは金網だが、最初の一週間は黒い布で覆った。そして鳩舎全体を暗くして、いきなり大羽数の広い鳩舎からの環境変化にストレスが溜まらぬように気遣った。しかし今まで多くの鳩と暮らしていた2羽は一羽きりになって。「グー、グー」と喉を鳴らしていた。一週間して黒い布を取ると、両方の鳩は互いを意識しだした。その日から2羽の鳩には少しずつ脂肪分の多い餌を与えて行って・・もう老鳩の白竜号に求愛のポーズが見られるようになった。だが、ネバーは呼応しない。香月は再び黒い布で仕切りをした。今度は鳩舎を明るくして、そして一週間・・ネバー号は白竜号を意識しだしたのである。そして、仕切りを取った現在――

 ベテラン競翔家の川上氏はここまで聞いて全てを理解した。たった競翔を始めて、2年満たない子がこんな高度なテクニックを誰に教わる事なく自分で考えたのである、動物学者の白川老でさえも感心するほどに。驚きは付き合ってきた川上氏をさえ、凌駕する香月の秘めたる才能はどんどん開花して行こうとしていた。
 香月が又忙しく向こうへ行った後で、白川老はこう言った。
「あの子の祖父は、小学校の時に他界されたそうじゃ。わしの目を見てじいちゃんそっくりだと、それで、じいちゃんと呼ばせてくれと、ゆうてくれた。それが嬉しくてのお・・」
 白川老の目に涙が滲んだ。
「まさしく、人を魅了する力があの子には備わってるんでしょうね。私も、あの子の才能がどこまで開花するのか見届けたいと思います」
「これも、縁じゃろうて・・。」
「で・・気になりますねえ・・どうやって産卵させるのか・・」
「然り!・・あははは」

白川老が元気を取り戻し、明るくなった事を川上氏は喜んだ。香月の毎日の訪問は白川老に対する思いやりも含んでるのかも知れない・・そう思った。
が・・思惑は思うようにはなかなか進まなかった。
そんな夏休みに入ったある日、珍しく香織が香月のバイクの後に乗って、白川宅へ来た。
そこへ、役場の人らしいネクタイ姿の中年が何度も頭を白川老に下げながら出てきた。
「じいちゃん・・」
「おっ・・香織ちゃんも彼氏と来たのかな?」
「いやだあ、香月君はお友達よ、ね、香月君」

顔を赤らめて香織は又ドンと池の方に走って行った。香月も頭を下げながら、鳩小屋の方へ。
「御孫さんですか?微笑ましい、お似合いの綺麗な2人ですね」
男が言った
「いやいや・・わしには子は居らんので、孫も居らん。ただ・・孫同様には思ってるし、そう言う付き合いもしてきた」
役場の人らしい男は又深々と頭を下げながら、帰って行った。
白川老は一向に卵を産もうとする気配を見せないネバーが気になっていた。香月の後に立ってこう言った。
「無理じゃろうかのお・・」
ところが、香月はにこりとして答えた。
「いいえ、まだ産まないですよ。夏ですし、体力の消耗もしますし、秋を目標にしてます」
「ほ・・では、それも計算上の事かの?」
「いいえ・・そんな気がするだけです」
「わっはっは。君は面白い子じゃのう、香織ちゃんを呼んでおいで、スイカでも切ってあげよう。君の家から貰ったもんじゃが・・」

2人は広い縁側の池を見ながら、良く冷えたスイカを食べた。微笑みながら白川老が言う。
「ほんに似合いじゃのう、2人はこうやって見てると御内裏様とお雛様のようじゃ・・」
「だからあ!私と香月君は仲の良いお友達なんだって!」

香織が頬を膨らませながら言う。
「ほほ、まあ、良い。香織ちゃんの成人式位はわしも見たいからのお」
白川老の言葉に鋭敏に香織は反応した。
「いや!そんな話。白川のじいちゃんは、ずーーっと、ずーーっと長生きして私の子供を抱いて貰うんだもん、そんな近い話なんて!」
香月が香織の剣幕に少し驚いていた。
「そうですよ、じいちゃん。僕もここにずーーっと通うつもりですから」
「有難い話じゃ、ほんに嬉しい事じゃ、2人にそう言ってもらえるとのう」

白川老は益々目を細めた。
「ところで・・?香月君はE校ではトップらしいが将来は何になるつもりかの?」
「はい・・ここへ来て思ったのですが、僕は動物病院の医師になりたいな・・そうあれたら・・と」

「えっ・・?そうなの?香月君」
香織が香月の顔を覗き込んだ。少し不安のある顔でもあった。
「いやあ・・まだ漠然としか・・来年2年だしね。少し考え始めたところさ・君は?」
「私・・?私は保母さん!」
「決まっとるのか、香織ちゃんは。それは素晴らしい事じゃのう」
「子供が好きだから・・でも、香月君はもっと別の道へ行くのかと思ってたわ」

 黙って聞いていた白川老だが、奥の部屋へ入っていった。まだまだ幼さの残る香月と香織の将来像もやがて現実と言う壁がやってくる。
 白川老が奥から出てくる。
「香月君、もし、役に立つなら、こんな資料もある。使ってくれ」
それは、分厚い動物医学の資料であった。香月が漠然に考えてるのも、やはりこの白川老の言動から随所に見える博識な知識と、その数々の功績を知ったからだった。
「有難う御座います。実は・・僕は、香月系を作りたいと今思ってます」
「ほほお・・なるほど・・では、君はS工大を目指すと言うのかな?」
「ええっ・・!」

 香織が声を上げた。S工大と言えば、中央の国立より更に難しい・・と言うより、研究機関のような大学であり、学力だけでは決して入れぬ大学であった。
「まだ、決まってませんが、ここへお邪魔する内に白川系に興味を持つようになりました」
「なら・・!」

白川老が言うのをその先の言葉は必要ない、と言うように香月はかぶりを振った。
「僕はまだ競翔歴一年の競翔家です。白川系を使翔できるほど経験はありません。それに、川上系さえ全く雲の上の存在だからです」
「ふむ・・謙虚な言葉ではあるな・・。だが、君はもっと凄い事を提案しておる」

 わはははと白川氏は笑った。香織はしげしげと香月の顔を見た。自分が果たして香月の彼女だとしてこの荒唐無稽とも思える、進路志望に対して、ついて行けるかどうなのかと・・。
実はこの日から数日後・・川上氏が白川宅を訪問してから、少し様相が変わり始めていたのだった。時は急速に風雲を告げようとしていた・・。