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2001.4.20日分

この日は珍しく、午前中に香月が全国旺文社模試試験の為に白川宅には来ないとの事で、川上氏が白川老から、呼ばれていた。最近は客間で話する事も少なく、競翔家としての付き合いが主の2人であったが、白川氏は絶大な信頼を川上氏に寄せていた。川上氏も実の親以上の気持ちで白川氏に接してきた。
「今日は少し肌寒いのお・・」
白川氏の体調は決して良いとは言えなかった。
「少し、数日の猛暑で、暑気あたりされたのでは・・?」
「のお・・」

白川氏は言葉を選ぶように言った。
あの子・・香月君の事なのじゃが・・」
「はい・?」
「S工大を目指すとゆうとる・・」
「私も香織から聞きました。幾ら県下でも優れた成績の子でも・・」
「・・あの子なら、何とかなるかも知れん。明確な研究材料がある」
「競翔鳩ですか?血統を作ると言う・・」

川上氏は、少し曇り顔で言った。
「のお・・」
再び白川氏が言う。
「はい・・?」
その言葉が、少し重たく感じた川上氏は今度は低いトーンで、同じ返事をした。少し雨がぱらつき肌寒い日でもあった。8月もそろそろ終わりに近づく・・この日。
「わしは・・もう永くは生きられん」
「そんな・・」

悲しい目をして、その病状を知っていた川上氏は白川氏を見詰めた。目頭が熱くなっていた。心情派の川上氏であった。
「知っておったか・・」
「なんとなく・・」
「わしは癌に冒されておる。身寄りも居ないので、告知を希望した。もう一年と余命も無いと宣告を受けて居る」
「でも・・しかし!」

川上氏の頬に涙が伝う・・言葉にならなかった。
「人は死ぬ・・早いか遅いかの違いじゃ。で・・今日呼んだのはお前に辛がって貰う為でも、わしがお前に哀れを請う為でもない。託したいものがある」
白川老が、分厚い資料を手渡した。
「こ・・これは?」
「白川系の全血統図と、何通かの手紙が入っておる。わしの死後これを開封してくれ」
「そ・・そんな。」
「まあ、聞け。わしは大学で唯一やり残した事は・・白川系の完成じゃ。その血の研究じゃ。その思いが、伝わったのか・・香月君と言う少年が現れた」
「では、彼に?」
「いや・・白川系はお前に託したい」
「ええっつ!」

川上氏は驚くと同時に、四肢が震えていた。
「香月君は香月系を作ると明言した。それはきっとわしにも出来ぬ事を、あの子は考え始めたのだろう。白竜ネバーの交配もまるで、わしの無念が伝わったように・・」
「無念・・?」

そう言って白川氏の顔を覗き込んだ川上氏であったが、見る見る白川氏の顔が蒼白になった。
「大丈夫ですか?お顔の色が優れませんが・・」
「大丈夫じゃ・・。あの子は・・恐らく天才じゃろう」
「はい。私もそう思ってます。常人を飛び越えた何かがある」
ネバーを抱いた時・・じいちゃん、なんで、ネバーを1200キロGNレースに出さなかったの?と、そう聞いた」
「でも、それは、
白竜と言う・・」
「結果はそうじゃ、その
白竜の天分をわしは見抜けなかったのよ。白竜こそ、1100キロGCH向きの鳩であった」
「ほう・・初めて聞きました。そんな事」
「あの子は、見抜いた、一瞬で。・・そしてこう言った。『じいちゃん、
ネバーは完璧なレース鳩ですね。白竜号すら飛び越えた最高傑作です』と・・」
「そんな事を?確かにネバー号は素晴らしい鳩ですが・・?」

川上氏はまだ白川氏の言葉が見えなかった。
「あの子が興味を持ち始めたのは、オペル系と言う近親で固め続けた系統なのじゃ。それで、香月系を作りたいと言うようになった」
「なるほど・・」

川上氏は頷いた。
「わしは・・ドキリとした。この子の澄んだ目は全てお見通しなのでは無いかと」
「優れた洞察力は私も認めて居ります」
「いや・・そんな事ではない。あの子が聞いたのは『なんで、不向きな1100キロGCHレースに6回も参加させたの?』その言葉じゃった」
「それは・・
ネバーだからこそ。成し得る資質があったからでしょう。だからこそチャンピオンまでなって。日本中の皆がその素晴らしい資質を認めています。」
 意を決したように、白川氏は言った。
「言おう・・。わしは、自分の競翔人生の中で、一方は白川ベルランジェ系と言う目標と、もう一方の中で、超銘鳩『ミィニュエ号』を作ろうとしていた。それは、オペル系の真髄と言われた『ダブルB』の3重近親の交配の中から生まれた突出した一羽の♀鳩によって、念願が適うか・・と言う期待を抱かせたのだ」
「それは・・しかし、
白竜号と言う」
「いや・・
白竜はわしの猛訓練の中から育った優秀な血かも知れないが、伏兵に過ぎなかったのだ」
「・・・・」

川上氏は黙った。天下のGCHの超銘鳩を・・?伏兵と言うこの老人を・・。
「わしの悲願はCH、N、GCH、GNの4大レースに一桁入賞を果たす事だった」
「・・それはGNで
白竜号による、2年連続優勝を果たされてるじゃないですか。この長距離不利と言われる東神原連合会において、最遠隔地でありながら、2年も連続総合優勝など、奇跡と言われる偉業ですよ」
「それも、天佑・・そのレースは
ネバーが参加予定だったのだ」
ネバーは記憶によりますと、その年は余市の100OキロNレースに参加してますね、確か総合256位だったような」
「そんなもんじゃなかった・・
ネバーの実力は」
「・・この後も次年度にGCH・・以降、124位、245位、189位、287位、146位、275位と6年連続総合上位入賞。こんな♀鳩でありながら、飛びぬけた素晴らしい成績を・・」
ネバーが取るべきだったのだ・・GNは」
川上氏は少し、白川氏の頭がおかしくなったのか?と顔を見上げた。
「わしは・・オペル系の集大成とも言えるこの鳩を手に入れた時、今までのわしの競翔人生の集大成の時が来るのを予感したのだ。それまで、築きあげてきた白川系など、まるで、無意味であったように・・その為に猛訓練で淘汰した鳩には本当に可哀相な事をしてしまった。全てはネバーと言う最高傑作を育て上げる為に。その白竜が参加予定だったレースは日程の都合で、ネバーは参加できなかった。その前の余市Nが思わぬ悪天になり、恐らくネバー一群はもっとも遠いコースを飛び帰ったのであろう。連合会でじゃ1位になっても総合では東コースの連合会が上位を独占したのだ。わしの歯車はそこでまず狂った。」
「狂った?総合300位以内に入賞させて・・?」
「そんなもんじゃない・・豊かな副翼、柔らかい筋肉、絹のような密集した羽毛、姿・・どんな銘鳩であろうと霞む完成されたものじゃった」
「確か、品評会でも5年連続一席でしたよね。素晴らしい鳩です」
「わしは・・一羽の鳩で4大レースの一桁入賞・グランドスラムを狙って居った」
「ええっ!」

初めて聞くその言葉に川上氏は仰天の声を上げた。
「じゃが・・伏兵白竜に先を越されたネバーには、これでもか、これでもかと言う挑戦しかなかったのじゃ。香月君はその資質を1200キロにあると見た。まさしくネバーは1200キロ向きの鳩でもあった」
「なんと・・・」

川上氏は・・絶句したままだった。そんな奇跡を起こそうと、この偉大な競翔家が考えていたなど思いもつかなかったからだ。
「わしは恐いのだ・・白川系が完成した時、それをあの・・優しい子がわしのように狂ってしまう事が・・だからこそ、お前に託したい」
「私は・・白川さんに人生の師として、偉大な競翔家として、目指してきた事をお忘れか?」

川上氏の目に涙が光った。声が震えていた。
「分かっておる。その為の川上系と言われる一群を作ってきたのであろう・・」
「なら!何故・・?」
「もう、わしには残された人生は僅かであろう。その中で、心残りは
ネバー白竜号だけだ。お前しか居らん。あの子に辛い目はさせたくない」
「・・・貴方は、
白竜ネバーの交配を約束させたじゃないですか。何で・・・?」
「いや、あの2羽は違うのだ。わしが思うに卵を産んでも、無性卵であろう。気の済むようにさせてやろうと思っておるだけじゃ」
「そこまで・・考えて居られたのですか?」
「死にゆく者の願いじゃ。お前の川上系は連合会で通用しても、中央鳩界の強豪達には通用しない。分かって居る筈だ」
「でも、私は競翔家である前に、愛鳩家であります」
「分かって居る。ゆえに頼む」
こんな会話は交わされていたその時・・香月と香織は・・。