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2002.5.19日分  

だが・・思惑とは裏腹に、GPレースは、予想外の悪天候に遭遇した。持ち寄り日から曇天となり、2日目には東の方から張り出した低気圧の影響を受け、膨大な参加鳩数を管理する放鳩委員も、50名の人数とは言え、1日延びれば、飼料、水の管理等。決断を迫られる状況になりつつあったのだ。場合に依っては、雨天決行もあり得る。刻々と迫る判断に放鳩委員長に掛かる重圧は、大変なものがあった。体力を消耗させるよう事があっては、このGP以降のビッグイベントを控えて、失踪鳩を増大させる事に繋がる。だが、日延びさせても体力の消耗が懸念される・・これからのレースに影響を受けさせてもならない・どっちにしても、ギリギリの判断が迫っていたのだ・・。
状況は良くならない・・太平洋から張り出してきた低気圧が厚い雨雲を作り、放鳩タイムギリギリまで待って、順延が決定された。700キロレースは当日帰還ギリギリのレースである。朝の10時に放鳩しても、帰舎は夕方5時前後になる。700キロレースの記録は放鳩から3日目まで。このレースに参加しているのは、各鳩舎の精鋭達だ。ここで無理をさせてはならない。放鳩委員長の冷静かつ正確な判断が要求されるのだ。放鳩歴20年、ベテランの西岡正人氏は、このレース以後の全レースの放鳩委員長を務める。一日延びれば、管理は大変を極める。放鳩車、20数台の大型トラックに、地元競翔連合会の応援が駆けつけて、手分けして、狭い放鳩籠に閉じこめられてストレスの溜まった鳩達に餌やり、水やり・・。西岡委員長は、眉間に皺を寄せたままだ。地図を広げ、気象庁、各方面に連絡を取る。幸いな事に、天候はこの日が最悪で、幾分明朝から低気圧が北上し回復する見込みとなって来た。少し雨が残るだろうが、これ以上鳩を狭い放鳩車に閉じ込める訳にはいかないし、放鳩委員達の負担も大きい事から、一睡もせずに、明朝放鳩の準備にとりかかった。
川上氏より、香月に電話が入った。
「いよいよ明日、大レースの放鳩になるようだ。天候からして、早朝の6時〜7時になるに違いない。帰舎タイムも相当に遅くなると見てよい。夕方6時前後だろう・・」
この予想は的中した。放鳩当日小雨で霧が立ち込める最悪の空模様であったが、ここより南の帰路は、徐々に天候が回復との予報の下、西岡放鳩委員の
放鳩!」
の合図と共に、3万数千羽の大羽数は、一斉に飛び立った。一直線に飛び立った鳩達は、霧の中に見えなくなったかと思えば、叉放鳩車の真上に戻って来る。幾つもの一団は、巨大な雲となって、旋回する。放鳩時から20数分。鳩の群れはやっと見えなくなった。明日になれば又天候が崩れると言う気象予報であった。この何十にも分かれた鳩群。そして余りにも放鳩してからの旋回時間が長い。この事から難レースが想像された・・。結果は夕刻には判明するのだ。放鳩タイミングは経験でしかない。この放鳩委員長に掛かる責任は非常に重い。しかし、日本中を探しても彼以上の適任者はどこにも居なかった・・。
「今、放鳩だそうだ。午前6時半。君が学校から戻って来てからでも遅くは無い。慌てなくていいよ」
勉強が手につかなくなるだろう香月に、川上氏は朝一番に連絡を入れていた。しかし・・当の香月には、そんな心遣いも、昼過ぎまでは待てなかったようだ。香織と一緒の昼食の後、仮病を使っての早々の早退となった。
「あれえ?朝、あんな元気だったのになあ・・」
担任が不思議がった。香織は一人、笑いを堪えていた。
しかし、当の香月としたら、実に真剣な事であったのだ。こんな悪天候の事も予想して彼は訓練をしていた。それも単独放鳩による悪天での短距離訓練を繰り返して・・。それも、春休みに地元に戻ってきた芳川に手伝って貰い、緻密なデータも取ってある。余談ではあるが、10分間隔で、6時間もかけての訓練を何回も・・。その中で、10羽の鳩は確実にこれまでのレースにも結果を残してきた。データと言う科学的な裏づけ・・香月が目指す、新しい使翔の方向なのだ。
香月が家に戻ったのは2時過ぎだった。放鳩から既に、7時間が経過。空には雨雲が立ち込めていた。鳩は今ごろどの辺りを飛んでいるのだろうか・・?不安な気持ちは隠せなかった。
川上氏の最速予想帰舎時間は夕方の4時。そのタイムだと分速が1300メートル出ている計算で、このような悪天候では、そんな高タイムが果たして望めるのであろうか?なら、香月が今鳩舎で待つ2時とは、到底考えられない程早い帰舎となる。空を見上げる香月の視界に入るのは雨雲のみ。鳩が帰ってきても、鳩舎の真上に現われない限り、現認出来ない程の雨雲だった。そんな川上氏の飛びぬけて速い帰舎予想よりも、香月は、何と!それよりも早い3時〜3時半前後と予想していたとは・・。彼はそう予想した上で、学校から帰宅していたのであった。恐らく彼以外の脳裏では誰もが予想できなかった筈。そう、香月は過去何度も悪天候を飛びぬけてきた鳩群を、過去の記録からシュミレーションしていたのだった。それは、前年度の風巻連合会の立石鳩舎が、小雨が降る悪天候の最悪のコンディションの中を唯1羽、分速1400メートル台の快記録で優勝した鳩も、ブリクー系の血筋だ。自分の血統と比較して相似点もある。又、ここ数年の気象条件、分速、過去上位入賞鳩舎の血統を分析し、それなりのデータを作成して予想時間を割り出したものだ。
だが、それはあくまで、香月の鳩舎が優勝にからむであろう最速の場合の予想タイムとして。彼が2時間前に待つのは彼なりの根拠があっての話なのだと言う事だ・・・。
時計を香月が見ると、3時を差していた。風巻連合会が今年もGPを制するとして、ほぼ放鳩地から一直線にあたる香月鳩舎は、立石鳩舎から30キロ遠方にあたる。昨年優勝タイムだと、2時40分に風巻連合会が打刻したら、香月鳩舎が3時帰舎ならば、優勝を争えるタイムとなる。そんな事を考える香月の頭上に、いきなり2羽の鳩が視界に入った。それは余りに突然で、机上の計算に過ぎなかったこのこの予想が?驚く香月だったが、紛れも無く、それは香月の鳩であった。一羽が先にタラップに飛び込む。打刻する、もう一羽はなかなか鳩舎に入ろうとしない。相当に疲れているようだ。ようやく打刻したのは一番の鳩を打刻してから、5分後。又その鳩達は昨年のGC1000キロの記録鳩達であった。わくわくどきどきするそんな帰舎では無かった。突然に前触れもなく戻ったレースであった。しかし、後が続かない。やはり難レースを実感させる。こんな優秀な競翔鳩すら、疲れ切った姿に、ようやく冷静になり香月は分析を始めていた。後続帰舎は4時であった。川上氏が予想した、最速タイムでの帰舎は、これまで3羽。又間が開き、4時半に1羽。5時前1に羽。5時過ぎに1羽。もう薄暗くなった6時前に1羽の計7羽であった。非常に帰還率の悪い、そして、ばらつきある帰舎に、やっと参加中半分の5割の帰舎に・・。いかにスピードバードで無いと、当日戻れないレースであるか、感じた事は無かった。改めて血統が大事であると、痛感したこの日の香月であった。いつもなら7割は当然戻ってきてもおかしくないと香月は自鳩舎を分析した。選手鳩達の力量を思えば。