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2002年12月6、7日分

 あっと言う間に、もう100キロの持ち寄り日となった。集会場所も2箇所に分けられて、大羽数に対処する為、おおわらわであった。天気予報によると、明朝は、絶好の天気で、数秒、或いは、コンマ数秒の白熱した接戦が展開が予想される。とにかく早く帰って来た鳩をいかに帰舎させ、打刻するかが、勝利の分かれ目だろう。そして・・明朝放鳩された鳩は、実に脅威の分速によって記録されるのであった。少々追い風の高気圧が影響して、その一番の帰舎は、例の仔鳩であった。放鳩時間、6時20分。そして、香月が打刻したのは、7時6分であった。全く予想も出来ぬ展開のこのレースは、10分までに3羽。数分置かずして、次々と栗の一群が帰舎したのだった。
「早い・・恐ろしく早い・・」
 香月は感じた。例の仔鳩の分速は2000メートルを下るまい。その3分後の3羽にしても・・。いつもなら香月鳩舎の頭上を通る鳩群は全く見えなかった。僅かに15分前後に50羽程の集団が通過はしたものの、帰舎コースは、香月鳩舎より山際を殆どの鳩は取ったと思われた。香月自身、この100キロレースに優勝と言う確信を持った。過去のレースでも、一直線の帰舎コースを辿るなら必ず、香月鳩舎の真上を通過するのだ。山あいのコースを辿れば、それだけ、タイムが遅くなる。しかし・・シューマン系との配合の一群が、相当なレベルである事を彼自身が予想しては居たが、例の仔鳩は生まれ月から言えば、春に、間に合うか合わない2次の若鳩・・これ程の実力を秘めて居たとは・・香月は身震いした。そして同時に・・まずい・・そう思った。優勝すると、愛鳩雑誌には、血統図を掲載しなくてはならなくなる。そして、その事は、仔鳩の将来、自分の競翔にとって、どのような話題を巻き起こしてしまうかも知れないのだ。奇跡の超銘鳩の実仔を公表してしまう事への大きな不安が・・。そこへ全鳩帰還した時間に、川上氏から電話が入った。
「やあ、どうだい?今日は相当な分速が出てるようだね。分速1800メートル台の記録が、続出しているようだ。君も100キロは強いからね。早かったんだろう?」
「・・・・それが・・」
「・・どうした?悪かったのかい?」
「いえ、そうでは無くて・・逆なんですが・・」
「なんだい・・それにしては声が沈んでるじゃないか。君の所が早いのなら、喜ぶべきだろ?」
「はあ・・ひたすらまずい結果です」
「お・・おいおい・何がまずいの?どうしたの?」

川上氏が呆れたように訊ねた。人をからかうような子じゃ無い筈だが・・。
「ええ・・最初の打刻が7時6分なんです。それから10分までに3羽追加して、その2分前後に2羽。計6羽タイムしました。その6羽全部栗系です」
電話の向こうで、一瞬川上氏の声が詰まった。
「・・え?なんだって?それは、途方も無く君が早いよ。全部栗系・・するとあのシューマン系だね・・ほお・・」
「それが・・心配してるのは、その栗系の中でも・・例の子鳩が・・一番早いんです」
「何・・?」

再び川上氏の声が詰まった。
「予想外です・・」
「血とは言え・・老鳩同士の子鳩がそんな英傑であったとは・・・・あ・・」

川上氏が、言いかけて、言葉を繋いだ。
「全国杯に乗る事になるやも知れない・・そして、血統の公開だね?君が今、心配している事は」
「はい・・その事です」
「迷う事は無い、種鳩にしたら良い。全国優勝したら当然じゃないか」
「でも・・」
「とにかく、今から会員達の結果を聞いて見よう。それから叉、話しようじゃないか」

今から受験を控えて、この春が競翔中断になる。香月がこの仔鳩を得たのは、奇跡に近い事。更に、その仔鳩を使翔する事は、香月にとっては、目に見えない運命のようなものによって、義務つけられたような不思議な感覚でもあった。まるで、香月の登場を待っていたかのような白川老人、白竜号ネバー・マイロード号。そして、脅威の力を見せつけた、この仔鳩。香月すらまるで、予想も出来なかった、凄まじい運命の意図が・・・。
再び川上氏からの電話のベルが鳴るまで、香月の脳裏には、優勝の予感より、重苦しいものが渦まいていた。
「香月君、やはり君の所がダントツに早いよ。優勝どころか、そのタイムだと日本記録に匹敵するか或いは、新記録かも知れないね。1位から6位は、勿論独占だろう」
「そうですか」
香月の言葉は沈んでいた。川上氏は言葉をつなげる。
「例の仔鳩の血統書なんだが、私も君の進路への障害の事や、雑誌の取材等も考えて見た。白竜号は「シロベ号ネバー・マイロード号は「クイーン」とすれば良い。その成績も公表しなくて良い。足輪番号だが、白川氏は独自の私製管を付けているから、そちらの白川何号と言う番号にすれば良い。両鳩の親鳩についても、相当数の仔鳩を得ているから、それで血統書を見ても、気づく者は居ないよ。その愛称を知ってるのは私だけだからね」
「そんな愛称が?」
香月の言葉に明るい響きが戻った。
「その喜びようを推察すると・・案の上・・君は色々先の事を考えていたね?で・・君がこの電話までに出した結論を聞いとこうか?」
全てを川上氏に悟られていた香月であった。同時にこれは、川上氏の問題でもあったからであるが・・。
「はい・・この100キロレースを棄権しようと思ってました・・」
「香月君・・!」

川上氏の言葉が、重く突き刺さるような抑揚を持っていた。
「はい・・」
香月もそれを感じた。
「私は言った筈だ。鳩はただ一目散に鳩舎に戻って来るのだと・・それは人間の欲望の為では決してない。彼等(競翔鳩)の本能がそうさせるのだ。それによって、順位がどうとか、人間によって勝手に決められたルールがあるからでは無い。そのひたむきな彼等の羽ばたきを資質として認めてやるのが、我々競翔家の姿勢なのだと。どんなにそこに待ち受ける結果があったとしても、君はその全責任を負って競翔に参加させているのだ。違うかい?」
初めて香月に対する川上氏の叱責であった。
「はい。その通りでした。僕は恥ずかしい。責任の所在を間違えてました」
「分かってくれれば良いんだ。ただ、君の動揺は私とて良く分かる。で、その仔鳩はどうするの?」
「はい。この100キロで中断させます。」
「それが・・良い」

実はこの香月の言葉は、川上氏が文部杯全国総合優勝と、日本記録鳩としての栄冠を持って、稀世の超銘鳩による夢の交配・・この世に唯一無二の血統なのだから、種鳩にする為の中断と理解した。それは、当然の受け止め方でもあった。しかし・・香月は、全く違う事をこの時点で考えていたのだった・・。後に川上氏も驚愕する事になる。