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2002年12月8日分

夕方には、朝の件の事でお詫びをしながら川上氏と一緒に持ち寄り場所の一つである、清水寺に向かう香月だった。道中では、川上氏が、
「なあに。全国優勝と言っても、発表は何ヶ月も先の話だ。それに、親鳩の愛称が絶対他の会員に漏れる事も無い。雑誌の取材はあるだろう。君の場合2回目の全国優勝になるかも知れないからね。それは大きく扱われるだろうが、私もその時には出来る限り援助するよ」
「有難う御座います。僕は動転してました。まさか、この100キロレースで力を出し切るとは予想もして無かったので。」
「若鳩にある、無鉄砲と言う感じかな?レースの経験を積めば、鳩舎までの力の配分が分かるようになる。それが経験鳩の強さでもあり、叉脆さでもある・・がね。それにしても、秘めた血統の凄まじさを感じたよ。」
「この100キロで中断して良かったです。体も充分に出来て無かった若鳩ですから」
「そうだね。良い決断だったね」

この会話の前提が互いに違う事には、勿論2人は気付いて居なかった。
 既に、到着した清水寺の本堂では、強豪達が顔を揃えていた。この場所に集合したのは80名程であった。川上氏と、香月の入室で、それまでの場が一瞬静然となった。各鳩舎の情報交換もほぼ済んでいる事だし、川上氏があちこちに問い合わせた事で、話題はむしろ川上氏の優勝と言う事であったらしかった。佐野からの電話が鳴る前に川上氏があちこちに電話した事で、佐野のノートは、もうデータが完了しているようだ。既に来ていた磯川も佐野も、少し離れた場所に居て、眼で合図しただけで、香月には喋りかけて来なかった。佐野は一般。磯川には学生と言う事で、文部杯とJRレースの権利があるが、彼自身の年齢が20才を過ぎたと言う事で、権利を放棄して一般参加になっている。2人にとっては、文部杯の香月の帰舎は、直接興味は無いよと・・そんな感じであった。ただ、この場所に、H高校3年生の山田道之鳩舎と、K中学3年生の渡辺鳩舎の長男、渡辺一志の顔が見える。佐野のノートでも、星印がついている心境著しい学生競翔家だ。特に、強豪渡辺茂夫氏は、親子同一鳩舎だ。息子の名前(一志)で、この春からエントリーされていて、これは、そのまま強豪が、学生に混じった形だ。早めに本堂に到着した事で、色んな情報を得る香月だった。・・・渡辺鳩舎は新血統を導入してるらしいね・・佐野が香月の側に近寄って来て言った。その佐野も香月の帰舎のデータが無い事に、聞こうと声を掛けた時には既に、開函時間であった。新役員である佐野は、集計係なので、忙しく計算を始めていた。香月が山田に声を掛けた。山田は大柄で、柔道をやっているせいか、顔立ちは大人びて、一見恐そうな感じなのだが、優しい気性の持ち主だ。この日はにこにこと嬉しそうに言った。
「白川さんの所から2羽頂いて、その鳩達から、6羽仔を引いたんだけどね。凄く出来が良いんだよ。俺も短距離はいつも諦めてたんだけど、今朝はもう、凄く早い帰舎でね。びっくりしたよ」
「何分だったんですか?」
「ああ、16分だったかな?2羽」
「早いですね。それだと、山田さんと僕の家は、5キロ位離れてるから・・1800メートル以上は分速出てるでしょう」
「ああ、そうなんだ。皆に聞くと、全国杯の可能性だってあるよって聞いて、もう舞い上がっちゃってね。・・あ・・そうだ。香月君の帰舎を聞いて無かったね。何分頃なの?」
「それが・・あんまり正確には覚えて無いんですけど、6、7分だったかな?」
「ええっ!じゃあ、さっき話題で盛り上がってたのは、川上鳩舎じゃなく香月君の所?」
その山田の声が大きかったので、場は静寂した。その静寂の場に磯川の視線があった。彼が香月の所へすぐ来る。
「君の所・・だったのか。途方も無い快分速を出したのは!あの栗だね?勿論」
「は、はい」

磯川の言葉が余りに早口で、有無を言わせぬ詰問調だったので、香月は少し声を小さく答えた。
「白状したまえ、あの筋肉が異常に柔らかい栗は、どんな血統なんだい?」
少し遠くから川上氏が見ている。場の中心は香月となっていた。香月が答えた。
「実は、白川さんの所から卵で貰ってました。シューマン系とは別です」
「やはり・・今までの君の血統や、シューマン系の筋肉とは全く異質の、俺が体験した事が無い柔らかさだった。」
「どんな血統?」

この場に居合わせた、水谷氏が訊ねた。白川鳩舎の血統は、どれもが超一流の飛び筋だ。一般競翔家には、今回は全く分譲されて居ない。学生達が、駆使するその血統は、どの鳩舎から優入賞が出るかも知れないと、一般の強豪達は予測している。
「僕も詳しくは知らないんですが・・・オペル系の血を色濃く受け継いでいる鳩だと思います」
「オペル系・・ははあ・・成る程・・すると、
ネバーの異父母系統かな?それなら良く分かる」
水谷氏が頷いた。
「それなら、ネバーの子って線もあるのでは?」
磯川が間髪を入れずに言うその言葉に、香月はドキッとしたが、それは水谷氏が明確に否定した。
「磯川君達は知らないだろうが、ネバー・マイロード号は、メス鳩でありながら、延べ2万数千キロを飛んだ鳩。そのせいで、中性的で雄鳩を寄せ付けないと、白川氏が生前言っていた。あそこまで酷使された体では、子孫を残す事など困難だろう。叉、とても子孫を残せる歳でも無いよ。老鳩過ぎるし・・それに死んだじゃないか・・白川氏の棺に白竜ネバーが一緒に・・なんか運命的だったよなあ・・同じ日に」
その言葉に再び会場に静寂が訪れた。生前の香月と、白川氏との深い交流を全員知っているたからだ。水谷氏も言った後、しまった・・と言う顔になった。磯川はもう、話題には突っこま無かった。香月の顔が深く曇ったからである。川上氏が助け舟を出した。
「ところで、皆さん、今日は高気圧が張り出して、おまけに少し追い風の抜群の競翔日和だった事もあって、素晴らしい高分速が続出しています。初参加の一志君も、お父さんの血統を引き継いだ事もあるだろうけど、かなりの高タイムで、10羽打刻してるし、山田君も例の白川さんの所の血統の子鳩が調子良いみたいだね。これも3羽、高タイムで打刻している。こんな良いスタートが切れて良かったよね」
場は再び雑然となって行った。集計まではまだまだ時間があって、3箇所の集計を叉これから行うと言う事で、川上氏と香月は帰りの道中に居た。
「申し訳ありませんでした」
香月が車中で川上氏に言った・
「君が謝る必要なんか無いじゃないか。あれは水谷君が悪いよ。言葉を選ばなきゃ・・ね。流石に、私も君も辛かったよなあ・・」
思い浮かぶのは、偉大な白川氏の笑顔であった。だから、泣くまい・・香月は耐えたのだ、あの場を。その気持ちは川上氏も同じだった。水谷氏も意図して言ったのでは無い事を承知しているが・・。