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2001.4.6日分

 PM7時、時報と共に、バシャーン・・これを閉函と言う。鳩時計の打刻音が響く。時を刻みかけた鳩時計は、放鳩された鳩が戻ってきた時に打刻、そして開函の打刻・・いよいよレースは始まったのだ・・
 その後、香月達4名の学生愛鳩家を乗せた川上氏運転の車は、連合会会長宅へ向かった。会長宅は川上氏の家から車で15分ほどの場所にあり、造園業を営む広い園内には所狭しと植木や鉢植えが並んでいた。既に辺りは暗くなっていたが、その一角に金網で仕切られた大きな、立派な鳩舎が見えていた。
 家の中には既に大勢が集まっているらしく、にぎやかな声が聞こえる。中央に座っている体格の良い初老の人が高橋貢連合会会長であるらしく、川上氏にすぐ声を掛けて来た。
「よお!こんばんわ。どうだね?川上君」
「はあ、まあまあですね。どうも今年は悪天が災いしたのか、仔鳩の成長が少し遅れ気味のように感じるんですが」
「うん・・私の所もそうだよ、ところで、君の倶楽部の方に良い子が入ったらしいね」

 香月がすぐ、会長、他のメンバーに挨拶した。 
「おう!君か、なかなかの男前じゃないか。川上君の飛び筋の秘蔵鳩を譲られたそうだから、我々にとっても強力なライバルになるかも知れないな。はっはっは」
いかにも豪快に会長は笑った。盛大な拍手に迎えられて、座を取り、一人、一人と紹介される。この日集まったメンバーは、いずれも東神原連合会の中心的な強豪競翔家ばかりだった。
 支部長の水谷勝氏・・この人は電気店を経営されている。副会長の渡辺茂夫氏・・鉄工所に勤務されている。そして、香月は正面に座る、長身の学生の視線を感じていたが、その男が磯川則哉と言う強豪学生競翔家であった。
切れ長の目、鼻筋の通った顔、いかにも気の強そうな男に見えた。彼は、高校3年生。私立総合病院の一人息子であった。
やっと、笑顔を作ると磯川は香月の横に来て座った。北村が、少し遠慮がちに香月の隣の席を譲った。
やあ、香月君、はじめまして。磯川です。今聞いたんだけど、倶楽部長の川上さんから鳩を譲り受けたんだってね」
磯川の関心は香月の入会より、そちらの関心が高いようであった。
え・・はい。僕の手元に川上さんの鳩が怪我をして迷い込み、それが縁で競翔を始める事になりました。これからもよろしくお願いします、磯川さん。その鳩の事ですが、貰ったと言うより、無期限でお貸しして貰ってると言うのが本当なんですよ」
 その話を意外そうな顔をしながら、磯川は眉をぴくぴくと動かしていた。
「そう・・。成る程。君は、俺にとっても最強のライバルの出現って事になった訳だ。何故なら、川上さんは連合会でも圧倒的な強さを誇る、ブリクー、勢山系、ノーマンサウスウェル系の飛び筋を駆使してる方だ。ほとんどこれまで飛び筋が他鳩舎に出た事は無いんだよ」
 香月が鳩を譲り受けたのが磯川にとっては、意外、心外のようで、彼は言葉を続けた。この心外の意味は磯川が、川上氏に鳩を分譲依頼して断られた過去にあった。
でも、俺も負ける訳には行かない。俺は来年受験を控えてて、今秋のレースで一時鳩レースも中断するんだ。その意味でも今秋は、自信ある種鳩を導入して頑張って来た。そして、この文部大臣杯はこの数年俺は一度も負けた事が無いレース。君も初めての競翔で、色々分からない事も多いだろうけど、北村君や今日のメンバー、そして、俺にも色々聞いてくれよ。じゃ!明日、楽しみだね」
 そう言って、磯川は帰っていった。横で居た、佐野がノートを開いた。
「凄い、ライバル意識だね、香月君。君に対する挑戦のようだ・・磯川さんは今年ゴードン系を導入してる。これは恐らくこの近辺では初めてだね」
 異様なまでに、初参加の香月に対して、長年のライバル心むき出しのような言動だった。それは、磯川自身が打倒川上系を目指しているからかも知れない。事実、磯川は学生競翔家ではダントツの成績で、大人達の中でも上位優入賞に食い込む成績をあげていて、ハンドラーと言う、鳩の飼育、訓練を担当する人まで雇っている。金持ちだ。総合病院の一人息子で、自分の手に入らぬものは無いとさえ思うような気位の高い男だった。彼が、鳩レースをやり始めたのは、水谷支部長が磯川の病院に入院した時から始まる。いきなり外国の著名鳩を数羽飼うや、レースに参加。だが、途中の悪天候に祟られた300キロレースで、ほとんど全滅の憂き目に合い、競翔鳩は良い血筋、良い環境、良い餌だと思っていた彼は、完璧に打ちのめされた。そこで、やはり日本の気候風土に合った在来種、そして最強鳩舎の鳩を導入すべきだと考え直し、川上氏の家に行ったのである・・。こんなエピソードが隠されていた。
・・そして、どうせ導入するのなら、川上氏の源鳩を譲れ・・何十万、何百万出しても良いと・・しかし、お金は要らないからと、川上氏は1羽の鳩を差し出した。ところが、
「いえ、僕は鳩をいただきに来たのではありません。主流血統の記録鳩が欲しいんです。お金は幾らでもお払いします」
 愛鳩家を自負する川上氏に何と言う無礼で、身の程知らずな学生なのだろう・・当然川上氏が滅多に見せる事の無い感情を露にしてこう言った。
「磯川君、帰ってくれたまえ。私の所へ来たのは君の間違いだったようだ。私は競翔家では無く、愛鳩家だと思っている。自分の飼ってる鳩は、家族の一員だと思っている。私はその家族を手放す事は、身を切られるほど辛いのだ。まして、私の家の源鳩や記録鳩は、これまで幾多の艱難を味わってきた自分の分身でもある。それを金に糸目をつけないから売れと言っても、断じて売る事など出来はしない。一つだけ言って置くが、君は競翔鳩を何だと思ってるのか?競翔鳩はレースの為の道具じゃない。競翔家にとって、かけがえの無い友であり、家族なのだ。君は、何不自由の無い恵まれた環境の中で育ったらしいが、同じ連合会の学生愛鳩家を君が見て、何かを感じたら、又ここへ来なさい。」
 思いもかけない川上氏の怒りに触れ、磯川は何で、川上氏がこんなに怒ったのか分からず帰って行った。
以来、有名鳩舎の鳩を導入して、自分の希望を打ち砕いた、川上氏打倒の執念で、ここまで磯川は競翔を続けて来たのだ。その自分に対して、自ら鳩を分譲したと言う香月に対して、めらめらとライバル心が沸き起こったのは当然かも知れない・・その態度にも出ていた。